| 1 おちこぼれ ID:v8ZdUgjM |
2008/08/04 23:28 |
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教会建築(4)
「教会の椅子」はどのような椅子でしょうか。家の教会であれば、畳敷きに座布団かもしれませんね。
この時建てられた教会の椅子は、「年配の方がひざをおって座れる特注の椅子」でした。
ある時、教会を訪れた年配の方がおっしゃいました。「この椅子でよかった」
その方は第二次世界大戦中、仲間の日本兵と共にイギリス兵の捕虜になりました。そして、仲間の兵士がばたばた倒れていく中、強制労働をさせられました。
奥さんが教会に来るようになった時、そのご主人がこう言いました。
「その時、建てさせられたのが教会だぞ!」と。
その方も、教会の先を行かれるクリスチャンの姿を見て、心が溶かされ、洗礼をお受けになりました。
強制労働で作らせられた木の椅子、それがこの方の心に焼きついていました。それで、「この椅子でよかった」と喜んでいらっしゃったのです。
一度誤解になると、それを解くのは不可能かとも思われます。しかし、真のクリスチャンの生き方は、厚い壁をも壊していきます。
先ほどの奥さんは、ずっと親御さんの面倒を見てこられた方でした。信仰の先を行かれる方も何度もお見舞いに行かれ、一緒にお世話をされていました。
しかし、その親御さんが亡くなられると、奥さんは急に虚しくなり、落ち込んでしまったのです。
ある時、先を行かれる方がお祈りをされていました。すると、その奥さんがうずくまり、落ちこんでいる姿を見せられたそうです。すぐに、その奥さんに電話をかけられました。
その奥さんは電話をで出るやいなや、「今丁度、あなたに電話をかけようとして電話番号をさがしていたの。でも見つからなかったの」と叫びました。奥さんは教会にこられるようになり、洗礼を受けられました。
いちじくの木の下にいらっしゃったナタナエルさんをご存知であられたイエス様は悩んでおられる姿もご存知です。 |
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| 2 おちこぼれ ID:qNZHmlcY |
2008/08/05 13:28 |
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「友なき者の友」
さて、イエス様は日本人にはなじみのないお方でしょうか。また、雲の上のお方でしょうか。いえ、この方こそ「友なき者の友」でいらっしゃいます。ですので、友のいない人は一人もいないことになります。
教会で先を行かれる方が接しられる方々は「おちこぼれ」「自閉症」「閉じこもり」「借金魔」で「麻薬」「難病」などなどに苦しまれている人など、どうしてと思われるような人々ばかりです。
確かに「正しい人の復活の際、報いられる」と書いてありますが、本当に不思議です。
イエス様は安息日に大勢の人たちが神様の宮に行かれる時、たったお一人、ベデスダの池で38年間横になって、池を見続けていた方のところへ行かれます。また、みんなが軽蔑していた取税人マタイさんのところへ。
まるで、世界にイエス様の光の届かないところはない、とおっしゃっておられるかのようです。聖書を開くと、イエス様がお語りになられるのを聞くことができます。この聖書を伝えるため、「命をかけて」あるいは「命を落として」大勢の人々が戦ってきました。「キリスト教を広めるため」でしょうか?聖書が「神様の御声、御言葉だから」だと思います。
さてある時、信仰の先を行かれる方が「聖書関連の本」を読もうとしました。ところが、開こうとしてもどうしても開けませんでした。
「えい!」と力をかけて開きました。すると、そこには悪魔の方法、そして、それを見破る方法が書いていました。
こういう証は世界各国にあります。
ある牧師さんがいわゆる「霊媒師」の集会に行った時のことです。聖書ではそういうところには行ってはならない、と書いてありますが、その牧師は「あえて」いきます。すると、その集会の主が「今日、ここには来てはならない人が来ています」と言います。牧師は怖くなり、慌てて逃げ出します。すると、誰もいないのに後ろから捕まえられそうになります。「イエス様助けてください」と叫びます。すると、その手がぱっと外れます。家に帰って背中を見ると、背中に爪の後が残っていたそうです。
また朝鮮戦争のころ、ある教会員の息子さんが出兵しました。するとある時、「息子さんが戦死した」との連絡がアメリカ軍より来ます。
お母さんは、毎日嘆き悲しみます。するとある時、家をノックする音がします。それが「死人を呼び出す霊媒師への案内」でした。集会で「息子さんが現れて会いたい、と言っています」とのことでした。聖書ではそういうところへ行ってはならないと書いてあったため、行きませんでした。しかし、その案内が毎日来るのでお母さんは行くことにしました。そして、その集会に来てみると、その呼び出された「息子」に会いました。昔話もし「本物」でした。お母さんは、教会に行くことを止め、お金を払ってその集会に行くようになりました。そして言いました。「教会で言っていたことはうそだ」
ところがある時、また家をノックする音がしました。ドアを開けると「息子」が立っていました。「あれ、今日は会う日ではないわよ」とお母さんがびっくりして言いました。
息子は言いました。「何、言っているんだお母さん。僕は戦争に行って敵軍の捕虜になっていたんだ。友軍に助けられ、今日戻ってきたんだよ」。
お母さんは何がなんだか分からなくてびっくりしました。この後、このお母さんはその「偽者を見せた」霊媒師を相手取って裁判を起こしたそうです。夏なのでというわけではないですが、全て現実の話です。
もし、今まで書いてきた光の力強い天使の方々がいらっしゃらなかったら、恐れて当然です。しかし、「友なき友」のイエス様はすでに悪魔に勝ったお方です。忠実な一人の魂が悪魔に連れ去れるぐらいならば、天国の全ての天使をお遣わしになられても、その魂を守られます。あるクリスチャンの家をゲリラ兵が攻撃しようと思ったとき、その家見ると天の軍勢が守っていて攻撃できなかったそうです。「イエス様、お助けください」の声にいつでもあの釘付けられた御手を伸ばしてお救いになられます。
『イエス様お助けください、私たちは死にそうです』この叫びを上げて、かえりみられない魂はないのです。 |
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| 3 おちこぼれ ID:GaFhQkK. |
2008/08/06 22:45 |
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「罪を憎まれる主」
「おちこぼれ」の僕が聖書の御言葉を引用するのは、ふさわしくないのですが、先日聖書を読んでいましたら、ウザという人が「十戒」の入っていた神様の箱を牛車にのせて運んでいたところ、牛がつまずいたため、「神様の箱」を押さえたところ、神様に打たれ、死んでしまったところを読みました。聖書の中に神様が命じられたように運ばなかったのも間違いではあるのですが・・・。
「イエス様が憎まれるものが、たった一つだけあった。それは罪だった。」
ある敬虔なクリスチャンの家に一人の女の子が住んでいました。ある時、その家の奥さんのヘアーネットがなくなってしまいました。その女の子を含め、家中の人に聞いても誰も知りませんでした。
ところが、イエス様はその奥さんに夢(幻か)で、こういう光景を見せられました。先ほどの女の子が一人でそのヘアーネットを燃やしている夢でした。
奥さんがその女の子に聞いてみると、確かにその女の子でした。
その子はとても真面目な子でしたが、「自分の罪」というものがわからず悩んでいました。この事件を通して、「神様は、こんな小さな罪をも憎まれるのだ」という事を知り、悔い改めました。
教会で礼拝の初めの賛美歌を会衆が立って歌い始めた時です。一人の男の子がバンッと倒れました。全てをご存知であったかのように、信仰の先を行かれる方がその子を静かに連れて行かれました。
聞いてみると、その子は夜な夜な外に出歩いて「いかがわしい」事をしていたことを話しました。
イエス様は全ての行為をご覧になられます。
「悔い改めよ、天国は近づいた」とイエス様は天国へ招いてくださっています。 |
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| 4 おちこぼれ ID:NLJ0p/yc |
2008/08/07 10:07 |
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「主イエス様のお力」
人には言えない悩み、たくさんの人が持っています。最近その中で、結構多くの方が持っているものが、「金縛り」「心霊写真」などサタン(敵という意味)特有の人を不安がらせる悩みでした。
クリスチャンの方々なら、必ず経験している「イエス様の御名にまさる名はなし」ということと、その悪魔でさえ信じておののいているイエス様のお力。
ある方が、ある普通の集会に出席していたとき、そこにいたある方が突然何やら呪文を唱え始めると、そこにいた方が椅子ごと宙に浮いたそうです。そして、次の人の前に来ると、その人もまた椅子ごと宙へ、そして次、次、とだんだんその方のところへ順番が近づいてきました。その方が「イエス様助けて!」と心の中で叫ぶとその人は前だけ通りすぎていきました。
アメリカではなんと「グランドピアノ」まで宙に浮くそうですから、すごいものです。戦争を引き起こし、恐ろしい犯罪を起こし、人を狂わせる、「敵」の力は今でも現実のものです。
このイエス様と悪魔の戦い、「敵」に勝利する秘訣を書いてあるのは、もちろん聖書です。(他にも、キリスト教の歴史を通して聖書にそって書いてあるのでとっても良い本には「各時代の大争闘」(福音社)があります。この本が書かれるにも壮絶な敵の妨害があり、著者も敵に殺されかかっていますが・・・しかし、イエス様が御守りになられ無事でした。)
敵が一番嫌がるのが、「イエス様のお力が大きくなること」です。敵の力を大きく言っているとだんだん勢力が大きくなるといわれています。逆にイエス様の愛、お力、強さ、偉大さのことを話しているとイエス様の勢力が強くなる、それで、この「小さな証(5)」はイエス様の証だけを載せようと決心しています。
イエス様はお弟子さん方にこうおっしゃっておられます。「だから、あなたがたに害を及ぼす者はまったく無いであろう」。すでに征服された敵として、見るようにとも言われています。
では、どうやってイエス様の御守りをいただくのか。詫びる心、「イエス様お助けください」「イエス様罪人の私をお許しください」の心、感謝の心、悔い改めの心、と教わっていることが、なんと、なんとありがたいことかと思います。
しかし、そのこともまだ知らず、なんと多くの人々が悩み、苦しんでいることか、恐れていることか。
「みんな、言えなくて黙っているだけなんだ」と思いました。
天使の方々は、「聖なるかな、聖なるかな」と同じお言葉を話していますが、そのことにより、神様に栄光を帰していると言われています。同じ証を何回言っても、良いそうです。
イエス様の証がありましたら、教えてください。 |
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| 5 おちこぼれ ID:YiAAOxUU |
2008/08/08 14:29 |
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無駄な?人生(1)
今、NPOでペットボトルの蓋を集めて、それによってワクチンを恵まれない子供たちに届けようという運動があるそうです。
「お金を出せばいいじゃん」「どうせ、ほとんど誰かのポケットにはいってしまうよ」
ごもっともなお話です。
捨ててしまうゴミのようなペットボトルの蓋でも、「人を助けることができるんだ」「それならば、ましてや人間は、はるかに優れたものじゃないか」
僕の好きな言葉があります。「たとえ救われる人がたった一人だったとしても、イエス様は十字架の苦しみを受けられたであろう」
「あなたの努力が、99人の人から嘲笑や迫害しかうけなかったとしても、もし一人が救われたら、あなたは神様のために立派なことをしたことになるのです」
「もし自分がそのたった一人だったらどうだろう。100人分感謝しなきゃ・・・」
教会にいるといろいろな方々に出会います。才能があり、知恵があり、やさしく、「世の中で大成功するよ」と思う人。約束された将来、有望な地位を捨て、富や誉がいっぱいあった、あるいは用意されていた人生を捨てて、「人の救いのため」微笑みつつ生きている方たち。これも、またすごい奇跡です。
教会のため、人の救いのため、全財産、全時間かけて働いていらっしゃる方がいます。
ある時、その方に救われた人がこうたずねられました。「どうしたら、お返しすることができますか」
その方が微笑んでおっしゃいました。「あなたが幸せになることよ」
道端におちているペットボトルの「ふた」でさえ、ちいさな命を助けようとしています。
イエス様は今もなお、大勢の天使の方々、そして人間をお遣わしになられ、人を救っておられます。 |
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| 6 おちこぼれ ID:U6YID.hw |
2008/08/10 00:06 |
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「恥ずかしい証」
現在、僕は一人暮らしをしています。さて、とりたて料理の能力もないし、またお金持ちでもありません。「節約、節約」と切り詰めていました。
すると、陰で僕の健康や生活の事を心から心配してくださり、祈ってくださっている方がおられるのでしょう。職場で食事を用意してくださるようになりました。しかも、栄養士の方が計算された、とっても健康的な食事でした。すべてご好意でした。
月曜日、昼、夜といただき、火曜日、昼、夜といただきました。その時、「ちょっと自己愛じみていて、この証は教会ではできないな」「食事が与えられた、なんて・・・」と不遜にも思っていました。
水曜日、当然ですが、昼、夜とも職場で食事が出ませんでした。そこで、昼は安い栄養バランスの全然とれていないごはんを買い、夜はレトルトのカレーと・・・。
体調が崩れ、ふと気がつきました。「恥ずかしい証と思って申し訳なかった」
次の日の木曜日、昼、夜といただきました。次の日、昼は自分で「健康に気をつけたしっかりした食事」を食べました。夜、本来なら職員の方が食べる食事がありました。しかし、「私の嫌いなものがはいっている!」と断りました。僕のほうに回ってきました。その嫌いなものはそう見えただけで、違うおかずでした。
主は霊的な数々の祝福をくださるお方であり、また愛情深い親のように、子供たちの健康のことも心に深くとめていらっしゃいます。
「各時代の大争闘」を書かれた方が生きておられた当時、なんと毎食三回、肉ばかりの食事が普通でした。若くして亡くなる方が多く、平均寿命は何と30代ぐらいだったと記録されています。著者も、ご主人もいつも病気がちでした。その中で、極度の貧困と戦いながら伝道をされていらっしゃいました。
また著者は息子さんをとっても小さいうちに亡くしておられます。しかし、その息子さんは亡くなる直前までイエス様に対する信仰、そしてご両親に対するいたわりの言葉を話し続けられたと記録されています。
ある時、著者にイエス様が、「食物の選択は賢く」すること、もちろん人によって体質、また環境が違いますし、病気だったりしてすべての人に一律には決められないけれど、菜食、穀類、果物などを中心とした食事を取りなさいとのメッセージが与えられました。
それから、教会の方々は世界で認められるほど長寿の健康が与えられ、長く主イエス様のために証しつづけることがゆるされるようになりました。
ちなみに嫌いな方もいらっしゃるとは思いますが、ケロッグコーンフレークの「シリアル」のアイデアを出したのは彼女であったと記録されています。
今、真心から人の健康を願って食物を準備してくださる人々が本当に少なくなりました。連日のニュースが、その氷山の一角を表しています。
イエス様はわがままな僕におっしゃっておられるようです。「わたしは限りない愛をもってあなたを愛している。それゆえ、私は絶えずあなたに真実を尽くしてきた」と。 |
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| 7 おちこぼれ ID:PzBpNosk |
2008/08/12 10:44 |
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無駄な?人生(2) ~クリスチャンには休暇がない~
「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」とは主イエス様のお言葉ですが、教会もまた、休暇のないところです。毎日、夜10時まで開かれていて、どのような人が何時来ても良いようになっています。
困っている人が来ると、「いつでも電話していいよ」とおっしゃいます。
灯台はいつでも灯りをともしていることに意義があります。「クリスチャンよ、イエス様の光はあなたから輝きでるのを決して忘れないでほしい。」
え~!毎日?
その献身的な姿は目に焼きついています。人が正しいことをしたいと願うのは、そのような姿を見るからなのかもしれません。
聖書の中に書いてあるイエス様のお姿 「彼は自分の魂の苦しみにより、光を見て満足する。」
ひょっとして、その光って、罪深い僕が悔い改める姿なのかなと思うと心に熱いものがこみ上げてきます。
多くの人が、自分の楽しみ、自分の人生、娯楽などに打ち騒いでいるとき、人の幸せのために生きる姿、それはなによりの説教です。
病院では病気の人は戦いです。それこそ休暇がありません。また、人生に絶望していたり、死んでしまいたいと思ったり、いじめられたりしている人々もまた戦いです。休暇はありません。少なくとも自分の場合はそうでした。
絶えざるお祈りのおかげで何度助けていただいたかわかりません。
教会ではバスで伝道旅行に行くときがあります。未信者のご家族の方々と一緒に交えての旅行です。みな、楽しく歌を歌ったり、証をしたりしていきます。皆で周りの景色に感動したり、とっても楽しい旅行です。
皆さん、楽しそうにされていますが、信仰の先を行く方々は、心の中ではずっと祈っていらっしゃいます。
さあ、ここまで書くと、「えー!たいへーん」となるでしょうか。
「伝道は最高のリクリエーションである」と有名な言葉があります。
証しているときや、人がイエス様の証に感動してくださる姿、涙ぐんでくださる姿、人生の重荷が軽くなる姿、それを見る喜び、それは最高級の“Re-Creation”(再創造)です。 |
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| 8 匿名さん ID:U16fCYjE |
2008/08/12 13:12 |
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| 9 おちこぼれ ID:A72hqH2s |
2008/08/22 09:25 |
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無駄な?人生(3) ~報いを受けない~
アメリカの証です。
あるご主人方が自分の奥さんの自慢話をしていました。「うちの奥さんの鼻の高いこと、世界一だ」「うちの奥さんの料理のうまいこと、世界一だ」などなど。
その時、ある男が言いました。「うちの奥さんの怒らないこと、これが世界一だ」と・・・。それを聞いた旦那さんが方はいっせいに「本当?」と言いました。アメリカでは奥さんがいばって?いるそうです。
「よし、それではみんなで見に行こう」「そうしよう」とみんなでその家に行くことになりました。
その時刻、夜の三時半・・・。
ご主人が家の戸をたたきました。「おーい今帰ったぞ!」「なんですって、今何時だとおもっているの」ではなく、奥さんはすぐに家をあけました。そこにいるのは、大勢のご主人の友達・・・。「今帰ったぞ、さあ、ご馳走、ご馳走!」とご主人はできるだけ奥さんを怒らせようとたきつけます。
「あんた、3時半になんか、出すものないわよ」ではなく、「ごめんなさいね、わたしは料理が下手だから、少しおまちくださいね」
奥さんはお料理を作り始めます。さすがの友達も、「わかった、わかった、お前の奥さん世界一だ」とみんな、食事ができる前に帰ってしまいました。
ようやく食事ができました。奥さんが運んでくると、「あら、お友達は?」 ご主人「帰ったよ、うん今帰った」 「え!帰った?あんた一人で食べなさい!」と御主人に頭からどばっとマカロニをかけた・・・のではなく、奥さんは「ごめんなさいね、私の料理の作るのが遅くて、みなさん帰ってしまったのね。あなた、どんなに恥ずかしい思いをしたか、ごめんなさいね」とご主人に謝ったそうです。
さすがのご主人も参ってしまいました。「おれは、お前にこんなにつらく当たるのに、どうしていつもやさしくしてくれるんだ?」 彼女のチャンスがやって来ました。
「あなたは、イエス様を信じて私と一緒に天国へ行ってくれません。ですから、この地上で、あなたをできるだけ幸せにしてあげるの。私の幸せは天国に行ってから、それから始まるのですから」
「ごめんね、ぼくが悪かったよ」
この後ご主人はイエス様を信じ、教会の長老さんになったそうです。
地獄におちた金持ちに「あなたは生前良いものを受けた」とアブラハムさんが話す場面がラザロさんのたとえに書いてあります。また、聖書には「すでに報いを受けてしまっている」人々のことも書いてあります。「この地上でみんなの人に褒められたら災いである」ともあります。
さて、それでは天国での報いは?
「イエス様の死が無駄にならないように、祈りましょう」とのお言葉があります。
ある言葉を思い出しました。「人類は絶対に滅びてはならないのです。なぜなら、イエス様の傷は、永遠にわたって 失われた魂のために痛むからです」と天使が言った、と。
さて、このような証があっても罪に沈んでる時は、何の助けにもならないことを僕も知っています。「イエス様、助けて!」「罪人であるわたしをお許しください」と聖書の御言葉、イエス様にすがるしか方法がありません。
救うのは証ではなく、救い主「主イエス キリスト様」ですから・・・。 |
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| 10 おちこぼれ ID:A72hqH2s |
2008/08/22 09:27 |
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無駄な?人生(4) ~答えを書く人々~
実話です。
あるお母さんに息子がいました。その息子がぐれて、悪をくり返したあげく、やくざの仲間にはいってしまいました。ある時、息子が家に帰ってきます。お母さんは息子さんの足音ですぐにわかります。
「この子に何かあった・・・」。お母さんが息子に聞いてみます。「親分に不義理なことをして、指をつめて来いと言われた」息子は苦しそうに言います。
その時、お母さんは言います。「指をつめたら許してくれるのか」 息子さんは言います。「許してくれる」
「そうか」 お母さんは立ち上がり、自分の指を切りました。
そして、その指を包んでヤクザの親分のところへ息子さんを連れて行きます。ヤクザの親分がその「お母さんの指」を見たとき、親分の体が震えたそうです。お母さんは言います。「もう今後息子と関わりをもたないでください」と。
帰り道、お母さんは息子さんに言います。「二度と、仲間になってはいけないよ」
それから、息子さんがどうなったかはわかりません。しかし、このお母さんの息子への愛は、イエス様の愛をわかりやすく話すために、今もなお語り継がれています。 |
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| 11 おちこぼれ ID:JVoKEwTA |
2008/08/23 10:03 |
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「おかげさま」
ある本にこんなことが書いてありました。「天国に入ると多くの人が主イエス様からいただいた冠を高く掲げ、『私が天国に入れたのはお母さんのおかげです。』と言う」そうです。
聖書の中を見ていくと、歴代のイスラエルの王様には、その母の名が聖書の聖なる歴史の中に記されています。さぞかし、非常に大きい影響力をもっているのでしょう。
と同時に目立たない、陰で、感謝もされずに、尽くしていらっしゃる方々への励ましだと思います。もちろん、中にはその影響で、他の人々をも悪に誘う悪王になった人もいましたが・・・。
僕が好きなのは救われた人々の品性です。「みんな、どうして天国に入れたのかが、よくわかっているんだ」 100%言えることは、人は絶対に一人では生きていけないということです。そして、人はまた一人では救われません。
救われた人々が必ず歌う言葉があります。「力と、富と、知恵と、勢いと、誉れ、栄光、賛美、は御座にいます御方とほふられた子羊こそふさわしい」
僕は日記をつけていますが、一日の終わりに日記を書くといつも驚くことがあります。「この時こんなお恵みがあった」「この時しかないという最高のタイミングで助けられた」「なんと時にかなって美しいのだろう」「ぎりぎりのところで助けられた」などなど。そして思います。「書いていて初めて思い出した。わすれていた、恩を忘れる心ってなんと恐ろしい・・・」
自分の無力さ、罪深さを知れば知るほど、感謝と賛美も多くなってきます。
僕の場合はちょっと恥ずかしいですが、「朝早く祈る心を持って起きられること」がまずイエス様に感謝です。信仰を失ったとき、とたんにその「朝早く、祈る心を持って起きれる力」を失ったことを経験しているからです。
また、このように主イエス様に賛美を捧げることがとっても大きい祝福です。信仰を失ったとき、「証をしようと思ってもできない。証に感動もなくなる、聖書の御言葉も入って来ない、イエス様への思いもなくなる、どんなに求めても得られない」、そして「祈れない」という惨めな状態も経験しています。もっとも「祈れないと感じるときほど、祈らなければならない」のですが。
僕がその時助けられたのは「こんな者です」とお詫びする心で祈ることでした。
信仰は「イエス様のとっても大きな、最高の贈り物」です。それは人生の喜びであり、活力です。
さて、オリンピックを見ていてふと思うことがあります。この方の周りの方々、先生、トレーナー、メーカーの方たち、職人の方たち、医師、看護師、料理人、友達、先輩、後輩、一度も舞台に出てこない方々がどれほど多くいるだろう。
天使の方々は、「目に見えないほど、謙遜です」と聞きました。
すべての人々があふれる歓喜に包まれている時、「こんな者に」一生の間そばにいて守ってくださり、泣いてくださり、一緒に昼も夜も、どんな時にもそばにいて続けてくださった「目に見えない天使の方々」に、溢れる涙とともに「こんな者にありがとうございます、今ここに立っています」と言える心でいたいです。 |
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| 12 おちこぼれ ID:JVoKEwTA |
2008/08/23 23:59 |
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無駄な?人生 (5)
聖書の中にイエス様の4つの畑のたとえがあります。
道端に落ちた種
石地
茨の地
そして良い畑
僕が農業やるなら100%、良い地にしかまかないだろうな。しかし、あえて種は4つの畑にまかれています。しかも、「種」とは「一粒の種、もし死ななければ」とイエス様の犠牲を指しています。
道端にも種をまかれるイエス様のことを思うとまだまだやることが、たくさんあることに気づきます。
僕の好きな言葉の中に「あなたがかえりみないその時こそ、その魂があなたの同情を最も必要としている時かも知れない」というものがあります。
血液の中の酸素の量を調べる機械にパルスオキシメーターというものがあります。今、ほとんどの病院で使用されていて、救急医療も含めて多くの人々の命を救っています。これは日本人の発明です。
それを開発者が学会で初めて発表したときに、その学会の座長がその器械に猛反対したそうです。
後で、ある人がその座長に聞きました。「先生、どうしてあの時反対されたのですか?」
先生が答えたそうです。「あまりにも素晴らしい発明だから、反対した」
イエス様の弟子たちから、猛反対を受けた「ナルドの香油」のお話はイエス様が預言されたように全世界に伝えられ、至るところにその香りを放っています。
反対されたり、迫害の証を読むとき、「えーやだー、こんな目に会いたくない」と思う時は、何にも戦っていない時です。
人生の常である、躓いたり、失敗したり、反対を受けたり、上手くいかなかったりする、すなわち最も証を必要とする時、その時に最も力をいただくのは「雄々しく戦ってきた聖徒の方々の姿」です。
また「許せない!」との超醜い罪深い心に勝利するのは(いろいろありとあらゆる事をやりましたけれど)、イエス様が十字架に架けられておられる中で、「父をお許しください、彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」と仰せになったお姿でした。
心に「全て許し」と思うこと、それともう1つ「1万タラント借金」のたとえに関して、「この恩知らずの僕は自分が貸したお金のことばかり考えていた」との言葉でした。
(今は絶版「豊かな人生の秘訣」福音社 たしか英語名CHRIST’S OBJECT LESSONS 、当時ドイツかどこかの女王からも著者に丁寧なお礼状が届いた、とっても良い本です。)
心が解放されるありがたさ、これはその醜さ、罪深さを知っているだけに本当にありがたいものです。
この心の解放を告げるために、「山に、河に、町に、村に、道端に、石地に、茨の地に、身は炎に焼かれながらも」福音は伝えられています。 |
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| 13 おちこぼれ ID:ZL0KYbHg |
2008/08/27 21:42 |
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イエス様の行かれるところ
数々の証を見ても、あるいは聞いても、何の力にもならない時があります。罪に悩んでいるときです。
イエス様は肉体の病をお癒しになられ、イエス様が心の病をも癒すことのおできになられるお方であられることを、信頼するようにお望みになられた、と読んだことがあります。
証の目的は不思議な事をなされるイエス様ではありません。この醜い罪にそまった心を解放することのおできなられるイエス様こそ、証の意味があります。
僕が教会に来たばかりの頃、大きな集会の片隅に座りながらこう思っていました。「なんでみんな涼しい顔をしているのだろう」。僕の心は罪の心で荒れ狂っていました。それと戦うために「必死」でした。
ある集会で暗い顔をしていた僕は信仰の先を行かれる方に話していました。「罪が多くて・・・」。その方はこう聞かれました。「イエス様に2つか3つ清められたことはないの?」。僕はこう答えました。「二つか三つはあるけど、まだまだ多くて・・・」と。
そう言った時、信仰の先を行かれる方がすぐにおっしゃいました。「それは、傲慢です」。
そして、静かにこうおっしゃいました。「私たちの罪は、髪の毛ほどもあるかもしれないけれど、3つ清められたら、3つだけ感謝じゃないの?」。今でも残る言葉です。
「自分だけがこんなに罪深いのだろうか、自分だけ気違いなのではないか。自分は異常なのではないか・・・」と死ぬばかりの悩んでいた僕でした。
「私たちの罪は髪の毛ほどもあるかもしれないけれど」との言葉を聞いた時、「ああ、僕だけじゃないんだ」と思いました。「もしかしたら、自分は間違った道にいないかもしれない」と思いました。
そして「3つだけ感謝じゃないの」と聞いたとき「心が前に」向かったのです。
僕はこの話を何回も書きます。それは、真っ暗闇の中で見つけた「希望の光」でした。もし同じように苦しんでいる方が世界でたった一人だったとしても、その人のため書きたいと思います。それほど、罪の闇は深く、戦いは激しいからです。だからこそ、その喜びも深く、大きいです。
もう1つだけ文章を書きます。
「わたしは、一人の男がある冬の日に吹き寄せられた深い雪の中を旅をしていて、寒さに感覚を失いかけ、知らず知らずのうちに活力がほとんど奪われそうになったという話を読んだ。そして、彼は寒気に包まれてこごえ死にそうになり、もう生きるための戦いを諦めようとしていたちょうどその時に、彼と同じように凍死しかかっている別の旅人のうめき声を聞いた。彼はその人を助けたいという謙遜な気持ちになった。彼は雪だるまになっているその気の毒な人の体をさすり続け、かなりたってから後、その人を立たせた。彼は立つことができなかったので、自分一人では行けないと思っていたその雪の中を、親切にその人だきかかえて行った。そして、彼は仲間の旅人を安全な場所にまで運んだその瞬間に、隣人を救ったことで自分をも救ったのだという事実に気づいた。もう一人を救いたいという彼の熱心な努力が、彼自身の血管の中で凍りかけていた血液を生気づけ、手の先まで健康的なあたたかみを生み出した。」
この経験は本当に真実です。「何かせよ、今すぐせよ、全力を尽くしてせよ」。これらの言葉にどれほど助けられたかわかりません。
罪との激しい戦い、その涙を記録天使に書いてもらおう、とあります。
人には見えなくても、天使の方々も、天の住民も、救い主イエス様もご存知です。イエス様はおっしゃいました。
「心の貧しい人は幸いである。天国は彼らのものである。」 |
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| 14 おちこぼれ ID:LyEkCsrk |
2008/08/30 09:04 |
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「誰がクリスチャン?」
江戸時代に活躍した勝海舟、この方の座右の銘は「天意」すなわち、天の意志であったそうです。同じ時期活躍した西郷隆盛の座右の銘は「敬天愛人」すなわち天を敬い、人を愛するということです。
これは、十戒を要約した「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神様を愛せよ」「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」にとっても良く似ています。
また、日本の神社はイスラエルの聖所の構造とそっくりですし、鳥居やお雑煮もまた旧約聖書の過越のお祭りからきているといわれています。ゆがめられてはいますが・・・。
ある有名人の誕生日に、どなたかが花か何かで「HAPPY BIRTHDAY」と作ったそうです。そこへ「神様はいない」といっていた一人の人が、その有名人に聞いたそうです。「どなたがこれを作ったんですか」。その有名人は友達の彼ににっこり笑って言ったそうです。「自然にできたんだよ」。
ある部屋の机の上に鉛筆が三本きれいに並べてあったら、それを見た人は必ず思うそうです。「だれかがこの部屋にいた・・」と。
地上で多くの人の食料、そして美しい花々、きれいな草原の元となっているのは、一粒の小さい種です。
しかし、この小さい枯れて死んだようになった種に「電流が生じなければ」芽は生えてきません。多くの人々が祈っている「わたしたちの日ごとの食物を今日もお与えください」という祈りに応えて毎日、瞬時、瞬時奇跡が行われています。
人間の細胞もまた、その中に電流が生じています。この電流がない細胞は死んでしまっています。それを増幅していくとよくテレビで映っている心電図になります。
人の血液の中では1秒間に200~300万個の赤血球が作られています。
身近なところでは、今立っているこの地上、これは浮いていて非常な速さで動いています。しかも、その音は非常に巨大なものですが、人間の耳には聞こえないように排除されています。
いろいろな人に会って、数々の証の話になると気がつくことがあります。病院で働いている職員、若くバリバリのキャリアウーマン、学校の先生、営業の方、ひそかにメールが来ます。「誰にも心のうちを明かしたことがないけれど」「神様の存在を信じています」「いつも聖書を持ち歩いています」、そのうち堂々と「うちの家族は僕以外みなクリスチャンです」「小さい頃、教会に行っていました」「学校で礼拝に出ていました」。
僕自身は聖句を引用する価値のないものですが、このお言葉は真実です。
もろもろの天は神様の栄光をあらわし、
大空はみ手のわざを示す。
この日は言葉をかの日につたえ、
この夜は知識をかの夜につげる。
話すことなく、語ることなく、
その声も聞こえないのに、
その響きは全地にあまねく、
その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
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| 15 おちこぼれ ID:UwI6gdco |
2008/09/01 23:19 |
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「お約束」
先日、働いている職場で、僕がこういう話をしました。「ありがたいのは、働く喜びを教えていただいたことです」。その時、ふと一人の人が、ふと嫌な気配を示しました。その時気づきました。「あ、そうか」。
「働くことが喜びである」ということは、「普通なことではない」ということです。まったく忘れていました。自分がかつて、勉強も仕事も手伝いも大嫌いだった、という事を。
今日読んだ本の中に、「私たちはもっと、『どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように』神様をほめたたえなければなりません。わたしたちの祈りは、ただ求めること、与えられることだけであってはなりません。また自分の欠乏ばかり考えていて、受けた恵みを忘れることがないようにしましょう」(「キリストへの道」という本で、アメリカの出兵する海軍か陸軍の兵士たちに配られた本です。)とあり、大反省でした。
働くことがもともと好きな人は、それは何の大したことではありません。しかし、働くことが嫌な、学校や会社に行くことが嫌な人、働くことが嫌な者にとっては驚くべき一大変化です。
部屋をきれいにしていること、それはもともときれい好きな人にとっては笑い話ですが、僕のように部屋中ゴミだらけ、豚小屋でももっときれいにしているよ、という部屋で平気でいた者、不潔がなんとも思わなかった者にとって、清潔が好き、きれいにすることが好きになるということは、文字通り大変化です。「自分では変えることができませんでした」から。
助けてくださったクリスチャンの方の苦労を思うとき、その変化の大きさはいくら書いても書ききれないくらいすごいものです。
それは、また漫画や空想にふけってやめられなかった過去の自分、それが「現実」のほうが良いという心にまで強めてくださったのは、主イエス様、またイエス様に仕えるクリスチャンの方の驚くべき愛のおかげです。
さて、その変化の1つに「疑い」というものがあります。自分自身の心が嘘つきなため、疑ってばかりでした。かつて疑いの心というのは、非常に厄介な忌まわしいものでで、次から次へと心の中に湧いて出るものでした。はっきり言って、「モグラたたきゲーム」。あっちをたたいたと思ったらこっちが出で来るといった状態でした。
その時とっても助けられたのは、こういう言葉でした。「わからないことを疑ったり、理屈を並べたりしないで、すでに与えられている光に従うならば、さらに大きな光が与えられるのです。はっきりと理解できた義務を全てキリスト様の恵みによって実行すれば、今では疑いを持っていることも理解できて、実行することができるようになります」。
旧約 新約共にそれは神様の御約束です。イスラエルの民が、バビロンという国に捕囚になる前、神様が約束されます。イスラエルの民はバビロンの捕囚となる。しかし定められた時になり、「クロス」という王様が現れ、バビロンからイスラエルの捕囚を解放すると。
果たして定められた時に、150年以上もたって、クロス王というメディア王国の王様が現れ、イスラエルの民を解放します。
イエス様はおっしゃいました。それは有名なマグダラのマリヤがナルドの香油をわった場面でした。弟子たちはみな、憤慨して非難します。ユダは、「なぜこの香油を300デナリに売って、貧しい人たちに施さなかったのか」と自分のことは棚にあげ、非難します。
その時イエス様がこうおっしゃいます。「よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう」。
約2000年たってイスラエルから、遠く日本で、今この瞬間、この紙面さえもまた全世界でこの時のお言葉はお約束通りになっています。
僕自身は「自分の愚かさゆえ」でしたが、お金が全然なくなったり、仕事がなくなったり、代えの服がなくなったりしましたが、もしイエス様が弟子たちにおっしゃったように僕にも「何か困ったことがあったか」とおっしゃったら、同じように「いいえ、何もありませんでした」としか答えようがありません。
食事をくださったり、カバンや靴が誰も知らないのに置いてあったり、数々守っていただきました。陰で祈ってくださる方の祈りが、書いてある通り、「祈りは強力な武器である」ことを証拠立てています。
毎日、毎日、「よみがえられたイエス様は生きておられる」ことを肌で感じながらいかされています。
「空の鳥を見よ、野の花を見よ」とのお約束は文字通り本当です。
さきほどの本の最後にはこう書いてあります。「そして、わたしたちがイエス様に近づき、イエス様のあふれる愛にひたる時、イエス様の御臨在の光に私たちの疑いも暗さも消え去ってしまうのです」。
イエス様はこう約束されていらっしゃいます。「あなたがたのところへ帰ってくる」と。誰かが疑ったとしても、どんな反対があっても御言葉は成就します。 |
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| 16 おちこぼれ ID:eZ/XUASg |
2008/09/06 11:52 |
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「生きている祝福の流れ」
たくさんのお金を見せびらかして、捧げていたパリサイ人。その姿をご覧になられて悲しまれたイエス様のお顔が喜びに輝いた瞬間があるそうです。それは、貧しいやもめがたった2枚のレプタを捧げたときでした。
イエス様は弟子たちをお呼びになられ、「よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ。これらの人たちはみな、ありあまる中から献金を投げ入れたが、あの婦人は、その乏しい中から、持っている生活費全部を入れたからである」と仰せになられました。
1タラントとレプタ2枚、どちらがより価値があるのか? 当然、1タラントです。詳しくは知りませんが、1000万円くらいになるのでしょうか。しかし、イエス様はレプタ2枚を捧げた方のほうが、「だれよりもたくさん入れたのだ」とおっしゃいました。
「動機」「価値において」ではもちろんでしたが、事実レプタ2枚は、最初は小さな流れであったが、各時代を流れ、広く、大きくなり、「たくさんの人々のレプタ」が捧げられ、「多く捧げた」のは結果としても事実であったとある本に書かれています。
さて、人々が喝采し、大拍手を送り、その大歓声を向けるお方、あるいは天の罪のない天使の方々が褒め称えるお方、イエス様が、「こんな者」のためにそれらすべてを捨てて、あざけりの道を歩まれました。ここに愛があります。
そのお方とともに歩む人生は、「悲惨な人生」でしょうか? いえいえ、とんでもない! 驚くべき神様の愛の深さ、大きさ、強さ、広さ、多さを知る人生です。これを思うだけでも涙が溢れ出できます。
生活費全部を捧げたやもめの方はその次の日から、どうやって食べていったのか。僕は、「とこしえの父であられるイエス様が」必ずご自身の娘を驚くべき愛の御業をもってお支えになられたと思っています。
僕は教会に来ても、「難行、苦行」ばかり目指しました。早く死にたかったです。永遠に生きるなんてとんでもない。この世の短い人生でも嫌なのに。殉教者の映画、本などを読むと、「これだ!」となってしまいます。
ところが、「全天は人の幸福に関心をもっています」と書いてありました。
賞賛、拍手どころか、「邪魔者」「間抜け」「いいところ一つもなし」と言われ、皆に「馬鹿にされ」「あざけられ」、「むなしい」「苦しい」「意味のない」人生を送ってきた者でした。様々な事件を見ると、「肉の働きは明白」「僕と同じだ」「何ら変わることない」「むしろそれ以上に悪い」です。
ここに、主イエス様の不思議な御業が始まります。今まで書いてきた数々の証、それは全て「目で見たもの」「耳で聞いたもの」「手で触れたもの」です。陰で祈るクリスチャンの強力な、「お祈り・信仰」というものがいかに絶大な力をもっているかを物語るものです。
毎日、毎日、主イエス様の驚くべき、また憐れみ深い、いつくしみが現れています。ここに書いていない証は、ここに書かれている証よりもはるかにたくさんあります。
違うのは、陰で強力に祈るクリスチャンがいるということ、クリスチャンを通してイエス様に近づく「キリストへの道」を教えていただいていることです。
過去に生きてこられたクリスチャンの方々、その人生からも今もなお多くの祝福の流れは広く大きくなり、流れ続けています。
しかし、仮に人々から賞賛されなくても、「今を生きる」クリスチャンの価値は絶大です。次の文章、記憶が間違っていたらごめんなさい。
「イエス様のために全てを捧げたいと願っている人でも、大きな犠牲をする機会を得ない人々がたくさんいる。このような人々は、神様が一番お喜びになることは、必ずしも、殉教者の自己犠牲ではないことを知って慰めを得るべきである。天の記録の最高位に立つのは必ずしも、日ごとに危険と死に当面する宣教師であるとは限らないのである。その私生活においてクリスチャンである者、日ごとの自己犠牲において、心の真実さと純潔において、ののしられても柔和なことにおいて、信仰と敬虔において、小さいことに忠実なことにおいて、家庭生活において、キリストの品性を代表する者、このような人は、世界的に名高い宣教師や殉教者以上に、神様の御前には尊いのである。」 |
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| 17 ひかり ID:WzCiroek |
2008/09/06 15:00 |
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こんにちわ おちこぼれさま
たまにあなたの証を呼んでいますが、まずしいやもめがレプタ2枚を捧げたはなしは、自分が自分がそのような状況にいると、「神様の存在って、自分にとってなんだろうか?」と考えます。
そしてこの話が約2000年語り伝えられた意味を考えると、人間の存在は「神様をほめたたえること」かな~とおもいます。 |
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| 18 おちこぼれ ID:7Vsm.8sU |
2008/09/06 19:15 |
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ひかりさま
その答えはひかりさんがイエス様に従っていくとき、イエス様から人生を通して聞かれると思います。
言葉はむなしいですから。
ナルドの香油をわったマグダラのマリヤさん
レプタ2枚を捧げたやもめの方
十字架上の泥棒
これらの方々が、彼らの行為によって、その後2000年間どれほど多くの深い罪と、絶望と悲しみに沈んだ人々を勇気付け、義を行わせ、また永遠の命へと導いたかを見たら、また次に、その人々がまたどれほどさらに多くの人々を救っていったか、を見せられるとき、永遠にわたって彼らの喜びとなると思います。生きていらしたときには分からなかったかもしれまんせんが、その時、「なぜ」がはっきりわかると思います。
僕を助けた下さったクリスチャンの方が、悪性の癌になり、医師より「あと二ヶ月の命」宣告されました。
そのとき、その方はトイレに駆け込み、「どうして」と泣かれたそうです。
その時、心の中に思いが与えられました。「なぜ泣くのか、天国の雛形であるこの地上、感謝だけじゃないのか」
その時、この方は「そうだ、死んでいくものよりも、残る家族の方がつらいんだ」と笑顔でトイレから出られ、家族の方に「みんな、私癌なんだって。信じられる?」と笑顔でおっしゃったそうです。
このときも、「どうして?」にお答えはありませんでした。
しかし、それから20年間イエス様がこの方を生かされ、多くの人をイエス様に結びつけ、数々の御業があり、今もなお主イエス様の生きておらえる証をされています。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実を結び、その実がいつまでも残るためである。」
この聖句は多くの方々に人生の意味を教えて下っているようです。
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| 19 おちこぼれ ID:7Vsm.8sU |
2008/09/06 19:28 |
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ひかりさま
すみません。誤字があまりに多く書き直します。失礼いたしました。
その答えはひかりさんがイエス様に従っていくとき、イエス様から人生を通して聞かれると思います。
言葉はむなしいですから。
ナルドの香油をわったマグダラのマリヤさん
レプタ2枚を捧げたやもめの方
十字架上の泥棒
これらの方々がいつか、彼らの行為によって、その後2000年間どれほど多くの、「罪と、絶望と悲しみに沈んだ人々」を勇気付け、義を行わせ、また永遠の命へと導いたかを見たら、その救われた人々がまたどれほどさらに多くの人々を救っていったか、を見せられるとき、永遠にわたって彼らの喜びとなると思います。生きていらしたときには分からなかったかもしれませんが、その時、「なぜ」がはっきりわかると思います。
僕を助けた下さったクリスチャンの方が、悪性の癌になり、医師より「あと二ヶ月の命」宣告されました。
そのとき、その方はトイレに駆け込み、「どうして」と泣かれたそうです。
その時、心の中に思いが与えられました。「なぜ泣くのか、天国の雛形であるこの地上、感謝だけじゃないのか」
その時、この方は「そうだ、死んでいくものよりも、残る家族の方がつらいんだ」と笑顔でトイレから出られ、家族の方に「みんな、私癌なんだって。信じられる?」と笑顔でおっしゃったそうです。
このときも、「どうして?」にお答えはありませんでした。
しかし、それから20年間イエス様がこの方を生かされ、多くの人をイエス様に結びつけ、数々の御業があり、今もなお主イエス様の生きておられる証をされています。
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実を結び、その実がいつまでも残るためである。」
この聖句は多くの方々に人生の意味を教えて下っているようです。
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| 20 ひかり ID:qjcrFrD. |
2008/09/11 15:48 |
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こんにちれ
おちこぼれさま 感想ありがとう。
あなたがこつこつと「証」について投稿していますが、「証とはなんでしょうか?」ご利益?それともイエス様を私の主と信じた人が自己の人生における体験で神様を苦難の中でも賛美できること、そしてそこから隣人に接するときの思いやりを自然にまなぶことでしょうか。
私事ですが、
5年前新会堂建設資金として100万円教会債として協力しましたが、その後失業し、貯蓄も半分になったき、「まずしいやもめがレプタ2枚を神様に捧げた聖書の話」を思い出しました。現実問題として、聖書の神様は、ご利益の神様ではありません。こんねんにそのお金について問い合わせがあったとき、初めは「献金」を考えていましたが、取りやめました。あのやもめのような信仰は、なかったからです。
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| 21 おちこぼれ ID:AIZo5XFU |
2008/09/11 22:01 |
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ひかりさま
イエス様の御前に真実でありたい、という気持ちが伝わりました。ありがとうございます。
ある本にこんなことがかいてありました。
うるおぼえなので、ニュアンスがかなり違うかもしれません。ごめんなさい。
病気の人がいて、「たとえ死ななくてはならないとしても、主を賛美するように励ましましょう。彼は奉仕の中で命を落とすかもしれませんが、その業はのこるのです。」」
「病気や、身内の病気や死などに出会ったとき、『信仰を表明する機会がきた』と思うことは大切なことです。」
証を書いていて、うれしいのは、「体中が痛くて起き上がられず、吐き気に、熱に」という時に、指で携帯のメールを打っている時かな?と思います。
ASLという、身体の運動神経がどんどん弱くなり、呼吸までもできなくなる治療法のない難病、そんな中でもメールを打ち続けて人を励ましていらっしゃる方のことを知っているからです。
僕も、貯蓄が1万何千円しかない時、「入院」して「保証金だしてください」と言われて「ドキッと」したり、失業して、自分で確定申告をして職業の欄に「無職」と書いたりしました。
その時、初めて「ぶどう園のたとえ」の中で最後まで仕事がなくて市場に立っていた人たちの心がほんのちょっぴり感じたように思います。
涙が流れてとまりませんでした。
主は「失業した者」のためにも 「主の山に備えあり」のお言葉通り、そこで待っていたかのように御言葉を備えていらっしゃった。
お金がほとんど0円になったり、着のみ着のままになったり・・・
「一羽のずずめさえ」との御言葉がどれほど助けになったか・・・
裏切っていく弟子たちを前に、「感謝してこれを裂」かれたイエス様のお姿にどれほど力づけていただいたかわかりません。
1日400円の給料で段ボールを集めて生活して、なお人をあたたかく助けていらっ!ゃる方、18歳で目も耳も見えなく、聞こえなくなりながら、大学の教授になられた方、その姿にも教えていただきました。
はは(^^)、ちょっとじめじめっぽいですね。僕のあったことなんてぜーんぜん、とってもとっても「ちっぽけ」なことです。ああ、恥ずかしい(^^)
ひかりさんいろいろあることは主イエス様が誰より一番良くご存知ですよ。
人に言っても、あざけりと批判の対象にしかなりません。しかし、わたしたちの救い主はそのようなお方ではありません。なんと、なんと憐れみ深い救い主でいらっしゃることか!
しかし、主はそんな中からも救い出し、励まし、強め、「十字架を見つめつつ」歩めるようにしてくださる 憐れみ深い救い主でいらっしゃいます。
「神様から受けた慰めをもって、他の人を慰めることができるため」
次から、少し証の方向を変えていこうと思っています。
こんな恥ずかしいこと書いている
ひかりさんと友達になりたい「おちこぼれ」より
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| 22 ひかり ID:5XtYS3yY |
2008/09/12 17:10 |
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こんにちわ おちこぼれさま
あなたの真摯な感想ありがとう。
このメールはネットカフェで書いてます。
実は5ヶ月前都会からふるさとのユータウンして、ネットは中止なのですが、なぜか投稿できるのです。?
「証人」としてこの世に存在しながら、主イエス様に信頼できない弟子の私は「おちこぼれ信者です」がそう感じるごとに、主イエス様の愛が私の心にせまってきて、涙がでることがあります。
神様の祝福が単なる「ご利益」ならキリスト教は約2000年世界に影響を与えなかったと考えます。
慈愛に満ちた神様が「受肉」を通してこの世で苦しみ、悩みを経験した」歴史上」の人間だから、この世の苦難を経験した人を慰めることができると思います。そして信者はそのイエス様のみ足に従う姿を通して、信じていない人に「人間存在について考えるきっかけ」を提供する人だと、思います。
月並みな言葉で「アガペー」という言葉に捕らえられているのが「証人」ではないでしょうか。
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| 23 おちこぼれ ID:JMbxTBho |
2008/09/12 19:15 |
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ひかりさま
ありがとうございます
メールを読みました。その場で膝まづき、涙が流れてきました。
どれだけ苦しかったのだろう・・・
僕にも、陰で祈っていらっしゃる方々がおられます。
もしかしたら、涙を流しながら・・・
僕が病気だった時「自分の命と引き換えにお助けください」と祈ってくださった方々です。
今、僕の周りで起こっている数々の不思議な出来事、それはすべて陰の祈るクリスチャンの方々のお祈りです。ですから、証をしています・・・
もしかしたら、いやだったかもしれないけれど、都会からふるさとへ、は良かったと思います。
生活は大丈夫ですか?
イエス様から人を引き離すことはできないですよ。逃げることもできません。恵みはわたしたちの後を追われますから。
この地上の人間でさえ、こんな者のためずっと祈り続けていらっしゃる方々がおられるのですから。
全被造物は、切なるうめきをもって神様の子たちの出現を待ち望んでいる、と書いてあります。真っ暗な世の中、罪と憎しみ、批判、あざけり、事件や事故、不正、偽り、どこにも光が見えない状況です。
しかし、今もなお、星のように、輝いている方々がこの地上にもいらっしゃるのです。
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| 24 ひかtり ID:R2Sb2HZk |
2008/09/13 13:30 |
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ひかりさま返事ありがとう。
最近聖句の中にある「万事を益にしてくださる」という御言葉がよく頭に浮かびます。教会の礼拝で話されるなかで、私が印象深く思った話はエジプトに売られたヨセフの話です。しかし信仰生活が長くなるとこれは、この聖句は立身出世のことをさしているのではないと感じるようになりました。
今の私は失業中で毎日「思い煩い」に悩まされていますが、都会生活で購入したパイプオルガン演奏の賛美歌を車の中で聞くと自然に心の中で神様を賛美でき、これも将来今のような環境に自分がおかれたときを神様が、予測して準備したことなのかな~?とポジティブにかんがえることがあります。
そして「主の祈り」のなかにあるように、悪魔の支配から解き放ってくださいと祈っています。 |
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| 25 おちこぼれ ID:enpXy7hA |
2008/09/13 16:56 |
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ひかりさま
僕がヨセフさんのお話でもっとも好きな所は、お父さんのヤコブさんに会うところです。エジプトの総理大臣、恩人がお父さんを迎えに車を整え、総理大臣の威厳も忘れてお父さんを抱きしめる場面です。
ヨセフさんの願いは、総理大臣になることではありませんでした。
母方の血縁から言えば、エジプトで相当な地位に登れたはずですが、あえて
羊飼いの部族を選びます。
僕も失業していました。ともかく日雇いの仕事を探して、働いていました。
朝、工場に行って、仕事がないと、職業安定所に行き、リクルート人材センターに行き・・・
はっきり言って、仕事しているときより疲れました。
家に帰ってくるとき「ただいま」といえなかったのを覚えています。
それまでは、霞ヶ関の本社の経理で働いていました。
工場の中、大騒音の中働くようになり、大声で証をしながら、仕事をしていました。霞ヶ関のビルの中と比べて、なんと暖かく、気さくでした。イエス様の証も快く聞いてくださいました。
もし、失業しなかったらこの方々には会えなかったろうな、と思いました。
給与明細にある、所得税、健康保険、国民年金の欄そんな所見たこともありませんでした。しかし、自分で市役所や税務署にいって納めた時、そのありがたさを初めて知りました。
日雇いでは、交通費だけでその日の収入がかなり消えてしまいます。
定期券のありがたさをしりました。
乞食の方と川原で一緒に食事をし・・・
その後、クリスチャンの方の半年のお祈りとご紹介により、病院に事務職の仕事をいただきました。
病院に入った時、そこでは「給料が安い」という話ばかりしていました
僕には「ありがたくて、ありがたくてしょうがありませんでした。」
「朝、起きて行く場所があれだけで」感謝だったのです。
ぶどう園のたとえの中で夕方来た人たちは「給料は望んでいなかった」と思います。ご主人の情けに涙したことでしょう。
僕は先のクリスチャンの方にこう教わりました。「神様は無駄なことは起こされない。神様は無駄な人をおつくりにならない」
伝道師の方から「いつか、ああそうだったのかとみんなが分かる日が来るよ」、と言われました。
先日、教会の姉妹がこの時の事をこう話していました。「あの時のことで、わたしはどんなに励まされたかわからない。それを見ていて、わたしも安息日を守ろう、と思いました。」と。
今静かに振り返りこう証できると思います。
「神様は無駄なことをおこされない」と。
その時しか、会えない人がいて、その時しかできない証があります。
と書いてはいても、「イエス様お助けください」「イエス様、罪人のわたしをお許しください」「イエス様、こんな者です」とか祈れないものですよね。
しかし、イエス様は心の奥底も状況もご理解してくださいます。
「わたしたちが悩みのうちにあって、主に、わたしたちをあわれみ、聖霊によってお導きくださるように求める時、主は決してわたしたちの祈りを退けることはされません。飢えた子供を拒むことは親にはできることかも知れませんが、神様は、乏しさを感じて主に切望する心の叫びを決してこばまれません。神様はその愛をなんと驚くばかりの優しさをもって描写しておられることでしょう。逆境の時に、神様は自分たちを顧みてくださらないと考えている人々に対して、神様の心からのメッセージは次のことばです。『シオンは言った、「主はわたしを捨て、主はわたしを忘れられた」と。「女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子を、あわれまないことがあろうか。たとい彼らが忘れることがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ』」
またメールくださいね
おちこぼれ
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| 26 ひかり ID:8XWBqODo |
2008/09/15 10:32 |
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こんにちわ おちこぼれさま
昨日の礼拝メッセージは「キリストの証人」でした。
都会生活では常時50人くらの礼拝出席者でしたが、帰省した場所でいま参加している教会は、畳のある13人くらいの小さな教会ですが、アットホームでまた、今までの組織と異なりルーテル教会で長老がたまに説教をするので、興味深いですし、盲人の方といらしゃるので、私にとって初めての体験です。
田舎に帰って仕事の面接に3回請けましたが、不採用でした。年老いた両親からは、「ぶらぶらしている」といわれ、キリスト者の見本になるような、ものではなく、「自殺」さえ頭に浮かびますが、それは信仰における最大の問題点ですから、神様に悪魔の支配に陥らないように祈っています。 |
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| 27 おちこぼれ ID:A09X4UEI |
2008/09/15 13:58 |
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ひかりさま
小さい群れでとっても良い経験をされていると思っています。僕も何度も助けられました。
僕がもし、ひかりさんと同じ経験をしていなかったら、僕は1行もかけなかったと思います。
失業中、僕もある人が「いつも明るくしているね」と言われたとき、ある教会員に「職業安定所で暗い顔していた!」と言われたり、いろいろありました。
そんな中で、僕を励ましてくださった言葉はこれでした。
「クリスチャンよ、キリストの光はあなた方から輝き出ることを決してわすれないでほしい」
健康保険がきかなくなり、「継続保険」で力なく病院にいった時に本で与えられたものです。「どうして、こんな状態なのに・・・」
しかし、「ひょっとして、もしかしたら、こんな状況だから輝くのかもしれない」と思いました。
心の中で「決して忘れないでほしい」という言葉が何回も何回もくりかされました。
そんな所を通りました。
そして、最終的に決まった就職先、超内緒ですが、僕が決してなりたくなかった職業は「牧師」と「その病院」、その中の1つの「病院」でした。
そして、それから月日がたって、数々の御業を経験し「自分がどうしてこの病院に導かれたかが」わかってきたのです。
ひかりさん、苦しいところを通っているかもしれないけれど、イエス様も一緒に苦しんでくださっておられることを忘れないでください。
主は「泣くものと共に泣き、喜ぶものと共に喜ばれるお方です。」
イエス様は「わたしも泣いたのである。人間の耳に語って聞かせることの
できない悲しみをわたしは知っている」というお方です。
僕も失業期間は長かったですので、思い出はいっぱいあるのです。
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| 28 おちこぼれ ID:A09X4UEI |
2008/09/15 14:33 |
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僕は失業時、なかなか「採用試験」まで行きませんでした。書類選考でことごとく落ちました。
そんな中で、「段ボールを破る」「本を梱包する」「箱詰めする」「流れ作業」「交通量調査」等々いろいろなアルバイトをしました。そこでいろいろな方々とイエス様の証を話をしていました。
その中でちょっとだけ長期でできたのが「塾の講師」でした。中学校の「歴史」の時間、ある生徒が質問をしました。「先生、旧教と新教、旧約と新約どうちがうの?」
そこで、旧約聖書のイエス様の関する預言、新約における成就、そして、カトリックとプロテスタントの歴史について「講義?」しました。
その時、ある男の学生がある女の子に「じゃあ、お前の教会いいじゃん!」と叫びました。たしか、その女の子は牧師さんの娘さんだったと思います。周りの友達にそのあとかなりいろいろ褒められていましたから、いろいろ言われていたのでしょう。
いまでも「よかった」と思えた1場面でした。
ある本にこう書いてありました。うるおぼえですが・・・
天国に救われたある人は「立ち上がって自分をイエス様に導いてくれた人に言うであろう。わたしは、神様も希望もない異教徒でした。しかし、あなたはあなたの不自由のない幸福な将来のある家庭を去り、あなたはわたしのところに来てくれた。
わたしは、救われた、
しかも永遠に救われて、
わたしのために命を捨てて、あがなってくださったお方に永遠に賛美を捧げることができるのだ」
これは宣教師の方々にこそふさわしいのですが・・・
しかし、このような言葉も励ましにはなりました。
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| 29 おちこぼれ ID:A09X4UEI |
2008/09/15 15:19 |
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「言葉がない」
さて、無事に就職して少したったころ、
身体に異変が起こりました。身体から腐ったような臭いが出るようになったのです。しかも24時間。
医者でも治せませんでした。
さあ、それこそ「証どころではない」
教会の方からは「あなたそれでよく職場に行っているわね」と言われました。
さすがに、このときばかりは「神様、言葉がありません」と祈ったのを覚えています。
2年くらい続いたでしょうか・・・
結局、決め手は「オリゴ糖」ビフィフス菌は食べ物から摂取しても胃の中の胃酸でほとんど死んでしまいます。腸まで届きません。しかし、オリゴ糖はビフィフス菌の食べ物で、腸にまで到達し、そこで善玉ビフィフス菌が元気になります。人により体質は違いますが、もし、人には言えずお困りの方がいらしましたら、お試しください。
しかし、こんな状況下においても、ひたすら「前へ」前進するよう導かれたのを覚えています。
ちなみに、さきほど書いた文章は次のようでした。
「クリスチャンよ、救い主は大いなる光の源であられると同時に、人間を通してこの世にご自身をあらわされることを忘れないでください。神様の祝福は人間を通して与えられるのです。」
前に書いたドイツ?の女王に喜ばれた「豊かな人生の秘訣」もとっても助けになりました。
神様は聖書全体からお語りになられます。
「自分には他の人に与える何の光もない」と思っても、主イエス様がお約束なさったことは成就します。「求めよ、そうすれば与えられるであろう」
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| 30 おちこぼれ ID:A09X4UEI |
2008/09/15 15:52 |
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僕が一生引用できないなあ、と思っていた聖書の御言葉を書いてみます。
ヨブさんは、艱難にあっている時、「何故」に答えは与えられませんでした。
しかし、それから何千年の間、キリスト教の戦士たちの軍勢を勇気を与え、キリスト教以外の方々にも勇気と希望を与え続けています。
このとき、ヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、そして言った、
「わたしは裸で母の胎を出た。
また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。
主のみ名はほむべきかな」
すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神様に向かって愚かなことを言わなかった。 |
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| 31 おちこぼれ ID:E.5qZCt6 |
2008/09/17 23:46 |
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とはいっても
最初、安息日を守るため、信仰をとるか、大学をとるか?(もちろん信仰を取るしか道は1つしかないのですが・・・)そのため学年末試験が受けられないかもしれない、という時は非常に悩みました。恥ずかしいことに「いつも喜んでいなさい」と知ってはいても顔は引きつって?いたかもしれません。
最終学年の時
学則上、安息日を守ると退学処分になると決まっていた時もそうでした。
「たといそうでなくても・・」「たといそうでなくても」と心の中でくり返しながら・・・それでも食事はのどを通りませんでした。
ようやく、卒業式が安息日にあたった時、「今まで導いて下さった御方は、今回も導いてくださる」という心に導いてくださり、お祈りして安んじて、安息日を守り、月曜日に学校へ行くと「卒業式に出ないとくれない」と掲示板に出ていた卒業証書、卒業証明書を受付の方が「どうぞ、どうぞ」と下さったことを覚えています。
それから、就職して1週間の缶詰合宿、1ヶ月の3交代工場実習も安息日を主が休ませてくださいました。
1ヶ月、残業だけで200時間を超える決算期、毎日仕事が終わるのが夜の1時、2時のときもまた、安息日を無事に守らせていただきました。
そして、伝道旅行があり、会社は首になりました。「たといそうでなくても」と思って今まできましたが、いざ首になってみると、「思ってみる」ことと「経験する」ことのギャップをとっても強く感じました。
すんごく恥ずかしいですが、伝道旅行の帰り、飛行機の中で、「一人だけ、椅子ごと下に落ちてしまいたい」と思いました。しかも、自分以外、家族も、教会の人も誰も知りませんでした。
それから、月日がたって、病院から派遣されて専門学校に通ったとき、やはり安息日が問題になり、校長先生より「単位は上げられない、卒業できない」と言い渡されました。病院から派遣されていましたので、それまでの「お金はどうする」など、考えられたのですが、その時は「証の時が来た」との思いでいっぱいでした。
次の校長先生との面接のため、廊下で待っていたとき、工学の親しい先生が通りがかり、「あ、世界で一番幸せそうな人がいる」と声をかけてくださいました。「主がそう見せてくださった」事にとっても勇気づけられ、面接室に入りました。
そして、その面接の時より、イエス様の証が、その学校を超えて、医療メーカー、他の大学の先生方、学生たち、などなど広く伝えられはじめたのです。
今もなお、陰のお祈りにより、主イエス様の犠牲により支えられているにすぎない「おちこぼれ」です。
ただ、陰で祈るクリスチャンの方々のお祈りがいかに強力であるか、また主イエス様の愛が、「罪しかできない罪人に対していかに憐れみ深いか」をみに起こっている出来事で知ることができます。
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| 32 おちこぼれ ID:mmIkrDOg |
2008/09/19 20:56 |
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「1人ではない」
僕が、就職が決まったときのことです。信仰の先を行く方が、こうおっしゃいました。(就職が決まったのは)「天の御使いだよ!」
その時は、よくわかりませんでした。
「そうか、僕が修飾先が無くって、就職雑誌をもって職を探していた間、『ずっと祈っていらしたんだ』」と気づいたのは後の事です。
そして、与えられた仕事が信仰の先を行く方のお祈りに応えて主がお与えくださったことに気づいたのはまたずっと後の事でした。
今まで、数々の証がありましたが、「陰のお祈りの計り知れない結果、その悩み、涙の結果」がわかるのは、天の黄金の扉をくぐった後でしょう。
わたし達は、決して1人ではありません。主イエス様が1人1人にお与えくださっておられる守護の天使、そのお方は、生涯の間ずっと付き添ってくださっています。
そして、復活の朝、最初に挨拶をしてくださるのは、その天使の方だと言われています。
幼い子供を失った母親に、天使たちが子供たちを抱いて母親に返してくださると言われています。
僕も、今までの人生を振り返る時、「あの時も、この時も・・・」と涙溢れます。
いろいろな出来事が起きてくる中で「どうして1人で立っていられる」でしょうか。偉大な主が心を支え、御摂理を通し、人を通し、御言葉を通して下さったから、今こんなふうに証を書いています。僕も罪人です。同じように罪があり、同じように誘惑があり、同じように血が通っています。
人間は決して1人になることができません。たとい、地の果てにまで逃げようとも主はそこにおられるでしょう。
人間が1本も道が見えない時、神様は1000本の道を持っていらっしゃいます。英語にはthousandsらしいですが・・・
いつか、「ひかりさん」が僕を助けてくださっていたことに気がつく日が来るでしょう・・・
その時、「全ての人の王の王、主イエス様に王冠を」と共に歌いたいものです。 |
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