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CHRISTIANTODAY フォーラム
=== 主 と 共 に ===
1 Ben ID:60WG44lw 2008/07/16 22:41
思うこと、考えること、新しい経験など、・・・どんな事でも、
信仰と関連するようなお話を、お互いに分かち合ってみませんか?
2  Ben ID:60WG44lw   2008/07/16 23:02
信仰生活、そして私たちの人生の幸せは、非常に個人的なものでありながら、
それはまた、お互いの思いやりの中で、複数の人々によって育(はぐく)まれて
行くものでもあるのでしょうネ。

そこに共通して流れているのは、真(まこと)なる”神の愛”、そのように思って
おります。どうぞ、どんな小さな事でもよいですから、いつでも気軽に書きこんで
みてください。
3  Ben ID:60WG44lw   2008/07/16 23:05
不慣れなために、タイトルがこんなにでっかく出てしまいました。
ごめんなさい。
4  Ben ID:J09GFOG2   2008/07/19 15:22
 西暦が2001年に入った時、つまり第21世紀が始まった時に、わたしは呑気なことを考えておりました。
『21世紀はどんな世紀になるのかなァ?』、『ああ、ここまで長生きさせてもらったんだなァ!』と。

 ただの占(うらない)のような気持でした。(占はぜんぜん好かない一人なのですが。) いわば、思考の
すべてが信仰の外に飛び出していた、・・・というよりも、まるで理解ができなかったわけです。

 ところが、今、わずか8年目なのですが、「人の世」というものを全く別の目でみるようになりましたねェ。
『へえ~、こんな凄いものなのかァ!』と。 こんなに凄い。 人の世は(全世界的に)、こういうものなんだと。
皆さまもご存じのとおり、いやでもそれが、毎日のように目に飛び込んで来ますから。

 しかし、この時に、わたしたちはみんな、神様がもってくださるような”愛”と”善意”によって触れ合いながら、
ひたすら「友情」を温(あたた)めて行きたいと、これが今の、そしてこれからも、わたしの心からの願い、
そして希望なのです。
5  Ben ID:oWG6Wc3A   2008/07/19 20:13
<真実なもの>

 一体、人間の”真実”はどこにあるのか。今目にし、耳にするこれらの事は、ただの「混沌(こんとん)」で
あるとしか思われない。これが本当なのか、これでよいのか。 ・・・ と、わめいていても仕方がありませんね。
何をどう考えればよいのか、多くの人が今迷っている、というのが恐らく本当なのでしょう。

  ”真実なもの”、”信頼のできるもの”、ほんとに”安心していられるもの”、これと出会い、共に過ごせること。
・・・ この事が、やはり一番幸せなのではないでしょうか。そのような世の中であることが、一番望ましいのでは
ないでしょうか。

  そのためにはどうすればよいか? 第一歩は、自分自身が、他には存在しない、云わばかけがえのない、
価値ある一人の人間であるという”自覚”を先ず持って、純真で誠実な心に戻ること、これではないでしょうか。
主イエスは「マルコによる福音書」の中で、次のように言われています。

  「さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。 ところが、
  弟子たちは彼らをしかった。
  イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。 『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。
  止めてはいけません。 神の国は、このような者たちのものです。
  まことに、あなたがたに告げます。 子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、
  はいることはできません。』」                  マルコの福音書 10:13-15 〔新改訳〕
6  Ben ID:EIoZtbDE   2008/07/20 15:24
<頑固あたま>

 どこの世界でも例外なく、「頑固あたま」と言ってよい人々が少なくないのが、世の常では
ないでしょうか。「自分(だけ)はゼッタイに正しい」と信じ込んで、少しでもそれを疑ってみる
ということは、思いもよらない。

 ”自由な思考”ができるためには、なにより先ず、自分自身を捨てなければならないのだと
思いますが、これは、至難の業(わざ)です。

 「キリスト者」の立場から、直ちに「それは、・・・」と説明をなさる方も多いのだと思いますが、
これも、「眉唾(まゆつば)」かも知れないのです。 これが人間の世界ではないのでしょうか。

   あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、
   「きょう」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。   
                             ヘブル人への手紙 3:13 〔口語訳〕

   But encourage one another daily, as long as it is called Today,
   so that none of you may be hardened by sin\'s deceitfulness.
                         Hebrews
7  Ben ID:EIoZtbDE   2008/07/20 15:26
   But encourage one another daily, as long as it is called Today,
   so that none of you may be hardened by sin's deceitfulness.
                         Hebrews 3:13 (New International Version)
8  Ben ID:4KOuvFsw   2008/07/23 15:32
<信じ、”祈る”ことから>

その日の出来事、心に思い浮かぶ事などを、その都度に言葉に書いて表現をしてみる。
書いてもやがては忘れてしまうものであっても、言葉に書いて表現をすることで、その時
心の中にある思いを整理することができる。言葉それ自体に論理性があって、使う言葉が
互いに関連しあいながら様々な概念を形成して行くものであるからだ。

 そのようにして、自分自身の心の”姿勢”を保つ。それは、体の姿勢・動き・在り方までも
決めて行き、自分そのものを安定させる。これは、飛行機を「操縦」して機体の姿勢を保ち
ながら、飛んで行くようなものだ。もしもそうしなければ、墜落してしまうだろう。

 しかし、その安定も一時的なものであって、私たちの人生では、そのような思考を重ねる
ことで、間違いのない結論に達しようとすること自体が問題なのだ。人間の存在そのもの、
能力そのものが有限であり、「論理的」思考にも、必ず限界があり、問題があり、危険がある。
間違いを呼ぶことは、どうしても避けることができない。

 人間は、もともと神によって創られたもの、「被造物」のひとつであれば、”神のお考え”、
ご意思に従うことが最初であり、最後でなければならない。そして、神に”従う”ことの中には、
”地上”的な発想では考えられない、真の”祈り”がある。創造者・神とのつながりは、神を
信じる”祈り”の中で実現される。そしてこの生ける神とのつながりは、私たち人間の努力に
よって得られる結果ではなくて、神の一方的な恵みによるものであるとの理解がなければ
ならないと思うのです。

   「主である神はこう言われる。神は天を創造して、これを広げ
   地とそこに生ずるものを繰り広げ
   その上に住む人々に息を与え
   そこを歩く者に霊を与えられる。」   イザヤ書 42:5 〔新共同訳〕
9  Ben ID:ba9PFEB6   2008/07/23 21:19
<主の下で、共に>

 この逆巻(さかま)く黒い大波、この黒い大海を、私たちは、日々どのように泳いで
行けばよいのでしょうか。この問題は、今の時代、たぶん私たちの大部分が同様に
直面している問題ではないでしょうか。

 自分だけで思い悩むよりも、主を仰ぐ私たちは、主の下(もと)で互いに良きものを
見せ合いながら、節度と品のある仕方で、共に生きて行くことができると思います。
そして主は、これを喜び、私たちを支えてくださることを信じます。

 どんな小さなことでも、どうぞ、そのような亊がありましたら、互いに出し合ってみられ
ませんか?
10  Ben ID:LmdiXuLw   2008/07/27 09:20
 暑い日が続きます。連日摂氏35度を超えるこの暑さは、私たちの住むこの温帯の島国でも、間違いなく「温暖化」が進んでいることなのでしょう。地球のあちらこちらで、自然現象の大きな変化がすでに起きていることは、毎日の報道でもよく分かりますね。 悲しいことです。 ・・・こんな中で、「売った、買った」「儲(もう)けた、損した」などとは言っておれないように思いますが、どうなのでしょうか。
11  Ben ID:EuhqUgp.   2008/07/27 11:19
人はだれでも、いつも、何か「快(こころよ)いもの」・「満足のできるもの」などを求めています。 またこれは、その人自身の問題であるに止(とど)まらず、同時に「他の人たちと比(くら)べて」、その程度がどうなのかということが、その人にとって、また大変な問題ともなるもののようです。
 
 自分と他人とを比較して、どちらが優位にあるか、この事がその人にとっての大問題にもなるというわけです。 これは、実は、「うわべ」だけを問題にしていて、肝心(かんじん)の”中身(なかみ)”について考えることを忘れている、それだけのことなんですね。 ・・・ほんとは”中身”こそが大切なのですが。

 では、”中身”とは何か。 それは、間違いなく、その人の誠実さ、誠意、謙虚さ、質素、無欲、温かさ、思いやり、親切、献身などではないでしょうか。
これらの事が、人々から本当に評価をされ、その人は自然に、不思議な力によって知らない間に、”高い”位置におかれる、そう思いますが、どうでしょうか。

  「 何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」
                                      ピリピ人への手紙 2:3 〔新改訳〕
12  Ben ID:50kd2FDM   2008/07/27 16:57
<「救われる人」 と 「救われない人」>う

 「救われる人」と「救われない人」。・・・もしも教会の建物、例えば礼拝堂の中で、こんな言葉を、人々の耳に入るような声で口にしたら、周りにいる人たちが、いっせいにあなたの方を見つめるかも知れません。

 しかし事実として、そういうことがあるのでしよう。 特殊な場合(?)だとは思いますが。 総じて、この事はしかし、人間が言及(げんきゅう)できることでも、すべきことでもないと思います。 それは、もしあっても神の御心のうちのことで、人間の扱える問題ではありませんから。

 ただ、神は、すべての人を愛され、すべての人を救・お・う・としていてくださる。 この事は間違いありません。 神は、救いについて”時”を選んでおられるらしい、・・・と、私はそのように思っております。 まだ年若い少年少女の頃から救いの恵みにあずかる人たちがあり、年老いて死を迎える前になって、救いを受けられる方もあると思います。 そして不幸にして、その恵みを受けないままに、過(あやま)ちを繰り返しながら一生を終わる人たちも、あるのでしょう。

 私たちは今、ここで、どうすればよいのでしょうか。 私は今日、初めて Christian Today の新聞に掲載されています榮義之牧師の”「希望の声」(4)・・・神のかたち”を読ませていただきました。 その最後のところに、「どうぞ、あなたの中にある神のかたちに気づいてください。そして、イエス・キリストにあって、限りない可能性の中を生きる人となってください。」((C)マルコーシュ・パブリケーション)と書かれています。 これは、牧師から語りかけられているという意味でも、とても心励ませるメッセージです。

 これは、いつも私の思うことですが、神であられる主へ近づいて自分の願いを打ち明け、聖霊による御恵みを受けるためには、・・・つまり主・神の救いを頂くためには、何よりも何よりも、先ず自分が、ほんとに素直な謙遜な心にもどり、祈ること。主を信じて、祈り続けること。 これがどうしても必要ではないかということです。

 どうか、すべての人、特に、苦しみ悲しんでいる人たちの上に、主の御恵みが豊かにありますように。
13  Ben ID:WBfBPAX2   2008/07/29 11:20
 『ああ、(わたしは)愛することができない!』と言って、悶(もだ)えるように苦しみ、嘆いている人に出会うことがあります。「愛せない」ということは、事実なにもかもが絶望的になって、身も心も置き場所がないような気持に追いやられるのだと思います。

 しかし、この人たちは、ほんとに正直で素直な人たちなのだと私は思います。 そんな時『イエス様!』とか、『神さま!』とか、人のいないところで独り、主に呼びかけ、叫んでみられるとよいです。 一回でも、二回でも、真剣に、心から。
      
   「悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。
                                     詩篇 50:15 〔口語訳〕

 「愛することができない」というのは、これは大変な問題です。でも、人間である自分自身の力(ちから)でこれを直すとか解決することはできないことのようです。それが、主・神が私の呼び声を聞いてくださると、一瞬のうちに解決される。 と同時に、主は、閉(と)ざされていた心の壁の中から私を解放してくださり、私は完全な心の自由をそこで恵まれ、与えられる。 上の聖句は、その証(あかし)です。
14  Ben ID:afNwSO8A   2008/07/30 15:04
<ベース>

 祈る。「御言葉」を学びながら、いつも祈る。 これは、主(神)と自分を、生きている関係でつないでもらえる一番重要な方法ですね。 そして、主とのつながりの中で知ったこと、教わったことなどを自分のベースとして生活をし、生きていれば、いつでもどこでも何の問題も起こらないように思うのです。

 それなのに、自分でも気づかないうちに自分自身を過大評価していて、ひねり出した自分の知恵に自己満足をし、何かしたり言ったりしていると、結果、とんでもない恥をかくことにもなる。そういうことではないでしょうか。

  しかし、主の”御計画”のうちにあって起こる生活上の不具合・失敗というのもあるのでしょうか。そんな時、その不具合や失敗が、結果としてかえって良いものであったということが分かるのです。・・・これは、私の経験なのですが。 ですから、物事がうまく行かない時でも、私は『これでいいんだ、いいんだ。』、といつも自分に言って聞かせております。 

   いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。
   みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって
   御国を継がせることができるのです。      使徒の働き 20:32 〔新改訳〕
15  Ben ID:afNwSO8A   2008/07/30 16:37
 人を愛せないということは、つらい事なんですね。いろいろなトラブルも、みんなここから出てくると言ってもよいくらいだと思います。

 私たちは、神が私たちを愛してくださるように、人間同士愛し合えるように、平和に暮らせるようになりたいといつも思います。
16  Ben ID:hoeUqzQc   2008/08/09 09:43
 <北京オリンピック>

 素晴らしいですね。このよい意味の盛り上がりと、日本の平和を愛する心とがしっかりと結びつけば、アジアの平和と幸せのための、一つの大きな”軸(じく)”になることでしょう。日本人として、そう思います。

 (それにしても、視聴料を払っているNHKの放送が、私の家では、少し前から画面がぼやけていてよく見えないのです。でも、翌日には同じ放送が民放を通してちゃんと見えておりますから、嬉しいことです。)
17  Ben ID:2EP5i3bg   2008/08/12 17:21
 たとえどんな大騒動が世の中に起きても、動(どう)じることがないように、押し流されて、我(われ)を忘れることがないように。 主を信じ、祈りながら生きて行く。 ねに御言葉を学び続けること。 今の私には、これ以外の事が何(なん)にも分からないようです。 ・・・ ただここではっきりしておりますことは、「余計な議論はしない」、これです。
18  Ben ID:2EP5i3bg   2008/08/12 17:37
>17 Ben

 訂正: 二行目 「ねに御言葉を」 --> 「つねに御言葉を」
19  Ben ID:oLmJ/DPE   2008/08/18 09:33
<議論について>

 これは、先に書き込んでいたメッセージが消えていたために、再度思い出しながら書き込みをするものです。聖書のどこかに、「無駄な議論を避けるように」ということが説かれて書いてあったと思いますので、不都合はなかったものと思っておりますが、・・・。
                 x                    x


 つまり、「議論」をするという場合に、本軸である主・神とのつながり、その信仰から、糸の切れた凧(たこ)のように離れてしまって、すっかり神様のことを忘れて、ただ自分のため、自分を主張するために我(が)を張って発言を続けるという危険が、常にあるのではないでしょうか。これはよくよく注意をしておりませんと、陥(おちい)りやすい誤りであると思うのです。その事について、前回、「害あって益なし」とまで言ってもよいのではないかと、敢えて書かせていただいたものです。

 しかし、一方で、民主主義の社会で民主主義的に生きるという場合には、「互いに尊重し合いながら、信頼をベースにして、可能な限り議論を尽(つ)くす」ことが大切でり、この点は信仰の場合とは違っているということを書かせていただいたのでした。
20  Ben ID:c/ld3S1I   2008/08/20 22:16
<議論を避けることについて>

 「議論を避ける」というのは、聖書のどこに書いてあったかなア、と調べてみました。次のところに一つあるのが分かりました。

 こちらの掲示板で書き込みをなさっている方々の書き込みは、鋭い分析をされているものが多いと思いますから、決して聖句にありますような「愚(おろ)か」ということではありませんが、やはり問題になのは、夢中でやっているうちに、私たちが「糸の切れた凧(たこ)」のように、信仰から離れてしまう可能性が大きいということだと思います。それに対する警告であろうと思うのです。

  愚かで無知な議論を避けなさい。あなたも知っているとおり、
そのような議論は争いのもとになります。
  主の僕たる者は争わず、すべての人に柔和に接し、教えることが
でき、よく忍び、反抗する者を優しく教え導かねばなりません。
  神は彼らを悔い改めさせ、真理を認識させてくださるかもしれない
  のです。     テモテへの手紙二 2:23-25 〔新共同訳〕
21  Ben ID:c/ld3S1I   2008/08/20 22:18
<主に望みを>

  主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
  それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
  主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い
  わたしは主を待ち望む。
  主に望みをおき尋ね求める魂に
  主は幸いをお与えになる。      哀歌 3:22-25 〔新共同訳〕

  The Lord's unfailing love and mercy still continue,
  Fresh as the morning, as sure as the sunrise.
  The Lord is all I have, and so in him I put my hope.
  The Lord is good to everyone who trusts in him,
                      Lamentations 3:22-25 〔TEV〕

 この「乱世」に、私たち一人一人はどう生きることができるか、生きるべきなのか。これはそれぞれに大きな問題、課題ですね。そのためには、世というもの・命・人生、その全体を考え、知り、自分で自分のすべての事を決めて行かねばなりません。しかし、そんな事が私たちにできるでしょうか。どんなに考えたとしても、私たちの知識や知恵はごくごく限られたもの、とんでもない見当違いをしてしまうもの。それが普通なのではないでしょうか。考えているうちに疲れ、衰え、力を失うのではないでしょうか。

 これは、了見(りょうけん)の狭さというものなのでしょう。御言葉に教わるべきですね。私たち
が一番頼りにできるのは、主の他にありません。いつも学びつつ、誠実に、心を尽くして祈る。主は祈る前から、私たちの願いを知っていてくださる、その神秘なお力と、ご慈愛を信じて。待つ。

                                             Ben(鳥取)
22  Ben ID:va//zBhY   2008/08/23 15:38
<日々の生活>

今の私は、聖書の御言葉によらなければ、自分の頭の中から何にも出て来ないかのようです。つまり、他のところから感動を受け取るところが非常に限られてしまったようなのです。

 でも時々テレビ画面などで、非常に感動的な場面に接することがありまして、これはとても有難いことです。

 政治に携(たずさ)わってくださる方々はしかし、この地上で、私たちの生活の頂点立って、日々闘っていてくださるのですから、感謝をしなければなりません。

 どうか、すべての人に神様の幸いがありますように。
23  Ben ID:va//zBhY   2008/08/23 15:43
<疲れ>

 世の中、「しんどい」ですね。「身も魂も」疲れ果てるとは、この事でしょうか? 著名な小説家の方(関西)が、どこかでおっしゃっていました。『ああエラ!』だったかな?とか『ああ、しんど!』とか言ってはならないと。繰り返し、そのことの間違いを指摘されていました。

 でも、人間、疲れるのはやはり現実のことです。そんな時、主に助けを呼び求めましょうか。

  「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
  わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、
  あなたがたは安らぎを得られる。
  わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」
                                 マタイ 11:28:30 〔新共同訳〕
24  Ben ID:va//zBhY   2008/08/23 19:46
>22 Ben 2008/08/23 15:38

<日々の生活>
今の私は、聖書の御言葉によらなければ、自分の頭の中から何にも出て来ないかのようです。
つまり、他のところから感動を受け取るところが非常に限られてしまったようなのです。・ ・ ・ ・ ・
---------------------------------------------------------------------------------------

 「他のところから感動を受け取るところが非常に限られてしまったよう・・・」の「他のところ」とは、
抽象的な意味で、「自分の頭」以外の”世界”に関心を覚えることが非常に少なくなったことを意味したものです。
言い換えますと、信仰の世界、神の世界に自分の関心が集中して、他の事にあまり注意が向かなくなったことを
言いたかったものです。 Ben
25  Ben ID:va//zBhY   2008/08/23 20:42
<神のために>

 ひとつの表現をしますと、私たちは、”神のための働き”をするところにだけ人生の意義があるのだと、そのように思っております。といいますのは、自分自身の、自分のためだけの人生は空虚であり、たとえどんなに頑張って何かの結果を得るとしても、結局のところはそれは(真の)価値も意味も無いのだと考えますから。

 私たちは、神から栄光の分け前を恵まれて初めて、人生の意義・価値が生まれてくるのだと、そのよう信じております。自分のために得るものはすべて、灰のように吹っ飛んで無くなるのであり、ほんとに残り続けるのは、ただ神のところにあるもののみですから。

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、
 また盗人が穴をあけて盗みます。
 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて
 盗むこともありません。
 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。」 マタイ 6:19-21〔新改訳〕
26  Ben ID:8bAx7cfs   2008/08/24 06:23
 「こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。
 見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、
 耐え忍んで待っています。」        ヤコブの手紙 5:7 〔新改訳〕
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 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、
 苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊に
 よって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。
  ローマの信徒への手紙 5:3-5 〔新共同訳〕
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<主が来られる時まで>

 そうです。実際、農夫の方々の忍耐強い、地味で目立たない、高貴とも言いたくなる
あの風格には頭が下がるような気がします。そして忍耐から来る”実”は、パウロさんが
言われているように、実に大きなものなのですね。
27  Ben ID:8bAx7cfs   2008/08/24 15:29
<書く楽しみ>

 ペンか鉛筆で、手帳とかノートに何か文字を書いてみる。手頃な筆記用具をいつでも身近に用意しておいて、ちょっと時間が空いた時など、その時思いつくことを何でも書いてみます。短くても長くても、その時の思いのままにですね。

 そうしますと、当然言葉を使わねばなりませんから、否応(いやおう)なしに「考える」ことを迫られるのですね。 ・・・あっ、今気がつきましたが、部屋にいる時は「紙と鉛筆」の代わりにパソコンでもよいわけです。今ここでそうしているのですが、パソコンですと、書いたり消したりが自由自在ですからずっと便利でしょう。 ただ、紙に手書きをする動作そのものにも快感があるものなのですが。

 そして、書いて行けば行くほど考えが広がり、深まって行くんですね。気持ちも高揚します。中学生の時は、私はせいぜいメモを取るくらいのことでしたが、高校に入りましてからは、いつもポケットに手帳と万年筆を入れていて、ちょっとした時間の隙(すき)にも書き、これを今まで50年以上も、ずっと自分の道楽にして楽しんできました。

 あなたも是非一度、これをためしてみられませんか? 新しい趣味になるのかも知れません。
28  Ben ID:7qulovv.   2008/08/25 13:38
真実。・・・真実が欲しい、真実が欲しいと思い続けてきた一生です。

 真実は「目覚(めざま)しい」。
 パッと心の目が開けたように、まわりが一変して、
 明るくて広くて、限りなく続く美しい生きた世界が見えてくるような気がするのですね。

 真実は、唯一の世界、憧(あこが)れと希望の世界。
 そこに神様の”国”があるように思えます。
29  Ben ID:XxndKrgk   2008/08/26 08:16
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<辱(はずかし)め>

 私はこれまでに三度ほどそれを見たと思いますが、聖書にある言葉を使って人を裁くということは、「いかさま」であり、大きな偽善であり、そして、神と御言葉、聖霊に対する「辱(はずかし)め」であろうと思います。

 しかし、私たち人間には、”弱さ”がありますから、この事を忘れてはならないのですね。・・強がりは言うまでもなくナンセンスです。

                                            Ben(鳥取)
.
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30  Ben ID:Q5Zu4jRA   2008/08/28 14:32
<言葉と、その理解>

 人間の言葉というものは、なんと不完全なものでしょうか。 不完全さの程度は、それがどこの国の言葉(国語)であるかによって、また使っている人によって相違があるのでしょうけれど、しかし、この事は、(言葉の)不完全さであるというよりも、その言葉・表現の持つ”性質”、”性格”的なものであるのかも知れません。そのあたりの事は、言語学のご専門の方にお聞きしてみませんと、分かりません。

 一方で、人は、他人が使う言葉を自分で咀嚼(そしゃく)してみないで、そのまま呑(の)み込んでしまうことが多いのではないでしょうか。その結果は、”胃腸(いちょう)”の具合を悪くする場合もあるでしょうし、すんなりと行くと今度は、その”食べ物(言葉)”が中毒になって、結果、自分自身が「振り回されて」しまうことも起こります。この意味で、世・に・行・わ・れ・る「言葉」、「表現」に対しては、よくよく注意が必要です。

 聖書に書かれている言葉につきましては、この意味で、できれば原語に加えて、何ヶ国語かの翻訳を並べて読んでみればよいのでしょうけれど、これは大変困難なことですから、・・・私の場合は、聖書に精通されていると思う、自分の最も信頼する人の著作を読みながら、自分の理解できる聖書や辞典を調べ、そして自分の思いを、その都度メモ書きをしてみることです。
31  Ben ID:Q5Zu4jRA   2008/08/28 17:18
< 「車輪無し」の飛行 >

 「真理」は科学にだけあるものではありませんね。 むしろ”人の道”にある真理、それ以上に、宗教の中にある真理、これが人間社会が維持されて行く上で第一に最も必要なものであること。 この事が、不注意にも見逃されているのが現在の社会ではないでしょうか。 その結果、科学上の真理はむしろ悪用されることが多くあり、今の社会は、「片肺飛行」をしている、・・・というよりも、「車輪無し飛行」をしてスッ飛んでいると言ってよいのではないでしょうか。ガソリンが切れたら、どうするのでしょう?
32  Ben(鳥取) ID:/EVxkD6Y   2008/08/29 14:07
<起こり易い誤り>

 聖句を「ツブテ」に使って投げつけ、他人を批判し排除しようとすることは、御言葉に対する冒涜(ぼうとく)、思い上がりと
傲慢、そして偽善であり、良いことは一つもありません。 私は、過去に三度ほど、これをされた経験があると思います。
「クリスチャン」と言われる人たちに起こり易い誤りです。
33  Ben ID:LyEkCsrk   2008/08/30 09:07
<形而上(けいじじょう)」と「形而下(けいじか)>

 この言い方は、多分正しいのだと思いますが、・・・”世界”は、「形而上(けいじじょう)」と「形而下(けいじか)」に
分けて理解されるのですね。

   形而上(けいじじょう): 時間・空間を超越し、感覚を通してはその存在を知ることができないもの。
                 形をもたない、抽象的・観念的なもの。 ▼the metaphysicalの訳
   形而下(けいじか)  : 時間・空間内に形をとって現れ、感覚を通して認識できるすべてのもの。「--学」
                 ▼the physicalの訳              〔大修館 「明鏡国語辞典」〕

 ここで、書きたいと思いますのは、世間が一般に、「形而上」にある世界を信じる宗教を理解しない、または
できないということです。 「形而上」の世界などというものは、架空であり迷信であり、馬鹿げかたものであろうと
単純に早合点をされていることです。”奇跡”などというものは、一般には、信じられていないのです。
 
 この事について、短い文で意を尽くすことは、どなたでもたいへん困難な事でしょう、けれど、神学者の方は、
怠慢をしないで(?)、このあたりの事を分かり易く、人々に伝える努力をされなければならないと思うのです。
34  Ben ID:Rs/B39zc   2008/08/30 21:32
<地上と天上>

 「道徳」は、個人でも社会でもその”基本”になるのだというのが、一般の考え方になっていると思います。
そこへ持ってきて、では「宗教」とは何なのか。

 この道徳と宗教との関係については、この前の書き込み、<形而上と形而下>により、全体が見ていただけた
と思いますが、たまたまトルストイが晩年に書き残したといわれる文章に出会いました。 ご参考に引用をして
みます。

 「道徳の基礎を宗教以外のところへ置こうとする試みは、<お気に入りの植木を移植しようとして、気に入らない、
 そして余分なものに思われる根を植木からもぎ取って、根のない植木を土に挿しこもうとしている子供がやって
 いること>と同じである。 根がなければ本当の植物ではありえないのとまったく同じように、宗教的な基礎が
 なければ、本当の、まがいものでない道徳は絶対にありえない。」      
                            女子パウロ会: 小沼文彦訳 「トルストイ ことばの日めくり」  
                               (文中の<>は、分かりやすくするため入れました。)

 つまり、トルストイには、道徳は、形而上の世界である神の国に”根”を持つものでなければ、絶対に生きたものとは
ならないとの確信があるのです。 そしてこれは、”地上”と”天上”の世界の関係がわかり易い喩えで書かれたもので
あると思います。
35  Ben(鳥取) ID:ME2yCuoE   2008/08/31 09:21
 <地上の幸せ>


 〔発展〕 → 〔崩壊〕 → 〔消滅〕  の道ではなくて、

   特に、発展を止まないこの国際社会の中にあって、・・・

 〔内的充実〕 → 〔強化〕 → 〔維持〕 →〔精神的な豊かさ〕(美術・芸術などの文化・哲学・宗教) がいい。


   そして、格差や不平等が無い社会。
36  豚に真珠 ID:KXbZ5mOY   2008/08/31 10:03
実際には
〔発展〕 → 〔崩壊〕 → 〔発展〕 → 〔崩壊〕……
をくり返すと思うよ
そして 主イエスキリストの再臨。
その日は オウム真理教 幸福の科学 
そして 統一協会教祖文龍明氏のような 
自分こそメシアだと言っている 反キリストが暴かれる日。
37  Ben ID:d5NYxJXQ   2008/08/31 23:50
豚に真珠さん、 ・・・ ああ、・・・ このお名前は、呼びにくいです。 私は何か話をする時、名前を呼びたい方なんですが。

 そう、おっしゃる通り、「循環理論」のようなものが科学の世界にあるのでしょうね。少しも否定をするものではありません。ただ、そこに書いたのは、表現内容を単純化して、特徴と言えるものを図式的に書いてみたものです。 そのようにご理解ください。 そして、実際に、「消滅」はどこの社会でも起り得ることではないでしょうか。 「崩壊」にも大小いろいろの程度があり、その ”振幅”がいつも一定しているとは限らないでしょうから。
38  Ben ID:fiaR/3Sk   2008/09/02 22:11
<見失わない>

たとえどのように世の中が変動をしても、私たちは、人間をどこまでも見放されることのない主、
義と愛の神を見失うことがないようにと、そのために「学び」と「祈り」を日々続けて行くようにと、
今この事を、自分自身に確認しております。
39  Ben ID:WjOtccPY   2008/09/03 10:45
<何をすれば?>

今何をすればよいのか、分からなくなってしまうということはありませんか? 私は、
しょっちゅう、そういう瞬間にぶつかります。「だらしない!」、「なさけない!」という
罵声(ばせい)が飛んできそうですが、ストレスの中に置かれる時は特に、そんなもの
かも知れません。

 しかし、幸いなことに、いつも主のことを思い出すことができて、主に話しかけ祈り
ます。 そして救われます。 感謝です。
40  Ben ID:ILSAZwq2   2008/09/04 11:52
< 洪 水 >

 今から60年ほども昔の話ですが、当地の千代川(せんだいがわ)は、よく洪水になりました。
幅が300メートルほどもあるかと思う川に、大量の茶色い濁った水が溢(あふ)れて、地響きを
たてるようにゴウゴウとうなりながら、木の切れっぱしとか、黒い木株とか、ときどきは家の障子
とか色んな物が浮かんだり沈んだりねじれたりしながら流れて行くのでした。

 ふと今、世の中はこんな感じかなアと思った。 これはしかし、決して日本だけではなくて、
世界中がそうであるように思える。 けれど一方で、洪水とは距離をおいて、静かに考えながら
見守っている大勢の人たちもいるのだろうと思う。
41  Ben(鳥取) ID:dnMT4dyE   2008/09/06 15:52
<個人の存在>

 それぞれ多様な個人の存在が基本にあって、その集合として社会が形成される。 ・・・ この考え方が、
社会が全体として誤った方向へ進んでしまわないために大切ではないだろうかと思いますが、どうで
しょうか?

 もしも全体が誤った方向へ行ってしまうということが起きますと、その「影響」は余りにも大きいですから、
当然それは避けたいと思うのです。 たとえば戦争などは、もう二度とこりごりです。

 信仰の場合も、集団でというよりも個人としてそこへ行き着く(導かれる)ということが、多いのでは
ないでしょうか。
42  Ben ID:dnMT4dyE   2008/09/06 18:21
<おへそに物差し>

NHKのラジオ放送だったと思いますが、人の「おへそ」のところに物差しを当てて胴回りを測り、
一定の基準以上であるか以下であるかにより、「メタボ」(リック症候群)であるかどうかを判定。
以上であれば、課税面 ・・・でしたか、違ってくるとか。 結局その「負担」は、その個人のところに
回って来ることにもなるのだろうと、専門家の方(お医者さん?)がおっしゃってましたね。
なんでも、そういう法律が実施される運びですとか。 体の大きさとか、体質とか、いろんな問題も
あることでしょうに、『これは、残酷物語』ではないか知らん、と思ってしまいましたネ。

 その上、これが外国の人たちの知るところとなれば、結構、話のタネにされるのではないでしょうか。
そんな話題性があります。 『だから日本人は・・・』 などと言われたくないものです。 もし私の無知の
せいで間違えておりましたら、教えて頂けましたら有難いです。 しかし、もしもこれがホントの事で
したら、私は豊臣秀吉の時代の発想なのかなア、と思いました。 人間に最も基本である、自然な
生きる自由、その権利を認めないとも言えるような、『いくらなんでも』の感じでした。 科学的な
合理性も問題らしく、放送されていた方もそんなお話をなさっていたと思います。
43  Ben ID:d/cuueso   2008/09/07 11:06
<新しい意味の真理の世界・信仰>

 この宇宙が「存在」しているということ、そして現にわれわれ人間が、他のもろもろの生物・無生物と
いっしょに、そこに存在をしているということは、やはりそこに、その宇宙の始まり、「起源」があるわけです。
そしてこの「起源」という言葉は、その意味について、よく吟味をしてみなければならないのでしょう。
 このような、「起源」についての理解ができて初めて、私たちは生きる意味が本当に分かってくる筈です。
生きる意味が分かれば、私たちは安心をしてこの人生・この世を渡って行くことができるわけです。

 では、この宇宙の「存在」について、その「起源(始まり)」を、ほんとに解き明かすことができるのか、これは、
大きな問題です。 なぜなら、「起源」は、無から有が生じるその境目(さかいめ)にある事なのですから。

 実は、私は、若い頃に達することのできた一つの理論があります。 つまり、宇宙が物質の世界であると
する場合、物質を使って物質の真の意味の”本質”を知ることは不可能であるとの理論です。 例えば
「光線」のようなものも、この物質世界のうちにあるものとしての前提です。 このような”根本的な” 問題に
ついて、科学者の方でしたらどんな説明をされるかは、私はよく知っておりません。

 物質的な手段によって物質世界の「原理・構造」を知ることはできても、その”根底”にある真の意味の
”本質” を知ることはできない、ということは、物質世界だけを扱うことによっては、本当の意味の「起源
(始まり)」を知ることはできないということです。

 「起源(始まり)」は、やはり”物質を超えた次元”の異なる世界にあるとの結論が、ここで出てきます。
しかも、この”物質を超えた次元”の異なる世界というのは、物質的な方法によっては知ることができません
から、・・・ それは、人間の内側に与えられる”霊的な力”による他にありません。 ここに、「信仰」と呼ばれる
その人にとっての ”新しい世界” が見えてくる、そういう意味の新しい”真理” の世界があるのだとの認識、
そして確信です。
    
44  Ben(鳥取) ID:d/cuueso   2008/09/07 11:14
<画像認証のエラー>

 皆さんのところではどうでしょうか?
私は、このスレッドに投稿をする都度に、殆どいつも、「画像認証」が合っていないというエラー表示が
出て、投稿のやり直しをしております。 何かが変だと思います。 画像認証番号は、きわめて分かり易い
単純な数列の場合でも、それが起こります。
45  北海鱈 ID:qChEJzfY   2008/09/07 12:16
便さん!プロバイダーか、何かチェッカーかウォッチャーが
監視しているのですよ。統一系はそんなたぐいが多いのですよ。
ちょっと変だなーじゃなくて、もう、完全に規制かけていますよ。
気をつけてね。
46  Ben ID:d/cuueso   2008/09/07 13:26
>45 北海鱈 ID:/c1QpVVo 2008/09/07 12:16

北海鱈さん、どうもありがとう。 何かそんな事なのかなアと、気になって、・・・ 。 

                                   Ben
    


47  北海鱈 ID:qChEJzfY   2008/09/07 15:39
Benさん。さっきは名前書き間違え失礼しました。
48  Ben ID:d/cuueso   2008/09/07 17:54
北海鱈さん、

 ぜんぜんかまいませんから。 本名が「勉」なのです。 日本名としてはBenに最初少し抵抗感が
ありましたが、BenjaminのBenのつもりで使い始めました。外国でも多くあるらしくて、気楽に使って
もらえるようです。・・・今度の送信は、確か真ん中に222と続く番号が出て、スイスイと送信が
できました。  Ben
49  北海鱈 ID:qChEJzfY   2008/09/07 19:42
I understood.
50  Ben ID:d/cuueso   2008/09/07 22:11
<スレッドの問題>

ノートン360でスキャンした直後にこのスレッドを開いたのですが、その瞬間、
画面の最下段で緑色の帯が二回流れたんです。時々あることですが、この
「二回」というのが分かりません。こんな事は、どこでもあることなのでしょうか?
51  Ben(鳥取) ID:B/omAo.Q   2008/09/11 21:08
<人間復興、”いのち”への回帰>

  人と人が付き合う時に、胸の内側はお互いに分からないということが、当たり前として受け止められて、
外側だけで付き合う、・・・ つまり、内側の事は、お互いに敢えて「問わない」・「お邪魔をしない」、というのが、
今や世の道徳・世渡りの常識となって来たのでしょうか。 「うわべ」を以って良しとする、「キャラクタ」という
ような言葉が流行し始めているようですが、これは言い換えれば「仮面」です。「仮面社会」の出現(?)です。

  しかし、真に健全な社会が形成・維持されて行くためには、人体で言いますと、各器官を「つないで」
全体の形を保つための「骨格」、”人間の真実”とその”つながり”が必要であり、今これが消え失せようと
しているかのようです。
  もしも「骨格」(つまり”真実”)がなくなりますと、「人体」はふにゃふにゃになってくずれるのであり、立ち行か
なくなるわけですが、 動けない体になれば、『待ってました』 とばかり、「腐敗菌」がついて体中に増殖をし、
体はそれ以上生きて行けないことにもなるでしょう。

  ここで、個々人そして社会の全体が、「偽り」(07年の言葉)から離れて ”真実”を回復するためには、
「人間復興」が起こらなければなりません。 そして、真の意味の”いのち” への回帰、その”新しい動き”は、
すでに始まっているように、私は思います。芸術(演劇・音楽・美術など)・文学・(生きた真の)宗教などの
分野がそれであり、「復興」の先導となるのではないでしょうか。哲学もそうなのでしょう。 一方で「科学・
技術」は、むしろ「腐敗菌」の好むところでもありますから、十二分の注意が必要であると考えております。
  真実の”いのち”への回帰、「人間復興」が、政治や経済の永続的な、第一の原動力になるのでは
ないでしょうか。
     
52  Ben ID:mqkxzkOY   2008/09/15 10:10
移動のおしらせ:

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 ・・・主と共に・・・
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