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CHRISTIANTODAY フォーラム
小さな証(7)
1 おちこぼれ ID:0wEaIn9k 2008/10/20 23:16
小さな証(7)


今まで、あまりに幼稚な「おちこぼれ」の話ばっかり!だったので、小さな証(7)では趣向を変えて、クリスチャンの方々の証を書いていこうと思っています。クリスチャンの方々は、「右手にしていることを、左手に知らせません」から、かなり隠れています。

天使の方々は、「見えないくらい謙遜」と言われています。それらが、「よく見える」を持っていたいといつも願っています。もちろん、クリスチャンは「善においてのみ競争者」ですので、見ているだけだと何の意味もないのですが。

病院で、看護師さんが患者さんに唾を吐きかけられました。すると、その看護師さんはニコッと笑って、「わたしますますきれいになっちゃうわ」と話しました。

ある方は、患者さんにこう言われました。「わたしが死ぬときは、あなたに賛美歌を歌って欲しい」と。数々のCDや賛美歌や歌を聞いてきましたが、こういう賛美歌を歌える人はほとんどいません。「おちこぼれ」もその方にはそう思います。

ある看護師さんは、生体情報モニターと呼ばれる機械の送信機を、患者さんからなげられます。「大丈夫でしたか?」と聞くと、その方はとってもきれいな笑顔で答えていました。新聞で「優しい人」とかで載られた方ですけど。

ある教会に説教者が来ました。「この教会には、ちり一つない。皆さんがどれほど教会を愛しておられるかが、よくわかります」。1日でも掃除を抜くとちりはすぐたまります。確かに批評するは易し、行うには「愛が必要です」。しかも、この教会はそれが20年間ずっときれいなのです。「ときたまの努力は何の意味もない」とその通りです。

あるクリスチャンの奥さんは御自身、日本経済の最先端の仕事をしていらっしゃいますが、ご主人はまたお仕事で毎晩午前さまです。しかし、ご主人が帰るのをいつでもまっていて、作り立ての「とってもおいしい」食事を用意されます。睡眠時間は1時間くらい?職場では、人の誕生日には手作りのケーキ、手作りの誕生日カードを作られます。そして、教会の方々のためケーキやクッキーを作り、そしてすずしい表情で安息日にはピアニストをされています。

クリスチャンって教会で祈っているだけ?とんでもない、「彼らはできる限りを尽くして、この世を少しでも住み良い世の中にする」する人々です。
2  sdkfz191 ID:JYNMKLT2   2008/10/21 00:08
あなた様は落ちこぼれではなく、大きく先を行く方と存じます

教会の勉強も終盤に近づいて思うすぐ洗礼と堅信式が待っています。自分はそういう事を受ける身分ではないと思っているので、「怖い」感情で一杯です。はっきりいって洗礼をのばす口実を考えています。

こんな人文を勇気づける言葉はありますか?スレッド汚しで申し訳ありません
3  おちこぼれ ID:F3RFxnN6   2008/10/21 20:24
本当に申し訳ないですが、僕は先に行くものではありません。本当に恥じ入るばかりのものです。
ただ、僕が教わったのは、「洗礼を受けると、天使の方が1人使わされるんだよ」ということでした。保護天使です。
僕は、僕に使わされている天使の方は「本当に偉大な天使の方だ」と信じています。
こんな者に、ずっとついていてくださったのですから。
僕は、その名の通り、「おちこぼれ」です。誰よりも、臆病で、誰よりも、批判家で、罪人であり、裏切り者であり、イエス様の御名を誰よりも汚してきたものです。
洗礼を受けてからの人生、顔を覆いたくなる、消えてしまっても十分です。
死んでしまいたい、と何度も思いました。
しかし、この「偉大な天使の方」はたといどんな状態にあろうとずっとそばにいて離れず、そばにい続けてくださいました。
復活する時、最初に挨拶してくれるのはこの天使の方である、と教えられています。
イエス様に出会うと、自分がどんなに素晴らしいお方に出会ったか、紹介したくなるとかいてありました。
主イエス様が僕に使わしてくださった天使の方は、本当に素晴らしい方です。何故、「偉大な」と書いたのは、「こんな者のため」ずっとそばにい続けてくださったからです。もっと素晴らしい人のそばにいたかったでしょう。

洗礼を受けると、イエス様が素晴らしい天使の方を遣わしてくださいます。
(その方はもちろん主イエス様をあがめるようにおっしゃることでしょうけど。)
そして、いつか、その天使の方が、人生の途上での「不可解な摂理」「かなえられなかったと思えた祈り」「希望を打ち砕くかに見えた出来事」などなど説明してくださるでしょう。

なんの励ましにもならないかもしれませんけれど、これだけは真実です。
今「おちこぼれ」が生きているのは、主イエス様の一方的なお恵み、憐れみだけです。そして陰でこんな者のため祈り続けるクリスチャンの方々のおかげだけです。
4  東方博士 ID:/QMBE.Dg   2008/10/21 23:45
>3
神様に脱帽です。泣けます。ありがとう。
5  おちこぼれ ID:4w4QwrfA   2008/10/23 11:03
小さな証(7)


主イエス様の測り知れないお恵みの事を書くとき、「おちこぼれ」も涙いっぱいに書いています。イエス様に感謝です。かつては、いつまでもこの感動の中にいたい、と思っていました。

しかし、主イエス様は決して休まれない主でいらっしゃいます。復活された時も、変貌の山でも、荒野のサタンとの戦いのあとでも、すぐに僕たちのための救いのために働かれます。「そして、敵が征服され、堕落した人類があがなわれるまではお休みにならないのである。」

「わたしの父の国であなたがたと共に、新しく飲むその日までは、わたしは今後決してぶどうの実から造ったものを飲むことをしない」と仰せになられた主は、人間が救われるまで、お休みにはなられないようです。

クリスチャンの先を行く方々はいつもそうなので、恥ずかしながら「おちこぼれ」も次にいきます。


「病院」

ある病院での朝の職員礼拝の時でした。この病院では、毎朝、日勤の職員の方々が集まり、礼拝をもって仕事をスタートします。院長、事務部長、看護部長他、多くの人が出席します。もちろん、病棟では、ナースステーションにて交代の引継ぎ時にお祈りをしています。

さて、その日は経理の方の話でした。ある年、この病院は前半非常に経営状態が悪く、経理の方ですので、とっても心配していたそうです。

その方が話しました。「ところが、ある時から境に急に経営がよくなり、やはりこの病院は神様がいらっしゃる病院なんだな、と思いました。」

僕も、その当時の事を良く覚えています。薬を待っている患者さんのための呼び出しに電光掲示板がありましたが、「時間がかかる患者さん」のため赤く光る欄があります。何年も一度も付いたことが無いその番号だったところが、「赤く」光っていて、「へーこんなところ電気が点くんだ」とおもったことを覚えています。結局、年末ぎりぎりまで大勢の患者さんがいらっしゃり、経営も「黒字」でおわりました。(病院が経済を考えていいか、どうか別として)

そこの病院のある師長さんがこんなことを話しておられました。それは「天使のささやき」という言葉です。

こういう話は、この病院に限らず、たくさん?あるようです。すなわち何か「あれ?」と思ったときに、行動してみると患者さんの容体が急変していることに気づいたりすることです。看護師が病室を出ようとして、「あれ?」と思い、振り返って病室の患者さんを見ると、危険な「低血糖」(結構危ないです)を起こしていたり・・・。

中には、夜休まれている患者さんの見回りのとき、患者さんが眠っているのではなく「昏睡状態」に陥っていることに気づいたり。
神様をまだ知らない方々の言葉では「第六感」というものかもしれません。

この病院ではその昔?には、看護師の方が病室に入っていくと天使の方が立っておられ、患者さんに手をおいていらっしゃるのを見たこともあるそうです。

そして、当時は非常に献身的で、看護師は1つの場所に3人(4人?)住んでいて、それで3交代をやっていたそうですから、すごいものです。

未来ある有望な道を捨てて、日本に来て「貧しい?」生活を選んで医療に打ち込んでいらっしゃる医師、名誉や地位を捨ててこられた医師も働いています。

「不合理な点」あるいは「過ち」もたくさんあるとは思いますが、「神様は不義な方ではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示してくれた愛をお忘れになることはない」とは本当だなと思います。

その病院は、僕の記憶によれば、キリスト教界でいわゆる「癒しの奇跡」について、偽物が多く現れ、判別が非常に難しくなってきた。それゆえ、ヒゼキヤ王様が「干しいちじくの一塊」をつけていやされたりされたように、自然の単純な物を通して、人々の心と身体と魂の癒しのために働く病院として建てられたそうです。

しかし、ここではこんな話もあります。確か、拒食症の方がだんだん容体が悪くなり、亡くなられました。その時、この病院の医師がその患者を看取り、死亡診断書を書きました。そこへ、牧師さんが来られ、お祈りすると息を吹き返したそうです。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、いわゆる医師はあまり、癒しの奇跡を喜ばない。かえって嫌われる方々が多いと聞きました。(もちろん「愛による奇跡」を信じていらっしゃる医師もたくさん知っていますが。)

この医師も、「自分の診断」が覆されるわけでした。しかし、この医師はその記事が掲載された「確か毎日新聞」の記事を病院に全職員の見える掲示板に貼っていらっしゃいました。
6  おちこぼれ ID:B4eyyi0w   2008/10/29 04:16
「働き」


よく病院に来る業者さんに聞くことがあります。「家にお帰りになられるのは何時ごろですか?」

「いつも12時ごろ会社を出ます」「1日大体睡眠時間1時間から2時間ですね。そのかわり土、日は死んだように眠ります」「2週間で合計睡眠時間、5時間です」「いや〜今日は早く帰れるんですよ」「何時ごろですか」「9時です」。

看護師さんでも、「仮眠2〜3時間で24時間勤務」・・・。営業さんからくるメールは午前2:00、午前0:00そして、朝7:00。

武勇伝。「一ヶ月心電計30台売ったことがあるんですよ、その時はほとんど食べないし、寝ない、酔ったようになっていて心電計と一緒に3階から階段落ちたこともあります。それでも毎朝2時間、みんなの目の前で上司から怒られていました。でも、同僚はお得意さんの目の前で死んだんですよ。営業マンとしてとっても名誉あることです」

「上司からそろばんで弾が飛ぶほど殴られる、僕もやられました。あれ、目から火が飛んで気持ちいいんですよね」

その話を聞いていた外資系の社員。「うちの会社では、そんなことないですよ。でも、『君、明日から来なくていいよ』」と言われるんです。そこにいた業者さん一斉に「それが一番こええ(こわい)」。

「朝、会社に行ったら“今日でこの会社はなくなりました”とはってありました」「朝10時に社内放送が入って、“社員は会議室に集まってください“と言われたので行ってみると、『今日でこの会社はなくなりました』と言われました」

「夜12時ごと、会社にもどるんです。そうすると上司が待っていて、『何しに帰ってきたんだ』と怒られるんです」

上司から「消しゴム投げられる」「灰皿投げられる」「けられる」・・・。

皆さん頑張っているんだ。さ、「落ちこぼれ」も与えられた仕事を一生懸命しよう!といった感じですが。

みなさん、もちろイエス様の御感化に無関心ではありません。ある営業の方は15年もたって、「思い切って」おっしゃいます。「実を言うとわたしカトリックです」。他にも、「いつも聖書を持ち歩いていて、憎しみが湧くと読むんです」。また、「学校がキリスト教の学校で、家族は僕以外、皆クリスチャンです」。この方も毎日夜12時、休みはダウン症の子供さんのボランティアです。多くの人と同様、「僕が励まされています」とおっしゃいます。

大学病院の看護師も、「これ聖書よね」と仕事そっちのけで聞いてきます。皆、主イエス様の証に耳を傾けて感動され、教会に来られたり、中には医療機器をプレゼントしてくださった方々もいらっしゃいます。

そして、教会では・・・。給料ももらわず、1年365日働き続けています。ほとんど夜10までの毎日の集会、それから家に帰り、教会の食事を作り、デザートを作り、家の食事を作り、病気の身体をおしながら、教会をいつもきれいにし、教会員のため暑い中、寒い中、嵐の中、無農薬の手作りの野菜を作り続ける。また教会の維持のため会社でいつも午前様で働き続け、あるいは会社が閉鎖されながら、若い人の学業を助け、衣服を整え、やもめの世話をし、病の人を助け、独身の働き人の日常の助け、世から見捨てられた人々を助け、友達のいない人の友達となる。一生独身で奉仕される、他で働けば、たくさんの報酬、地位、名誉が得られるのに、あえて奉仕の道を選ぶ、ののしられても、ののしり返さず・・・。目立つことなく、表彰されることなく、報酬をももらわず、与え続ける・・・。

そして、希望で溢れ、喜びをもって、やさしさ、思いやりいっぱいで、いつも前向き、そしていつも詫びている・・・。これだけの働きを人間「だけ」の力ですることはとうてい不可能です。

教会では「説教」というのは、尊い働きですが、それに劣るどころか、もしかしてはるかに尊い働きがたくさんあります。多分最も尊いのは、「陰のお祈り」ではないか、と今の段階では思っています。

あんまり暗いニュースが多いので、世の中信じられない事、信じられない人でいっぱいのようです。しかし、光は星のように輝いています。思いっきり、「良いニュース」を書いていこうと思っています。

福音はその名の通りGOOD NEWSです。良いニュースがありましたら、書き込みよろしくお願いします。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべてほまれあること、また徳といわれるもの、称賛に値するもの・・・、の中でとっても「ちいさな証」をお願いします。
7  おちこぼれ ID:SnYXU7k.   2008/11/02 21:41
鎖の輪(2)


「最も多くゆるされたものがキリスト様をいちばん愛するようになり、その御座の最も近くに立って、その大きな愛と限りない犠牲をほめたたえるのです。神様の愛が本当によくわかった時に、罪の深さがわかるのです。私たちを救うために下げられている鎖の長さを知り、キリスト様が身代わりになって払われた限りない犠牲をいくらかでも悟るとき、心は言い知らない感謝にあふれ、悔いくずれおれずにはいられないのです。」

鎖は、すべて「小さな輪」からできています。もし、その中のたった1つの輪が、壊れてしまったら、長い鎖は「そこで」切れてしまいます。

ある大きな教会にいった時です。

礼拝後、1人で弁当食べようと思い、「簡単なサンドウィッチ」というと格好いいですが、食パンに、黒ゴマクリームをぬってラップでくるんだものをもって教会に行きました。

行き道、朝、本を読んでいるとこんな文章に出会いました。

その昔、イスラエル人が礼拝のために集まったとき、主は次のようにお命じになりました。「あなたたちの神様、主の御前で家族と共に食べ、あなたたちの手の働きをすべて喜び祝いなさい。あなたの神様、主はあなたを祝福されているからである。」

教会で出される食事、ご自宅の食事の他、たくさんの教会員のため、食事を用意されてくる主婦の方々の「準備」「後片付け」など陰の苦労のいかに大きいことか、身に染みるほど見続けてきた「おちこぼれ」は、未信者の方ならともかく、長年教会に行った者は、とっても教会で用意される食事には行けないと思っていました。

さて、涙いっぱいの賛美歌礼拝、礼拝が終わり、先ほどの言葉が引っかかっていたので、「もし、誰かが声をかけてくれたら行こう」と「超勝手なお祈り」をしていました。

聖歌隊の練習風景をみて、「さあ、帰ろう」と思って席を立つと、最後に礼拝堂を出ようとされていた、多分長年の信者さんが、「食事どうぞ、お客様大歓迎よ」と声をかけられました。

何気ない言葉ですが、「おちこぼれ」にとってはまさに「天の声」。誰かが「信者さんの姿をとった天使でした」と言われても疑わなかったでしょう。

行きにくい心をお祈りした手前、「止む得ず」(^^)教会の食堂に行きました。そこで知っている方々に出会い、何もしらない牧師さんが声をかけてくださり、食事をいただきました。

さて、この小さな証をずっと書いている中でも、短い言葉で、ある時には1行で、数々の「小さな輪」、とっても貴重な「小さな証」をいただきました。多分、ほとんど意識はされていないかもしれませんが、どれほどの助けになったか・・・。必ず、いつかわかる日が来ると思います。

「あなたが顧みないその時ほど、その魂が最も助けを必要としている時かもしれない。」

何十年の長い鎖もありますし、たった一つの小さい輪もあります。しかし、そのたった一つが壊れてしまったら、長い鎖は切れてしまいます。

何気ない、小さなプレゼント、何気ない一言、小さな祈り、小さな証、だまって静かに隣に座る信者さん・・・。

小さな証とは、注意しないと目にとまらないかもしれないけれど、人は気がつかないかもしれないけれど、認めないかもしれないけれど、踏みにじっていくかもしれないけれど、陰で人の幸せのため美しく咲いている花のようなものです。

「その影響力の大きさを誰が計り知ることができようか。それは永遠にわたって、善か、悪かの影響を及ぼしつづけるのである」

「イエス様は地上に住んでおられたとき、神様の栄光を人々の前にあらわし、またすべてを天父のみこころに従わせることによって、あらゆる点において人生を尊ばれました。わたしたちもその模範に従うなら、この世の必要なものはすべて「添えて与えられる」とイエス様は約束しておられます。たとえ、わたしたちが貧しくても豊かでも、病気であっても健康でも、また、無知な者であっても知恵ある者であっても、すべては神様の恵みの約束のうちに備えられているのです」

医療に携わる人々を一番、励ませる人は・・・。「病気の方々患者さん」です。健康な?同僚が励ますのと比較になりません。

長い間、信仰を保たれてきた、古い信者さん、もしかして、お体は弱っていらっしゃるかおもしれませんが、その影響力は測り知れないものがあります。

また、教会にきたばかりの新しい信者さん、その新鮮な驚きや、感謝に励まされる人々もきっと多いでしょう。

「あの人は絶望だ」???と思われた方々が、作り変えられていく姿を何度も見てきました。世の中の「不道徳と呼ばれている人々」だけでは、ありません。「聖霊だ、と正義の味方になりきってしまっている?」(恥ずかしながら、おちこぼれも最先端をいっていました)場合も含め、「これは手がつけられないよ」と思われる者もまた、主は「憐れみ深く導かれます」。働きをやめる必要はありません。

「神様は長年にわたり、なんとかこの愛をわからせようとしてこられた」。クリスチャンか否か問わず、すべての人に天から降ろされている長い鎖の輪、その中の一番小さい輪にでもなれたら・・・人生良かったかな?
8  おちこぼれ ID:CYmj4pi.   2008/11/03 00:01
「子供たち」


あるクリスチャンの方が、最初のお子さんをご出産される時でした。その方が、そのお母様にこう話していました。「目が見えなくて生まれてくるかもしれない。足が無くて生まれてくるかもしれない。どのように生まれてくるかもしれないけれど、心の優しい子に育てましょうね」

まるで、あなた方が邪魔をしなければ、彼らはイエス様のところに来るのだ、とおっしゃりたいかのように、「子供たちを、イエス様のところに来るままにしなさい」、とありますが。

教会の子供たちは、それこそ天使でした。集会が終わる時刻になると、一歳と二歳の子供がちょこちょこと玄関にいって教会の皆さんの靴をならべる姿。しかも、子供たちはどれが、誰の靴かを皆知っていました。

また、お祈りが始まると2人で小さい手を合わせて祈る姿、自然食のお店の手伝いをする姿。悩んでいる人、躓いている人、悲しんでいる人、気難しいご老人、初めてのお客さん・・・に、自然に駆け寄って無邪気で、明るさ、かわいさいっぱいに、あいさつして励ます姿。主イエス様のお働きだ、と思わずにはいられません。

小学生でも、大きなダンプカーに何メートルも吹っ飛ばされて、かすり傷程度だった時、ずっと黙っていて何ヶ月もたってから、教会で証をして、みんなびっくり!

また、学校でいじめられているのに、じっと耐えていて、陰で泣いている。苦労している親を心配させたくない、という心でいっぱいの子でした。

教会員の誕生日だというと、みんなで手作りのたくさんの絵や、たくさんの写真や細工いっぱいの誕生日カードならぬ、誕生日ノート?をプレゼントしたり・・・。

大人の方々の証も、素晴らしいものですが、子供たちの証もまた、素晴らしいものがあります。

以前は、「子供たちは純粋だからね」。そんな声に、「そうだな」なんて思っていました。今ではそうは思っていません。「陰のお祈り、教育、模範があってこそ」だと。

「おちこぼれ」は親御さんや教育の責任に直接携わらない人は、子供たちに重荷を乗せてはいけないと思ってきました。「牧師の子だから、クリスチャンだから・・・」とプレッシャーをかけてはならない。そんなこというなら、自分でやれよ、と。

しかし、「おちこぼれ」は教会の子供たちの道を悲しませてばかり来た人生でした。

南米で、密林に住んでいた方々に、それこそ「宣教師の仲間を殺されながらも」、伝道された宣教師の方々の話がありました。密林に住んでいた方たちは、イエス様に改心し、ジャングルから出て村を作り、教会を立て、生活します。そこへ、ある時、宣教師たちの母体のカトリック教会が政治的な領土問題、奴隷問題で2国の強国の間にはさまれ、せっかく村を築いた人々に「ジャングルに帰れ」との命令を出します。

また宣教師たちにも命令がでます。「すぐにその人々から離れなさい。そうしないと破門にする」と。

ある夜、女の子が宣教師に言います。「ジャングルは怖い。悪魔がいるから」。その2人の話している様子を見ていたカトリックの代表の方が宣教師に聞きます。「そこで君は何て答えたのかね?」と。宣教師はこう答えます。「私も共に残る」と。

しかし、やがてその村に強国の軍隊が攻めてきて、村の人々はすべて殺され、教会は焼かれます。宣教師は十字架を持ちながら、銃弾に打たれて死んでしまいます。

その話を聞いた強国の代表が、「こんな世の中だから・・(しょうがない)」と教会の代表に言います。その時、教会の代表が言います。「それは違うよ、我々がこんな世の中を作ったんだよ・・・。こんな世の中を・・・」。

戦争が終わり、ジャングルに隠れていた子供たちが村の廃墟に出てきます。川に落ちていた「宣教師の持っていた十字架」ととなりに落ちている「壊れた楽器」を見つけます。子供は十字架をひろわず、楽器を拾って、行くあてもなく去っていきます。

一生懸命戦っていると・・・ふと忘れてしまっている事があります。純粋な目が大人たちをじっと見ているということを・・・。

「おちこぼれ」に慰めになることが一つだけあります。それは、この小さな証の原稿を子供たちが、喜んで持っていってくれたことです。

教会の代表は本国に手紙を書きます。「しかし、死んだのは宣教師たちではなくて、我々です。彼らのことは人々の心の中で生きつづけるのです」。

聖書の御言葉とイエス様の証だけは、永遠にますますその勢いを増して、すべての反対や障害、迫害、失望、戦争すらも乗り越えて、人々の心を打ち続けます。
9  おちこぼれ ID:rTOofdqw   2008/11/07 00:26
「清め主、癒し主、王の王、主の主」


さて「おちこぼれ」は、医療のはしっこにちょっぴりひっかかっている者ですから、親しい人でタバコをのんでいる人がいると、「タバコは良くないよ」と言います。しかし、今までひょっとして一人もも?止めてくれた人がいません。まさに、「おちこぼれ」です。

僕の医療の恩師は、クリスチャンではありませんでしたが、「おちこぼれ」よりはるかに優しい先生でした。授業中、ポケットにタバコを持っている学生がいると、ポケットのタバコを取って「なんだ、これ!」と叱る方でした。隣の棟でタバコを吸っている学生を見ると、すぐに飛んで行って叱っていました。道端で歩いている学生がタバコを持っているとその場所でも叱る先生でした。

先生は外科医で、長い間肺がんの患者さんと一緒に癌と戦ってきた医師でした。「タバコから生じる肺がんは小細胞癌と言って、とっても悪性なんだよ」と力をこめて講義されていた姿は忘れられません。皆から恐れられていましたが、優しい先生です。

しかし、学生は結構、隠れて吸っていました。

教会の先を行くクリスチャンの方はタバコを吸っている若者には、「吸え、吸え、どうせ吸うなら、一本、二本じゃなくて、一度に十本ぐらい、耳にも、鼻にも入れて吸え!」とおっしゃります。そして、「でも、肺がんになるよ」と。

教会みんなで旅行をするときも、晩酌をする未信者の方が一緒にいらっしゃると食事の時、お酒をつけてあげます。すると、「いや、みなさん飲まれないので」と快く飲まれません。

脳腫瘍でヘビースモーカーのある若者が教会に来ました。クリスチャンの方は、その若者のため、毎日会席料理のような食事を毎日作られました。そして、仕事を整え、服を買ってあげ、靴をそろえ、生活を整えられました。そして、仕事が嫌いな彼のため「これほど祈ったことがない」とおっしゃるほど祈られました。すると、脳腫瘍は治り、タバコも「禁断症状なし」に自然と「気がついたら」やめていました。

あるところに、一人の「飲んだくれ」がいました。ある時、滅茶苦茶酔っ払って、その勢いで教会の講演会に飛び込みました。そして講演会中、真ん中のストーブのそばで気持ちよく寝てしまいました。講演会が終わり、みなさんが帰られました。牧師さんが、その男に近づくと、その男が言いました。「さあ、酔いもさめたし、帰るかな」。その時、男が言いました。「俺は、どうしても酒がやめられないんだよ」。牧師さんは「お祈りしましょう」といい、二人でお祈りしました。お祈りが終わると、男がお祈りの仕方を教えて欲しいと言いました。牧師さんが教えると覚えられなかったので、「もっと短く」と言いました。牧師さんが短くすると、「もっと短く」と言いました。

とうとう、ヨハネによる福音書3章16節、「神様はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは彼を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。アーメン」になってしまいました。

男が家に帰りました。いつもなら玄関をダーン!蹴っ飛ばして入ってくるのが、この夜はそろそろ・・・。奥さんがびっくりして、「あなたどうしたの?」。

「俺は変わった、今日から変わった」。

奥さんはますます心配して、「お父さん、確かに変わったよ、どうしたの?今日は早く休みんだら?」。

「その前にお祈りだ」。

家族はもうびっくりでした。

そこで男は家族と一緒にひざまづきお祈りしました。「ヨハネ3章の16節。アーメン」

次の日、仕事の帰り道 いつもの酒場の道に彼は行きませんでした。「おーいオールドジョン!道間違えたか?」。仲間が酒場から大声で呼びました。男は答えます。「おれは、オールドじゃないよ。ニュージョンだ」。彼は教会に行きクリスチャンになります。

イエス様こそ、「清め主、癒し主、王の王、主の主」でいらせられます。
10  おちこぼれ ID:AXeEKGz2   2008/11/13 10:24
「支え人」


今まで書いてきましたが、僕自身、あと癌で二ヶ月といわれたクリスチャン女性の方にイエス様に導いていただいていますので、彼女たちの影響力の大きさは非常に大きいです。

彼女たちの、純潔、清さ、あたたかさ、気力、洞察力、忍耐、思いやりの深さ、また、箴言の最後の章に書いている姿を地で生きていらっしゃる方・・・。

自分たちにはいつも厳しく、「怠りの糧を食べることをしない」どころか、そんな姿を一度として見た事がないほど、働かれます。作られる食事、デザートはいつも工夫と愛情があります。工夫、時間のかけ方、材料の選び方、努力、食べる人への思いやり、季節感、手を抜かない・・・食べ物を見ればすぐにわかります。

「信仰は料理に現れるのよ」「喜ぶ顔がみたい、という心で作るのよ」ととっても簡単におっしゃいます。作られた料理に、現れているので「そうだな・・・」と納得せざるを得ないです。ニンジンを不器用にトン、トトンと切っている「おちこぼれ」は、言葉もでない状況です。しかも、それでいて、「ごめんね」との心を決して忘れられません。

家庭、教会をいつも明るい雰囲気に変えてしまいます。罪を罪と呼ばれますが、また、思いやりのないことをとっても嫌われますので、そばにいるだけで、「これは、まずいな・・・」と自らの思いやりのなさにすぐ気がつきます。

心の謙遜さは、全身から表れています。お会いしただけで、「自分は傲慢だ」とすぐわかります。1日中、それこそ謙遜に徹してきて、夜、お会いすると、「なんて自分は傲慢なんだ」とわかります。

服装はいつもセンスがとっても良く、当然のことですが、清潔です。

快活で、ユーモアがあり、それでいて、人の痛みがよくわかっている。また、奥が深い・・・。また、陰で祈っていてくれていることがわかる・・・。

「女は支え人として造られたのよ」「だから女が支えないと男の人は倒れるのよ」「男の人は、車輪、女は心棒なのよ」「まず女が変わらなければだめなのよ」「男の人が飲んだくれで、乱れていても、女は子供のために身を清く保たなければならないのよ」

単に傍から聞くこの言葉の印象と、自分だったらどうだろう、すなわち自分が女性だったらこう話せるかな・・・と思うことでは、とんでもない違いがあります。

ご自分にも厳しいですが、また、「愛はすばやく発見する」と本に書いてありますが、その洞察力は本当にすごいもので、まるで生活の隅々まで見ているかのよう。また心まで見通しているかのようです。

「彼女たちの目に恥じ入ることのないように」と思うだけで相当意識が変わります。

そして、その純潔な、また清らかな人生、雰囲気、そしてそれがごく自然・・・がどれほど人生の力になっているか測り知れないほどです。

「おちこぼれ」にとって、クリスチャン女性の評価は非常に高いです。多分、今まであった方々の素晴らしい影響力により、クリスチャンの女性って、みなそうなんだという方向で人を見ているだろうなあ、と思っています。

「おちこぼれ」、先ほどの言葉を聞いていて、「そうか、女性の方々がんばってください」なんてまったく思いません。みな人形ではなく、感情もあり、躓いたり、疲れたり、失望したり、悲しんだり、怒ったりする、人間ですから。「試練、耐えがたい悲しみ、抵抗しがたい誘惑を持っていない人は一人もいない」とあるとおりです。彼女たちのイエス様への献身により、数々の御業が現われるのでしょう。

クリスチャンは「善においては互いに競争者」ですので、心ひそかに「負けてたまるか・・・」と思いつつ・・・。

たとえが適切でなかったらごめんなさい。おとぎ話の中に、「孫悟空が釈迦から逃げようと思って、金と雲にのって世界のはしっこまでずっと逃げていきます。もう、追って来れないだろうと思います。しかし、それは気づいたら釈迦の手の中だった」という話がありますが。

結構「あれ?いろいろやっているようだけど、彼女たちの細かい配慮や陰の働き、忍耐、お祈りの中で、泳いでいるだけじゃないか」と気づいたりします。

それどころか、人生の真っ只中にあって、危機の時、精神力が限界まで働いている時、主イエス様は、主の僕の方々「支え人」を置いてくださり、「時にかなって」助けていただいています。

本人たちは、ほとんど無意識のことが多いように思えますので、最後の日にどれほど彼女たちを通して助けられたかを見て、イエス様の恵みを大きさにびっくりすることでしょう。
11  おちこぼれ ID:AXeEKGz2   2008/11/13 10:28
「癒されたものは?」


「イエス様はまず、人々を目で見えるものでお助けになられて、目に見えないこと、すなわち罪をゆるす力についても、彼に信頼をおくようにお教えになりました。イエス様は中風の病人をいやす時に、このことをはっきりと言われました。『人の子は地上で罪を許す権威を持っていることが、あなたがたにわかるために』と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた」

さて、前に書いたキリスト教の病院で、ご患者さんが入院されました。精密検査をしてみると、癌でした。しかも6箇所に「転移」していました。すぐに手術し、開きましたが、手の施しようがなく、閉じてしまいました。

しかし、その方はクリスチャンでしたが、こう話しました。「わたしは癌になって、イエス様を本当によく知ることができた。癌になって感謝だ」と・・・。

そして、入院している病棟でも「私は、癌になって感謝だ、癌になって感謝だ」と明るく話されていました。他の患者さんから、「少し静かにしてください」と言われた?くらいです。

さて、その方は再手術を受けることになりました。彼女が所属する教会から牧師さんがきました。その牧師さんは、手術前、執刀する医師と一緒にお祈りをしました。お祈りが終わると、牧師さんは医師にむかってこう尋ねました。「先生、だいじょうぶでしょうか」。医師は「だめでしょうね」と答えました。牧師さんは「そうでしょうね」と力なく答えました。

しかし、その患者さんは手術台に登るとき、「たとえ、これで死んだとしても、神様に感謝です」といって手術室に向かわれました。

7時間半かかると言われた手術が、30分で終わりました。6箇所開いてみると、皆きれいなピンク色をしていて、癌がすっかり癒されていたのです。

患者さんは、まもなくご退院されていかれました。

主は人の心も癒される権威を持っておられます。
12  kuwa ID:wM0u6jnk   2008/11/14 00:44
sdkfz191 さん
イエス様を救い主と認め、復活されたことを信じて告白し洗礼を受けると、
助け主、ご聖霊(神様)があなたの内に住まわれ、いつも守り助けてくださいます。道から外れそうになると教えてくれます。なので恐れる必要はありません。 いつも聖書を読み祈り賛美しましょう。同じ信徒も助けてくれますよ。
13  おちこぼれ ID:HfE.oZa2   2008/11/17 11:32
「わたしの思いのままではなく」


アメリカで敬虔なクリスチャンの方がいらっしゃいました。とっても身体が弱く、貧しい中でも、福音を伝えられ、また孤児を育てたり、教会でも指導的な働きをなさいました。一生涯をかけて、聖書を高く掲げ、またクリスチャンの標準を高く掲げられ、イエス様を証されてこられた方です。

それでいて、ユーモアいっぱいの方でした。また、買い物も上手でその方が買い物に行かれると近所の奥さん方が一緒に行かれたそうです。

それこそ数え切れないほどの証があるのですが、女性でその証の翻訳された言語の数は世界一だそうです。もちろん聖書の中にある方々の証は別として。

記憶によると、その方は病気の方がいらっしゃると、イエス様にお祈りされたそうです。しかし初め「私の思いのままではなく、御心のままになさってください」と祈ることは何か信仰的ではないと思われ、そのようにはお祈りされなかったそうです。

しかし、そのようにお祈りされて、患者さんたちが元気になったのですが、その後の人生が主イエス様を悲しませるような?生き方をして行くのご覧になられました。

そして、「わたしの思いのままではなく、御心のままになさってください」と祈られるようになられたそうです。

その方が亡くなられる時、教会のクリスチャンが集まってきました。悲しい顔をしている彼らに、「さあ、賛美歌を歌いましょう」とおっしゃり、皆で賛美歌を歌われたそうです。そして、最後にこうおっしゃったそうです。「わたしは、自分の信じてきた方を知っている」と。
14  おちこぼれ ID:HfE.oZa2   2008/11/17 11:36
「伸べられたしゃく」


(僕の記憶によれば)さて、この方は洗礼を受ける前、とっても「怖かった」そうです。

ある時、説教を聞かれます。エステルさんの話でした。エステルさんは、ユダヤ人がハマンの謀略によって皆殺しにされそうになった時、モルデカイさんにこう告げられます。「王の侍臣および王の諸州の民は皆、男でも女でも、すべて召されないのに内庭にはいって王のもとへ行く者は、必ず殺されなくては、ならないという1つの法律があることを知っています。ただし王がおの者に金の『しゃく』を伸べれば生きることができるのです。しかし、わたしはこの30日の間、王の下へ行くべき召しをこうむらないのです」

それに答えてモルデカイさんはこのような伝言をします。「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救いがユダヤ人のために起こるでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」

エステルはモルデカイさんの言葉に従い、命をかけて王のもとへ行きます。そして、金の「しゃく」が伸ばされたのです。

説教者は言います。エステルと同じようにイエス様の所へ行きなさい。そうすれば、イエス様より「金のしゃく」が伸ばされるでしょう。

この説教にも感動し、彼女はイエス様に「改心」CONVERSIONし、そしてバプテスマ(洗礼)を受けられます。

「おちこぼれ」は、それこそ書く値打ちもないですが、この証には、とっても助けられたのです。
15  おちこぼれ ID:4Gcwa4hE   2008/11/18 10:09
「クリスマス」


ちまたではクリスマスの準備が行われているようです。

教会では「クリスマスは伝道の機会というよりも、クリスチャンが本当に、イエス様の御誕生を心から喜んでいるだろうか、それがまず一番大切だね」という話がありました。

さて、クリスマスの時期にも、様々な出来事が起こりました。

教会員の方で、会社に勤めている方がいらっしゃいました。その社長さんが、ある日会社に段ボールをいっぱいもってこられました。その社長さんの趣味は「買い物」。ご自宅の1つの部屋を買い集めた衣類、靴などでいっぱいにしていました。

ところが、クリスマスの近づいたある日、「部屋にプロジェクターをいれる」ため、買った品物を社員にプレゼントしようと会社に持ってこられたのです。しかも、段ボールに何箱も。その時、いつも教会員みんなの事をとても心にかけているそのクリスチャンの方は、普段はジャンケンで勝った事がない(?)のですが、ジャンケンで勝ち、それを教会に持ってこられました。1つの部屋に、ずらーっと並んだ服の山、すべて舶来、しかもサイズもSもあれば、M、L、LLとそろっており、値札までついている新品でした。靴も舶来、20年はもちそうな品物でした。教会員1人1人がそれぞれたくさんいただきました。

「おちこぼれ」もたしか、靴2足、背広2着、普段着は重ねた厚さ20cm、ネクタイ数本いただいた記憶があります。

教会では、クリスマスには、子供たちに1人1人手描きで絵を描いた手作りカードや一生使えるような裁縫箱、かわいいタオルセットなどなどをプレゼントします。子供たちが、父の日、母の日、誕生日などに、手作りのカードをみんなで作るのは、その辺からきているのかもしれません。

さて、あるクリスマスの頃、「おちこぼれ」が職場に帰ると机の上に机が全体埋まるくらいの段ボールが置いてありました。開けてみると、輸液ポンプなど、医療機器がいっぱい入っていました。

教会の証を聞いた方から、いつも献身的なクリスチャンの先生方が働いている看護学校の学生のために贈られたプレゼントでした。「クリスマスプレゼントだ!」と感動して証したことを覚えています。

教会には、毎日献身的に、教会の奉仕、食事が必要な方々への食事作りなどなど働いていらっしゃる方々がいらっしゃいました。

ある時、その1人の方のところへ教会の方々が行かれました。とても小さいアパートでした。しかし、とても綺麗に生活されていて、引き出しを開けるとすべてきれいにたたまれており、みなさん、感動されていました。しかし、人のためには惜しみなく食事など用意されていたその方の家はとてもとても小さい家だったのです。1人の方が「きれいにしているわね」と話されると、「いいえ、壁が落ちてきて・・・」。その時、初めてみなさんは壁がぼろぼろになっていたことに気づいたのです。

さて、次の休日、教会員の方が準備し、お弁当を作り、「みんなで壁貼り」に行きました。そして、壁の他、家のものをすっかりきれいにされたのです。家はすっかりきれいになりました。

すると、そこに大家さんがいらっしゃったのです。大家さんはきれいになった部屋を見て、とてもうれそうに言いました。「この費用はわたしにださせてください」。

さて、ある方の家は、いわゆる「ゴミ屋敷」でした。万年床と言いますが、布団は重くてあがりませんでした。壁もドアも穴だらけ、取っ手は壊れてぶら下がっており、窓にガラスはなく、黒いごみ用の袋がはってありました。服も畳んだ形跡はなく・・・想像を絶するので細かい描写はさけようと思います。そこへ、「教会の壁貼り隊」がお弁当をもって出かけました。

さて、冬休み、教会へいっているその家の子供が寮からもどってきました。入るなり、「家、間違えたかな」ととても大喜びでした。友達を初めて家に呼べたとか・・・

クリスマスの話には、自分のうぬぼれ、高慢さを責められます。イエス様が御自身の民の所へこられた時、神殿でも、エルサレムでも、だれも迎えるものはなく、「羊飼い」と「東方の博士」のところへ行かれました。

イエス様は見捨てられて?

イエス様は、クリスチャンと言われる人々、神様の民のうちにいらっしゃるのではなく、戸の外に立ってたたいておいでになられます。
16  おちこぼれ ID:zJloYh4k   2008/11/29 08:30
クリスマス その2 


さて、クリスマスが近づくと、僕のお世話になったクリスチャンの方々は、毎年、乳児園にクリスマスケーキを届けに行かれます。

乳児園とは、3歳までの子供たちで、親がいなかったり、あるいは捨てられたり・・・した子供たちが保母さんの方々と一緒に生活している施設です。あんまり書くと、ちょっと悲しいのでやめときます。

話によると、保母さんの方々も休みを取れないことが多く、またこの時期の子供たちは、インフルエンザを初め、風邪をひいたり、保母さん方もかなり心を使う季節のようです。

さて、そこに贈るケーキは当然1個や2個ではありません。10数個?の大きなデコレーションケーキです。デパートで売っている最高級のイチゴをいっぱいにサンドし、また上にもいっぱいのせて、最上級のクリームいっぱいに飾った愛情あふれるケーキです。

それに加えて、手作りのクッキーをいっぱいに焼いて、それを手作りのかわいい袋に1人分ずつ詰めて、そして子供たち一人ひとりにクリスマスプレゼントをいっぱいに買って、乳児園の子供たちのところ行かれます。

ケーキは教会で作ることも多いのですが、あまりに多いので教会で生地だけ作り、各教会員のご家庭のオーブンで焼かれたりしました。

それに加えて、教会のクリスマスのために、同じようにケーキを作られたりしますので、日ごとの食事、また、集会、お祈りなどなどに加えて大忙しです。

乳児園には、クリスマスのほか、餅つき、木の葉の落ちる季節には清掃、枝の伸びる季節には剪定、バーべキュー大会などなどされていました。もちろんすべて無償のご奉仕でした。餅は、もちろんつきたてのお餅にすべて手作りのごまだれ、大根おろし、きなこ・・・・など5~7種類のたれがついてとってもおいしく、子供たちも大喜びです。

教会員の行かれる日は、とっても寒い、北風がビュービュー吹く日でも、「その時間だけ」小春日和のような陽射しが与えられ、主の祝福を思いながら、過ごします。

その乳児園の働きに、そのクリスチャンのお勤めになっている企業もまた企業として参加されるようになり、金融の最先端での、僕とは「ケタが5~7ケタぐらい」違う仕事の会社ですが、社員の方々も大勢協力されるようになっています。社長さん自ら、アイスクリームを乳児園で作られて、子供たちに渡されます。


しかし、そのクリスチャンの方はこう話していました。

「でもね、わたしたちがいくら一生懸命やったとしても・・・子供たちが欲しいものは、お母さんなのよ・・・」

ある他の乳児園で子供たちに何が欲しいか聞いたそうです。一番は、「お母さん」でした。

ある子は、こう言ったそうです。「どんなに、悪いお母さんでもいいから、お母さんに会いたいの」

クリスマスの季節ですが、

「世の友 われらを捨て去る時も、祈りに応えていたわりたもう」

「この人もう無理だよ」「あの人は変わらないよ」「正直いって、絶望だと思ったよ」――そんなことを言われてきた「おちこぼれ」。

世の中のすべての人が、見捨てて当然の人間、罪のない他世界の人々、あるいは天使の方々でさえ、あきれ返る人間だけど・・・。

宇宙でたった1人、手と足に釘打たれてとりなし、愛したもう主イエス様の、その御顔を仰ぎ見、賛美歌をもってその驚くべき愛を褒め称えたいと願っています。
17  おちこぼれ ID:clhtCnFw   2008/12/08 00:44
「信仰の戦いを通ってこられた方々」


『サタンは「われらの兄弟らを訴える者」である。人々に神様の民の誤りや欠点を見つけさせ、それを注目の的にする一方、彼らの善行は何も言わずに見過ごしてしまわせることが、サタンの精神である。』

ということで、小さな証(7)は神様の民の善行について書いていこうと思っています。

信仰の大先輩の方々に、「おちこぼれ」が小さな証をすると、とっても勉強になることがあります。「それ、毎日料理つくるの」「それは大変なことだよ」「自分たちで費用だしたの?」「10年間もずっと?」

アメリカに行った時も、ある長老さんが立ち上がって叫んだことがあります。「この人たちは、全員自費で日本から来たんだよ」。

他の方々が「あはは、あはは」と笑う証の時も、真剣に聞かれます。「これはすごいことだよ」と。

皆さん、ご自身でも財産をかけられたり、ご自身で集会をされたり、家庭を解放されたり、食事を作られたり、伝道をされたり、信仰のため、迫害を受けたりされたりしておられるので、

「わかるのです」

「おちこぼれ」も表面は笑顔で(多分)、証をしていて、ふと、じーんと心で泣いている瞬間です。

その方たちは、決して冷やかすような態度をとられません。ましてや、ふんぞり返っている様子はまったくありませんし、裁いているような空気もまったくありません。白髪で、お体は弱っておられると思いますが、身を乗り出してじっときいてくださいます。人生の様々な苦労や、悲しみ、戦い、などなどと通ってこられたんだろうなあ、と思います。

そのような方々は、心に強く残っています。ほとんどが白髪の方々ですが、信仰はその人から輝いているのが、「聞く姿勢」、握手する手にも現れています。

その方々のすごいところは、証を聞くとすぐに他の人に分け与えられます。「この証すごいよ」と。僕自身もいわゆる「聖書による裁きあい」「批評」「中傷」「冷笑」などなどを通ってきたので、ある程度「当然」と思って話しています。しかし、彼らは証を聞くとそれをすぐに他の人にも分け与えるのです。

ほとんどの方々は、教会の長老さんをしておられます。

「白髪の人の前では、あなたがたは起立しなければならない」とは本当だな、と思います。教会が、栄えていても、揺れていても、試練の時も、もしかしたら失敗のたくさんあったかも知れないけれど、通り抜けてきた貴重な生き証人の方々です。
18  おちこぼれ ID:clhtCnFw   2008/12/08 00:57
「反対している人々」


「おちこぼれ」の記憶が正しければですが、アメリカで奴隷解放をした、リンカーン大統領の側近に陸軍の司令官がいたそうです。その陸軍司令官はリンカーンの悪口ばかりいったそうです。たしか、大統領を「猿」とまで呼んでいたそうです。
そんな彼を、リンカーンはいつも自分のそばにおいていたそうです。

そしてあの日、リンカーンが暗殺されます。その時、撃たれた大統領にすぐに駆け寄ったのは、この司令官でした。リンカーンの悪口ばかり言ってきた彼は、大統領のそばに立ち、言ったそうです。

「ここに偉大な大統領が横たわっている」

ある教会で2人の青年牧師たちが、「信仰による義」を説いて、一大リバイバルを起こした時がありました。その時、大反対をしたのが、教会の長年のベテランの方々でした。

「協力していたら、今頃みんなで、天国に入っていた」と言われたぐらいの素晴らしいリバイバルでした。しかし、協力すべき人々の多くが大反対をしたのです。

ある敬虔なクリスチャンの方が、「信仰による義」を受け入れるように何度も何度も嘆願しましたが、ベテランの方々は聞きいれませんでした。返ってそのクリスチャンの方もまた、遠い外国に、飛ばされてしまいます。

結局、リバイバルは未完成のままで終わってしまいました。

何年か過ぎてベテランの長老さんたちが、「わたしたちは間違っていた」と悔い改めます。

この記録を読んだ時、「えー、今頃!もう遅いよ、悪魔に用いられただけじゃない」なんて僕は思っていました。

ところが、先ほどの外国に飛ばされたクリスチャンの方は、「彼らを優遇しよう」「もう以前の彼ではない」と文章を書かれます。その中で最も反対した1人の方が、教会から離れて、そして再び教会に戻り、教会の機関紙の編集長の筆頭に名前があがった時、涙を流して喜ばれたと記録されています。

生きているうちに、喜びを与える人になりたいものです。

先ほどの敬虔なクリスチャンの方にさえ、大反対してまわりに悪口ばかり言っていた方がいました。

長年の主の御奉仕を終えられ、このクリスチャンの方が亡くなられたとき、彼女を批判し、悪口ばかり言っていたこの方が、泣き叫んだと記録されています。

「ああ、1人の敬虔なクリスチャンの方が亡くなられた」と。

「おちこぼれ」もまた・・・キリスト教に反対してきた1人なのです。
19  おちこぼれ ID:clhtCnFw   2008/12/08 13:16
「クリスマス その3」


さて、教会でのクリスマスはとっても楽しい思い出です。一年に一度だけ出てくる、綺麗に整理整頓された聖誕劇の衣装、かわいい子羊の人形、飼い葉桶、1人分としてはとっても大きい最高級の材料をもって作られたクリスマスケーキ、一年に一度だけ出されるクリスタル?グラスにつがれた溢れるほどのぶどうシュース。クリスマスの特別の証、劇、聖歌、ちまたのけばけばしさのない清楚なクリスマスツリー、教会を囲む品のよいライトアップ。また、主イエス様のご誕生を歌う、涙溢れる賛美歌・・・。

さて、おちこぼれを育てて下さった教会では、聖誕劇の衣装もすべて手作りでした。それらが作られる時にもまた証がたくさんありました。毎年、丁寧にしまわれていて20年たった今でも新品そのものだと思います。「心」をとっても大切にする教会でした。

さて、そこにもう1つ手作りの品物があります。「馬ぶね」です。これは、一番最初に書いてある「小さな証」の中の「感化院」に投げこまられて「同性愛」を覚え、そこで1人のクリスチャンに出会い、挨拶から始まり、新聞配達をし、夜学に通い、一度教会から離れ、飲み屋のバーデンさんになり、暴力抗争で、釘のついている角材で頭を殴られて、また戻って生きて、また教会を飛び出して・・・・・・そして、今はクリスチャン女性と結婚し家庭を築いている「彼」の作ったものです。彼が教会を飛び出して15年以上、今でも決して忘れられない存在です。

また、聖誕劇のナレーションは信仰の先を行かれる方が、肺癌から声が出なくなり、ある一時期だけ声が出た時に吹き込まれたものです。

聖誕劇の中にも生きた証がいっぱいにちりばめられています。

さて、このような様々な「証になる」話もたくさんありますが、ある人にとってはごく普通の事でも、本人にとっては重大事な「小さな証」が多々あります。たとえば「お酒」。

「おちこぼれ」は教会に来る前からお酒もタバコもしませんでしたから、「お酒飲む」なんて聞くと初期の頃は拒絶反応、また少し経つと「劣等視」、もう少し経つと「許しの心?」などと「人を見下した」とんでもない歩みをしてきました。

しかし、「おちこぼれ」がたった1つ「話し方」すら自由に変えられない姿を見、ここでも罪しかできない罪人であることを知りました。

今は一見小さなことの思えることでも、一生懸命罪と戦おうとしている人々に「がんばろう!」と応援できる心になっています。

それは大争闘ですから・・「お酒」どころか、「ねたみ」「憎しみ」「許せない心」それは決してきれいごとではありません。その激しさは聖書に書いてあるとおりです。

さて、ガダラの狂人がイエス様のところへ来た時、彼らは彼らを支配している悪霊から解放されたい、とどれだけ願ったことでしょう。しかし、彼らが口を開くと「神の子よ、あなたはわたしどもとなんのかかわりがあるのです。まだその時ではないのに、ここにきて、わたしどもをくるしめるのですか」という悪霊の言葉しか話せませんでした。

しかし、主イエス様は「心の叫び」をお聞きになり、悪霊を追い出されます。

すべてではないですが、心の声は結構短い場合が多いようです。「助けて!」とか「ありがとう!」とか・・・。

「祈りは罪を贖うものではありません。祈りそれ自体には、何の取りえも功績もありません。どのような美辞麗句を並べることができても、それは1つのきよい願いに比べることはできないのです。この上なく流暢な祈りも、心の本当の思いを表すものでなければ、むだな言葉に過ぎません。しかし信仰の祈りとは、真剣な心をもって捧げる祈りのことです。それはちょうど、かなえてもらえるものと信じてこの世の友人に好意を求めるのと同様に、心のささやかな願いを申し上げることなのです。神様は儀礼的な賛辞はもとめておられません。だが自分が罪人であることと、まったく無力であることを悟って、砕かれ和らげられた心の叫びは、言葉には表わされなくてもあふれる父なる神様の御元とに達するのです。」

主イエス様は言葉にならない「心の声を」お聞きになられる御方です。

その中には小さな証が輝いています。

クリスマスに初めて参加していたころの「おちこぼれ」、自分の罪との大争闘を演じていた時、それは見るに耐えない惨めな者でした。大きな集会で、他の方々が涼しい顔で座っている中、「自分だけ異常なんだ、自分だけ罪人なんだ」と一人で心の中で葛藤し、戦い、悩んでいた者です。

今、静かに神様の驚くべき恵みの大きさ、多さ、広さ、強さ、深さを思いながら、誰にも顔向けできない罪人ですが、主の憐れみの大きな御力を感じながら、証を書いています。

クリスマス、それは形のきらびやかさにあるのではなく、心の罪の嵐に悩む魂が、主イエス様の御言葉に接し、あの「罪との絶望的な戦い」に勝利が与えられるように天使の方々が遣わされて行く所に、本当のクリスマスがあるのだと信じています。
20  おちこぼれ ID:hFlzX2zE   2008/12/10 06:39
「一番大切なもの」


ある教会の牧師さんはこういう方でした。「ヨブ記?あれは昔々の桃太郎、金太郎と同じだよ。僕は安息日も変えようとしている。しかし、十一献金だけはもってきなさい」

いわゆる洗礼前の勉強では、「三位一体、こんなこと信じられる?」

ある方が自然食品店のお店を開放して牧師さんを呼んで集会をされていたのですが、その牧師はそのお店に集まっている方々に、「ここのお店のものも疑ってかからないと」と言い、ある時先生が遅刻されたので賛美歌を歌いながら待っていると「誰の許可を得て、賛美歌を歌っているんだ!」とかんかんに怒られる。

「僕は按手礼を受けた牧師だ、僕がいないと救われない。バブテスマも受けられない。僕の許可がないと教会の学校にも入れない」

またあるとき手を振りながら「バビロンからきましたよ」と入ってくる、といった状態でした。

牧師さんが特別賛美歌をされて、信者さんがそのお礼に一万円わたされるとおっしゃいます。「これっぽっちか」

ある牧師さんは「教会は会社です。霊的とか、信仰とはなくなるんです」「信徒との関わりは一切もちません」「波風立てないで、停年を迎えたい」。

その牧師がたに信仰の先輩の方はいつでも心低くされました。「お金が好きな先生だから」と何かされるときにも多額のお礼をされました。

そしてその牧師さんが少しずつ変化していかれるのをご覧になり、おっしゃいます。「最近説教が良くなった」と。その牧師さんが別の教会に移られるとき、牧師さんが「ようやくわかりました」と気づかれて移っていかれました。

聖書の訳の是非の論議がされていた時、ある牧師さんが反対の訳を使っている教会に対し、「教会をぶっ潰してやる」とおっしゃいました。しかし、その先生がその後失脚された時、その教会の信仰の先輩の方はすぐに「先生を礼拝説教によびましょう」とおっしゃいました。

クリスチャンは一人一人の救いを心から願っていらっしゃいます。
21  おちこぼれ ID:.OI/Ff8o   2008/12/16 04:20
「最後に勝利する人々」


「わが、僕ダビデのために」。旧約聖書にたくさん出てくる言葉です。イエス様を別にして世界で最も知恵のあった、また栄耀栄華の絶頂であった「わが僕ソロモンのために」でもなく・・・、どうしてだろう・・・。

「もし、神様の子らが始めから終わりを見通すことができ、神様の共労者として自分の果たしている栄光ある目的を認めることが出来たら、彼らは神様が導かれる以外の道を決して選ばないであろう。天に移されたエノクも、火の車で天へのぼったエリヤも、ただひとり牢獄の中で殺されたバプテスマのヨハネより偉大であったのでもなければ、彼より尊ばれたのではない。『あなたがたはキリストのために、ただ彼を信じることだけではなく、彼のために苦しむことをも賜っている』。天が人に与えることのできるすべての賜物の中で、キリストと共にその苦難にあずかることは、最も重い信任であり、最高の栄誉である」

僕がほんのちょっぴりですが、大勢のクリスチャンが次々集まる教会にいたため、多くの方々にお会いし、その人生を見てきました。聖書の御言葉を霊的にすらすら話す青年、いわゆる異言を話す人々、人の欠点を見つける天才的な人、いわゆる霊感の強い人、超歌のうまい人などなど・・・。

また、病弱で一生独身のまま伝道師として働かれた女性、同じくお年を召されてもなお文書伝道をされてこられた方、イエス様を信じて主婦としてご主人を支え、若くしてお子さんを残し癌で亡くなられた方、軍部にも屈せずその後の平和な時代に至り、90歳を超えてなおイエス様を証し続けられた先生、病気の痛みに耐えながら、迫害をうけながら、全財産はたきながら、給料ももらわず証してこられた方・・・。

今ではは、マルティン・ルターさん、カルバンさん、ウェスレー兄弟、ヨハンフスさん、こういう方々のことでさえ、上げ足とる人々までいるのを見てびっくりです。

しかし、ふと彼らの通った「苦しみ」を思うと、何故か涙が溢れてきます。

天国ではこの地上で何の栄誉も、賞賛も、冠も、勲章ももらわなかった人々が、主イエス様から栄光の冠をいただいているのを見ると思っています。

もしかすると?地上で報いを受けてしまった人は・・・。

「主のご承認は大きな事を成し遂げたとか、多くのものを得たということで与えられるのではなく、わずかなことに忠実であったということで与えられる。神様が重要視されることは、我々が立派な結果に達することではなく、我々の行動する動機である。神様は成し遂げた働きの量よりも、善意と忠実さを賞賛される」

老牧師さんがこんな話をされていました。「マルティンルターさんは地動説に反対しました。それは、科学的根拠ではなく・・・、神様の御子が宇宙の中心である地球にではなく、宇宙の片隅である地球に来られるなんて冒涜だと考えたのです」

ルターさんは、本当にイエス様を愛していらっしゃったんだなと思いました。

「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」

「神様の御前に価値があるのは、成し遂げた働きの量や目に見える結果などではなくて、働きをなした精神である」

子供でもそうらしいのです。ヤラベアム王の子供が病気になり、亡くなられます。その時の聖句は、「あなたの足が町にはいる時に、子どもは死にます。そしてイスラエルは皆、彼のために悲しんで彼を葬るでしょう。ヤラベアムに属する者は、ただ彼だけ墓に葬られるでしょう。ヤラベアムの家のうちで、彼はイスラエルの神様、主にむかって良い思いをいただいていたからです」。
22  おちこぼれ ID:pVj9.qeY   2008/12/28 03:53
「弱い人」


「僕は強いから、神様は必要じゃない、君は弱いから神様が必要だ」?とか、「弱い人は神様の所へいく」といった言葉を聞くと???、「おちこぼれ」の出会ったクリスチャンの方々は、決して「弱い」方々ではありませんでした。その代わり、強いていうならば、「心の砕かれた人々」「人の痛みを思いやられる人々」「悲しみを良く知っている人々」でした。

挫折や、涙を知らない人々と、一緒に仕事をするのはかなり薄っぺらな時間になってしまします。「貧しい人々がパンが食べられないなら、ケーキを食べればいいじゃないの」といったお姫様ではないですが、実際に痛まないとわからない事ってたくさんあると思います。

「わたし、罪がわからない」と言われると・・・、「髪の毛ほども罪だらけのおちこぼれ」はもう言葉がないのですが、実際、清く生きてきた方々はいらっしゃいます。無理もありません。

「清くない食べ物は一度も食べたことのない」また、3回しかイエス様を拒んだことのないのに一生死ぬまで悔い続けたペテロさん。「律法には落ち度のない」パウロさん。モーセさんが泣くなられた時30日も泣き明かした心のあたたかいイスラエルの民。ダビデさんが「ベツレヘムの水がのみたい」といっただけで、たった1杯の水のため、強力な敵の軍隊がいる町をたった3人で突き破り、ダビデさんに水を持ってきた勇士達。やもめさんなのに、自分の生活費?全部をささげてしまった方。エルサレム中に教えを氾濫させた使徒の方々。ゲラサの町中の人々をイエス様に導いた方々。友達のために、人の屋根をはいでしまった人々。病気になっても主を証続けた方。王様の命令にそむいて、イスラエルの赤ちゃんを助けた人々。
などなど、すごい方々です。この心のあたたかさはどこから来るのか・・・と思えるほど、「熱く燃えている方々です」。

聖書の時代なら、ともかく今の時代には・・・なんて事はありません。

少し前には、火あぶりになりながら、賛美歌を歌った方々。たった一人で、王様でさえ恐れていた当時強大な権力を持っていたローマ・カトリックと戦った人々(実際には戦ったのではなくて、聖書を説いていたら、迫害されただけなのですが)。財産をはたいて、聖書配布、福音の宣教された方々は数知れず、大日本帝国が救われるようにと、あの時代に日本に宣教し、神社を礼拝しないため、牢獄にいれられ、目がみえなくなったり、拷問を受けたり、迫害を受けたのにもかかわらず、終戦後、また日本に宣教に来られた方々。食人部族からキリスト教に救われた人々。貧しい家庭で、ほんのわずかなお金を集めて、宣教師たちに援助した少女たち。迫害されても、相手の救いを願っていく人々。1人のクリスチャンが病気で死に掛けた時、その方の国中の教会員が祈った話。借金しても?癌になっても、身体中痛んでも、歩けなくなっても、目が見えなくなっても福音を伝えた人。自分の救命具を人に与えて死んでいった方々。自分は死ぬのに最後まで笑顔で人を励ました少女。睡眠時間1~2,3~4時間で働き、教会を支えた方々。これで「弱いひと」なんてうそです。

ようし、「おちこぼれ」も才能を生かして、あの人を救おう???何て思っていると、惨めな敗北に・・・。倒れ伏した時、粉々に砕かれた時、「神様の業が始まる」そうなのです。すべての良き業が「イエス様にあってなされた」ことが全ての人にわかるようになっているようです。
23  おちこぼれ ID:pVj9.qeY   2008/12/28 03:59
「自信過剰」


さて、ある所に超優秀な方がいらっしゃいました。ハンサムで、試験もみんなが必死で勉強する中、遊びながら?一番で通れる・・・。人から教わらなくても盗んで覚える。きれい好きで清潔、仕事は正確で速い・・・。魚のさばき方から編み物まで女性顔負け・・・。

そのため、「わたしがいないと会社は駄目になる」とどうしも教会には時々しかこられませんでした。奥さんも、娘さんも本当に素晴らしいクリスチャン、しかし、ご主人は正義感が強く、会社に打ち込んでいらっしゃいました。

さて、ある火曜日の集会でした。この集会は、その奥さんが「今まで、イエス様からたくさんのお恵みをいただいてきた。その感謝の心」で聖別した集会でした。そこへ、電話がかかってきます。「ご主人がトラックの荷台から落ちました」との電話・・・。集会にいた皆さんは「早く病院へ」と奥さんに話しましたが、奥さんは「病院にはお医者さんと看護婦さんがいる。もし、わたしがいってなんとかなるのであれば、すぐにでも行きます。しかし、この集会はイエス様にお捧げした集会ですから」と集会が終わるまで、そこにいらしたのです。

怪我は、医師の診断よりはるかに早く全治3ヶ月の腰の骨折が一ヶ月で退院されます。

さて、その1ヶ月の間、ギブスをつけベッドから離れられませんでした。

「あ、わたしがいなくても会社は回っていくんだ」と気付かれたご主人。「わたしが、ちゃんと面倒見るから」と1人娘さんの言葉もあり、退院後、会社を辞められ、洗礼を受けられ、教会に献身されます。そして、教会の長老さんとして、若い人々、身寄りのない方々の住まいや、生活のこと、畑仕事、聖書研究などなど人々に尽くされています。

ある時、教会で伝道旅行のため、大型バスの運転手が必要になりました。「よし、とってくる」教習所へ行かれます。最初の適正試験は「自信過剰」、いくらも練習しないうちから「簡単、とってくるから」と免許書センターへ実地試験に・・・、しかし落ちて帰ってこられます。

奥さんが「お祈りしたの?」と聞かれると「いや、しなかった」。そして、次の日???、今度はお祈りして免許証センターへ。合格して帰ってこられました。

みんなからお父さんのように慕われている、とっても柔和な長老さんになられました。
24  おちこぼれ ID:AtP3WImQ   2008/12/29 06:16
自信過剰 その2


さて、小さな証(7)の続きです。
高校時代、「おちこぼれ」は野心満々でした。医者になろうか、あるいは科学者になろうか、発明家になろうか???・・・それこそ自信過剰症末期でした。

さて、理工学部の説明会に高校の級友とでかけた時です。友達が時間があるので「ちょっとゲームセンターよっていくよ」と言いました。多少、聖書かじりかけ?の時でしたので、「そうか、僕はやらないけれど、一緒に行くよ」と言います。

ゲームセンターの中に入って、「こういうところに悪魔はいるんだろうなあ」なんて思いながら、デカルトかなんかの哲学書?を読んでいました。(はっきり言って本の内容はまったく何を言っているのかわかりませんでした。)

さて、友達のゲームセンターが終わり、道路に出た途端、身体から力が抜けました。初めての経験でしたし、その抜け方がかなりはげしかったのでちょっと対応に苦慮しました。友達に「悪い、身体の調子が悪いので急行で先に行っててくれ、僕は鈍行でいくから」と先に行っていただきました。もう、はうようにして見学会を終えたのを覚えています。

さあ、それからもう座っているだけで息が苦しい、お腹が痛い、何年も学校を休んだことの無いことが自慢だったのに、休みました。(今思えばくだらないですね。)

そして、一時学校に行けるようになったのですが、ある帰りの電車で目の前が真っ白に・・・「あれ、目がつかれたのかな?」と思い目を閉じて、また開けると治りました。「目が疲れたんだ」と居眠りをしました。さて、駅について目を開けると、もう見えませんでした。視野の輪郭だけ見えるといった状態でした。

初めは、両目やられたと思っていましたが、診断の結果は左目眼底出血、当時の年齢からするととっても珍しい状況でした。それに加えて極度の貧血・・・座っていると非常に苦しい状況が続きました。病院に行って、「脳腫瘍か、奇病か」と診断がつきませんでした。

「こんな体力じゃ、理工学部は無理だ・・・」そして半分の心では、「理工学部だとスケジュールの関係で安息日は守れないな」と思っていました。

そして、スケジュールの関係で法学部へ・・・。そして、文字通り、手すりにつたいながら這うようにして、教会の講演会に通ったのでした。

そして、このまるっきり人生設計に入っていない所で、進化論で小さいころから染みこまされた心を、安息日問題や、様々な不思議な出来事で、「人間をはるかに超えた創造主の御力を」実体験で教わることになります。

今、病院で医療機器に携わる仕事についていますが、不思議な事に「あなたは、この病院に何か特別な役割があるためにきたのだと思う」と周りの人々に言われています。

この「おちこぼれ」が???

若い人に、「主は大望をいだくな、と仰せになられない」「何か大きな善事をしたいという願望を打ち砕いてはならない」と教わってきた「おちこぼれ」ですが。

BOYS, BE AMBITIOUS IN CHRIST.

この IN CHRIST に大変大きな鍵があります。

こんな「落ちこぼれ」、残りの人生、教会の隅で静かに座っていればいいや、なんて思っていますが、どうやらイエス様が何か戸を叩いておいでになられるかのようです。「あなたにやってほしいことがある」と・・・。
25  おちこぼれ ID:DykPVGbs   2009/01/05 17:03
「お正月」


明けましておめでとうございます、と元旦礼拝に行かれた方も多いと思います。

クリスマスのご奉仕を終え、休む間もなく、おせち料理を作り、近隣の困っている方々、病気で教会に来られない方々に、配られたり、日頃献身している教会員やそのご家族のため、手作りのお節料理、あるいは、おしるこ、お雑煮、を準備され、元旦の日、皆さんにふるまわれた方々もいらっしゃると思います。

また、教会の子ども達のために、お年玉を準備されたりされた方、教会をお正月の雰囲気にされるため、ご奉仕された方々もいらっしゃるでしょう。

お正月は、旧約聖書にも記されており、過ぎ越しのお祭りの種入れぬパン、苦菜、羊は変化して、お餅や小松菜といったお雑煮になったと聞いたこともあります。神社の鴨居は過ぎ越しの時、子羊の血をぬったところから、来ているという説も。また、神社の、手洗い、香、奥殿など、イスラエルの聖所のつくりと酷似していることなど。はるかに詳しくご存知の方もいらっしゃるとは思います。しかし、当然キリスト教ではないので、鏡餅はサタンの使い「へびがとぐろを巻く姿」を現しており、しめなわも蛇とうろこを表わしている、霊柩車の周りには、サタンの象徴「竜」が描かれている。など、も色濃く残っています。

元旦、教会に来て、礼拝させていただくのは特権です。なにせ、かなり多くの人々がいわゆる「元朝参り」のため、神社などに行くわけです。神社に行かない、という理由だけで、ご主人やご家族から、不思議なくらいいじめられた方々もいらっしゃると思います。中には、会社のいわゆる元旦の祈願などで、葛藤された方々もいらっしゃるでしょう。結構、信教の自由とはいいつつ、「御守り」を強要されたり、戦っていらっしゃる方もおられると思います。しかし、僕の知っている方々も、会社などで、安息日などを守り、会社から「御守り」を持つように言われたりするのを断ったりして、「筋の通っている人」と高く評価していただいています。

「何があっても、すべてを失ってもイエス様に忠誠と人生決めてしまう」とかなり楽になります。そして、「主イエス様をいつでも思っていなさい。これがわたしの福音である」との御言葉は測り知れない力を持っています。

「障害、困難、迫害が来るのは、『のろい』としてではなく、生涯最高の祝福のため」です。さまざまな困難を乗越えて来られた方々は、上記のようなことを通っていらっしゃるので「かなり強い」。かえって素晴らしい伝道の機会に変えてしまっています。

福音の大宣教命令が発せられていますので、「時が良くても、悪くても」必ず証の機会、伝道の機会が来ますね。イエス様からいただく最高の祝福を証できたら、と思います。

一生イエス様の愛、天使の方々の御守り、今も生きておられる神様、イエス様の奇跡、永遠の命、喜びあふれる生活、むなしさのない人生、「見えない世界の現実性」を知らない人々に「良きおとずれ」が伝えられます。そして、多くの人々から、感動と感謝の言葉をいただきます。

しかし、時が良くても、悪くても・・・祝福いっぱいの時にも証をし、「おっと」と思われるときにも、同じような境遇にある人々を助ける心をいただき、御心ならば、賛美歌にあるとおり、「積もりに積もれる御慈しみを この世に、あの世に歌い続け」たいと思っています。

えー、「時が悪くても」証するのはいやだーと思われる方もいらっしゃるとは思いますが、人間の心にはそのような心しかありません。

主イエス様がお支えになられるのです。そして、もっと聖書にすがりつくようになり、もっと祈り、とっても大きな最高の祝福に変わります。また主イエス様が、心を喜びで満たされるのです。「人生の最も美しく輝く瞬間」に変えてくださいます。

それはともかく、困難のないときこそ、また「証した後」、「何もしていない時」あるいは祝福されている時も「結構危険」、初代教会はそれで敗北していますし、ダビデさんは最大の勝利を経験している時に、最も屈辱的敗北をきしています。

「時が良くても悪くても」宣べ伝えなさい、はとっても大きな福音です。

もちろん、熟練したクリスチャン、人の心を熟知し、「単に覚えた聖句や教理を話すのではなく」、言葉で無く行動で証をし、行動で御言葉をの宣べ伝え、快活に、人に仕え、誰よりも働き、品性が整っていれば、会社で反対されることも少ない、あるいは「ない」いえ「会社の宝物」でしょう。


しかし、仮にそうでなくて、誤解を受けてしまう場合でも、「おちこぼれ」は責められないのです。彼らは精一杯なのですから・・・。
26  おちこぼれ ID:NEz3oIGg   2009/01/12 06:12
「心はよろずの物よりも偽るもので、
はなはだしく悪に染まっている。
だれがこれを、よく知ることができようか」

「私たちもニコデモのように、自分の生活は正しくて道徳的にも間違っていないとうぬぼれ、ふつうの罪人のように、神様の前にへりくだる必要がないと考えているかもしれませんが、ひとたびキリストの光が心の中にさしこむとき、自分たちがどんなに汚れているかわかるのです。」

「神様の栄光のただ一筋でも、あるいはキリストの純潔のひらめきでも、人の心に差し込むとき、心の汚れの一つ一つが痛々しいまでに、はっきりと見せられ、人の性質の欠点があますところなく示されるのです。」(キリストへの道)

う~ん、ニコデモさんなんてほど遠い、しかし、「痛々しいまでに、はっきりと見せられ」というところは本当だな、しかもかなり痛々しい・・・。

罪のあの絶望的な闇にいた時は、本当にそう思いました。「このまま、この状態のまま生きていくのだろうか。じゃあ、生きていくだけ、周りの害・・・罪を重ねるだけ」と本気で思いました。

しかし、心の片隅で、「待てよ、もしかしたら、間違っている道にはいっていないのではないか?」と思いがかすっていました。なぜなら、心の状態が、聖書や上の「キリストへの道」など証の本の通りだったからです。「万が一、いや百億が一、聖霊様が罪を教えてくださっているかも・・・」。

中には、「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている」。うん、その通りだ。聖書は正しいな。よし、御言葉に従おう!とピッと意志を向けてしまった証もあります。

大変申し訳ないですが、ジョンバニヤンの「罪人の頭の上に溢れる恩寵」など読んでいくと、著者が自分の罪に真剣に悩んでいる様子が描かれており、器は全然違うけど、悩みだけは似ているかな、と思いました。マルティンルターさん、ウェスレー兄弟などなど、罪に対しては相当悩んでいらっしゃるようです。(僕の罪とは程遠いだろうなあとは思いつつ・・・)

すべての回答は、聖書、そして信仰による義を説いた、信仰の書物があるので無敵の防壁です。そして、もう一つが「信仰の証」です。

「つま先から、全身で悔い改めるのよ」。「頭だけ」で「お詫びしていても」まるっきり空回りでした。

「わたしたちの罪は髪の毛ほどもあるかもしれないけれど、三つ清められたら、三つだけ感謝じゃないの」。悔い改めとは、心が自分自身からイエス様へ向き直ることですから、この証に相当助けられました。

「決めてしまうことよ」。なにがあってもイエス様、と決めてしまうと心は相当楽になります。迷う必要がないからです。

水に溺れている人がいたら、「助けたら偽善者じゃないかな」なんて思っていたら、人は死んでしまいます。さっさと助ける。

くだらないこと?かもしれませんが、電車で席を譲るときなど、真剣に?悩んだことがあります。(ごめんなさい、くだらないこと、馬鹿だと思っていください。しかし当時はかなり真剣でした。)

「創られた者は、創った御方に従う」、「聖書に書いてあるから」やる、と決める。「天国に入りたいからやっているのかな、エゴイズムかな」などなど悩むときがあったので、「書いてあるからやる」と決めてしまうと、かなり行動がはっきりします。

心の中で、御言葉を、「1000回も2000回もくり返すのよ」。御言葉は鳥が来て食べてしまうので、心の中でくり返さないと、消えてしまいます。

「信仰の先輩の皆さん、普通に仕事したり、奉仕されていらしたり、家事をされていらっしゃるようだけど、陰でいろいろされていらっしゃったんだ」と目が覚めたように思い出しました。

「イエス様お助けください、と祈るのよ」
「『主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです』、この叫びをあげて顧みられない魂はない」

「罪の思いは切ってしまう」。たたき切るといってもいいかも。御言葉でいうと、「霊によって肉の思いを殺してしまう」になるのですが、霊って?に悩んでしまうので、「聖霊様は御言葉なのよ」とかなりわかりやすく教えていただきました。

すべての誘惑に対する戦いは、天使の方々も記録しておられるそうです。

「悪魔の嫌がる」ことをする。悪魔の嫌なこと、「イエス様の御名前」「感謝」「悔いる心」。

ついでにお化け屋敷を想像すれば、ほこりがたまっていたり、時計が傾いていたり・・・。掃除、整理整頓などもかなり助けられます。

こららの「証」はむなしい言葉だとは思っていません。罪との大争闘をくぐり抜けて、激しい葛藤と悩み、絶望や苦しみの中から、つかんできた尊い光です。
27  おちこぼれ ID:uD7GLeDE   2009/01/13 11:48
「励ましの証」~その1~


罪との戦いにおいてこんな証に励ましをいただきました。

「義認というのは義と宣言される事で・・・信仰によって義とせられるというのは神様の言葉によって義とせられる事です。神様の言葉が発せられると、何でも言われた通りになってしまいます。・・イエスキリスト様によって語られる神様の言葉は、それが語られる以前には世に存在しなかった物を存在させてしまうのです。人間の内には義なるものはありません。・・・しかし神様は人間の上に義を宣言させる為にキリストをお立てになりました。キリストが言葉を語られたので、それを受け入れる者にはそれだけで何もなかった彼の内に義が現れるのです。・・・信仰によって受け入れられた神様の言葉は以前は何もなかった人間の内に、その生活において義を作り出します。」

「人間は信仰によって、つまり神様の御言葉に頼ることによって義と造り変えられるだけでなく、造り変えられたのと、同じ方法で生き続けるのであり、・・・同じ経験を重ねるのです。」

「神様の御言葉、義の言葉、生命の言葉が“今”、“この場で”与えられています。あなたは今、義に造り変えられる事を望みますか?今、その御言葉によって生きようとなさいますか?これこそ信仰による義認です。・・・世界で最も単純なことです。」

「私も失望落胆と疑いの日々を経験しましたが、それはもはや過ぎ去った事を感謝します。私も他の人々と同じように一生懸命主に仕えようと試みました。が、失意の内にその努力を中断し、『無理だ、私には出来ない』と独白せざるを得ませんでした。それは私自身の弱さを思い知らされたからで、私の眼に正しく見える人々や、聖書に出てくるかつての聖人たちは、私とは違っていたから正しい事ができたのだとしか思えませんでした。私は多くの残念な経験を通して、自分には悪を行うことしかできないのを知りました・・。

ここで1つ質問をしたいと思いますが、もしイエスキリスト様の・・この地上での生活が単なる演技にすぎなかったとしたら、どこに望みがあるでしょう。・・彼は『罪は犯されなかったが、我々と同じように試みられた』とあります。あまりの苦悩に血のような汗がその顔からしたたり落ちたとあります。しかし、もしこれらが見せ掛けで演技だったとすれば、-もしそれらの戦いが本物ではなく、彼が誘惑を何も感じておらず、単に祈る真似をしていただけなら、これらは私にとって何の益があるというのでしょうか・・・。

しかし、・・・決して私が耐えることの出来ない経験を耐え、一生かかっても私自身の力では勝利できない事に勝利された御方がおられる。私個人のどんな誘惑よりも激しい誘惑を経験され、あらゆる点においてわたしと同じでありながら、かえってわたしより困難な境遇におかれ、肉体を通してサタンがしかけるすべての攻撃にさらされ、なおかつ罪を犯されなかった御方がおられるからこそ、私は心から喜ぶことができるのです。」

「ある人はこう言うかもしれません。『これは私にとって何の慰めにもならない。正直に言って私には模範が与えられても、それに従えない。何故なら私はキリスト様が持っていた力を持っていないのだから。主は地上においても神様であられたが、私は人間に過ぎない』しかし、あなたが求めさえすれば彼の持っておられた力にあずかる事ができるのです。『彼自身弱さを身に負うて』おられたにもかかわらず、『罪は犯されなかった』のです。ですから、疲れた、弱い、罪に苦しむ魂は希望を持ちましょう。助けを必要としている時にそれが必ず与えられる『恵みの座に』『はばかる事なく』近づきましょう。主は『私たちの弱さを思いやる事ができる』のですから。」

「人間が悔い改めて神様の御霊の下にある時、それは肉とその傾向や欲望から分離できるという事ではありません。・・・否、以前と同じく堕落した罪深い肉を持っていますが、もはやその人はこれらの奴隷ではないという事なのです。彼は傾向や欲望といった肉の支配から解かれ、聖霊の支配に服するのです。今やその人は肉に勝利し、肉を十字架につけ、肉を抑え続ける力に支配されるのです。・・肉自体が聖霊による神様の力の支配下につながれるのですべての悪は根元から断たれ、生活の内に表されなくなります。」

「罪の増し加わったところには恵みはそれ以上に満ちあふれた。それは(原語訳)罪が支配するに至ったように恵みをまた義によって支配し、わたしたちの主イエスキリストにより永遠のいのちを得させる為である。」(ローマ人への手紙5章220、21)

「恵みが支配する時、悪を行うよりも善を行う方がたやすい・・・というのがその比較です。お気づきになりましたか?罪が支配するに至ったように、恵みをまた支配するのです。罪が支配している時には恵みを締め出し、神様がお与えになる力を全く寄せつけないようにするのですが、一旦、罪の力が破られて恵みが支配するとそれは罪を追い出し、罪の力を残らず撃退するわけです。ですから罪の支配のもとに善より悪を行うのがたやすいのと全く同じように、恵みの支配下においては悪を行うより、善を行うほうがたやすいのです。」

「もし恵みに罪以上の力がなければ、罪から救われるのは不可能ですから、罪からの救いは恵みに罪以上の力があるか否かにかかっているのです。・・・昔から人間にとって善を行うのは非常な努力を要してきました。これは人間が生まれつき罪の力の絶対的な支配に服している為です。そしてその支配が続く限り、人間が知っている、そして欲している善は行う事が困難どころか、全く不可能なのです。しかしそれ以上の力が支配するなら、先の力に服していた以上にその力に服することがたやすいのは、自明の理ではありませんか。」

「新生すると古い性質に対しはるかに優勢な立場になります。・・・神様の相続にあずかる者は地上の両親よりも天の父が偉大であるように、遺伝によって受けた悪への傾向よりも義を行わせる力の方が、彼の内に強く働きかけるのです。」

「ここに例外はありません。罪の定めが全ての人に臨んだように、義認は全ての人に及ぶのです。主は全人類の為に御自分を与えられました。いえ、あらゆる人、-人々に御自分をお与えになったのです。無償の賜物はすべての人のものとなりました。それが何の価もいらない賜物であるという事自体、それが例外なく与えられるのを証明しています。もしそれが何らかの特別な資格を有する者に与えられるのであれば、もうそれは賜物とは呼べません。ですからキリストの義と生命の賜物が地上のすべての人に与えられたというのは事実であり、聖書が明らかにそう証言しています。もし本人が拒みさえしなければ、今までに生を受けたどんな人間も救われてならない理由はないのです。多くの人々はこんなに気前良く与えられている賜物を受けようともしないのです。」

などなど、たくさんありますが・・・かなり励ましをいただきました。
28  おちこぼれ ID:I4MSTMsE   2009/01/15 18:24
励ましの証 ~その2~


「われわれの義はキリストの内にのみ見出される」

「人間は、そして人間のなす行為はそれがどんなもので誰であろうと、信仰のみによって義とされます。律法は人間をその仕業に応じて裁きますが、律法の標準は途方もなく高いので、どんな人間であってもそれに達する事はできません。だからこそ仲保者を必要とするのであって、その御方によって義とせられねばならないのです。・・・この世で人間が必要としているのはただ一つ、義とせられることです。そして“義とする”というのは実際的な行為で、単なる理論ではありません。・・・我々は過去の不完全な行いを完全としていただくのに、キリスト様の義を必要としているのと同じく、今、義とされるのにもそれを必要とするのです。」

「どうして信仰によって義とされるという教理が、神様の律法を軽視させると考える必要があるのでしょうか。義とせられるというのは心に律法が確立されることです。・・・キリスト様は御自分の義を与え、罪を取り除き、御自分の義をそこに据えられます。これはその人を全く変えてしまうのです。」

「ヘブル3:1にはクリスチャンがしなければならない全ての事を一言で言い表した勧告があります。『そこで天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちよ、あなたがたは私たちが告白する信仰の使者、また大祭司なるイエス様を思いみるべきである。』 これを聖書の命令通り実行すれば、つまりキリスト様がどんな御方であるかの真の姿をいつも理知的に思いみるなら、その人は完全なクリスチャンに造り変えられます。何故なら、『眺める事によって我々は変えられる』からです。」

「全ての点において我々と同じになられた主は、試みられた時、我々が感じるものを感じられました。・・・その肉体において彼は我々と同じように弱かったのであり、御自分では『何も出来なかった』のです。ですから、主が『我々の病を負い、我々の悲しみをにない』、我々と同じように感じられた時、信仰によって与えられた神様の力によってそれらすべてに勝利されたのであり、その力を我々の肉体にも、もたらされたのです。ですから主の名はインマヌエル『神、我らと共にいます』というのです。神様がキリストとおられるというだけでなく、神様が我らと共におられるのです。」

「キリストが我々と同じ欲情を持っていなかったということについてですが、聖書のどこを見ても主は我々と同じ・・・肉の様をとられたとあります。・・それ以上行ってはいけないのです。彼は罪の肉の様をとられたのであり、罪の思いまで同じだったと言っていません。その思いは『キリスト・イエス様の思い』でした。」

「主は我々の承諾なしに我々の罪を取り去ることはなさいません。私はいつでも主を選ぶか、自分の罪を持ち続けるかの選択をしなければなりません。・・・これから後、神様が罪だと示されたら、それが何であろうと捨てることをためらうべきでしょうか。・・・主にこう言いましょう。『主よ、私は今選びます。私はこの罪とあなた様とを引き換えます。わたしはあなた様を選びます・・・』 一体どこの誰が自分の罪を示されて失望する必要があるのでしょうか。

さて、兄弟方の何人かはこの選びをさっそくなさっているかもしれません。ここに来た時は何も感じていなかった、今まで気付かなかった何かを聖霊様が彼らに示されました。・・・するとそのように示されたことを感謝して、罪を捨てる代わりに・・・彼らは失望するのです。『一体どうしよう。私の罪はこんなに多いのか』と・・・。

もし以前には考えてもみなかった罪を示されたとすれば、それは主が心の深みを清めようとしておられる、というまでのことで、いつかそれは心の底にまで達するのです。そして御自分の御旨に沿わない、不純で汚れたものの最後の一つを取り出して我々に示される時、我々が『そんなものよりキリスト様を持った方が良い』と言うならば働きは終了し、生ける神様の印がその人の品性のうえに押されるのです。

完全にイエス・キリスト様によって満たされているのと・・・、いくつかの罪を知らされずに保ち続けることと、どちらを望まれますか? もし我々が罪を持ち続けるなら、どうして神様の完全な御品性である神様の印が我々に押されましょうか。それで我々が夢にも思わなかったような深い所まで主は掘り下げられるのです。我々自身は自分の心さえ知らないのですから、・・・主にその働きを続けていただきましょう。・・・もし主が我々に知らせることもしないで我々の罪を取り去るとしたら、それには何の意味があるでしょうか。我々は機械にすぎなくなってしまいます。・・・我々は理知的な、神様の器なのです。・・・理性を備えた道具なのです。我々は自分の選びによって神様のご用に用いられるのです。」


「我々に知らせることもしないで我々の罪を取り去る」の方がいいなぁ・・・なんて。自分が絶望だと悩んでいた時は、かなり自分に自信を持っていました。

しかし、本当に絶望になると・・・、イエス様に頼るようになります。とかいって何も望みも力も、信仰もない「おちこぼれ」。すべては、いただいている贈り物、イエス様に支えられているだけです。

祈らないで???、聖書を読んでも、全然理解できないですし、信仰の証に何も感動もないですが、イエス様が導いてくださる時、聖書は素晴らしい本に「変わる」?、いえ、光を放って見えてきます。

この地上で、「イエス様の驚くべき愛の深さ、素晴らしさ」を体験していくのだと思っています。

「おちこぼれ」が本当に悩んでいた時、絶望のどん底にいた時、このような証を読んで、どれほど助けられたか・・・。

さらに、「一見聖書には、難しく、不明瞭なことが多いのですが、神様は、それを理解しようと求める人々には、わかりやすく、単純にしてくださいます。」
29  おちこぼれ ID:79s16Yqc   2009/01/18 09:31
「重大な危険」


「さて、取り違えていただきたくないのですが、私も皆さんも主に頼らないで生きることができる程、清くなると考えてはいけません。この肉体が変化するのを期待してはいけません。もしそうするなら重大な危険に陥り、恐ろしい罪を犯すでしょう・・・。

この滅ぶべき体は主が来られる時に朽ちないものに変えられます。・・・誰でも自分の体は清められたと思い込み、全ての衝動は神からのものであると考えるなら、それは自分の罪深い欲求と聖霊とを取り違えているのです。その人は神と自己とを置き換え、自分自身を神の位置においているのであり、これこそ法王教の精神なのです。」

 人間って、本当に罪深い者です。まさか、こんな人はいないとは思いますが、自分の思いを、「これは神様だ」「イエス様だ」「聖霊様だ」と思い込んで、周りに大きな害悪をばら撒く罪は本当に大きいです。しかも、本人に気付かせるのは至難の業・・・。一見不可能とさえ思われます。聖霊様は聖書全体からお語りになられますので、聖書にいつも比べていれば安全なのですが・・・。

しかし、これは聖書やメッセージに責任があるのではありません。罪人の側に責任があります。様々な経験を通った「おちこぼれ」・・・。このような人はいないとは思いますが、これだけは絶対にやめてくださいねね・・・。

 仮に、こんな「滅びへの道」に入ってしまった場合も、絶対に自暴自棄にならないでください。主イエス様は本当に憐れみ深い御方です。

聖書、そして「イエス様、お助けください」「罪人の私をお許しください」「自分を義としたことお許しください」、詫びる心や感謝の心は、悪魔の嫌がる心です。
30  難海鱈 ID:Ka7BUwPw   2009/01/18 18:04
おちこぼれさん。
 ま、このフォーラムでなにスレ立ち上げようと自由だけどね、
でも、僕が思うにですよ、どこか、別のブログ立ち上げて、
そこで自分の自由なご意見展開した方がよろしいかと思います。
31  何回鱈 ID:j2H.KRYs   2009/01/18 18:23
え、それはひどい、難海鱈さん。僕は楽しみにしているのに。
32  おちこぼれ ID:YMYCyc6U   2009/01/18 21:26
二年くらい前、メールで証をやり取りしていたクリスチャンの友人に「この証もったいないから、ブログ立ち上げて載せた方が方がいいよ」と言われ、かなり熱心に言われたので、ブログ立ち上げようと努力しましたが、やり方がわからず、できませんでした。ごめんなさい。

こんな者の証を楽しみにしてくださっていらっしゃる方、ありがとうございます。とっても感謝です。
もっともっとイエス様に感謝していかないと・・・
感謝が足りないですね。

33  難海鱈 ID:Ka7BUwPw   2009/01/18 22:50
え゛ーっ!
 新規にブログ作るって割と簡単でっすよお。
YAHOOでもLIVEDOORでもOCNその他でも、
結構簡単に作れますよ。
もう一度チャレンジされて、新規に作られたら
訪問いたしますので、ご連絡くださいね。
34  おちこぼれ ID:NDeQxcHE   2009/01/20 08:52
「信仰による義」


僕の見てきたクリスチャンの方々は文字通り、「仕える方々」でした。牧師さんに仕え? 人々に仕え、食事を整え、快活な暖かい空気をかもし出し、部屋をきれいに掃除され、花を飾り、体の具合の悪い人々に配慮されます。しかも、それが全く人に目立ちません。「陰で働いている奉仕」。それらを探すのがとっても好きになるくらいです。

信仰による義とは「喜んでやること」、行いによる義とは「いやいや、やること」、と一言でおっしゃいますが喜んで奉仕されている姿は傍から見てわかります。

また、教会の青年たちは庭の手入れや畑仕事、教会の掃除、体の具合の悪い人のマッサージや、年配の方々の方の肩をもんだり、賛美歌など奉仕できるようになっています。

小さい子供たちは、お手伝いが「遊び」になっており、特に女の子は、教会で料理、掃除などなど身についていきます。何より彼らの表情からは、「幸せ」が現れており、見ているだけでも幸せが移ってくるようです。これは教会の宝物ですね。

また、大人の方々は、青少年の教育にとっても心を使っておられ、学校、服装、おしゃれ、健康など、子供たちの成長と心に合わせて教育されます。また、教会から寮生活をしている子供たちには教会から色紙を贈ったりして、励まします。

また、さまざまないわゆる「問題児」の子供たちが教会に連れてこられますので、子供たちはみんな教会の一室で勉強をします。教育を受けず、座っていられない子、すぐにあきてしまう子も来ますが、みんなが一つとなって勉強できるようになります。

そして、教会では、その子供たちのために休みの期間も毎日の様々なおいしい食事、また夏には大きなスイカ、季節季節の催し物、冬にはクリスマスケーキなどなど盛り沢山です。またクリスマスプレゼントも、女の子には一生使える裁縫箱や素敵な洋服など、など夢もあり、また実用的です。

当たり前ですが、信仰はいつも実際生活と一つです。ですので、子供でも信仰が理解できるようになっています。子供たちですら、みな「イエス様の証」を持っており、はっきり言って「大人の証」より???心を打ちます・・・。

クリスチャンのすることってたくさんありますね。しかも、喜んでやっていることが、何よりも証になっています。
35  むにゅむにゅ ID:MDNq.pEA   2009/01/23 11:50
O



( こうした ) 社会正義を通して良心に悪魔が入り込む事は良くある事です。わたくしはこうした事からむしろ反対の現象がおきるのではと予測しております。コラの反逆が始まるのではないでしょうか。合掌。アーメン・アーメン。アツくなる前に糾弾する人達が自分の心の中で犯した罪を打ち明けないのは危険です。

キリスト教を憎む人達を調子ずかせないようにしましょう。






自称おちこぼれ様の書かれた立派な文章に下でちょこっと休ませていただく事にしました。自分達キリスト信者の間で起こった事がどんなに悲しい事か。

36  おちこぼれ ID:HH0F/hXA   2009/01/24 05:45
この地球を滅ぼしてしまうことは、何と簡単なことだっただろう、と思います。
そしてまた、人が「おちこぼれ」を潰してしまうことも何と簡単だったことだろう・・・と。
しかし、先を歩くクリスチャンの方は、それを許しませんでした・・・

どんなに激しい戦いや、悲しみを通ってきただろう・・・と思います。
「おちこぼれ」は他のスレッドには書く値打ちもない、と思っていますので、他のスレッドには一度しか書いたことがありません。しかし、結構心痛めながら・・・見ています。
同じ血の通った人間ですので、これは痛いだろうな、という事だけはよくわかるのです。
たまには、休みにきてください。

必死で戦っているのですから・・・間違える事だってありますよ。間違ったら直せばいいと思っています。

かつて、落ちこぼれていなかった時、こともあろうに「神様の御言葉」をとって人の救いではなく、人を傷つけるために・・・激しく論争してきた極悪人です。
なんの実りもありませんでした・・・


今は、イエス様がくださった素晴らしい証だけを書いていこうと思っています。
イエス様って、本当に素晴らしい御方ですよね。


37  おちこぼれ ID:pOGwbUeg   2009/01/31 17:12
「仕事がなくなる時」


ある時、教会の女の子がこのような証をしました。「ある日、お母さんがこのような話をしました。『お母さんの会社は、閉鎖されるの』」

確か、当時その子は高校生だったと思います。お母さんをしっかり助けるとっても良い子でした。

そのお母さんは、教会建築のため莫大なローンを組み、朝早くから、夜遅くまで働き、また教会ではピアニストとして、また、数々のデザートや食事を作り、集会を明るくされ、また会社においても証人でした。

そんな中で、会社が閉鎖されることになったのでした。

それまでも、やはり会社が危なくなった時、会社がリストラをしようとしたことがあります。その方は、「そうか、みんな辞めるのがいやなんだ。それでは私がやめよう」と新しい仕事を探し始められました。イエス様にお祈りして、探し始めます。「神様、一番初めに決まった所に、たとえどんな会社でも行きます。」

就職活動するうちに、まずその会社内で個人面談が始まりました。上司の方と面接をして、お願いされます。「どうか、私を辞めさせてください。そのかわり残る人たちの給料など、よろしくお願いします。」

その時、その上司の方がおっしゃいました。「あなただけは、辞めてもらっては困る・・・。」 結局、「最初に決まった所」その会社に残られました。その会社では、リストラが行われました。「裁きに日に似ている」と話されていたのが印象に残っています。普段、仕事をサボっている人、ずるをしている人は辞めさせられたそうです。

さて、話は戻って会社は閉鎖されました。しかし、そのような状況も教会ではおくびも出さず・・・、明るくされ・・・、次の会社へ就職口を見つけられました。その会社で、また人の何倍も働かれました。会社からはディレクターになるようにと言われました。しかし、その方は会社の若い人たちが良いポストにつけるように努力されます。また、ご自分で働いたその分で、教会の若い人たちもその会社に勤められるようにされ、その子たちにパソコン、英語、簿記など指導されました。今では皆、一流のビジネスマンにまでなっています。

その方は、数々の試練を乗越えて来られた方ですが、「昔は、仕事がなくなることは、とっても恐かった」そうです。終身雇用がまだ当たり前と言われていた時代です。それに加えて、教会の何千万円のローンを持ち、ご家族がいて・・・。いろいろな道を通りますが、クリスチャンの方々はそんな中でもキラキラと輝いています。
38  おちこぼれ ID:8M2Y1uys   2009/02/04 00:16
「清潔」


ある若者が、教会に泣きながら入ってきました。席に着くと、信仰の先輩の方に涙ながらに語ります。「僕の押入れが汚いんです」・・・。

信仰の先輩の方が、すぐにおっしゃいます。「それでは、押入れをきれいにしなさい。」

「・・・?????」

その若者は、はっと気付き、笑顔になりました。「何を馬鹿なことを言っていたんだろう。泣きながら、汚いんです~なんて。」

「とにかく、やること、はじめること、はじめたらやめないこと。」
「何かせよ、今すぐせよ、全力を尽くしてせよ。」
「そうすれば、後から気付くから、今まで何もやってこなかったんだ・・・と。」

清潔、一つとっても「知っていること」と「身につく」こととは、雲泥どころか全く別世界です。まして、「汚くてもゴミじゃ死なない」と思っていた人間が、「清潔が好きになる」ことは驚くべき奇跡だと思います。本来家庭でしつけられ、学んでくるものですが、そのような環境にいない場合、「大人になって大恥をかきます」。そして、場合によっては「馬鹿にされて」、悔し涙と共に必死で身につけていく場合もあるでしょう。「しつけ」はとっても大切ですね。人間は教えられないと、何も身についてないのです。

家がゴミだらけ・・・と家では「、清潔」なんて身につくのは至難の業??でしょうか。なにせ、思っている「清潔」のグレードが全然違います。教会員のお住まいに行けば一目瞭然、少し生活を共にしてみれば、「いかにしつけがなっていなかったかが」よくわかります。

「毎日、掃除しても、ほこりってすぐたまるんだ」なんて当然の事に「びっくりして」感動するような始末です。ですから、教会がいつも「ほこり一つない」ということはすごいことです。

「歯磨き」といえば、夜寝る前1回・・・が当たり前だと思っていました。ところがある時、結構多くの人が、食後3回磨いていることを大発見?します。人によっては、朝起きてからを含め1日4回・・・。ところが慣れてしまえばなんてことありません。

洗濯の仕方、干し方、アイロンのかけ方、服の畳み方、すべて違います。こうやって、「無人島から出てきたかのような自分の姿」に気がつくようになります。

しかし、はっきりいって身についてしまえば一生の宝・・・。だんだんやっていくことが好きになってきます。すべて徳と言われるものに心を留めるように導いてくださいます。そして、「生きる力をいただく」ことになります。

「おちこぼれ」さん、簡単に何でも身についたんだ・・・と思われたら大誤解。すべて先輩のクリスチャンの祈りと、忍耐と許し、ご指導、また、周りの兄弟、姉妹の忍耐とご配慮のおかげで、デンデン虫より?遅い歩みをしているに過ぎません。

「あ~あ、身につかないなあ」なんて思っていると、「1000回でも2000回でもやるのよ」との優しい、しつけのなった信仰の先輩の声が耳に浮かびます。すべては「できない」のではなく、「やらない」のが原因です。「やり始める」と「今までやってこなかった」と気付くのです。

こういう証はかなり好きです。教会で罪の習慣の証をしていると、その場にいる若い学生達もポーカーフェイスをしていますが、内心「やばい!」と思い、家に帰って、生活が改められるそうです。みんなが良くなり、幸せになっていくことは本当に良いことです。

こんな事書いていて「メソジスト」、几帳面屋と言われたら、かなりの栄誉・・・。この名は全世界で誉ある名称になっています。「行いによる義」と言われたら? シャツ出しっぱなしで「信仰による義とは!」と説教していたら・・・かなり格好悪いです。信仰以前の問題ですね。

「あなたは、今まで何度となく失敗したかもしれない。しかし、今度は成功しないという保証はない。」「イエス様はまた魂の敵と激しい戦いをたたかっている者にも出会われた。これらの人々をイエス様は耐え忍ぶように励まし、神様の天使たちが彼らの側についていて勝利を与えてくれるから、勝てるのだと保証された。」

「おちこぼれ」は罪と闘っていたとき、ひとりのクリスチャンの方が涙を流されながら、おっしゃられた言葉が忘れられません。「あなたを見ていると、痛々しい。みんなもっと真剣に信仰をなさい。」「若い人がこんなに苦しんでいる・・・。大人が模範になっていないからよ」と。

そして、改められた時・・・「なんだ、そんなことか」とはおっしゃいません。涙を流して・・・、喜んでくださる方々・・・。それがクリスチャンでした。
39  ひかり ID:Yuvu8Wao   2009/02/08 14:01
使徒信条の「聖徒の交わり」について

2週間前ラジオでキリスト教放送 FEBCを聞いていたら、都会で洗礼を受けた教会の牧師が紹介されていた。

約20年前当時の信仰生活と会社の重圧から、当時の牧師に「信仰を継続できないから、もう教会の礼拝には出席しません。もうわたしには関わらないでください」と手紙をだし、会社を退職し、一人で初めて海外旅行に出かけました。FEBCで紹介された牧師(女性)は当時大学生でした。

初めての海外旅行にマレーシア、タイランドにでかけましたが、はじめのマレーシアで首都のクアラルンプールでマレー人が多く住んでいる東海岸と字中部の国立公園があるジャングルにゆくため、バスターミナルをまっていたら、近くにウエスレー・メソジスト教会があって信徒が礼拝後の会話をしていました。

マレーシアはイスラーム教徒が約当時8割り占めていたとおもいます。人口でもマレー人が6割、華人が3割 1割がインド系だったとおもいます。

さて神様とも「おさらば」と思って東海岸に向かうバスを待っていたら、宣教師らしい若い日本女性と同じ信者の華人がバスに乗り込んできた。

車中でわたしは旧約聖書の「ヨブ記」を思い出しながら、かれらと会話していたが、自分がキリスト者であることを告白しなかった。

そのバスが終点の町について彼らの仲間が働いている理容室に出向き、しばらく雑談し、その後私は町を30分散歩し、彼らのいる部屋に入ると「あなたは
クリスチャンですか」といきなりたずねられ「そうです」と返事をした。

旧約聖書「ヨブ記」の世界が現実に今おこり、神様の存在に驚いた。
彼らの仲間にはインドネシア宣教について語っていた。

さてその旅行も終わり、日本に帰ってから3年くらいして、同じ町で暮らしている老いた姉妹から、「牧師の死」を知らされた。

その牧師が信徒の誕生日に、一人一人書いてくれた聖書の聖句は、一枚だけ聖書にか挟まっている。そして弱くて、不信仰になる私たちを、かみさまは信徒の兄弟姉妹を通して働くことを改めて知り、「聖徒の交わり」の意味が少し理解できた。

その後2年位して新しい牧師の挨拶に出向き、さらに2年くらいしてたまに教会の礼拝に出席するようになりました。

そんな自分が田舎でほとんど、休まないで
礼拝に出席するなんて我ながら、信じられません。これも神様が私を離さないないからなのでしょう?
40  おちこぼれ ID:9jIRUz0k   2009/02/08 17:56
時々、イエス様がくださるあまりにもの幸せに、愕然?びっくり?する事があります。ひかりさんの元気そうなメールに喜びいっぱいです。
「おちこぼれ」も教会にいくために、毎日、毎日どれほどの奇跡がおこっているでしょうか。
先週は、目が腫れて、また足が腫れて、「仕事いけないかも・・・」前は、クリスチャンの方に祈っていただいたことがありますが、今はその環境にもない・・・
イエス様にお祈りしてなすべき事をすると、
「痛みと腫れが引いている・・・」感謝で休まずに出勤できました。

また、先週前半は、職場でも証ができないなあ、とイエス様に申し訳ないばかり・・・
イエス様にお詫びしていると、昼食時、交わりができて、ノンクリスチャンの方々と、証の話・・・とっても喜んでくださり、イエス様に感謝でした。
そして教会でも数々の証の交わりでの祝福・・・
また、今日は遠くにいるため、メールで証でやりとりしているイエス様にある姉妹から、健康を心配して野菜を送ってきたり・・・とっても苦労しているのに。
そして、飛び込んできたひかりさんからのメール
「主のお導きだ」と感謝でした。

もし、悩んでいらっしゃる方がこの話を見ていらしたら、本当にごめんなさい。「おちこぼれ」が言いたいのは、イエス様は人の幸せをこの地上の誰よりも願っていらっしゃるということ。そして、こんな「おちこぼれ」を救うために、ありとあらゆる方法をお用いになられ、今も力強く働いておられるということです。以前は山ほどそれがあっても見えませんでした。しかし、今は、ほんのちょっぴり?だけでしょうけど見えています。
「キリスト様は、御自分が代わって死なれた魂を決してお捨てにはなりません。人はキリスト様を離れ、試みに負けることもあるでしょう。しかしキリスト様は、ご自分のいのちをもってその代償を払われた者からお離れになることはありません。もし霊の目が開かれるならば、多くの魂が圧迫され悲嘆にくれて、ちょうど荷車が重い束を積まれて押しひしがれているように、死ぬばかりになっているのを見るでしょう。わたしたちは、危機に瀕しているこれらの試みられる者を助けるために、天使がすみやかに飛び交うのを見るでしょう。天からのみ使いたちは、これらの魂を取り囲む悪の勢力を押し返し、彼らを導いて、その足を堅い基の上におくのです。二つの勢力の間に戦われる戦いは、この世の軍隊によって戦われる戦いと同様に現実的であり、この霊的闘争の結果に永遠の運命がかかっています。」


ひかりさん、いつもありがとう!
                「思わず、感謝のおちこぼれ」


41  ひかり ID:43iB1Fz.   2009/02/14 12:16
「聖徒の交わり」その2

おちこぼれさん 感想ありがとう

前回の投稿で間違えていたことを後で気がつきました。
実はこの投稿はネットカフェフェで書き込みしてます。

ネットは約7年前に都会生活でヤフーと契約して自由に投稿していたのですが、昨年5月にふるさとに帰ったときから、停止してますので、たまに自分の書き込みを読み直すことを怠っているので、前回のような間違いをいたしましたが、おちこぼれさんなら気がついたと思いますが、
念のためにその間違いを提示します。

それは「ヨブ記」ではなく、「ヨナ記」が正解なのです。

今回「聖徒の交わり」その2について書き込みした理由は

病死した牧師からもらった聖句を誕生日にもらったものは、
新約聖書のヨハネによる福音書8章3節

「もし あなたがたが、わたしのことばに とどまるなら、あなたがたは
ほんとうに わたしの弟子です」

聖徒と弟子は同じだと思っています。
しかし主イエスさまに出会った人は「罪びとです」

とてもこの世的に考えれば、理解できない言葉が「聖徒や弟子」という表現ですが、これは聖書で悔い改めた人が努力なしで、恵みによって天国にいけることをしめしているとかんがえます。

どんなときでも、御言葉を信頼できるものになりたいです。

42  おちこぼれ ID:o7psXiLA   2009/02/14 21:50
メールありがとうございます
僕は、結構、こういう事は「細かい所に目くじらたてない」と教えていただいているので、全然気にしないです。
イエス様が、命をかけて、いえ、十字架の苦しみを通して、救おうと願っていらっしゃる魂、
「生きるか、死ぬかの問題でなければ、目くじら立てない」との姿を、教会で見せていただき続けました。
もちろん、ほっぺたにご飯粒つけたりしていたら?、注意してくれるけどねv(^^)v

「おちこぼれ」は、以前、数々の「障害」?にであった時、必死で祈り、聖書を調べ、断食し・・・イエス様にすがって「のりこえさせていただいてきた」と思っていました。

しかし、10年たって、そんなことない、ことに気づかせていただきました。「誰かが祈っていてくださっていたんだ・・・」
聖書・・・かつては読んでいただけで、持っていただけで殺されました。しかし、あの偉大な宗教改革者の方々が文字通り、命をかけて、財産をかけて、人生をかけて、道を開いてくださり、
今・・・「神様の言葉、すべての人に開かれて」と高らかに宣言されています。多くの涙、多くの試練、たくさん、たくさん会ったと思います。中には有望な地位を捨て、愛する人と別れ・・・皆、同じ人間なのに・・・

今、この神様のお言葉はわたしたちの手の中にあります。
また、そればかりでなく、陰の祈り、陰の奉仕、思いやり、やさしさ、あるときは譴責、信仰を保ち続けてくださった先輩方・・・それこそ、サタンの攻撃を戦いながら、光をともし続けてくださった「おかげさま」です。

パウロさんがローマに囚人としてきた時、
「ところが、兄弟たちは、わたしたちのことを聞いて、アピオ・ポロおよびトレス・タベルネまで出迎えてくれた
。パウロは彼らに会って、神様に感謝し勇み立った」

ある本には、パウロさんを出迎えた人々は、パウロさんの鎖を恥ともしないで出迎えたそうです。

この人こそ、かつてコリントで、アテネで、エペソで命の言葉を伝えてくれた人、神様と和らぎ、現在の生活を生き生きとしたものにしてくださったのは彼のおかげである・・・
コリントでの道徳的な退廃での伝道、アテネでの「あざ笑い」、エペソでの試練、それは無駄になっていなかった・・・
いえ、それから2000年もの間、多くの人々に希望と勇気を与えて続けた大きな証です。

とっても恥ずかしい「おちこぼれ」ですがこそっと「言いたい」好きなセリフがあります。
「今ある喜びは、あなたのおかげです」

この地上で、言える人、そして、この地上ではもう言えない人いますが・・・

そんな事、1人1人に言っていたらキリがないよ・・・

その通りです。「1人の人の救い」って、それだけ多くの人々の献身と、祈りと、愛情が込められていることに・・・気がついたのです。ネヘミヤ記など読んでもいろいろな人の名前がいっぱい出てきますけど・・・

その全ての中を貫いておられる主イエス様に栄光がありますように。

もちろん、悪魔の誘惑の手の届かないところにいるわけではないので・・・
恵みをいただいたら前進、そうでない時???でも前進、ですけど。

いつも感謝しています
                         「おちこぼれ」 
43  おちこぼれ ID:0srZB45Y   2009/02/16 00:56
さて、小さな証もまた、少し変えようと思います。

今風でいうと、「パクリ?シリーズ」。今までの様々な出来事で助けになった話を、「そのまま」書こうと思います。


「積極的な戦いにより、対立、危機、損失、人類の苦しみのさ中にあって、救霊事業は推進されるのである。ある戦いにおいて、攻撃する連隊の一つが敵軍に打ち負かされようとした時、前線の旗手はその軍隊が退却するのに自分の位置に踏みとどまっていた。隊長が軍旗を持ち帰るように叫んだにもかかわらず、旗手は「兵士を軍旗のもとに来させよ」と彼に叫んだのである。兵士を軍旗のもとに行かせること、これこそ忠実な旗手一人ひとりにゆだねられた仕事である。主は心からの献身を求めておられる。信仰を証しした多くのクリスチャンは、自分自身と彼らにつながる人々を御旗のものに行かせる勇気と力に欠けているという罪を犯していることを我々みんなは知っている。」



「かつてウェリントン公爵は、クリスチャンたちが異教徒たちの中で伝道集会を開く場合、成功の可能性があるかを論議していた会に出席した。彼らは公爵に、そのような伝道集会が出費に比較して成功しそうかどうか公爵の意見を聞かせて欲しいと言った。その老将軍はこう答えた。『皆さん、あなたがたの行進命令は何ですか。成功は、あなたがたの論議する問題ではありません。あなたがたの命令を正しく読むと、全世界に出て行って、すべての造られたものに、福音を宣べ伝えよ、と書かれてあります。皆さん、あなたがたの行進命令に従いなさい』と。」



「あなたは自分の殻に閉じこもり、自分が真理の知識を受けて祝福されているからといって、それで満足していてはならない。だれが真理をあなたに伝えたか。だれが神様の御言葉の光をあなたに示したか。神様は光をますの下に置くためにお与えになったのではない。わたくしは、ジョン・フランクリン卿を探しに派遣された派遣隊について読んだことがある。勇者たちは家を去り、不自由と飢えと寒さと疲労に苦しみつつ、北海のあたりをさ迷った。一体それは何のためにであったか。それはただ、この派遣隊の死体を発見することになるか、できればおりよく救援隊が彼らに到着しないかぎり必然的に彼らに襲いかかる恐ろしい死からその隊の幾人かを救い出すということになるに過ぎなかった。彼らは一人の人間さえ救うことができれば、彼らの苦しみは立派に償われると考えたのである。これは彼らのすべての慰みと幸福を犠牲にして行われた。

これを考えてみよ。そして、我々の周囲にいる尊い魂の救いのために我々が自発的犠牲をいかに僅かしか払っていないかを考えよ。我々は、一人の死にかかった人間を救うために家を離れて、長い、退屈な旅に出ることをしいられているのではない。我々のいる屋根の下に、周囲に、四方八方に救われるはずの魂が、滅び行く魂―希望がなく、神様を知ることなく死んで行く男女がいる。それでもなお、我々は、たとえ言葉では「わたしが弟の番人でしょうか」と言わないにしても、行動でこう言っており、無関心である。他人を救おうとして命をおとした人々は、英雄とか殉教者として世人に称賛される。未来に永遠の命を期待できる我々は、人々の魂の救いのために神様から求められている小さな犠牲を払わずにいれば、どう感じなければならないか。」



「ニュー・イングランドのある町で井戸を掘っていた。仕事が完成近くになった時、まだ一人の人がが底にいた時に土が中に落ち込み、その人が生き埋めにされた。すぐさま警報が発せられ、機械工、農夫、商人、弁護士たちが息せききって救出にかけつけた。縄、はしご、鋤、シャベルが救出に一心をこめる人々により運びこまれた。『彼を救え、彼を救え』というのがその叫びであった。

人々は、額から玉のような汗が出て、力仕事のために両腕が震えるまで、死にもの狂いで働いた。やっとパイプが投げ下ろされ、彼らはその人にまだ生きているか答えるようにパイプを通じて叫んだ。『生きているが早くしてくれ。ここはひどい所だ』という返事があった。彼らは歓声をあげ、救出作業に更に活気が出た。ついに彼のところに救いの手が届き救われた。どっとあがった喝采は、全天をとどろかすばかりであった。『彼は救われた』この言葉が町中に伝えられた。

一人の人間を救うためには、これは熱意と興味が多過ぎただろうか。熱中し過ぎただろうか。もちろんそうではないが、魂の損失に比較すると、一時的なこの世の生命の損失はどうであろうか。一個の生命が失われるという恐れが人間の心にそれほど激しく起こるならば、キリストを離れる人々の危険を認識していると主張する人々の心に、魂の損失に対するもっと深い憂慮が起こるべきではないだろうか。神様の僕たちは、井戸に埋まった人の生命を救うために示されたと同じ熱意を魂の救済のために示すべきではないだろうか。」
44  おちこぼれ ID:oYw/OjRE   2009/03/01 22:22
さて、パクリシリーズです。

「おちこぼれ」は山ほど、落第生の道を歩んできたので、いろいろな信仰の言葉に出会い助けて?、いえ溺れている所を 助けていただいています。

「落胆している者に信仰、祈り、仕事という確かな治療法がある。信仰と活動は確信と満足を授け、それは日ごとに増し加わる。あなたがたは不安な予感や、全くの失望の気持ちに負けそうになることがあるか。どんなに喜びのない日で、どんなに形勢の悪そうに見える時でも、恐れてはならない。神様を信ずる信仰を持ちなさい。神様はあなたの必要を知っておられる。神様はあらゆる力を持っておられる。神様の無限の愛と憐れみは疲れることがない。神様がみ約束を守らないのではないかと恐れてはならない。神様は神様を愛する者と共に結びたもうた契約を決してお変えにならない。そして神様はその忠実なしもべたちが必要に応じて要求するだけの能力をお授けになる。」

「霊的怠慢を本当に治す治療法はただひとつである。それは仕事である。すなわち、助けを必要としている魂のために働くことである。」

「これはキリスト様が臆病な者、疑う者、恐れおののく者のためにお勧めになった処方である。主の御前を悲しげに歩む悲嘆にくれた人々は立ち上がり、助けを必要としている人を助けよう。」

「いやな経験を持ち、本当の宗教を構成するものが何であるか全くわからなくなってしまうまで苦しみ、疑い、不平をこぼし、罪を犯し、後悔して疲れ果てる人々は、この無我の働きに携わっていない人々である。彼らは世の中に戻って行くことができないと感じているので、つまらぬ妬み、うらやみ、失望、後悔を抱いてシオンのすそにすがりついている。彼らはあら捜しのかたまりであり、兄弟達の過失で生きている。彼らの宗教生活には希望のない信仰のない、あじけない経験しかない。」

「キリストのためにわずかしか奉仕しない者、あるいは何もしない者は危険である。神様の御恵みは、大いなる特権と機会を持ちながら沈黙を続けている者の魂に長く留まらない。」

「悪に反抗する力は積極的な奉仕によって最もよく得られる。」

「すぐれた働きをするように神様から資格を授けられた人々の多くがなぜ、何ら成すところがないかというと、彼らは何もしようと努力しないからである。」

「たとえ100回のうち99回失敗しても、破滅から1人の魂を救うことに成功したら、主のみ業のために立派な行いをしたことになる。」

「あなたの義務を他人に転嫁することはできない。あなたの仕事をできる者はあなた以外にない。もしあなたがあなたの光を与えずに控えていれば、その怠慢のために誰かが暗黒に残されねばならない。」

「この世界はクリスチャンの天国ではなく、単に神様の仕事場にすぎない。ここで我々は、聖なる天にいる罪を犯したことのない天使たちと結合するのに適したものとならなければならない。」

「主のご承認は大きなことを成し遂げたとか、多くのものを得たとかいうことで与えられるのではなく、わずかなことにも忠実であったということで与えられる。神様が重要視されることは、我々が立派な結果に達することではなく、我々の行動する動機である。神様は成し遂げた働きの量よりも、善意と忠実さを賞賛される。」

「我々は飽きたり、弱気を起してはならない。永遠の栄光を安易さ、便利さ、楽しみと交換することは、恐ろしい損失になるだろう。神様の御手から授けられる賜物は、勝利者を待っている。我々は誰もそれを受ける資格はない。それは神様がお授けになる無償の賜物である。この賜物は実にすばらしい輝かしいものであろうが、『この星とあの星との間に、栄光の差がある』ということを覚えていよう。しかし、我々は勝利を求めて努力するよう切に勧められているのであるから、イエス様のみ力により、多くの星で重みのついた冠を目指そうではないか。『賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう』。」

「我々の考えは全く狭すぎる。神様は光をまき散らず働きに絶えず前進するようにと求めておられる。我々は人々に接する進歩した方法や手段を研究せねばならない。我々は、主の軍勢の偉大な指揮官が「前進せよ」と言われるのを、信仰の耳を傾けて聞かねばならない。我々は行動しなければならない。そうすれば神様は我々を見捨てたまわないであろう。我々が信仰を持って我々の分をなすならば、神様はご自分の分をなさる。長い間信仰を持っている兄弟姉妹方、あなたがたは、神様がせよと命じておられる仕事をしてこなかった。人々に対するあなたの愛はどこにあるのか。」

「わずかな才能しかない人々は、神様の愛の中に心を保つことに忠実であれば、多くの魂をキリストに導くことができる。ハーラン・ページは平凡な才能しか持たず、限られた教育を受けたにすぎない貧しい機械工であった。しかし彼は神様のご計画を進展させることを第一の仕事にし、努力の甲斐あってすばらしい成功を収めた。彼は個人との会話において、また熱心な祈りによって同胞の救いのために働いた。祈祷会を設け、日曜学校を組織し、トラクトやその他の宗教的な読み物も配布した。そして彼は臨終に顔に永眠の影を称えつつこう言い得たのである。『私は、それがすべて神様の恵みであって、私がしたことの功績でないことを知っています。でも私は100人以上の魂が私個人の助けを借りて神様に改心させられたのだということを証しできると思います』と。」
45  おちこぼれ ID:bP.Bv1CE   2009/03/07 21:24
さて、小さな証(7)は「おちこぼれ」の証ではなく、なるべく他のクリスチャンの証を書いています。もちろん、「おちこぼれ」が助けていただいた証だけですけど・・・。

「必要なのは熱心なクリスチャンの熱意である。・・・何かを行うことによって示される熱意である。・・・ナイヤガラ瀑布(ばくふ)の流れを止めることができないように、キリストを身につけている人に対して、主を証することを妨げることはできない。」

「今立つことのできる人は、心から全く決心している男女である。キリストはしもべたちを何度も振るわれて、ある時には、クリスチャン教会の基礎を置くのにわずか11人と2、3人の忠実な婦人しか残らなかった。負わねばならない重荷に遭うと退くが、教会のすべてが燃えているときには、彼らは熱中して歌い、叫び、有頂天になる。しかし彼らを見つめてみよ。その熱が冷めたとき、わずかな少数の忠実なカレブたちだけが前に出てきて、ゆるぎない節義を示すであろう。こういう人は風味を保つ塩である。教会に本当の助けが現れるのは、御業の進展が困難なときである。」

「奉仕のために男女を選ぶに当たって、神様は、学問があるとか、雄弁であるとか、世的な富があるかとかお尋ねになるのではない。神様は『わたしが彼らにわたしの道を教えることができるような謙遜さで歩くだろうか。わたしは言葉を彼らの唇におくことができるだろうか、彼らはわたしを代表するだろうか」とお尋ねになる。」

「敗北の屈辱は、神様のみ助けなしに御心を行うことが出来ないのだということをわれわれに示してくれるので、かえって祝福となることがよくある。」

「真心から神様を称えることは、祈りと同様の義務である。罪に陥った人類への神様の驚くべき愛を感謝するとともに、神様の無限の冨の中から、いっそう大きな祝福を受けることを待望していることを、私たちは世界と、そしてすべての住民たちに示さなければならない。私たちは今まで以上に、もっと自分の尊い体験語る必要がある。聖霊が特別に注がれると、主にある喜びとその奉仕における能力とは、神様の子らに対する神様の慈しみと驚くべき御業を私たちが語ることによって、著しく増大するであろう。

こうしたことは、サタンの力を後退させる。それはつぶやきと不平の精神を取り去り、誘惑者を退却させる。それは地上の住民の品性を天の邸宅を継ぐにふさわしく涵養する。こうした証は人々に感化を及ぼす。魂をキリストにかち取るのに、これ以上有効な方法はない。」
46  おちこぼれ ID:VH/nn/X.   2009/03/08 19:31
小さな証(7)パクリシリーズも長くなったので、これでやめようと思います。ひかりさん、みなさんよろしくお願いします。

「真実で忠実な人々のたゆまぬ活動に依存するところが大きい。この理由からサタンは、服従を通して達成される神様の御目的を妨げようとあらゆる努力をする。彼はある人々に自分たちの高尚できよい使命を見失わせ、この世の生活の楽しみで満足させようとする。彼は安楽な生活をするよう、あるいは、より大きい世的な利益のために、彼らが善に対する力となるかもしれない場所から移るように彼らを導く。その他の人々に対してサタンは、反対や迫害のために義務を離れさせ失望に追いやる。しかし、これらのことはみな天から最もやさしく、あわれみ深く見守られている。魂の敵が声を沈黙させることに成功した神様の子らに1人1人に「あなたはここで何をしているのか」という質問がなされている。私は全世界に出て行って、福音を宣べ伝え、神様の日のために1つの民を備えさせるようあなたに任命した。なぜあなたはここにいるのか。だれがあなたをつかわしたのか。」

「われわれは勤勉な働き人になるはずである。怠惰な者はみじめな者である。しかし、キリストが完成するために御自分の命を与えたもうた大事業において怠惰に対し何という言い訳ができようか。霊的能力は、用いなければなくなってしまう。そして、それを滅ぼすことがサタンの計画である。全天は人々に、この世界にキリストが再臨されるための準備をさせる仕事に積極的に携わっており、『わたしたちは神様の同労者である』すべてのものの終わりは間近い。今こそ働く機会である。」

「必要なのは良心的な伝道者である。断続的な努力は少しも良くない。われわれは注意を引かねばならない。われわれは心から熱心にならねばならない。」

「キリスト様のお働きは主として個人的な会見から成っていた。彼は一人の聞き手を大いに重んじておられた。その一人から、受けた情報が多くの人々に伝えられた。」

「クリスチャン生活には三つの標語がある。それはサタンにつけ入らせぬようするために留意せねばならないもので、すなわち、目を覚まし、祈り、働くことである。」

「最も質朴な働き人がキリスト様と協力するとき、地の果てに響くような震動を起こす絃に触れることができ、永遠にメロディーを奏でるのである。」

「滅びゆく魂のために働くにあたって、あなたには天使という仲間がいる。幾百万、幾千万もの天使たちは、一つの民がキリスト様の再臨の準備ができるようにと神様が惜しみなく与えておられる光を伝えることにわれわれの教会員と協力しようと待っている。」

「このような働きには、天のすべての使いたちが常に協力しようとしている。全天の資源は、失われた者を救おうとする人々が、いつでも自由に使用できるように提供されている。天の使いたちは、どんなに軽率で、どんなに頑固な人にでも、あなたが近づくことができるように助けを与える。そして、道に迷った者が一人でも神様のところに連れ戻されると、天全体が歓喜の声をあげる。セラピムとケルビムは、金の竪琴をかきならし、人の子らに対する神様のあわれみといつくしみに対して、神様と子羊を褒め称えるのである。」

「あらゆる霊的力をふるい起こして行動しなさい。すべてのものの終わりが間近に迫っていることを、あなたが訪問する人々に話なさい。主イエス・キリスト様は彼らの心の戸をあけて、彼らの心に永遠の感銘を与えてくださる。人々を霊的無感覚状態から目覚めさせなさい。あなたがイエス様を見出した方法、主に対する奉仕の経験を得て以来祝福されてきたことについて彼らに話なさい。あなたがイエス様のみ足もとに座る時に受ける祝福と、御言葉から尊い教訓を学ぶことを彼らに話しなさい。クリスチャンの生活にある喜びと楽しみを彼らに話なさい。あなたの温かい熱心な言葉は、あなたが非常に高価な真珠を見出したことを彼らに悟らせるであろう。あなたの快活な、励ましの言葉によって、あなたが本当により高い道を見出したことを示しなさい。これが本当の伝道の働きであり、それがなされる時、多くの者は夢から目覚めるであろう。」

少し古い証ですが、

「軍隊の力は主として兵隊の能力で測られる。賢明な将軍は兵隊のひとりびとりが活動的に勤務するようにその訓練を士官たちに指示する。彼は全部の者の最高の能力を啓発することにつとめる。もし彼が士官だけにたよれば、作戦を成功させることに期待できない。彼は軍隊内の一人びとりの忠実でうむことのない勤務を当てにする。責任は主として兵隊にかかっているのである。」

むなしく聖霊の降下を待っている人々

「現在の機会を賢明に活用せずに、他人を啓発する能力を大いに増し加えてくれる霊的清新の特別の時期をむなしく待っている人々がいる。彼らは現在の義務と特権を怠り、彼らの光が薄暗くなるままに放っておき、一方では、彼らの側で何の努力もせずに、特別の祝福を受けて、それによって彼らが変えられて、奉仕にふさわしい者となるようにと、待ち望んでいる。」
47  ひかり ID:KP9nd18Q   2009/04/13 11:23
こんにちわ  おちこぼれさん
わたしは たまにしか 投稿しないですが、あなたの記事は時々よんでいますよ。
最近近くに図書館で借りた本で「ユダヤの民話」という話のなかで
短くていい民話がありましたから、紹介しますね。


二人の証人が利ざやの高い商品を買い付けるためにある都に船ででることにした。
彼らが旅に出ようとしたとき、ひとりが梯子から足を踏外して大怪我をして旅ができなくなった。

船の出港を延期出来なかったので、相棒は一人で乗船し、足を怪我した男を後に残した。

残された男は金儲けの機会を奪った不運を嘆いて摂理(神)を呪った。
だがそれから間もなくすると、船が乗客全員とともに沈んだという話が伝わってきた。
そこで商人は、彼の足を怪我させ、死から彼を守ってくれたことにたいして主に感謝し、主の知恵を疑ったことの許しを求めた。

この話の教訓は、人は自分の身に起こることが何であれ、神は常に感謝しなければならないというものである。
すべては、 たとえ最善にみえなくても、 この世では最善なのである。

それはわたしたちの罪を購うためにおこることもあれば、最悪の運命から
私たちを救うためにおこることもあり、また大きな良い運命のためにおくることもあるからである。

このことがこの商人の話から読み取れる。彼の怪我した足は、実は祝福だったのである。





以上の内容ですは、私にも同じような思い出があります。
約20年まえ働いていたころ、高校の卒業名簿を見て先物取引の営業マン二人から喫茶店に誘われ、その知識もないまま「先物取引」をはじめました。

当時は教会に出席してましたが、将来結婚する予定もなく、借金もなかったので40万円からはじめたのですが、始めた種類の「ゴム」の価格が下がるほうに予測したのが、上がり 、その場合業界の仕組みとして、その場合は保証金が入るので追加のかねを、マネーゲームに投資し、結果的に2ヶ月間で当時約110万円すってしまいゲームをやめましたが、よく会社には電話がきたりして精神的に落ち込みました。

この民話を読んでもし当時このマネーゲームで儲けていたら、いままで信仰をもちつづけていたのだろうかと、疑問です。

聖書の御言葉に「人間はお金と神様に使えるとはできない」と言われていますが、そのとおりだとおもいます。



48  おちこぼれ ID:ZIqE2nvU   2009/04/13 23:04
ひかりさんへ
ひかりさん、すっかり変わったねえ。今、感謝で、涙流して書いています。
さぞかし、いろいろな事があったと思うけど・・・

こんな嬉しいメールは久し振りかな。
主イエス様に感謝いたします。これが本当のイエス様の証ですね。

「おちこぼれ」もがんばら?ないと(^^)


49  おちこぼれ ID:q76au3uI   2009/04/25 00:16
せっかく、ひかりさんが小さな証(7)に証をくださったので・・・。

さて、最近、1億円を福祉のためご寄付をされた話がテレビで取り上げられていました。それを見ていて、ふと・・・。

諸教会では、最近でも個人で数十億円(60何億円?)、御業のために捧げた方、また大きな会社や世界的な会社を丸ごと教会に捧げた方、毎月、収入を全部?捧げてしまう人々・・・。土地を捧げて、そこに教会の学校が建てられたり、教会が立ったり、またこの地上で持っている物はほとんど福音のため「借金のかた」にはいっている方・・・、などなど、すごいものです。しかも、絶対にニュースにならない、証にもならない。

「多くの人を奮起させた」とあるように励ましになるから、いいんじゃないかな?と思っても、話題にすらならない・・・。「それこそ右手でしていることを左手に知らせるな」。

しかし、イエス様の生活費すべてを捧げた方の話をはなされていらっしゃいますし・・・。

主イエス様の御業はすごいです。台風が来て、ほとんどのみかんが落ちてしまったので、教会員のみかん畑のみかんだけが落ちなかったとか、大干ばつがきた時、教会とその学校の農園だけが緑があり、新聞で取り上げられた話・・・。同じく干ばつが起こった時、学校でお祈りしたら、天気予報では快晴なのに雨がその地方全体で降った話。一人のクリスチャンがお祈りすると雨がざーっと降った話、などなど。

エリヤさんの時代に起こったことは、今もなお起こり続けています。

しかし、それに加えて、人の心に働かれるお力もまた本当に素晴らしいものです。

一人のクリスチャンの書いた、知育、徳育、体育の本、教育。たったこの一冊を読んで、膨大な土地を寄付され、そこに教会とキリスト教の学校も立ったことがあります。まだまだ・・・。

世の中の仕事、生活、娯楽、犯罪、偽りの宗教などなどいっぱいある中、もう世の中に望みなんて無いんじゃないか、と思えるような時でさえ・・・、イエス様の証に心を動かされて・・・、教会やキリスト教の学校や、病院に、そして人々の幸せのため、協力しようと犠牲を払われるその様子は、「おちこぼれ」も胸に迫るものがあります。

以前は、教会の醜聞?、悪口、また人の犯罪の話など、そのことばかり聞いていた「おちこぼれ」。自分の悪と周りの悪で、絶望。ところが・・・。

「自己のことを考えていると、心は力といのちの源であるキリストから離れていきます。そして、悪魔は、人の心を救い主からそらそうと絶えず努力して、キリストとの一致の交わりを妨げようとするのです。世の快楽、生活上の心配事、悩み、悲しみ、他人の欠点、または、自分の欠点や不完全さ、こうしたものの全部、またはそのどれかに私たちの心をひこうと、悪魔は必死になっています。」

はっと気付き、方向転換、あの人、この人ではなく、敵の存在が見えてきます。こんな事に惑わされて、福音の手を弱めていたのか・・・。

「もし、悪魔のささやきに耳を傾けるならば、心は不信と反抗的な疑問で満たされることでしょう。また、自分の感情を口に出し、疑いの言葉を語るならば、それは自分に返ってくるばかりでなく、種のように他人の生涯にまかれて芽を出し、実を結び、あなたの言葉の影響を取り消すことはできなくなってしまいます。あなた自身は一時の誘惑に打ち勝ち、悪魔の罠から逃れることができるかもしれませんが、その言葉に感化された人々は、その不信仰から逃れることができないかもしれません。ですから、霊的な力といのちを与える事柄だけを話すということは本当に大切なことです。」

主イエス様のいつくしみがいっぱいに見えてきます。また思いをはるかに超えて、多くの人々が、聖書の内容を良く知っていることも・・・。科学者、農家、営業さん、病院で働いている人々・・・。

「地は主のいつくしみで満ちている」

こんな話したら、古くからの信者さんから「おちこぼれさん、なあんだ、今頃気付いたの?それ基本だよ」なんて言われそう。

人々が眠っている間に、救い主がお生まれになられる話。神様の宮で、サドカイ人とパリサイ人が激論を戦わせている間に、貧しい羊飼いたちに、東方の博士達に「良きおとずれ」が伝えられる話・・・とっても好きな話です。

人々が眠っている時も、誰も知られないうちに、世界各地でそれこそニュースになるような、感動で心が震えるような証が・・・、今もなお次々と起こり続けています。

「僕には感謝することは何もない」とある方がつぶやいた時、前にいた方が、話されたそうです。

「それじゃ、あなた、目が見えなくなるよ」

「・・・・・」

家に帰って、「目が見えるってなんてありがたいことか」と思われたそうです。

「おちこぼれ」にとってもこうして証が書けることが本当に感謝!神様のお恵みがなくなったら、こうして証を書くことができなくなるどころか、なんの感動もなくなることを・・・とっても良く知っているからです。

ニュースにはとってもならない、どんな小さな捧げ物。しかし、それは「その人の持っている全て」かもしれません。

最後に、イエス様はこうおっしゃっておられるようです。

わが民よ、聞け、わたしは言う。
イスラエルよ、わたしはあなたにむかって
あかしをなす。
わたしは神、あなたの神である。
わたしがあなたを責めるのは、
あなたのいけにえのゆえではない。
あなたの燔祭はいつもわたしの前にある。
わたしはあなたの家から雄牛を取らない。

またあなたのおりから雄やぎを取らない。
林のすべての獣はわたしのもの、
丘の上の千々の家畜もわたしのものである。
わたしは空の鳥をことごとく知っている。
野に動くすべてのものはわたしのものである。
たといわたしは飢えても、あなたに告げない、
世界とその中に満ちるものとは
わたしのものだからである。
わたしは雄牛の肉を食べ、
雄やぎの血を飲むだろうか。
感謝のいけにえを神にささげよ。
あなたの誓いをいと高き者に果たせ。
悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、
あなたはわたしをあがめるであろう。
50  ひかり ID:hgSFrgyc   2009/08/25 15:15
「信仰告白」

こんにちわ おちこぼれさん 久しぶりです。
おちこぼれさんが「小さな証」シリーズをせっせと書きこんでいるので、わたしはどこに投稿したらいいのか、迷ったのですが、この「7回」にたまに投稿するので、感想があったら,返事くださいね。

さて田舎に帰って昨年は「お盆」を約20年ぶりにすごしました。
正月には兄弟関係者が集まって談話してましたが、この「お盆」は信仰との戦いがあります。
先祖を大切にするのに,違和感はないですが、信者になってから、亡くなった人を信仰の対象にできないのが信者です。

特に田舎の長男であるわたしは、イエスさまを信じてから、いつか親類縁者に「信仰告白」をする時期がくることがあるだろうと、考えていました。

旧約聖書 伝道者の書3章  
1節 天の下では何事にも定まった時期がありすべての営みには時がある。

7節   黙っているのにときがあり  話をするのに時がある。

その時が今年訪れました。
親類縁者から批判覚悟で”自分が「キリスト信者」であり、日本を作った神社の神様をしんじていなくて、この太陽,地球を創造した神様をしんじています。”
そう告白したら、予想に反して批判されませんでした。

その理由は父親の長姉の息子さんの嫁さんがキリスト信者で、嫁さんが神社でかしわでをしないし、焼香しないことをしっているので、「しょうがない」とあきらめているのでしょうか?

親類のこの夫婦には,知的障害の息子さんがいることを,母から知り、このキリスト者の嫁さんが苦労している姿をみて、おばさんは信者でなくとも、こころを動かされたのだとかんがえます。

なぜならわたしが中学生の時から夫は精神を病んで看病を約40年ほどし、なくなりました。だから自分の孫に「精神障害者」がうまれたのは遺伝だとかんがえているのだと思います。

霊感宗教が人の苦悩につけこんではいりそうな条件がそろっています。
わたしはそのご両親から「お盆」の誘いをうけなかったです。

両親がなくなっても仏壇は存続するのが、他信仰にたいする敬意だとかんがえ
小さい時からかわいがってくれたおばさんたちにつたえました。




51  おちこぼれ ID:OzAS0f9s   2009/08/25 21:48
ひかりさん
イエス様が素敵な信仰告白の機会をくださいましたね。
僕は、天使の方がご親族のひとりひとりの心にお働きになられ、
良い印象を与えてくださったのだと信じています。

安息日を守るため、会社を休むときも、また証の伝道のため辞める時にも
イエス様は守ってくださいました。
会社を辞める日・・・
会社の方々が
「自分の信じる道を歩むことのできる貴君は幸せです」
「うらやましい、うらやましい」
「会社のみんなが君のこれからを見ているよ」
などと声をかけてくださったことはたぶん一生忘れられないでしょう。

ひかりさんの信仰告白を聞いていたのは、ご親類ばかりでなく・・
天国の方々、大勢の天使の方々や、イエス様もきっと耳をお傾けになられていたと信じています。
52  ひかり ID:3qbP4i4g   2009/09/01 11:58
おちこぼれさん お返事ありがとう。

今 通っている教会の牧師が、礼拝の説教で「日本のキリスト者は、神様についての知識を得ようし、韓国ではは祈りをささげるのに熱心で、中国では賛美に熱心」だうですが、この主張は私が推測するに、海外の宣教師からの感想ではないかと、かんがえます。

そして自分なりにその理由を考えると,納得できるかんがえがあります。

とくにイエスさまを信じていない、両親にどのようにして、聖書の神様を伝えていけばいいのか考えるとき、若いときは「知識」でいいとかんがえていましたが、年をとると、だんだん「愛の行為」すなわち「仕える行為」が一番だと、考えるようになりましたが、自分には愛はなく、イエス様からいただくしかないですね。

信仰告白の次は両親を教会につれていくことです。
これもきっと「そのとき」がくると信じて、かみさまにまかせてます。

53  おちこぼれ ID:TKFaVugM   2009/09/01 21:53
ひかりさん
イエス様にあって成長されていらっしゃる姿にとっても感謝です。

「そのように、キリストの恵みにあずかった人々は、喜んでどんな犠牲をも払い、キリストがいのちを与えた他の人々も天の賜物を受けることができるようにします。彼らはできる限りを尽くして、この世を少しでも住み良い世の中とします。真に悔い改めた者の心には、必ずこうした精神が見られるようになるのです。人は、ひとたびキリストのもとに来るやいなや、イエス様がいかに尊い友であるかを他の人に知らせたいと望みます。人を救い清める真理は、どうしても心のうちに秘めておくことはできません。」

彼らはできる限りを尽くして、この世を少しでも住み良い世の中に・・・
好きな言葉です。

今日はひかりさんの手紙、イエス様からとっても素晴らしいプレゼントでした。ありがとうございます

                      「おちこぼれ」
54  ひかり ID:pfkbahvw   2009/09/16 17:01
「癒し」  猟犬 花子の思い出

こんにちわ おちこぼれさん  おかわりありませんか?

今回はメルヘンみたいなお話を紹介しますね。
約2週間前私の住んでいる漁村から片道約90kmの山奥に車を
運転して趣味のひとつの登山に行ったときの,出来事です。

登山場所にちかい道の駅で昼食の山菜おこわと、たい焼き3枚を買って登山地図に記載されている山荘に着いたのは11時半ころでした。
地図では悪路のため心配だったので、登山道確認のため、山荘の女性に尋ねたら、まちがいなさそうだった。
そのときおばさんが飼っていた2匹の犬に「山頂まで案内しなさい」と言っていたので、私はこの山荘に宿泊したり、通過する登山者にこの犬が、たまに同行するのだろうと、思って はじめの山頂をめざして歩き始めた。

歩き始めて約20分して案内板に「熊出現 注意」の警告が出ていたが、今日そのための鈴をわすれて、すこし心配だった。しかしその後約20分して登山の案内板のうえに「幸福の鈴」が1個のっかていた。
これは神様の働きだと重い感謝した。
この金はお遍路さんの鐘の音色に近く、長い登山経験から、登山者がぶら下げているのを知っていた。

さてこの道は悪路のため道が所々分かりにくいために、間違って300mほど下っていったら、犬たちもついてきた。犬たちはそのまま下っていった。
しかし「登山道」らしきものが見えないので、もときた道を500m歩いたら、案内板を発見し上り始めた。
そのとき二匹の犬はメスなので「花子」と勝手に命名し「花子、花子」と叫びながら山を上っていったが、約30分経過しても2匹の犬は姿が見えない。
その時私は、あの山荘に帰ったのだろうと推測していた。
そう考えながら後ろを振り返ったら1匹、上ってくるではないか!
感激した。

今まで一度も犬を飼った経験もなく、昔 2ヶ月ほど一人でギリシア、トルコ共和国を旅行してキプロスの対岸のトルコの町で遺跡を見学に一人で出かけた時、野犬でかまれ、1週間ほと町の病院にいったことがあるので、少し苦手だった。
花子の頭をなでてやり、たい焼き1/3をあげたら食べ始めた。
花子は舌を横にして「ぜい ぜい」といっている。
その時私は犬が疲れたとき、舌を横にするのだろうか?と考えた。
その後花子と30分ほどあるいてはじめの山頂に着いたが。誰もいなかった。
昼食は花子に山菜おこわ1/3  水 約100cc与え20分ほど休憩した。
今回のルートはA、B C D山を上りD山からC山に引き返し下山する予定だった。
花子はA山からB山にむかう途中で、私とはぐれてしまった。「花子 花子」と後ろを向いて叫んでも姿は見えなかった。
C山でであったと東京からここ岡山県の山奥まできた年配の男性に花子のことを伝えたら「犬もたまには道を忘れる」と言っていた。
そうか「花子」もそのなかに入っているのかな?と考えながら最終目的地D山(ここが岡山県で最も高い)に着いたら10人ほどの団体客がいて、シャターを押してあげた。
C山に引き返して地元のキャンプ場ちかくまで下った時、1匹の犬が近づいてくるので、始めどこの犬?
よく見ると「花子」ではないか。口は土で汚れているし、B山に向かう途中ではぐれてもう2時間半も経過している。
私は感激した。
花子はC山から下山してここで私を待っていてくれたのだ。
どこの馬の骨かもしれない私を待っていてくれたのだ。
ロシアの作家ドストエフスキーの小説に内ゲバ問題を扱った「悪霊」という作品があるが、今回の出来事はその反対で私を癒すために神様が天使を使わし、山荘の奥さんや花子の母親そして花子に天使が入ったのだろうと、メルヘンで考えれば、魂も少し癒された一日だった。


55  おちこぼれ ID:YLOFihf6   2009/09/17 00:03
ひかりさん
メールありがとうございます(^^)

イエス様は、聖書と、自然と、摂理を通して人にお語りになられるそうです。
「悪路」に心配だったときに、やさしい方にお会いになり、道案内の「花子」を送ってくださり、
熊が心配な時には鈴を備えられ、
はぐれた「花子」を心配していた時には、
ひかりさんをずっと導き、護衛してくれた「花子」が最後のキャンプ場で待っていてくれて、迎えてくれる・・・

復活した時、最初にあいさつしてくれるのは・・・
洗礼を受けた時、イエス様が「その人専任に」お使わしになられた守護天使の方だそうです。
「人生の悪路」の中、どんなに、悲しいときにも、ひとりの時にも、たとい周りの人がひとり残らず離れていったとしても、決して離れることのない、偉大な天使・・・

そのお方が・・・
この思い出いっぱいの登山の事も・・・話してくださるといいですね。
「おちこぼれ」も一緒に聞きたいです。






56  ひかり ID:fR.73xQI   2009/09/25 11:02
おちこぼれさん 感想ありがとう。

「守護天使」ってなんかカソリックの教義みたいで、すこし違和感がありますが、いいですね。
花子の話題はまだあって紹介させてくださいね。

下山して花子にあったとき、口のまわりは泥だらけだったが、100mほど下るときれいな湧き水があって、花子はそこで泥を落とすため、口を突っ込んでから、頭を左右に振って水を落とした。
自分の身体を清潔にするより主人を待つことを優先する姿がいじらしいです。

花子の体は白とベージュの混ざった体重20~30Kgくらいの4歳犬で母親と同じく、犬にしては一度も吼えないので印象が深く残りました。

そのご3Kmほど歩いて、山荘に向かう途中は車も通過するのですが、花子は車が来ると左側を、てくてくあるいていたのをやめて真ん中によってくるのです。
わたしはそれをみて「花子 あぶないから 真ん中によってはだめだよ 」と何度もいいました。花子が事故にあったら山荘の女将さんに申しわけないので、30分ほどはらはらしました。

その後 山荘の案内がある道に入り、上ってゆき宿についたら、花子の母親がよってきてスキンシップをしている。

時間は5時ころだったが、女将さんに花子のことでお礼を述べようと思って玄関にいったらいなかったので、 車で自分の部屋に着いてから電話したら「そうなんです。花子は賢い犬でお客さんから愛されていますし、車によってきますが大丈夫ですよ。」と伝えていた。

今 私の部屋には復活したイエス様がエマオの途中で3人の弟子に出会った聖画と ガマガエルの写真 花子の舌を横にした写真が『癒し」の思い出として飾ってある。

57  おちこぼれ ID:VO9RRbjU   2009/09/25 21:13
ひかりさん
お元気そうで何よりです(^^)
「花子」の写真見たいですね

ある奥様が、脳出血か何かで家の中で倒れたそうです。しかし、その家に家族は誰もいません。

その時・・・家で買われていた豚(さん)が・・
家の前の道に出て行って・・・ごろっと横になりました。
そこへ自動車が・・・
自動車は豚に気づき止りました。
車を降りた方は、家で倒れているその奥さんに気づき病院へ・・・
奥さんの命が助かったそうです。

もしかしたら、豚さん(さま?)は車に引かれて死んでいたかも・・・
物言えぬ動物でさえ・・・自分の命と引き換えに人を助けているようです。

おちこぼれ


58  ひかり ID:43iB1Fz.   2010/01/04 11:20
「インマヌエル」

おちこぼれさん
あけましておめでとうございます。

しばらく投稿しなかったのですが、最近起こった「小さな証」を紹介しますね。
教会のクリスマス会で牧師が「みなさん  証 はありませんか。」と言うと集まった兄弟姉妹のなかから、自発的に「証」を紹介しはじめ、私は最後に近い4人目に猟犬「花子」の話をしました。
70歳を超えた先輩の牧師が約6ヶ月前説教の中で「証」について話したので礼拝後、わたしが「この教会では信者の証がほとんどない(発言しない)
私が都会で出席していた教会では証をする機会がもっと多かった」と
批判(助言?)したので、牧師も考えたのでしょうね?

もっとも最近はこの場「証シリーズ」くらいしか投稿しないから、よけい意識したのかもしれません。

さて話は約2週間前の出来事です。
冬用のタイヤ交換のために、車を買ったところに預けてある整備工場に出かけ、それが終了し、次にコンビで図書館で借りた音楽の本の一部をコピーするため財布とその本を車から出してコピーしました。
そのあとガソリンスタンドで灯油を18L入れようとして立ち寄り、財布を見たらない。
よく調べてみたがない!
そこで原因を考えたらさっきのコンビニが思い浮かんだ。
そのときその店を出てから約10分は経過していた。
「私は神様~!」と祈るような気持ちだった。
財布には4万円くらいとキャシュカード5枚くらい入っていた。
ガソリンスタンドを出てから5分くらいでそのコンビニに到着したが、
その間の距離が長く感じられた。
コンビニについてコピー器の裏をみたら「財布があった!」
店員も気がついていなかったようだ。
このような財布の忘れは都会生活で記憶しているだけで8回くらいあったが
、主のご加護で無事守られた。
よく忘れたのは銭湯の着替えするボックスだった。

もっとも財布以外の税金の還付金やカメラの忘れは戻ってこなかったけれど
これも、神様を信じたら全部祈りが答えられたらきっと、信仰が歪められると感じた。
易者が「当たるのも八卦、当たらぬも八卦」といってどちらに転んでも可能性は半分だけど、神様への願いも半分以上の7~8割届くならこれこそ
「あなたこそ生ける主です」と疑いやすい私でも告白できます。
59  むにゅむにゅ ID:i1ANn/s6   2010/01/04 21:42
o

自称☆おちくん☆  

あけましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。
本年も宜しくお願いします。
お祈りください。

+
60  ひかり ID:3.dQNqgM   2010/01/06 10:21
むにゅむにゅさん 今年もよろしくね。

この投稿記事はネットカフェと役所にあると図書館で書き込んでいます、
久しぶりに役所に出向いたら今日の朝 昨年いくら探してもなかった「手帳」があった。
職員さんは私をみつけて「これはあなたの手帳では、ないですか?」と問うので私はその手帳をみて「そうです」内心 神様ありがとうございます。

手帳には重要なことは書き込んでいないですが、プライベートなことを他人に知らせるといやですね。
61  おちこぼれ ID:78hn9FOw   2010/01/06 20:04
ひかりさん
むにゅむにゅさん
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします

「証とは新しいことを提示することではなく、
人々が忘れていた事を思い出させるためのものです。」
とは大好きな言葉です。

天には大きな愛の御方がいらっしゃること・・
私たちのどんな小さな事も、また心の奥底までご存知であられること。
信仰の祈りに答えてくださること・・本当のことですね

お金とクレジットカード、PASMOを一度に落とした事を思い出しました
それは「多少健康を犠牲にしても、倹約・・・」と思っていた時・・・
中途半端ならともかく、ここまで行くと、「落としたから、もっと倹約しよう」とは思いませんでした。

「神様、ごめんなさい・・・」

すべて、何も取られず戻ってきました。

年末年始、
ブログのhttp://a-small-testimony-series.blogspot.com/
もあんまり更新していないのですが・・・
こうやって、ひかりさん、むにゅむにゅさんの元気そうな証をいただくのも・・・イエス様がくださったとっても大切な「小さな証」です。
62  シャチ。。 ID:tLd0Elas   2010/02/25 11:32
ほんとうに小さな証です。
今日朝方、シャチに襲われて死にそうになる夢をみたんです。
それで、今まであまり興味なかったけど、シャチって怖い生きものだなあ、、、ってネット検索していたら、そうしたら、ちょうど日本時間で私が夢を見ていただろうときに、米国でそのようにシャチに襲われて死亡した女性調教師の記事が・・・
http://sankei.jp.msn.com/world/america/100225/amr1002251040001-n1.htm
シャチに襲われ、女性調教師が死亡 米フロリダ州

キリスト教とどういう関係があるというか、人間の魂のうちにある「人間の魂の霊的なグローバルなつながり」を感じずにはいられない時間を過ごしています。。クリスチャンとどういうつながりがあるかわからない小さな証ですみませんが、どうしてもちょっと伝えたくなって報告しました。。

亡くなった調教師の方のご冥福をお祈りいたします。

63  おちこぼれ ID:O/3zoenE   2010/02/26 18:57
「素晴らしい夢」

ある時、先輩のクリスチャンの方が、満面の笑顔で喜びあふれて教会に入っていらっしゃいました。「今日は、素晴らしい夢を見たの」

みんな、興味深深・・どんな夢だろう・・
聞いてみると・・・

「ずっと昔、教会を離れていったIさんが悔い改めて戻ってきた夢なの」
「・・・・・」

Iさんはずっと昔、その方が教会に導かれた方でした。

他のすべての人が忘れたとしても・・・
いえ、本人自身すらもう誰も覚えていないと思っていても、
ずっとその人の事を忘れない人がいるものです。

天国に行くと、全ての人の、病や、痛み、悲しみが癒されます・・・
「柔和な者に約束された地は、死の陰とのろいで暗くなったこの地上のようなところではありません。『わたしたちは、神様の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる』(第二ペテロ3-13)。『のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と子羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝』する。(黙示録22-3)
そこには失望も、悲しみも、罪も、わたしは病気だという者もいません。また葬式の行列も、嘆きも、死も、別離も、悲嘆もありません。そこにはイエス様がおられ、平和があります。そこで『彼らは飢えることがなく、かわくこともない。また熱い風も、太陽も彼らを撃つことはない。彼らをあわれむ者が彼らを導き、泉のほとりに彼らを導かれる』のです。(イザヤ書49-10)」

しかし、イエス様だけは・・・永遠にわたって・・・
あの十字架の傷跡をお持ちになられるそうです。

こんな証がありました。
「人類は決して滅びてはならないのです。
なぜなら、イエス様の傷は永遠にわたって・・・・
失われた者たちのために・・・・痛み続けるのです。」

人は忘れる事ができます。
しかし、イエス様は・・・
忘れることが・・・絶対におできならない御方ですね
64  ひかり ID:itKe4uq2   2010/03/04 12:08
[告白」

こんにちわ おちこぼれさん
おひさしぶりです。
たまには投稿してくださいね。

さてわたしは約1ヶ月前  母に初めて神様のご加護を話しました。
すなわち困難の状況に陥ったとき、「イエスさまに祈ったら、道がひらかれたよ」と。
いままで一度も「イエス様に祈った」という話をしたことなかったですが、
救いはこの世を去るまでチャンスは、誰にでも与えられているのですから、高齢の両親でも可能性はあると信じてます。

「証」とは主観的なものであり「思い込み」という危険性もありますが、神様を称える気持ちがおさえられないなら、それはそれですばらしいことだと思います。
65  おちこぼれ ID:JtGziQeg   2010/03/05 21:13
ひかりさん

こんにちは!
良かったですね。
ぜひぜひ、その神様のご加護の話も聞かせてください!

先週、職場で、医療製品をキリスト教の看護学校に実習用にくださるというので、その看護学校に打診してみました。

今週、月曜日の午後、看護学校の先生からメールが来ました
そのメールの中で、
「針は学生の数だけ、55本くらいあったら嬉しい、
もしない場合は5、6本でもあれば・・・」とのことでした。
見てみると1箱50本も・・・ありませんでした。
「5,6本かな?」
しかし、次の日の朝職場に行くと・・・・
別のところにビニール袋にまとめられている針を
発見しました。二つあわせると・・・29本と26本・・・
=55本でした。とっても感動して看護学校へ連絡しました。

2年くらい前に、同じ看護学校の別の先生に
「期限の切れた吸引カテーテル10本ください」、と言われました。

そのころ、その看護学校にはイエス様の証に感動された医療メーカーの方々、大学病院の方などから、心電計、生体情報モニター、輸液ポンプ、血糖自己測定器、カラー超音波診断装置、分娩監視装置、吸引機などなどの医療機器、その他たくさんの医療製品が「これからの若い看護学生のために」と、贈られていました・・・
しかし、1本15円くらいの、しかも期限の切れた、捨てるようなカテーテルが手に入らない・・・
倉庫に入って、
「神様、今まで与えられた心電計、モニターなどはすべて神様からいただいたものでした。
人間って、捨てるようなカテーテルさえ手に入らないものですね」
とお詫びのお祈りをしました。

倉庫から出ると・・・
外来看護婦さんが来て
明るい声で・・・
「ごめんなさ~い!これ期限切れちゃった・・・」
それは・・・10本ほどの吸引カテーテルでした。

星を軌道に乗せて動かしたもう神様の御手は、小さな花をも生かしたもう。お約束通り、神様は大きな事も御心におとめくださいますが、
取るに足らない、とっても小さな事も・・・
御心におとめくださっていらっしゃいますね

「どんな望み、喜び、悲しみ、わずらい、恐れもみな神様の前におきましょう。何を持ってきても重すぎたり、神様の疲れさせたりすることはありません。頭の髪の毛さえ数えられる神様は、子供たちの必要に無関心ではありません。「主がいかに慈愛と憐れみに富んだかたである」(ヤコブ5-11)とあります。愛に満ちた神様のみ心は、私たちが悲しみを口にすることにさえ心をいためられます。心をわずわらすことはなんでも神様に申し上げましょう。神様は諸世界を支え、全宇宙のすべてを支配しておられるのですから、神様にとって大き過ぎて支えきれないというものはないのです。私たちの平和に関わることであったらどんなことでも、小さ過ぎてお気づきにならないということはありません。私たちのどんな暗い経験も、暗過ぎてお読みになれないということはありません。またどんなに難問題でも、神様には解釈できないということはありません。神様の子らのごく小さい者にふりかかる災いも、心を悩ます不安も喜びの声も、くちびるからほとばしる真剣な祈りも、天の父はことごとく注意し、深い関心を払っておられるのです」
66  ゾーイ ID:QavGH4Mw   2010/03/20 12:03
皆さんはじめまして。こんにちは。ゾーイといいます。私の証を聞いて下さい。
私は6年ほど前、大きな鬱状態を経験し、そこから回復にかかった10ヶ月間に神様に再会しました。その16年前に洗礼を受けていましたが、その後あまり時を経ずに教会から離れたままになっていたのです。それまでの感謝のなかった生活と神様を全く忘れきっていた自分自身を悔改めました。神様が私の人生をそれまでもじっと見つめていて下さったことを感じました。私が彼に再び帰すよう、辛抱強く御心に適ったタイミングを待って私に鬱という目覚まし時計を鳴らして下さったのだと知りました。そして夫と二人の子供達と共に教会のドアを叩き、今に至っています。
それからしばらくの事。夫が中東の国へ3ヶ月の単身赴任に行くことになりました。その間、孤独感、夫の身を案じての不安、感じる必要もないのに自らかけていたであろうプレッシャーで少しづつあの辛い鬱を感じ始めました。そしてある日曜日、礼拝の最中もう一歩も前に進めない状態に陥りました。経験のない方になかなか説明し辛いのですが、心と頭が一杯一杯状態でもう息をするのも苦しい。椅子から立つのさえ難しそうだ。誰か助けて!みたいな感じと言えば少し様子が伝わるでしょうか。でもその時の私は主様が共にいて下さることを知っていたので、すぐに開いていた聖書のページに目をやりました。すがる思いで御声を聴きたかったのです。
「最後に言う。主にあって、その偉大な力によって、強くなりなさい。悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみに世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。それだから、悪しき日にあたって、よく抵抗し、完全に勝ち抜いて、堅く立ちうるために、神の武具を身につけなさい。すなわち、立って真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ、平和の福音の備えを足にはき、その上に、信仰のたてを手に取りなさい。それをもって、悪しき者の放つ火の矢を消すことができるであろう。また、救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち、神お言を取りなさい。絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」
これを読み、心が弱りきっていたので、私を御言にあるように強くして下さるよう
私の代わりに闇の王と戦って下さるよう主様に祈りました。祈りが終わらないうちに私の頭から背骨に向かって水がすっと流れるような感触がありました。次の瞬間に私はもう「大丈夫」になっていました。あの不思議な経験を私は一生忘れません。なかなか誰にでも話してわかっていただけるような証ではないかもしれませんが、これは私と神様との消えない約束です。私が再び神様、主様から離れることはもうできません。神様の手を離すことは自らを闇の王の手に渡すようなものだと身をもって知ったからです。
神様は妄想の産物でも、本の中だけに存在する方でもなく、今も実在して生きていらっしゃる方です。この終末の時代、より多くの日本人に神様に帰していただきたく証しました。
67  おちこぼれ ID:R6YsE8H6   2010/03/22 09:34
引用の証でごめんなさい

「あるクリスチャンの家庭に、一人の息子がおりました。父親は早くして病死して、母によって育てられました。母親は、主人の意思にそって息子を正しく教育したいと思って、厳格に育てました。最初は順調に事ははこんでいましたが、そのうち息子は母の教育よりも、外部の友人達の影響を大きく受けて酒を飲み、好ましくない場所に出入りする、問題のある人間になってしまいました。亡くなったご主人に申し訳ないと、言葉をつくして息子を叱り、いましめるのですが、何の効果もありませんでした。
 その頃、信仰の厚い一人の婦人がこの町に来たので、母親は事情を話して相談しました。話を聞いて婦人は「あなたの息子は、神様から預かった尊い人です。自分の子供だからと、親の権威でもってやかましく叱ることは、良くないと思います。神様からの賜物として息子を考え、よく祈り、あつかいなさい。もっと大切にして、まことの母親としての愛情を注ぎなさい」と忠告されました。
 母親は、大いに悟るところがあって、まず神様のみ前にひざまずき、自分の間違った育て方を反省し、お詫びし、善良で世の益になるような人物に育てるための、知恵を求めたのでした。息子の行動、態度を、ただ、口やかましく責めるのではなく、親切に扱い、彼の部屋をきれいにし、寒い晩はベッドに湯たんぽを入れるなどして、彼を待っていたのでした。息子が帰宅するまでは、どんなに遅くても起きていて、熱心に涙を流して祈り続けました。
 生きておられる神様は、母親の切なる祈りを聞き入れて、不思議なことをなさいました。ある晩、友人とバーで酒を飲んでいた時、ふと壁に涙と共に祈る母の姿がはっきりと映し出されたのを見たのです。彼は、ちょうど電気に打たれたような感動を受けて、さっそく家に帰り、今までの自分のした
事を母親にお詫びし、人生の再出発を決心して、もしできれば教会の大学に入学したいといったのです。
 この青年は、後年ついに理学博士の称号を得たばかりか、教会の大学の総長となって、人々に尊敬される人物となられたのです。このように祈って、神様の助けを仰ぎつつ子供を教育することは最も大切であります。」

証と比べると「おちこぼれ」は総長どころか「ただの人・・」
とっても恥ずかしいですが・・・
しかし、この「こちこぼれ」すら、多くの方々の祈りが注がれていると思っています。
68  ひかり ID:ne4slnxY   2010/03/31 11:50
『信仰の友」

約一ヶ月前 都会生活で利用していた銀行が、今暮らしている場所には無いので高速バスを利用して神戸に出かけた。
それと同時に今 礼拝に出席している教会の季刊誌から神戸に近い元町駅に、キリスト教書店があることを知り出かけた。
都会では銀座の教文館を利用して本を購入していたが、3年ぶりにキリスト教書店に入った。そしてキリスト教の葬儀に使用する『お花料」の封筒を5枚買った。田舎ではこの封筒はなく、自分がキリスト信者である証になると,考えたからです。それから月間誌の『信徒の友」と『百万人の福音」を購入しました。

駅前にホームレス支援の雑誌「ビッグイシュー」も3年ぶりに購入し帰宅し、百万人の福音を読んでいたら、終わりの方に信仰の知人が紅梅をバックにした猫の写真が載っていた。
私のこの季節 知人とおなじく花粉症で悩まされ、春の季節が無いように願っています

都会生活で彼とクリスマス礼拝に知人(未信者)2人と分かれてからもう約10年が経つ。
懐かしいです。信仰生活は個人個人異なり、わたしのように、教会に離縁状を出して10年くらい放浪する者もあったり、そのまま教会を離れる人もあるけれど、その人を裁くのは、神様ですから、再び教会に帰ることが出来た人は、彼らの信仰の回復を祈るしかないです。
69  おちこぼれ ID:4OHGKpXE   2010/04/01 06:41
かつてイエス様の御名を知っていた方が、イエス様に、また教会に戻ってくると、とっても嬉しいです。きっと祈りつつ待っているからだと思います。
イエス様は、私たちとは比べものにならないくらい、神様の子供達が身元に戻ってくることを待っておられるでしょう。
もしかしたら、中には「ああ、教会に来たの」なんてあっさり言われる方々もいらっしゃるかも・・・
私たちは、あまりに天国から長い間離れてしまったため、天国の愛、やさしさ、あたたかさを忘れてしまったようです。
あまりに長く、この暗く、冷たい世界にい過ぎたようです
たとえ、地上のすべての人が待っていなくても・・・
イエス様だけは、十字架に傷ついた御手を広げて待っていてくださることでしょう。
70  おちこぼれ ID:1EsB2ZQM   2010/05/17 20:39
前~に小さな証シリーズで
書いた証の訂正版・・・です

8月19日の朝、19歳と15歳の二人の青年が商店の窓を壊し、品物を盗んで自動車に乗せました。しかし、隣のパン屋さんが朝早く来ていて、警察に通報・・・つかまりました。
しかし、隠してあった小さいピストルをつかって 警察署長を脅し、その自動車を盗み、時速100キロ以上の猛スピードで逃走しました。

さて・・・そうとは知らない
あるとっても熱心なクリスチャンの方・・・
朝、何となくこの日には何か起こるであろうと予感がして自宅を出発する前に、ご夫妻でお祈りし、また繰り返し祈って神様の保護を求めたそうです。
そして・・・恐ろしい事件のことはまったく知らず運転していました。
そこへ、その青年たちの車が来て、正面衝突・・・
青年1人も入院しましたが・・

その方は・・・頭蓋骨があちこち複雑に破壊・・
脳からの分泌液は左の目と、耳から流れていました。
片方の耳は千切れ飛んでいて、上下のあごも折れていました。左の目はつぶれていました。
人工の耳が用意され、人工の目が用意されました。

火曜日には、死に直面し、咽喉部の膜は破れ、息があえぎ始めました。つめは黒く変色し、顔がはれ上がり始めました。
奥様は必死で祈られました。しかし、祈りが天上に高く上がっていかないように思えたそうです。
不可能なことを神様にお願いするのは無理だからでした。
お墓の準備も・・・されたそうです。
そしてその日、一晩中夜通しで看護されました。

次の日、水曜日の朝、4時ごろ、暗やみの中で窓の外を眺めつつ、「どうしてこのような事が起こって、自分が独り残されるのか」と感じつつ、聖書のみ約束について考えました。そのとき、ヘブル13-5の 主が、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われていた、尊いみ約束を思い起こしました。

その日の昼12時に、奥さんは牧師さんたちをお呼びなられ、特別なお祈りをお願いしました。
牧師さんは病室に入り、「この部屋に不信心な人がいますか、その人は外にでてください」とおっしゃいました。

そして患者さんに油をそそぎ、特別なお祈りが捧げられました。
牧師さんの手が患者さんの額に触れるや否や凄いことが起こりました。
奥さんはご主人を手を握ってましたが、その両手に強い震動が始まり、ご主人の全身が震えました。奥さんは神様のなされた事を見たいと思って、目を開いて自分が握っていた夫の手を見たところ、指先の黒いのが消えて普通のピンクに戻り、開いていた口は腫れていた舌を中に入れて閉じ、彼の息も平常のように鼻を通してなされ、腫れも引っ込み始めました。最初に鼻の形ができ、次に口、その次にあご、その次にのどと、順番に腫れが消えて、普通のように回復しました。

多くの者たちは、祈りが終わって、涙を流しつつ立ち上がりました。牧師は「わたしたちは静かに外に出ましょう。兄弟はきっと健康になります」といって、患者さんの手を握ったそうです。そして、病室から出て行かれました。

しばらくして医師が入ってきました。
医師は、指先が自然の良い色をしていました。
そして、事故の際飛び出て空になっていた眼球が・・・そこにできていたのを見られました。
そしてちぎれた耳を包んでいる包帯をとって掃除をしようとした看護師は、そこに美しい耳を発見したのです。
医師は、戸の外の飛び出して「スレーボー氏の目ができてみえるようになった」と叫びました。
そして、彼は看護士に、彼は「生きているよ、彼は生きるよ。そして、そればかりではなく、無かった所に眼球ができて、、良く見えるようになった」と大声で叫びました。

この日、スレーボーさんは、意識を回復し・・アイスクリームを食べられたそうです。
そして奥さんから、自分の事故を事を聞くと・・・
「自分は何の痛みも感じなかった」と答えられたのです。
そして、看護師たちの切なる希望によりしばらく病院にいた後
次の週の火曜日、ご退院されたのでした。
しかし・・またさらに・・・

ご夫妻は、監獄に入れられていた2人の青年に会いたいと思われ、運動をされたそうです。
3年後・・・牧師さんと一緒に青年が入っていた監獄に行かれました。
しかし、2人の青年は監獄の中でもやはり悪・・・看守は会わせてくれませんでした。
そこで、奥さんがご主人を紹介され、その所長に青年の車と正面衝突したその本人である事を告げました。
すると、所長さんは「おお、これでやっと分かり始めました」「あなたは彼を片付けて殺すために来られたと想像します」と話されました
しかし、「いいえ」と答えられました。
ご夫妻は15分の定められた時間、看守の見守りの中、青年二人と会いました。
そして、聖書をすすめ「神様が私たちをどんなに愛しているか」を学ぶようにすすめ、
「そして、わたしたちはあなたがたを愛し、助けたいのです」と話しました。
そして、「キリストへの道」ともう1つの本を渡されたのです。
青年たちは・・・始めは驚いていましたが、
「喜んで読みます」と答えました。
そして彼らは
彼らが小さい時、両親が死去したこと・・・
そしてこの監獄にいた3年半、彼らを訪問してくれたのは彼らだけであることを話したのでした
1時間が経っていました・・面会終了の合図のベルなりました。
ご夫妻が、所長さんの所に戻ると、所長さんは「わたしもその本を読ませていただきます」とおっしゃったのです。

青年達は・・・獄中からご夫妻に手紙を書くようになりました。
そして他の囚人と一緒に聖書研究をするようになりました

やがて
6月8日出獄しました。御夫妻は「自分達の生涯の中で最も幸福な日の1つであった」といって監獄に迎えていかれたそうです。新品の衣服や学校に必要な機器をそろえて・・・
その翌日は安息日でした。そして、青年のバプテスマの日でした。
教会は、満員でとても盛大な会合でした

ご夫妻は、青年に学費を用意するため最大の努力をされたそうです
そして、彼はキリスト教の学校に入りました。
青年は牧師を目指して勉強するようになりました。

絶望的な事故からお救いになられ、ちぎれた耳を元通りにされた創造主なるイエス様は・・・
絶望的な人間の心も造り変えることがおできになられます

「主の力は何もない所に何でも創造できるという能力です。ですから主は力のない者を通して奇跡を行うことができるのです。それで何でもキリスト様の創造の力を思い起こさせるものは、我々の霊的力と勇気を奮いたたせるに違いないのです。そしてこれが安息日の目的なのです。」



71  おちこぼれ ID:wQITvDZw   2010/06/06 10:00
またもや反省版ですが
今までの証の中で「そうです」「ようです」との表現を多かったな・・・
と反省しました。お詫びいたします

さて久しぶりの投稿です。・・・
僕の記憶が正しければですが、アメリカで奴隷解放をした、リンカーン大統領の側近に陸軍の司令官がいました。その陸軍司令官はリンカーンの悪口ばかり言っていました。たしか、大統領を「猿」とまで呼んでいました。
そんな彼を、リンカーンはいつも自分のそばにおいていました。
そしてあの日、リンカーンが暗殺されます。その時、撃たれた大統領にすぐに駆け寄ったのは、この司令官でした。
彼は、大統領のそばに立ち、言いました。
「ここに偉大な大統領が横たわっている」

ある教会で2人の青年牧師たちが、「信仰による義」を説いて、一大リバイバルを起こした時がありました。その時、大反対をしたのが、教会の長年のベテランの方々でした。

「協力していたら、今頃みんなで、天国に入っていた」と言われたぐらいの素晴らしいリバイバルでした。しかし、協力すべき指導者の人々の多くが大反対をしたのです。
ある敬虔なクリスチャンの方が、「信仰による義」を受け入れるように何度も何度も嘆願しましたが、ベテランの方々は聞きいれませんでした。返ってそのクリスチャンの方もまた、遠い外国に、飛ばされてしまいます。結局、リバイバルは未完成のままで終わってしまいました。

ところが、何年か過ぎてベテランの長老さんたちが、「わたしたちは間違っていた」と悔い改めます。
この記録を読んだ時、「えー、今頃!もう遅いよ、悪魔に用いられただけじゃない」なんて僕は思っていました。

しかし、先ほどの外国に飛ばされたクリスチャンの方は、「彼らを優遇しよう」「もう以前の彼ではない」と文章を書かれました。
その中で最も反対した1人の方が、教会から離れて、そして再び教会に戻り、教会の機関紙の編集長の筆頭に名前があがった時・・・彼女は「涙を流して喜ばれた」と記録されています。
その敬虔なクリスチャンの方にさえ、大反対してまわりに悪口ばかり言っていた方がいました。
そして長い間の主の御奉仕を終えられ、このクリスチャン女性が亡くなられたとき、彼女を批判し、悪口ばかり言っていたこの方が、泣き叫んだと記録されています。
「ああ、1人の敬虔なクリスチャンの方が亡くなられた」と。

僕もまた・・・キリスト教に反対してきた1人なのです。

イエス様・・・
マルティンルターさんや、ジョンウェスレーさん、ヨハンフスさん、コルベ神父、ジョン・バニアンさん、ウィクリフ、フローレンスナイチンゲール、トマスモア、聖フランチェスコそのほか数え切れないクリスチャンの方々が喜んでその人生を、また命をささげられた御方、
イギリスの国王はイエス様を褒め称える「ハレルヤコーラス」を聞いた時、立ち上がって王の王に敬意を表したとか・・・
そして、今もなお、この曲が流れる時、大勢の人が立ち上がって王の王を褒め称えます。
シュヴァイツァー博士はこの御方のためアフリカに行かれ、マザーテレサもまた、この御方を愛するがゆえにインドにいかれました。
歴代のアメリカの大統領はナザレのイエス様の御名によって手を上げて宣誓され、ゲーテ、アイザック・ニュートン他、世界の科学を導いてこられた多くの科学者たちがこの御方に祈りをささげて、研究されてきました。

~アダムは言うであろう。「それは蛇の頭を砕く女のすえ」であると。
アブラハムに問うならば、彼はあなたに答えるであろう。それは「サレムの王メルキゼデク」、「平和の王」であると。(創世記14-18)
ヤコブはあなたに言うであろう、彼は「ユダ族のシロ」であると。
イザヤはあなたに言うであろう。「インマヌエル」、「霊妙なる議士」、「大能の神」、「とこしえの父」、「平和の君」であると。(イザヤ書7-14、9-6)
エレミヤはあなたに言うであろう。「ダビデの枝」、「主はわれわれの正義」と。(エレミヤ書23-6)
ダビデはあなたに言うであろう。「彼はメシヤである」と。
ホセアはあなたに言うであろう。彼は「万軍の主、その名は主である」と。(ホセア書12-5)
バプテスマのヨハネはあなたに言うであろう。「世の罪を取り除く神の子羊」であると。                            (ヨハネ1-29)
偉大なエホバ神様は御座より宣言された。「これは、わたしの愛する子」であると。(マタイ3-17)
 わたしたち、弟子は宣言する。「これはイエス様、メシヤ、命の君、世のあがない主である。」と。
そして、暗黒の力の君でさえ、彼を認めて、言うのである。「あなたがどなたであるか、わかっています。神の聖者です」 (マルコ1-24) ~

年老いたおじいちゃんも、おばあちゃんもこの御方を賛美し、子供達もこのお方を褒め称えます。
病の床にあってさえも、またお亡くなりになる前でさえもその唇から賛美の声が聞こえます。

イエス様を大嫌いだった僕でさえも・・・
宇宙で一番愛に溢れた御方・・・
人間の思いをはるかに超えた愛と知恵と御力を持っておられる・・・
主イエス様を褒め称えるのです。
72  おちこぼれ ID:44DWNUXQ   2010/06/08 20:38
訂正版です。ごめんなさい。
前~の証に・・結核菌はグルタラール製剤でしか死なない・・・ともし書いてあったらごめんなさい。(書いてないかも・・)芽胞はグルタラール製剤でしか死なないです・・・

せっかくなので・・・
とっても有名な証なので、誰でも知っている・・・と思っていたら、
今、知っている人々がとっても少ないことにびっくり!
60~70歳台の方々なら「そうそう、あった!」とおっしゃっていただけるのですが・・・
キューバ危機・・・アメリカとソ連の冷戦と言われた時期がありました。
アメリカの偵察衛星が、アメリカのお膝元の社会主義国キューバで
ミサイル基地が建設されているのを発見・・・緊張が高まりました。
当時のアメリカとソ連・・・それこそ原子爆弾など物の数ではない、水素爆弾を持っていました。確か、人類を何十回全滅させてもなお余るほどの核兵器を持っていました。
そして、運命の日、ソ連は、キューバへの支援を続け、アメリカの要求を断りました。
核ミサイルを積んだアメリカ軍の戦闘機は、ジェットエンジンをふかし、出撃体制を整えました。
後は大統領のボタンを待つばかり・・・
大統領は、ミサイルのボタンを押すために部屋の中に入りました。
すると・・・誰もいないのに
「突然強い力に、身体を引き戻され、部屋から連れ出された」のです。
天の御介入があったのです。

「人間って馬鹿だねえ、一度しか死ねないのに・・・」
「もし、この守りがなかったら・・・
今日のこの講演会はなし・・・」と牧師さんがユーモアを交えて話していたことは忘れません

この時・・・
この目に見えない御方のご介入がなかったら・・・
やさしい人々も、正しい人も含めて、全人類は全滅だったことでしょう

しかし、それはこの時ばかりではありません。
天の御介入がなければ、全人類は永遠にサタンの残酷な奴隷・・・

「罪の欺瞞は絶頂に達していた。人々の魂を堕落させるあらゆる手段が実行されていた。神様の御子は、この世をながめて、苦難と不幸とをごらんになった。キリストは、人間がサタンの残酷な行為の犠牲になっているのをあわれみをもってごらんになった。堕落し、殺され、失われつつある人々を、キリストは同情の思いをもってごらんになった。彼らのえらんだ支配者は彼らを捕虜として車につないだ。あざむかれ、途方に暮れながら、彼らは暗い行列をつくって永遠の滅亡ー生きる望みのない死、朝のおとずれることのない夜へ向かって歩きつづけていた。悪霊が人間と一体となっていた。神様の住居としてつくられた人間のからだは悪霊の住居となっていた。人間の感覚、神経、欲望、器官は、超自然の力によって、最もいやしい情欲をほしいままにするために働かされた。悪霊の印そのものが人間の顔つきにおされた。人間の顔は、その身を占領している大勢の悪霊の表情を反映した。世のあがない主がごらんになったのはこのような光景だった。限りなく純潔なおかたの目に、それは何という光景だったことだろう。
 罪は科学となり、悪徳は宗教の一部分として神聖なものにされていた。反逆は人間の心に奥深くくいこみ、人は天に向かって激しい敵意をいだいていた。人間は神様を離れては向上できないことが宇宙の前に実例として示された。世界をおつくりになったおかたによって、生命と力の新しい要素がさずけられなければならなかった。」

サタンが最も恐れるのは 主イエス様・・・
だから、イエス様の御力を小さく思わせようと大忙し・・・

なぜなら、
「主の名は堅固なやぐらのようだ、
正しい者はその中に走りこんで救いを得る。」

聖書に書いてある通り、
病気も、死も、悪魔にも、地獄にさえも勝利され、
義人を招くためではなく、
罪人の愛するがゆえに・・・十字架におかかりになられた
主イエス様の御前に、
サタンはふるえあがって逃げ出すからです。
73  himawari ID:qQqcBsLg   2010/06/11 10:19
おちこぼれさんへ

72にある天の御介入は偉大ですね。お話を伺う限り真実だろうと推測されますが、そのお話が真実ならば、本当に天に感謝ですね。

以下は、サタンに対して言っておきたい事です。
サタンが何か勘違いしているようなので、
イエスの御名によって、サタンをしかりつけておきます。
少し主題とそれますが、ご容赦下さい。
**********************************************************

このフォーラムで自由に振舞っているサタンとサタンの誘惑のままに語っている方々に言って置きます。サタンは殺人の霊です。

サタンに身を任せて好きに生きるのが幸せだと洗脳されている、サタンの奴隷の人たちに言います。サタンも情欲も物欲もいかなる偉大な名誉もあなたを幸せにはできない。

サタンには永遠の命がない。
サタンは偽の権力を人々に振りかざしているだけである。
サタンは地上の全てのものを握ろうとしているが、幻想にすぎない。
それは不可能な事である。終末が来る。天の裁きがくる。
サタンだけでなく、サタンに味方したものたちに下される裁きは恐ろしい。
早くサタンから離れなさい。
サタンに味方するもの、縛られている者には命も希望も自由もない。
サタンに洗脳されて殺人を犯す者、権力を握ろうとする者よ、
最後にはあなたが殺される事を覚えておきなさい。
殺人者の王、サタンは大殺人者である事を忘れてはならない。
サタンは人の命など顧みない。
この地上の全ての死と悲劇の原因はサタンである。
サタンを無視しなさい。
サタンとつきあってはならない。
サタンをしかりつけなさい。
サタンは人間には力ある者のように見えても、
神の前では無力である。
神の御言葉を持って、サタンを地上から、あなたの心の中から追放しなさい。
サタンの力はどこにあるのか。
死のとげはどこにあるのか。
全て神の前に無力なものである。
物欲、性欲、名誉の欲、こういった欲に従って生きたもののうち、
狂って死んだ者がいかに多い事か。
必要以上の欲は不要である。
サタンに身を任せて益にもならない欲に従う生活から離れなさい。
資産を積み上げ、異性を支配し、世の名声をほしいままにする事を望む者たちよ、
そんなことをしてもあなたには何の役にも立たない。
サタンの言うそそのかしにのってはならない。
サタンは人殺しの霊であり、あなたの肉も霊も殺す者である。
億万長者になって狂って死んだ者、
哲学を極めようとして狂って死んだ者、
淫乱な性欲に従って狂って死んだ者、
サタンによる数多くの被害者を見なさい。
イエスを信じて狂って死ぬ者はいない。
イエスを信じた者のうち、信じたものは命を得、希望を得、自由を得た。
得たものは、金銭欲でも情欲でも名誉欲でもない。
彼等の中には真の自由と喜びがある。
ところが、サタンに惑わされた者は死の道に行った。
イエスに従うのか、サタンに従うのか、
どちらがあなたにとってよいものなのか、
答えは明白である。
サタンに惑わされた者たちよ、目を覚ましなさい。

**********************************************************

このフォーラムに書き込む全ての悪霊の仕業は無益であり、無力である。
サタンに従っても迷うだけである。
サタンの道は死であり、絶望であり、高慢で邪悪で淫乱な束縛である。
サタンに惑わされた者たちよ、あなたがたはサタンの奴隷である。
サタンからは何の良いものも受けず、
良いものだと思って受け取ったものは、全て滅びにつながっている。
お金が必要なのか?
人生は限られているのに、使い切れないお金を手にしてどうするのか。
そのお金の為に心配し苦労し、夜も眠れず、翻弄されるだけである。
お金のあるところにあなたの心があるが、
それは紙切れである。紙切れを資産に変えても、
資産は死後に持っていくこともできない。
滅びるものの為に生きている事に気付きなさい。
淫乱な生活をしている者達よ、
淫乱があなたを満たすのか?
淫乱な性欲を満たしても、また渇く。
その渇きは終わる事がない。
一生苦労して性欲を満たし、何が残るのか。
性欲を満たしても心は本当には満たされず、
傷と絶望だけが残る。
性欲に翻弄されて人生を終えるもの達よ、目を覚ましなさい。
名誉と権力を望む者たちよ、
名誉と権力はあなたを救うのか?
この世の支配者になったところで、
支配者は何も得る物がない。
資産も、異性も、名誉も権力も、全て死後に持っていくことはできない。
立派な人物の名誉が残って敬われても一時的である。
彼の名前は忘れ去られるときが来る。
この世で忘れ去られた名誉は数え切れない。
イエスの名誉は永遠である。
支配者になりたがる者よ、
あなたが支配者になっても、そこにあるのは虚無だけである。
見せかけの豪華さに惑わされるな。
支配者についていく者たちは支配者ではなく支配者の資産と権力についていくだけである。
支配者になれば大きな孤独が襲うだろう。
人を意図的に傷つけ、殺人を犯す者達よ、
あなたが人を傷つけ、殺人するならば、
あなたも同じようにされる。
殺人者達よ、悔い改めなさい。
あなたがたが殺人者によって殺される日が来る。
肉も霊も粉々にされる日が来る。
サタンに従った者達よ、恐れおびえなさい。
あなたがたを導いたサタンはあなたがたの責任を負わないからだ。
後で気付いても、もう遅いのである。
イエスのところへ行き、神に立ち返りなさい。
あなたが悔い改めるなら、神があわれんで下さるかもしれないから。
早くサタンから離れなさい。
サタンの近くにいる者よ、あなたの破滅は近い。

**********************************************************

サタンに言う。
サタンよ、おまえは神に勝つ事ができない。
サタンよ、うぬぼれるのもいい加減にしなさい。
サタンよ、あなたは神ではない。
サタンよ、目を覚ましなさい。
サタンよ、天にいた頃を思い出しなさい。
サタンよ、おまえは狂っている。
サタンよ、おまえには神の愛がわからない。
サタンよ、全知全能であるふりをやめよ。
サタンよ、お前が従わせた霊、お前が従わせた人間の事で勝ち誇るな。
聖霊とイエスの弟子は、お前達よりもはるかに強い。
見よ、終わりの日が来る。
サタンよ、お前の時代は終わる。
サタンよ、お前には勝利がない。
サタンよ、あなたの行く末は、あなたの好きな死である。
サタンに従っている全ての者よ、早くサタンから離れ、
イエスに従いなさい。
あとで後悔する、その前にイエスに従いなさい。
あなたがたが死ぬ前にイエスに従いなさい。
サタンの連れ行く先は死である。
イエスの連れ行く先は命である。

**********************************************************

全ての者よ、目を覚ましなさい。
聖書の言葉、神の言葉に従いなさい。
そこにはまことの命、まことの愛、まことの希望、まことの自由、真実がある。

**********************************************************

イエスを信じる者たちを惑わす悪霊よ、
早く出て行きなさい。そこは神の宮である。
おまえの居場所はない。
泥棒のように入り込み、主人のように居座っているサタンよ、
お前は泥棒である。泥棒は主人にはなれない。
泥棒であるお前が追い出される日が来る。
早くでていきなさい。
神の言葉と真理におびえる悪霊たちよ、早く出て行きなさい。
イエスに勝てる悪霊はいない。
サタンよ、お前は負けた。

**********************************************************

イエスを信じる者たちよ、悪霊を追い出しなさい。
あなたの神殿に悪霊を呼んではならない。
サタンを入れてはならない。
イエスを迎え入れ、神と共に住まいなさい。
そこには命がある。そこには平安がある。あなたは喜びに満たされる。
サタンを追い出しなさい。
サタンは嘘つきであり、殺人者である。
死と不安と絶望と悲しみでいっぱいになる。
早くサタンを追い出しなさい。
間違って入ってきたサタンは、
イエスの御名によってすぐに追い出すことができる。
イエスの御名によって追い出しなさい。
イエスの御名によってサタンをしかりつけ、縛りつけ、追い出しなさい。
イエスの御名によって、神の愛を受け取りなさい。
イエスの御名によって、神の与える命を受け取りなさい。
イエスの御名によって、喜び踊りなさい。
イエスの御名によって、全ての者と和解しなさい。
イエスの御名によって、神の愛、神の与える命のためにとりなしなさい。
イエスの御名によって、天の御国をこの地にも造りなさい。
イエスの御名によって、サタンの勢力は排除される。
イエスの御名によって、希望を抱き続けなさい。
イエスの御名によって、サタンに奪われた自由を取り戻しなさい。
イエスの御名によって、互いに慰め合いなさい。
イエスの御名によって、命を得なさい。
イエスの御名によって、神を賛美しなさい。
イエスの御名によって、喜び暮らしなさい。
イエスの御名は、地上の何よりも強力である。
イエスの御名は、神が最も愛するお名前である。
イエスの御名は、神が与えた最高の賜物である。
イエスの御名は、永遠である。
イエスの御名は、全知全能の神が地上に下さった御名である。
イエスの御名を受け入れよ、賛美せよ、告げ知らせよ。
見よ、終わりの日が近い。

**********************************************************

サタンよ、立ち去れ。あなたの滅びの日が近い事を知りなさい。

**********************************************************
74  himawari ID:qQqcBsLg   2010/06/11 11:33
イエスを信じる者達よ、強く雄雄しくありなさい。
イエスを信じる者達よ、安心しなさい。
義人ノアのゆえに、ノアを救い出して下さった神を思い起こしなさい。
イエスを信じる者達が地上に一人でもいる限り、
神は地上をあわれんで下さるお方だから、安心しなさい。

イエスを信じ、神の御心を追い求めなさい。
神の御心を追い求める者を神は豊かにあわれんで下さる。
サタンが地上を滅ぼそうとしても、神はそれをお許しにならない。
地上を滅ぼす力のある方は、神だけである。
神に希望を置く者達よ、安心して神に祈りなさい。
イエスの御名を信じ、受け入れ、宣布せよ。
イエスの御名を呼び求め、探し続けなさい。
イエスの御名は、強力であり、奥深い。
イエスの御名を、いつも呼び続け、イエスから離れないようにしなさい。
イエスの御名を、知っている、手に入れたと思うな。
イエスの御名は、海よりも深く、いと高き御名である。
イエスの御名と共に生き、
イエスの御名を、追い続けなさい。
イエスの御名に勝るものは、地上には皆無である。
安心してイエスの御名によって祈り、
イエスの御名によってサタンに勝利せよ。
サタンはイエスの御名の前で無力なのだから。
サタンは弱い。非常に弱い。真理がない。偽りに満ちている。
偽善的政治家がすぐに滅びるように、
偽善者であるサタンは、必ず滅び去る。
サタンは非常に弱い。非常に弱いので、弱さを隠そうと必死になっている。
弱い者ほど、虚勢の張り方が非常に強い。
サタンは非常に弱いので、非常に強く虚勢を張っている。
サタンの大声と威張り声に驚くな。
サタンの強力な主張は、ただのわめき声である。
負け犬の遠吠えに等しい。
サタンはすでに敗北している。
地上の独裁者サタンは、天の御子イエスに完敗した。
サタンの勢力とイエスの勢力は、その後始末をしているだけだ。
イエスの勢力は、戦いの勝利を知りなさい。勝利を告げなさい。
サタンの勢力は敗戦後の逃走兵にすぎない。
逃走兵を追いかけている間に、
勝利した兵士達が混乱して、逆に敗走兵に追いかけられてはいけない。
サタンは完全に敗北した。
サタンの勢力は有名無実の勢力である。
サタンの勢力は敗北し敗走しているだけである。
サタンの勢力が敗北を隠そうとしても無駄である。
イエスの勢力は確定した勝利を拡張せよ。
イエスの勢力には恐れる勢力は皆無である。
イエスの勢力はイエスと神と聖霊だけを畏れなさい。
イエスの勢力は無敵である。主が共にいてくださるのだから。
サタンはイエスの肉を十字架につけたが、その行為は何の効力も無い。
サタンとイエスの霊における戦いはイエスの完全勝利であった。
神はイエスに勝利の栄冠を与えた。
聖書に書いてある。
聖書によれば、神はイエスの勝利を宣言されていらっしゃる。
イエスは豊かに勝利を勝ち取った。
イエスの御霊に従う者達よ、勝利を喜び、勝利を全地に告げ知らせよ。
霊の戦争は終結した。戦後の後処理をしよう。
イエスの勢力は、サタンの勢力に武器を使わず勝利した。
サタンの勢力は、武器を使ってイエスを殺した。
サタンの勢力に残された権利は何も無い。
イエスの勢力は豊かに権利を回復し、神の愛をもって統治せよ。
イエスの勢力は、神の豊かな慈愛の中で、
戦後の傷をいやし、敗走兵たちの犯した罪と汚れを一掃せよ。
敗走兵たちがこの地を混乱させ散らかしたのだ。
彼等のひどいしわざによって地上は流血の海である。
しかし、もうその戦いは終わった。
敗走兵が終わっていないかのように話すので、
イエスの勢力の私は語る。すでに終わったと。
イエスの勝利によって、地上はすでに楽園である。
流血をぬぐい、すでに来た楽園を豊かに取り戻そう。
敗走兵が逃げながら、その剣を振り回している。
その剣に気をつけなさい。また流血するといけないから。
しかし、敗走兵には何の力も無い。
敗走兵の王であるサタンは敗北したのだから。
サタンのとげ、死は何の力も無い。
イエスの力、命は豊かに勝利し、地上に与えられている。
サタンは敗北したのだから、イエスの勢力に怖いものは何も無い。
敗北した後も狂って逃げ回り、
ひどい暴言と殺戮を繰り返しているサタンの勢力を縛り上げよ。
病気の人たちは病気のままでも救われ、
病気を癒される事を願うならば、主は聞き入れ癒して下さるだろう。
サタンの勢力が肉の命を奪おうとも、
イエスの勢力はイエスと共に喜び歌う。
イエスは勝利し私たちもその勝利にあずかったと。
イエスの御名が与えられた喜び。
イエスの御名によって与えられた平安、御国のやすらぎ。
イエスの御名によって与えられた命は永遠。
イエスの御名は唯一の救いの力。
イエスの御名を信じる者たち、
イエスの御名を受け入れる者たち、
イエスの御名を告げ知らせる者たちには、恐怖が無い。
なぜなら神を畏れ、地上の全てに勝利したイエスと共にいるからだ。
神は、神を畏れる者、イエスと共にいる者に平安を下さる。天の平安。
そして、地上の恐怖はイエスの勝利によって全て拭い去られた。地の平安。
カナン地を占領したヨシュアの軍隊のように、強くあれ、雄雄しくあれ。
この地上を愛によって占領するイエスの軍隊よ、強くあれ、雄雄しくあれ。
この地はすでに与えられた。
イエスの軍隊に敗北は無い。
イエスの軍隊はすでに勝利している軍隊。
サタンによって荒れ果てた地を回復し、
イエスの御名と天のやすらぎをこの地に満たそう。
強く雄雄しくあれ。そしてすでに勝ち取った地で平安を得よ。
一歩一歩進もう。
私達の歩みの前に流血の荒野があろうとも、
私達の歩みの後ろには神の慰めと楽園が成されている。
私達の歩んだ道には新緑の草木がおいしげり、小鳥たちがそこで憩う。
その道で疲れた者は後ろの楽園で休み癒され、
力付けられた者は先頭に立って植民地を取り戻し、楽園を耕そう。
イエスの勢力よ、力を得よ、慰めを得よ。
イエスの勢力は無抵抗にもかかわらず勝利した者の勢力。

<ミカ書4章3節>
『主は多くの民の争いを裁き/はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし/槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず/もはや戦うことを学ばない。』

サタンの勢力、敗走兵のしている戦争は終結する。
時代遅れのわるあがきと、負け犬の遠吠えは、やがて終わる日を迎える。
イエスが勝利したのだから。
何の絶望も悲しみもいらない。
もうすでに回復され、希望と喜びに満ちているのだから。
さあ、強く雄雄しくサタンの勢力、敗走兵を一掃しよう。
イエスの御名はいと高き勝利の御名。
主の約束は真実なる約束。
イエスの御名をかかげて、真実なる約束の日に向かって歩もう。
今も命を奪う敗走兵よ、お前達が捕らえられる日が近づいている。
無駄な抵抗はやめなさい。
これ以上罪を重ねるな。
神の悲しみを増やす事は罪である。
しかし、神の喜びに満ちる日は必ず来る。
神の喜びはすでにイエスの御名を信じる者たちに満ちている。
さあ、各自戦いで汚れた足を日々洗って、イエスの御名によって、
この地を回復し、神様の涙をぬぐって差し上げる事ができるかもしれない、
そのイエスの真実なる道を目指しましょう。
サタンがイエスに負けた以上、終わりの日は近いのです。
イエスの勢力は互いに慰めあい、勇敢に外なる敵と戦い、
自らの内なる汚れと泥棒のサタンを追い出しましょう。
罪人が義人になったクリスチャン、
敗北者が勝利者になったクリスチャン、
イエスの御名を賛美し、
イエスの御名によって全ての事に愛の真理で勝利しましょう。
75  ひかり ID:NJF/xqYI   2010/06/12 17:58
こんにちわ  himawariさん

あなたの投稿をよんで納得できることと、できないことがあります。

納得できることはクリスチャンを鼓舞していることです。

たしかに  「悪魔」は狡猾でありイエス様のご加護がないと、洗礼をうけても大罪をおかしやすい、おろかなわたしたちですね。

納得できないことは、この「小さな証」は個人的に神様の恵みを体験したことを投稿する場所ですから、あなたのような長い「祈り」の文章は場違いだとおもいます。


76  himawari ID:/9b4gGTc   2010/06/13 07:03
ひかりさんへ

おっしゃるとおりだと思います。
主題からそれた、場違いな投稿をしてしまい、申し訳ありませんでした。
クリスチャンのための新聞サイトの中のフォーラムが、クリスチャンへの攻撃や侮辱、キリストへの信仰破壊の言葉に満ちている現状を見るにつけ、ひとりのクリスチャンとして少し熱くなってしまいました。キリストの前ではサタンの言葉など無力ですが、サタンが主の羊を混乱させ、傷つけ、支配しようとする働きに対して黙っておれませんでした。

私のこのスレッドにおける投稿はほとんど場違いである事も認識しております。今後はスレッドにふさわしい内容を考え注意致します。

クリスチャンを鼓舞した事につきましては、サタンへのしかりつけと共に、サタンの勢力対イエスの勢力の図式の中で、サタンがうるさいため、イエスの側の一人として語りました。もちろん、私がイエスの側で鼓舞するような立場にもなく資格もない事は百も承知ですが、サタンの冒涜の激しさのあまり、黙っておれませんでした。そして、高尚なクリスチャンの方々を鼓舞するつもりは全くなく、むしろサタンの言葉にゆらいだ人がいるならば、イエス様を信じてすぐの人がいたならば、そういう人々に知って頂きたく、また信仰を強めてほしく、希望を込めてイエス様から学んだ事、聖書から学んだ事を中心に語るべき事と感じた事を主張させて頂きました。サタンの冒涜に対し、主は反論されるまでもない別次元におられ、キリストは生を通して完全に勝利されており、主の羊たちは全く揺らぐ事もたじろぐ事もない事を、目に見えないサタンに対して断言しておきたい気持ちが強くなってしまいました。そもそもサタンなど相手にする必要もありませんが、このフォーラムを見ながら、サタンの導きやサタンの攻撃と侮辱に目に余るものがあり、ついヒートアップしてしまいました。
***************************************************************
スレッドに関係のない長い祈りを載せ、場違いな投稿をしてしまいました事を、改めてお詫び申し上げます。また、いきすぎた表現や一人のクリスチャンとしては出すぎた真似をしてしまった、クリスチャンの方々へのご無礼をどうかお許し下さい。

私の投稿を通じてこのスレッドが主題からそれてしまい、申し訳ございません。

小さな証以外の投稿は今後控えさせて頂きますので、引き続き証や恵みの共有、有益な議論がありますようにお祈り申し上げます。
77  おちこぼれ ID:gdR6jC56   2010/06/13 21:36
「今教会は戦っている。いまわたしたちは暗黒の世界、ほとんど全部が偶像礼拝に身をささげている社会に当面している。しかし戦いが終わり勝利をかち得る日がきている。神様のみこころが天に行われるとおり、地にも行われなければならない。救われた諸国民は天の律法のほかには、どんな律法も知らない。すべての人は幸福な、1つに結ばれた家族となり、感謝と賛美の衣、すなわちキリストの義の衣をまとう。自然はすべてそのすばらしい美の中に神様を賛美し、礼拝するのである。」

「あがなわれた人々は、自分たちの関心を救い主に向けさせてくれたものたちと会い、彼らがその者であることを認めるであろう。彼らはこうした人々と、どんなにか祝福に満ちた会話をかわすことであろう。『神様もなく、この世に希望もなく、わたしは罪人であった。しかしあなたがわたしのところに来られて、私の唯一の希望としてわたしの心を尊い救い主に向けさせてくださった。わたしは自分の罪を悔いた。そしてイエス・キリストにあって聖徒と共にすわらせてくださったのだ』と言うであろう。他の人々はこう言うであろう。『わたしは異教国の異教徒だった。あなたはあなたの友を去り、心地よい家庭を去って、わたしのもとに来られ、イエス様を見いだし、唯一の真の神様として主を信じる方法を教えてくださった。わたしは自分の偶像をこわし、神様を拝んだ。そして今こそわたしは神様に体面しているのだ。わたしは救われた、永遠に救われて、わたしの愛する神様を常に見上げている。あのころ、わたしは信仰の目だけで神様を見ていたのだが、今、私は現実におられる神様を見ている。私を愛し、ご自分の血潮で私の罪を洗い流してくださったお方に、今こそわたしはそのあがないの恵みに対する感謝の気持ちを表すことができるのだ』と言うであろう・」 
~クリスチャンの奉仕~

ある集会である方が、その声に涙を含みながら・・・
「みんな、天国に行ったら、抱き合って喜ぼうね!」と話しておられました。
今は・・・「わたしは信仰の目だけで神様を見てい」る・・・
しかし、御心ならば・・・
現実に神様の・・・すなわち、主イエス様の御顔を拝する時・・・
手を取り合い、心から喜び、そして感謝したい方々がいます
「ついに大争闘は終わった。もはや罪はなく罪人もいない。全宇宙は清くなった。調和と喜びの唯一の脈拍が、広大な大宇宙に脈打つ。いっさいを創造されたお方から、生命と光と喜びが、無限に広がっていく空間に流れ出る。最も微細な原子から最大の世界に至るまで、万物は、生物も無生物も、かげりのない美しさをと完全な喜びをもって、神は愛であると告げる」

この地上でそうであったように・・・
そのときも・・・
「とっても小さな証」を一緒に・・・したいものです。
「神は愛である・・・」と。
78  himawari ID:k3XGGSlQ   2010/06/14 09:14
先日ある教会の礼拝に参加させていただきました。
その礼拝の中でメッセージを下さった方は、
旦那さんがマルチ商法的な投資にだまされてしまい、
多額の投資を行ってしまって、夫婦で食べるにもこまり、
いろいろなものを失ったそうです。
それでもその方は祈り続け、復活の主に出会った喜びを持って
日本各地で宣教されているそうです。
だんなさんもクリスチャンになることができたそうですが、
今は宣教の事もあり、夫婦別に暮らしているそうです。
しかし、主にあってひとつにつながれているので、感謝しているというお話でした。
旦那さんが原因とはいえ、財産や生活基盤を失い、
携帯電話の所有さえ危うい現状のようですが、
それでも全身で主を賛美し、復活の主の証人として、
立派にたたれている事が、本当に美しく感じました。
そして、心でつながれていても、愛する旦那さんと離れて宣教される、
こういった犠牲ができる事もとても立派な事で、
イエスの御名、聖霊の働きがないと、なかなかできない事だと思います。

牛舎に牛がいなくなっても、
ぶどうが実らなくても、
主にあって喜ぶ

まさにそのような世界をその方から感じました。
クリスチャンの本当の喜びを見ると、
本当に復活の主に出会った人を見ると、
イエスの御名以外には何もいらないのですね。
本当にその世界が高尚で神秘的だと思います。
経験していない人にとっては、おろかに見え、
たわごとのように聞こえますが、
実際イエスに従った弟子達はみな、
家族も捨て、家も捨て、従いました。
漁師だった人は、生活基盤であり最も重要な船と網を捨てて、
従いました。この時代にも復活の主と出会った人たちは、
まさに人生の全てを捨てて、
家族も家も、生活の全ても捨てて、
主に従うことができるのだと改めて感じ、
その方の恵みを分けていただいた気持ちでした。
礼拝を通じて霊は満腹になりました。
主よ本当によき御名を下さってありがとうございます。
そして、よきイエスの御名によって、
このような救いの歴史をなしてくださって感謝します。
79  ひかり ID:mq5Er/qQ   2010/06/14 12:00
こんにちわ himawariさん
返事ありがとうございます。

あなたが指摘しているように、同じ「キリスト者」でも、中傷、罵倒に陥っている兄弟姉妹の投稿には、うんざりですが、聖書をよく読めば、主に選ばれたユダヤ人の選民意識がキリスト教徒にも受け継がれていることだとおもいます。お互い悪魔に支配されないで、主に支配されるようにお祈りしましょうね。

ところで「小さな証」を紹介します。

今礼拝に主席している教会のある姉妹(年配のかた」の主人が天に召されました。
この方は未信者で、一度も教会に出席したことがなく、信仰に無関心なひとでしたが、病に冒され病床でイエスさまを約1ヶ月前に受け入れたそうです。そして葬儀は本人の希望にそってキリスト教式でおこなわれ、キリスト者のすくないこの田舎では、よき証になり姉妹は知人たちが、キリスト教の葬儀にたいして好意的に受けいられ喜んでいた話していました。

この話を聞いて 今 未信者の両親も可能性はあることを強く感じ、
旧約聖書の「伝道の書」の聖句  にある「00する時が備わっている」ことを思い出します。
80  himawari ID:k3XGGSlQ   2010/06/14 12:31
ひかりさんへ

>>79
私も選民意識の中での、選民の中にある罪を排除する動きは重要だと思います。ただ、選民以外にもサタンの支配が本当に邪悪で悪意に満ちている事を感じ、神への冒涜は神を愛する者にとって苦痛だと感じます。選民意識が優先されるべき事は承知しておりますが、あらゆるサタンの策略と攻撃に対して神の御子の御名による御力をもって、全世界、全人類から排除していきたいものです。聖書にあるように、一人も滅びる事を願われない方ですから。全世界に御国の福音が伝えられて、全国民に証されてから、終わりの日が来るという旨の聖句がありますので、今日も一人でも多くの人が救われるように、そして一人でも多くのクリスチャンが主に再度深く立ち返り、サタンを追い出しますように願っております。
81  ひかり ID:itKe4uq2   2010/08/13 16:20
『窃盗事件」にであった。

テサロニケの信徒への手紙  1

5章16~18
いつも喜んでいなさい。
絶えずいのりなさい
どんなことにも感謝しなさい
これこそ、キリスト、イエスにおいて、神があなたがたに 望んでおられることです。

こんにちわ おちこぼれさん himawariさん
証シリーズはいろいろあり、わたしはこのコーナで投稿します。

最近盗難事件に出会いました。
8月9~10日にキャンプに出かけ、帰りに自宅に近い場所(約10Km)にある温泉を利用したときのことです。
脱衣場で鍵をかけて入浴したのですが、入浴を済ませ鍵を探すと、見つからないのです。

浴槽におとしているかもしれないし、体を洗った場所かもしれないなど
再びもどって確かめたのですが、ないのです。
しかたがないので温泉の管理人に来てもらい、鍵が閉まっているロッカー
を開けてもらい(そのとき利用者は5~8人)だったので5回ほどあけてもらったが、私の私物はなかった。
「なぜないのか?」推測するには、犯人が拾った鍵を利用してロッカーを開け、私物をすべて盛り去った。  

これにちがいない、管理人さんは「夜10時ころ温泉を閉めるので、その結果その私物があるのか、連絡します。」と私に伝え、私はその時間をまったが、予想どおり『ありません』との返事だった。

私物の中に車の鍵もあったので、夜 犯人がその鍵で車を開けて、現金4万円、眼鏡 キャッシュカードなど、貴重品があるものが持ち出されることも
考えられる。
車の盗難もありうる。

管理人さんは,「帰宅するので、防犯カメラを働かせるけれど、この場所で監視したほうがいいです。」
という。
私は眼鏡は車の中にあるし、夜なので眼鏡がないと危険なので、その場所に行くことをやめ、神様にいのった。
『御心ならば車が盗まれないように」と

翌日11日朝自宅から自転車約1時間こいでその場所に向かった。
坂道ありの道路は夏なので気温は30度くらいで汗がタラタラだった。
ようやくその場所につくと、「車があった!」
神様感謝します。

そして上記に御言葉を思い出した。
幸い犯人は夜車の中身を空けた形跡が、財布の中が無事だったのでわかった。
警察官に被害届けを出し、調書をとられた。
自動車を購入した会社から、社員がロックになったドアーをあけてくれた。
キャンプしたところが有名な寺院のある場所なので、母はご利益でなく、災難にあうなんてと、嘆いていた。
これがイエス様に救われた人の考えとの違いだろうと、感じた。



82  おちこぼれ ID:t9qslFPg   2010/08/14 06:52
ひかりさん
おはようございます
大変だったですね・・・
信仰が大きく成長されている姿を見させていただいています。

さて、先週安息日に、教会の子供たちに>>70の証の話をしました。
さすがに事故の様子は正確には話せませんでしたが・・・
しかし、証を聴き終わると、子供達はいっせいに明るい大歓声をあげて、「イエス様ってすご~い!」と大喜びでした
そして、この証が書いてある本を読みたいと言うので、大人が読む本を小さい手にとって読めない漢字をたどりながら熱心に読んでいました。

さて、素晴らしいお働きをされたクリスチャンの方の証・・
「私から証をこれほどたくさん受け取ったにもかかわらず、そのメッセージを拒み続けるこの教会に対し、働きかけるだけの力を私は持たない。・・・私がこれ以上言っても状態が良くなるとは思えない。彼らは神様の霊の訴えを退けた。 彼らのかたくなさを打ち砕くための力を神様がこれ以上持っておられるとは思わない・・・私は未信者に話すほうがずっと気楽である。彼らは興味を示し、それらが神様の霊感によって語られた言葉のようだと言う。ああ、多くの光を与えられた指導者達がいるその場所こそ、世界で最も語るのが困難な場所である。彼らは真理を示されたが、光より闇を選んだ。そのかたくなな不信の結ぶ実がどのようなものか明らかになるのはこれからである」

東ヨーロッパ・・・かつて共産主義でずっと宗教の自由が抑圧されていた国々・・・
そこで40年?以上・・・
たった一人で安息日に礼拝し、守っておられた方がいらっしゃいました。

冷戦が終わったある時、教会の子供達が
「今日は、ずっと向こうのあの家に行ってみよう!」と言いました。
そして、彼女の家にみんなでやってきました。そしてこの方を教会に誘ったのでした

安息日、彼女が教会に入ると、流れる讃美歌、礼拝説教、見るものすべてに感動され・・・
彼女は、涙を流され、「子羊の婚宴のようだった・・・」と証されました。
そして、それが彼女の何十年にわたった最後の安息日でした。彼女は数日して間もなく息を引き取ったのでした。
何十年の間、たった一人で信仰を守り通した彼女・・・
その生涯の最後に神様がご自身の教会に彼女をお導きになられたのでした。

「子羊の婚宴のようだった・・・」
同じ場所、同じ教会にいて、同じ証、同じ讃美歌を聞いていても・・・
彼女には特別な安息日だったことでしょう

もし、これがなくなったら・・・
何かこの地上で一番大切な事を失っているように思えるのです
83  ひかり ID:gaPy3cPM   2010/08/16 12:24
盗難事件  その2

マタイによる福音書7章7~8節

求めなさい。
そうすれば与えられる。
探しなさい。
そうすれば 見つかる。
門をたたきなさい。
そうすれば 開かれる。
だれでも 求めるものは受け 探すものは見つけ、
門をたたく者には 開かれる。

こんにちわ おちこぼれさん  
感想ありがとうございます。

あなたが接している教会の子供たちが『神様の恵みや存在」を感じる話をこの証シリーズで紹介してくださいね。
短い話でいいですから。

さて前回の話のつづきです。
盗難事件に出会い 車のスペアキーもなくしたので、工具センターで鍵をつくってもらいにでかけました。

ところが今もっている鍵は「スペアキー」を元に製作したもので、それをさらに模造すると精度が落ちて、今回買った鍵は3回 鍵の一部を削って使えるようにしたのですが、結果的にはだめでした。

その鍵は車のエンジンを点火することは、可能ですが、そのまえの車のドアーを開けることが不可能です。鍵があと30度くらい回転すればいいのですが、それができないのです。

もちろん車を購入したメーカの担当者にはスペアキー購入を依頼しまた。
しかしスペアキーがないと、自宅から出かけることが無理だし、工具センターの店員が『今の鍵は少し変形しているので、使用しづけると変形が進んで使用できなくなる可能性がおおきいです」と言う

がっかりして今回買った『使用できない鍵」を『使用できる鍵」にする方法をその夜 考えた。
そのとき浮かんだ聖句が上記の聖句です。
この御言葉にはいままで、なんかい困難なとき道を開いてくれるきっかけになったことでしょう。

まず二つの鍵を見比べ きずいたことは、鍵の形状に一部すこしだけ異なっていることを発見し、ヤスリでその両面を少し削り落とし、三角形にちかくしました。

翌日の 朝 その鍵を持ってくるまのドアーをいじったら、
あらふしぎ「ドアーが開いた!」 
 神様 感謝します  

主は小さな祈りを聞き入れてくださったのです。
84  おちこぼれ ID:E64utvp.   2010/08/17 02:23
ひかりさん
よかったですね!
子どもたちにも、若者達にも、この「小さな証」と特に違う話はしていませんよ。
表現は少しずつ変えてはいますが・・・

さて・・
「祈りは努めてしなければなりません。何物にも邪魔されてはなりません。イエス様とあなたの魂との交わりを常に保つことができるよう全力を尽くさなければなりません。そして祈りがささげられるところへは、努めて機会あるごとに行かなければなりません。神様と本当に交わりたいと求める人は、祈祷会に出席し、自分の義務を忠実に尽くし、できる限りの利益を得ようと思って熱心です。彼らは、天からの光を受けるところへはできるだけ機会をつくっていきます。」
キリストへの道 ~祈りの特権~

さて、ある祈祷会の日・・・
祈祷会は1時間・・・教会まで往復3時間・・・電車賃もかかるし、なんて恥ずかしいことを思っていました
しかし、祈祷会に行くことにします。
その日、祈祷会であげられた課題は、特にその次の週に迫っている夏季聖書学校についての祈りでした。
夏季聖書学校は子供達だけで約160人が集まり、大人のスタッフは150人・・・300名近い人々が、日中4日間教会で過ごす1大イベントでした。

さて、その祈祷会の祈りが終わって、帰ろうとすると教会の台所に灯りがついてました。
何気なく、行って見ると・・・牧師さん方が深刻な顔をされていました。

見ると、冷蔵庫、冷凍庫内の温度が上がってしまっている・・・
そこには、夏季聖書学校の何百名分の昼食の食料がいっぱいに入っていました。
冷蔵庫の作動音もかなり大きくなっており、かなりやばい状況でした。
係りの方にお話を聞いていると・・・
「それはフィルターですよ~」と・・・思わず声が出てしまい・・・
すぐに謝って「すみません、僕仕事で冷蔵庫の修理もしているので・・・」
フィルターの場所を聞いて、脚立に登って見ると・・・フィルターにびっしりほこりが・・・
空気の通る穴がありませんでした。
掃除機で掃除・・・
フィルターを元に戻すと、音が正常に戻りました。そして庫内温度が下がっていったのです。
その後夏季聖書学校は終わり、特に食中毒の話も聞きませんでしたら、
無事に主が御守りくださったのでしょう
主イエス様にとっても感謝です。
もし、食料が悪くなってしまったら、大変な喪失でした。ましてや食中毒などなったら・・・
祈祷会行ってよかった、と反省しました。
次の週、祈祷会・・・
しかし、夕方重要な会議が前もって入っていました
予定では終わるのは1時間後
それから教会に行っていたら間に合いません
「今日は休みなさい・・・ということかな」なんて・・・(^^;)
会議が始りました。
心の中で、「御心でしたら、いけますように・・・」
すると・・・会議はなんと30分で終わってしまいました。
議長の先生が「今日はスムーズに終わりましたね」

僕にとっては天のお導き・・・
用事をすませ、教会へ喜びいっぱいで出かけました
神様が力強い御手によって導いておられるように思えました

後日、この話を職場の食堂で話していたら、以前ミッションスクールにいらしたと言う方が
「それは・・さぼっちゃいけないですね~」と言われ
思わず、苦笑い・・・(^^;)

「最高の教育を受けた者にも、最も無学な者にも、はっきり示される証拠は経験という確証です。神様はみ言葉の真実なこと、み約束の真実であることを私たちが自ら試してみるようにと言われました。神様は私たちに「主の恵み深きことを味わい知れ、」(詩篇34―9)とお命じになりました。ほかの人の言葉に頼らないで、自分で味わってみなければなりません。神様は「求めなさい、そうすれば、与えられるであろう。」(ヨハネ16―24)とおっしゃるのですから、この約束を間違いなく果たしてくださいます。神様の約束は今まで果たされなかったこともなければ、これからも果たされないことはありません。そして私たちがイエス様に近づき、イエス様の溢れる愛にひたるとき、イエス様の御臨在の光に私たちの疑いも暗さも消え去ってしまうのです。」
キリストへの道 ~疑いをどうするべきか~

これは現実・・・かつては「疑い」が「もぐらたたきゲーム」のように打ち消しても、打ち消しても心の中に浮かんで出てきたものでした。とっても苦しいものでした
しかし・・・「私たちの疑いも暗さも消え去ってしまうのです」

主イエス様に栄光がありますように
主は憐れみ深く、また御言葉と御約束は真実です
85  himawari ID:Eg8i.mDQ   2010/08/18 09:50
>>84
おちこぼれさんへ

祈りや祈祷会への義務や熱意がとても良き道へ導いて下さったのですね。
主の豊かな恵みを感じました。

礼拝もそうですが、礼拝の義務があり、
また信じる人々には礼拝したい熱意があるものですが、
義務感を感じたり、多少億劫に感じるときでさえ、
礼拝に参加さえすれば恵みをより豊かに与えられ、
自分では考え得なかった恵みが与えられたりと、
聖書が教える当然すべき事柄は、
神様が私たちを縛り付けるものではなく、
かえって神様の与えようとしておられる恵みを
より豊かに与えられる機会となっている事を感じます。
進んで捧げる、進んで参加する人に
より豊かな恵みが注がれると思いますが、
義務感からでも捧げたり参加したりさえすれば、
驚くほどに満たして下さるという事を痛感する日々です。
主が差し伸べておられる手を払いのける者ではなく、
主が差し伸べておられる手に感激の涙をもって感謝して受ける者に
なりたいものです。
主の恵みをこぼしてこぼす、
主が毎日下さる恵みのほんの一部しか気付けていない、
そういう私だと思うのですが、
この小さな器であっても、最大限恵みを受け取れるよう
努力し主の無条件の恵みを少しでも頂ける様に
日々生きて行きたいものです。

「主の恵み深きことを味わい知れ」という聖句については、
イエス様の御言葉をかみしめるほどに、
どの御言葉も私の内面をきよめ新たにし、
この世では得る事のできないような安らぎと平安を与えられます。
豊かな慰めをも受け、生きる力がわいてまいります。
主の御言葉だけが私の心を心底なぐさめ感動を与え、
私自身が本当に願う道を教えて下さいます。
仮に御言葉を下さった方がどなたか知らないとしても、
それでも私自身が切に願っている教えと導きである事は確かだと感じます。
御言葉以外に私の渇きを満たすものは私の人生で今のところありません。
86  おちこぼれ ID:bo5TsW7Y   2010/08/18 12:52
himawariさん
ありがとうございます
このスレッドは他のクリスチャンの証を集めたのですが、ちょっと変更させていただいて・・・

さて、僕が12月に洗礼を受けさせていただいた時、その場にいた信者さんがこう話しました。
「洗礼受けたら、試練が来るよ。それは、神様があなたを愛していないからくるのではなく、愛しているからくるんだよ」
その話を聞きながら、(これで試練が来なかったらどうしよう・・・)
と思いました。
さて、1月、大学の学年末試験がありました。ひょっとして・・・
やっぱり、その試験の日が安息日にあたりました。
まず、大学の教務部に行って、追試でもいいので別の日に受けさせていただけないか、お願いに行きました。すぐに断られました。
続いて、学生相談室に行きました。しかし、相談員の方は「学校では今まで、そういうことを認めたことがない」との返事でした。
もう一度、教務部にお願いにいきました。やはり、断られました。

その間、どれほど、聖書を研究し、祈ったことか・・・
もしかしたら、自分の聖書の理解がまちがっているかもしれない・・・
「サタンは不信の念を引き起こすことに失敗したとき、われわれを独断的な信仰におちいらせることに成功することがたびたびある。サタンはわれわれが不必要に誘惑の道に身をおくようにさせることができれば、勝利は自分のものであることを知っている。神様は服従の道を歩む者はだれでもまもってくださるが、その道から離れることはあえてサタンの側にはいっていくことである。そこではわれわれは必ずつまづいてしまうのである。救い主は「誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。」とお命じになった。瞑想と祈りとは、われわれが自分から危険の道にとびこまないようにする。こうしてわれわれは多くの敗北から救われるのである。」

すると、大学の法学部の学生指導の先生方から呼び出されました。
二人の多分教授の方が、前に座られました。
「君は大学に迷惑をかけてまで試験を受けたいのかね」と聞かれたので
「いえ、大学に迷惑をかけてまでは受けたいとは思いませんが、もしできることでしたら受けさせてください」と言いました。

そして、大学約100年の歴史の中で・・・初めて、別の日に試験を受けさせていただいたのでした。

イスラエルの人々が紅海をわたった事に関して・・・
「ここに教えられている驚くべき教訓は、いつの時代にもあてはまるのである。クリスチャンの生涯は、しばしば危険にさらされ、義務を果たすことが困難に思われる。われわれは前方には滅び、後方には束縛や死が迫っているように考える。それにもかかわらず、神様の御声は明らかに「前進せよ」と語っている。われわれの目が、暗黒を貫いて見ることができなくても、また、冷たい波を足元に感じても、われわれはこの命令に従わなければならない。われわれの前進を妨げる障害物は、ためらったり疑ったりしていては取り去られることはない。すべての不安のかげが消えうせ、失敗や敗北の危険が全くなるなるまで服従をのばす者は、絶対に服従することはない。『障害物が除かれて、われわれの道が明らかに見えるようになるまで待とう』と不信はささやく。しかし、信仰はすべてを望み、すべてを信じておおしく前進することを勧める。
 エジプト人にとって、暗黒の壁であった雲は、ヘブル人には全陣営を照らし、彼らの行く手に光を投げかける大いなる照明の光であった。そのように摂理のうちになされることは、信じない者には暗黒と絶望をもたらすが、信じ、よりたのむ魂には輝く光明であり、平和である。神様がお導きになる道は、荒野や海を通っているかもしらないが、安全な道なのである。」

とっても不思議な道ですが・・・
イエス様の測り知れないお恵みによってのみ、歩むことの出来る確かな道です。
87  おちこぼれ ID:Za96PK2U   2010/08/18 22:46
さて、あくる年、再び学年末テストが安息日にあたりました。
「去年、試験受けさせていただいたから、今年も大丈夫かな?」なんて思って教務室へ行きました。
お願いすると・・・「ダメです!」と一蹴・・・
また聖書を必死で調べ、お祈りすることになりました。
すると・・・無事に安息日ではなく、火曜日に試験を受けさせていただけることになったのです。

最終学年4年生、4月30日に出す科目選択の書類提出の日、それは安息日でした。
学則を見ると、「その日に提出しない者は、退学処分とする」と、わざわざゴシック体でかいてありました。
29日、朝早くから、教務にお願いに行きました。「すみません、今日受け取っていただけないでしょうか」「ダメです・・・」
もうキャンパス歩きながら、必死に祈ります。
お昼、もう一度教務室にお願いに行きました。すると、窓口に行列が出来ていて同じように、金曜日に受け取ってもらおうとしていた人が次々断られているのを見ました。
急いで教務室から出ました。もはや、食事は喉を通りません・・・
図々しくも、ダニエルさんの3人の友達のことも思い出し、
「もし、そんなことになれば、わたしたちの仕えている神様は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また、王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」
この「たといそうでなくても・・・」の言葉が何度も、何度も心に湧き上がります。

そして夕方4時、教務室が閉まる時間でした。
「これでダメだったら、学校辞めよう」と教務室に向かいます。
眼鏡をかけられた女性の方が受付にすわっていらっしゃいました。
「こういう理由で明日もってこられないんのですが・・・」
すると・・・その方は気の毒そうな顔をされて
「そうですか、それでは火曜日に持ってきてください・・・」とおっしゃったのです。

感謝と感動・・・
声1つ出すことできず・・・教務から出るときのあの光景を・・・
今でも・・・しっかりと覚えています

「仕事の上でいろいろな困難が起こり、前途はますます暗くなり、損失が目前に迫ることもありましょう。しかし失望してはなりません。心配をみな神様に任せて、平静、快活にしていましょう。賢く物事を処理できる知恵を神様に祈るとき、損失、失敗を免れることができるのです。良い結果をもたらすように、全力を尽くして自分の分を果たさなければなりません。イエス様は助けを約束しておられるといって、何も努力しなくて良いというのではありません。私たちの助け主により頼んで最善を尽くしたならば、結果はなんでも喜んで受け入れましょう」
~キリストへの道~

罪深く、平静でもなく、快活でなく、信仰もなく、暗く、悲壮な顔をして、証し人とは程遠く、キャンパスをとぼとぼと歩きながら、祈っていた者に・・・
憐れみと、勇気と力とをもって支えたもう主に、心より感謝いたします。
88  おちこぼれ ID:DtSDsVrc   2010/08/19 07:10
さて、次に迎えたのが大学の卒業式・・・それが安息日でした。すべての学生が見る掲示板に大きく掛かれました。
「卒業式に来ない学生は、卒業証明書を発行しない」と・・・
卒業証明書がないと、入社式に持っていけないことになります。
しかし、その時は「今まで、守ってきてくださったイエス様は、必ず導いてくださる」との思いがあたられ、お祈りして安息日,教会へ・・・
そして迎える月曜日・・・教務部へ行って卒業証明書をお願いすると「どうぞ、どうぞ」とすぐにいただきました。

就職して・・・まず始まりの8日間の新人の缶詰合宿・・・当然安息日も研修でした・・・
しかしこの時も一人許され教会へ。
続いて工場の長い実習、配属された三交代の班が唯一安息日にかからないようにスケジュールが組まれていました。

それから10数年・・・神様は毎回安息日をお守りくださり、支え続けてくださいました。

しかし・・・そのように安息日を守る力は、
自分の聖書研究、自分の信仰、自分の祈り・・・と長い間思ってきました。

それが・・・
陰の祈り、そして、教会で、隣に座ってくれる人、賛美歌を歌ってくれる聖歌隊、オルガンを弾く方々、放送を整えてくださる方々、教会の食事に誘ってくださる方々、花を生けてくださる方々、受付の方々、そしてずっと,それまで教会を支えてきてくださった信徒の方々、聖書を伝えてくださった方々、真理を保ってきてくださった方々、牧師さん、声をかけてくださった方々・・・
その愛、許し、忍耐、奉仕・・・

すべて何もかも・・・おかげさまで・・・支えてきてくださっている・・・
そんな当たり前の事に気づいたのは・・・10年以上過ぎてからのことでした。

「神様の愛が本当によくわかった時に、罪の深さがわかるのです。私たちを救うために下げられている鎖の長さを知り、キリストが身代わりになって払われた限りない犠牲をいくらかでも悟るとき、心は言い知れない感謝にあふれ、悔いくずれおれずにはいられないのです。」
89  おちこぼれ ID:DtSDsVrc   2010/08/19 21:12
さて、洗礼を受けた頃は、安息日を守ることについて・・・
いつでも後に・・・「ああ、今回も笑顔で乗り越えられなかった・・・」とお詫びする心が残りました。

イエス様のために自分をささげることの特権、喜び、イエス様のお力に気がつかなかったからです。
「イエス様に自己を捧げると決めてしまうといい」
どうしようか、と迷うと苦しみます。しかし、イエス様に捧げると決めてしまうと、とっても楽になります。

しかし、この心は天から来るもの・・・
数々の失敗、イエス様の証をしない人生のむなしさ・・・を通し、
証に感動したり、書いたりできることや、いえ,
信仰そのものも、全ては一方的な賜物であることに気づくようになります
イエス様に栄光が世々限りなくありますように。

さて、やがて専門学校に入ることになりました。まずは、安息日を守れることを第一の条件に学校を探しました。学校案内を見て、また入学試験の中の面接試験でも安息日を守れることを、面接官に確認しました。そして入学することができました。

ところが卒業年になって・・・
大学病院での臨床実習が始まります。すると・・・
安息日に「学校へ出てきなさい」、との命令をいただきました。
校長先生、担任の先生との話は平行線に終わりました。1年生の時の担任の先生が来て、「私なら(君を)とっくに切っている」とのお言葉をいただきました。
そして、校長室で学科長でもある校長先生と面接することになりました。

しかし、その時は・・・
以前のような「お助けください!」という心ではありませんでした。
心は喜びにあふれ、「証の時が来た」との心でいっぱいになります。これは本当にすごいことです。

面接になりました、教会へ行くので・・・と理由を話しても平行線でした。
そこで教会の証を話し始めました。すると・・・
怒っていた先生の顔がやわらぎ始めます。「そんなきとくな方がいらっしゃるんだ・・・」とポツリとおっしゃいました。そしてその証を文章で書くようにおっしゃいました。合計3枚・・・
これが、「小さな証」の始まりでした。
校長先生も、副校長先生も笑顔でいっぱいになり、その証は専門学校、各大学の先生方、そして学生達にもひろがりました。
そして、最初は学校側も、単位もあげない、卒業もさせない、後期の授業料も振込用紙も送ってこない、成績表もださなかった状態でしたが・・・
単位もいただき、振込用紙もいただき、卒業することができました。副校長先生、校長先生とも笑顔で話せるようになったのです。

そして、その「小さな証」は、様々なありとあらゆる階層、また医療メーカーの心ある方々に広がり、
キリスト教の学校、病院、海外の伝道地に・・・
もう3年間以上にわたり、心電計や超音波診断装置、分娩監視装置、血糖自己測定機などなどの数々の医療機器やパソコン、大量の消耗品、などが贈られることになります。それは今もなお続いています。

「神様は大いなる愛をもって、わたしたちのうちに聖霊による尊い徳を育成しようとしておられます。神様がわたしたちに障害や迫害や困難のくるのをお許しになるのは、のろいとしてでなく、わたしたちの生涯の最高の祝福としてです。うち勝ったあらゆる試み、勇敢に耐えたすべての試練は、わたしたちに新しい経験を与え、わたしたちの品性建設の働きを推し進めます。神様のみ力によって試みに抵抗した人は、世界と全天にキリストの恵みの力をあらわすのです。」

数々のプレゼントだけが嬉しかったのではありません。イエス様の証がそれほど多くの人々の心に伝わったことが嬉しかったのです。
畏れ多いですが、最高の祝福であることは事実です。そして神様のお力によってのみ・・・こうすることができるもの厳粛な事実です。

「外見上どんなにりっぱに律法をまもってみても、それは、単純な信仰と全的自己否定の代わりにはならない。しかし、人間は、自分で自分をむなしくすることはできない。ただキリストが働いてくださることに同意することができるに過ぎない。そうすれば魂は次のように言うようになろう。わたしは弱いのです。そして少しもキリストに似ていません。このようなわたしですが、どうぞお救いください。主よ、私の心をお受けください。わたしはこれをささげることはできません。これは、あなたのものです。どうそきよく保ってください。これを、わたしが保っていることはできません。そうぞ、わたしを練り、形造り、清い聖なる雰囲気の中に引き上げて、あなたの豊かな愛の流れが、わたしを通って流れ出るようにしてください。
 この自己否定は、クリスチャン生活の出発において行うばかりでなくて、天に向かって前進するごとに、新たにしなければならないことである。」
~豊かな人生の秘訣~より

人生、何が祝福か・・・
主のお恵みにより、イエス様の証が、周りの方々に広がっていく・・・
これに勝る喜びや特権は、世には絶対にありません。

さて、himawariさん、安息日礼拝の証はこのくらいで良いでしょうか?
もちろんまだまだ、素晴らしい証がたくさんあります
しかし、イエス様の恵みの証は他にも数限りなくあるのです
90  himawari ID:rZuPbfpM   2010/08/20 09:07
>>89
おちこぼれさんへ

信仰において力強く、
主の恵みにおいて豊かな祝福の証をありがとうございます。

おちこぼれさんの信仰があまりに素晴らしいので、
私にお話をふって頂けることが恐縮です。

自分自身の信仰というものは、
自分自身でいくらでも妥協でき、
いくらでも都合よく解釈できるものですが、
おちこぼれさんの証をうかがいながら、
とても厳密に主を愛し主の戒めを守ろうとされる、
その美しい信仰の姿が想われました。
おちこぼれさんの信仰は、
自己満足や自慢といったものではなく、
主に喜ばれ、主の愛する人々に揺るぎない信仰と勇気とを与えてくれる、
そういう美しい信仰だと感じます。

ある方は、安息日を守る事ができなくてつらいときがあるから、
「安息日に無理してこないで良いよ」と言ってほしい、
そういう風におっしゃっていましたが、
安息日を守る事が負担に感じられるならば、
そのような気持ちになる事も仕方ありませんが、
そのような言葉や心構えが必要な人がいれば、そうでない人もいます。

律法や戒めというものは、
本来私たちを拘束するものではなく、
私たちが苦しむ事がないよう、
私たちの歩むべき道を明確に教えて下さった愛のおきてです。
安息日を守りなさいという教えを守る人には、
守らない人よりもたくさんの恵みと祝福が注がれるものです。
律法を無視すれば私たちの霊が苦しみ、
律法を守れば私たちの霊はやすらぎます。
ここに律法を下さった神の愛は確かな証として
私たちのうちに現れます。

安息日を守る事は、私たちが毎週主から恵みを頂き、
毎週主をあがめ、毎週主の下さる平安に与る、
その通路ですから、
想いを尽くして心を尽くして安息日を守ろうとする事は、
その人自身にとってとても大きな恵みの道であります。
信仰の日々を重ねれば重ねるほど、
主は、主ご自身が私たちを限りなく愛しておられる事を
最大限伝えようとし、最大限与えようとされている、
その慈しみとあわれみの御心を痛切に感じるものです。

安息日を守る事よりも大切な事は、
安息日を守ろうとする、その素直で率直な主への愛と、
安息日を守る事でより強力に主に守られ、
より甚大に主の恵みに与れる事と信じております。

おちこぼれさんの証をうかがいながら、
私自身もより厳密に安息日を守りたいという熱意がまた新たにされ、
さらに深められました。とても感謝しております。

目に見えない主の慈しみへの感謝を、
言葉で表す事は大変難しい事ではありますが、
私のうちからこみ上げてくる感謝をもって、
主をほめたたえ、主に賛美をささげたいです。
91  小さき者 ID:d9Yti3a.   2010/08/20 18:48
「小さな証し」で、善意の運動が今も行われているのは主の恵ですね。
でも、おちこぼれさん、「小さな証し」に登場する名も無き人達に
感謝する気持ちが伝わってきませんよ。
なんだか、道具の一部のような印象を受けます。

え~!こんな「証し」ってあり?という「証し」ほど、本人の承諾を
受けているのかな?
キリスト教は、小さき者に愛を注ぐ宗教ですよね?
おちこぼれさんに足りないものはそれのような気がします。

おちこぼれさんの「小さな証し」は、結果=良い事、勝利に思えます。
確かに素晴らしい事ですが、うまくいかなかった事の中から神の御心を
汲み取る事も必要ではないですか?

今後も「小さな証し」が、主と皆様に喜ばれますように。
そして、名も無き証し人の方々の涙が、あなたの心に届きますように。
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