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CHRISTIANTODAY フォーラム
日々のみことば
1 kagayakuegao ID:CUda3LBg 2008/05/27 10:02
日々聖書を読む中で与えられたみことばを、
お互いに分かち合いませんか。
101  kagayakuegao ID:5uU2Dtvc   2008/07/08 08:13
城門を開け
神に従い、信仰を守る民が入れるように。
堅固な思いを、あなたは平和に守られる
あなたに信頼するゆえに、平和に。
どこまでも主に信頼せよ、主こそはとこしえの岩。イザヤ26:2~4
102  Ben ID:.J84szrQ   2008/07/08 20:59
>No.77

「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず
わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと
あなたを憐れむ主は言われる。」 イザヤ 54:10
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

 主が私たちに対して持ってくださるお慈(いつく)しみとその平和のお約束は、それほどまでに奥深く、揺らぐことのない固い真理であること。
 たとえ大自然が、壊れるかと思うほどに吠えたけり、また人の世が大嵐(おおあらし)のように荒れ狂って私たちに覆いかぶさってくるかと思えても、この主がくださるとこしえで平和の世界は微動もせず、私たちに平穏な生活を保証していてくださる。 ・・・今私は、このように感じております。
103  kagayakuegao ID:DaALDHI2   2008/07/09 07:44
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。1ペテロ 5:7
104  Ben (鳥取) ID:YZb7L3nA   2008/07/09 09:47
>103

「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」
                   1ペテロ 5:7
--------------------------------------------------

 神が、何よりも誰よりも一番お強い方であって、しかも、すべてのものは初めから神によって創られ、そのご愛とご支配のもと、私たちは昼も夜も、いつもみていただいている、・・・と思いながら、あれやこれやと思いめぐらす愚かさ、弱さ、もろさ。 しかしやがて、(主の)励ましを受け、悩みから解放され、静かな感謝の気持に戻していただく。 これは、言葉では言い尽くせない感謝なことと思います。
105  kagayakuegao ID:aRL4F6YI   2008/07/10 08:43
わたしたちすべてのために、
その御子さえ惜しまず死に渡された方は、
御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。ローマ8:32
106  tomas ID:tck3ORAQ   2008/07/10 13:18
クリスチャンでは無い人がどうしてこのフォーラムに???????
107  Ben (鳥取) ID:MNUE8N2.   2008/07/10 21:09
>58

「主御自身があなたに先立って行き、
主御自身があなたと共におられる。
主はあなたを見放すことも、見捨てられることもない。
恐れてはならない。おののいてはならない。」 申命記 31:8
------------------------------------------------

 これですね。 私たちの人生はこのことに尽きるように思います。 ですから、ただ主に倣(なら)い、主に従って、恐れることなく、惑(まど)うことなく歩んでゆく。 他(ほか)の事はなんにも必要がない、・・・といいますと、ちょっと語弊がありますが、この「第一義」を絶対に忘れてはいけないのですね。 Ben (鳥取)
.
.
108  kagayakuegao ID:4GiM3AZ.   2008/07/11 07:31
彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。
神がその心に喜びを与えられるのだから。コヘレト5:19
109  Ben(鳥取) ID:TfDgmzCU   2008/07/11 10:52
>108

「彼はその人生の日々をあまり思い返すこともない。
神がその心に喜びを与えられるのだから。」 コヘレトの言葉 5:19 [新共同訳]
-------------------------------------------------------------------

「このような人は自分の生きる日のことを多く思わない。
神は喜びをもって彼の心を満たされるからである。」  伝道の書 5:20 [口語訳]

「こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。
神が彼の心を喜びで満たされるからだ。」 伝道者の書 5:20 [新改訳]

「かかる人(ひと)はその年歯(よはひ)の日を憶(おぼ)ゆること深からず
其(そ)は神これが心の喜ぶところに従ひて応(こた)ふることを為(な)し
たまへばなり」                伝道之書 5:20 [昭和26年刊・文語訳]
-------------------------------------------------------------------

 これは、(私のような)老年者にとりまして、興味深い一節です。昔の事ほど鮮やかによく思い出しております。 (一方で今ある事に対しては、幻滅することがあまりにも多いのも、事実ですが。)
 しかし、言われる通りですね。 「主にある」かぎり、いつも”新しい”のです。 新しい喜びと希望に満たされます。


110  シャコンヌ ID:D/pHO7ng   2008/07/11 21:36
BENさま、後連絡感謝します。私は元気、ですが?一寸風邪を引いて、寝込んでいました。がもうだいぶ良くなりました。私も細々とですが、メール、インターネットも祈りのために続けることが赦されていて、感謝です。良かったらまた来てください。http://www.hfj.com/hotori/
ブログなども、あります。ではまた
111  kagayakuegao ID:K5.qABEM   2008/07/12 06:50
たとえ、千年の長寿を二度くり返したとしても、
幸福でなかったなら、何になろう。コヘレト6:6
112  kagayakuegao ID:K5.qABEM   2008/07/12 07:20
補足


われわれは人生を立派なものにすることができる。


というのは、およそ人間の想像力が描きうる最もすばらしいものは、

全く自由な、しんから気高い性質の人間だからである。


そこまで到達することが、明らかに人生の目標である。


その他のすべては、ただそのみすぼらしい代用物にすぎない。


そしてこの目標に本当に到達したいと念願する人にとっては、

どんな運命も必ずその目的に役立つものである。


しかし、そうするためにはっきり知っていなければならないのは、

たんなる動物的な仕合せなどは少しも価値がないばかりか、一つのごまかしにすぎないこと、


これに反して、神に仕えるのがすべてだということである。

カール・ヒルティ
113  Ben (鳥取) ID:9LaZGqK.   2008/07/12 13:34
>110

シャコンヌさん、こんにちは。

 お久しぶりです。 こちらへお出でくださったんですネ。 わたしは、いつまでたっても新米
(しんまい)です。 それで、こちらでもたくさん学ばせていただきたいと、張り切っているところです。
シャコンヌさんもどうぞ、出会われる御言葉など、またお聞かせください。
でも、お体には、十分にご注意くださいますよう。 くれぐれも、ご無理はされませんように。
それではまた。 Ben



114  kagayakuegao ID:P10oDiME   2008/07/13 07:21
今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。
悲しんではならない。
主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。ネヘミヤ8:10
115  豚に真珠 ID:77vgTv1g   2008/07/13 09:39
今日は、我らの主にささげられた聖なる日だ。
悲しんではならない。
主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。ネヘミヤ8:10

今まで 気づかなかった素晴らしい言葉です。
今日 心に刻みました。
kagayakuegao さん
ありがとうございます。
礼拝を待ちつつ、主を讃美します。
116  kagayakuegao ID:1PPppBpk   2008/07/14 07:22
>115 
礼拝を待ちつつ、主を讃美します。

アーメン!
主を賛美するために民は創造された。詩篇102:19
117  kagayakuegao ID:1PPppBpk   2008/07/14 07:22
主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。
主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い
わたしは主を待ち望む。 哀歌3:22~24
118  Ben(鳥取) ID:nWPGVg2w   2008/07/14 15:29
「 主よ。私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します。」
                           詩篇 26:8〔新改訳〕

 今、これを書いております私のすぐ右側の柱に、上の御言葉が書かれているカレンダーが
かかっております。 私たちは、現実にはこの(醜い)”肉”の世に住みながら、ここに記される、
最も真実、永遠で、正義と愛と真(まこと)に満ちる神の御国を、この上なく愛し慕い続けるもの
です。 御言葉をわが”よすが”として、飾っております。 Ben(鳥取)
119  kagayakuegao ID:utwtD3zU   2008/07/15 06:52
生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、
わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 ガラテヤ 2:20
120  Ben(鳥取) ID:IMS3nG5A   2008/07/15 10:02
>117

「主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
「あなたの真実はそれほど深い。
主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い
わたしは主を待ち望む。」 哀歌3:22~24
---------------------------------------

 仮に最初の二行の「主」のところを、「人間」と入れ替えてみますと、

   「人間の慈しみは決して絶えない。」
   「人間の憐れみは決して尽きない。」

・・・ となりますが、これはとても考えられない事です。 人間の心は移り気なのが普通であり、しかも
人間自体が有限で、誰でも死に滅びます。 その一生は、宇宙の寿命と比べても、正しく「一瞬」の出来事という外ありません。

 「決して絶えない」、「決して尽きない」 慈しみと憐みは、主(神)のご存在・ご性質そのものを表して
いると思いますから、その偉大さ・尊さに改めて頭が下がるようです。 世間には、偉い人を祀(まつ)って
「神」とする例がありますが、それはそれとしまして、キリスト教の(天地万物を創造され、今も生きて
おられる)”神”は、意味がまったく違っていると言わねばならないのでしょう。

 この偉大で永遠、慈しみと憐みの ”いのち”の主(神)をいつも待ち望んでいる。このところに、私たちの
信仰の生活があるように思います。 そして、「わたしの受ける分」という表現は、有限な自分の立場を
謙遜する気持と、それ(慈しみ・憐み)をいただくことの誇りと満足の気持が含まれているのではないで
しょうか。
                                            Ben(鳥取)
121  なふ ID:VqCNWylY   2008/07/15 12:07
愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。善を行なう者はいない。主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。
詩篇14章1~3節

愚か者は心の中で「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行なっている。善を行なう者はいない。神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。不法を行なう者らは知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、神を呼び求めようとはしない。
詩篇53章1~4節
122  kagayakuegao ID:Uqt12HrE   2008/07/16 06:27
しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、
罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、
――あなたがたの救われたのは恵みによるのです――
キリスト・イエスによって共に復活させ、
共に天の王座に着かせてくださいました。 エペソ 2:4~6
123  Ben(鳥取) ID:WR/Quvwk   2008/07/16 09:09
>121 なふ

愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。
善を行なう者はいない。
主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。
詩篇14章1~3節

愚か者は心の中で「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行なっている。
善を行なう者はいない。
<神>は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
彼らはみな、<そむき去り>、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない。
不法を行なう者らは知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、神を呼び求めよう
とはしない。
詩篇53章1~4節
-----------------------------------------------------------------------------------------

 この聖句引用を読まれて、驚き、おびえられた方もあることでしょうね。 あるいは、白(しら)けた気分になられた
方もあるかも知れません。 「世(よ)」をするどく突いている部分であると思いますから。

 ひとつ大切な事として教えられたことがありますが、聖書は、或る一か所だけを読むのではなく、その前後も
読み合わせると理解が得られやすいということです。 わたしも早速実行をしてみましたが、それでやはり、
理解が広まったようでした。

 また、一つ、私個人として心掛けている事を話させていただきますと、それは、明るい”光”の方を向いて歩む、
暗い”闇(やみ)”の方はできる限り振り向かないこと、です。 批判し、責めることをしないように努力しなけらば
ならない、人を尊重し、正しい意味で”協調”する点を見出す姿勢がいつも持てるように、・・・そのように願って
おります。

 なふさんの挙げられている引用のうち、後段(こうだん)のものは、手持ちの聖書に見つかりませんが、これは、
何訳でしょうか? (<>の箇所が見つかりません)
Ben(鳥取)

124  Ben(鳥取) ID:60WG44lw   2008/07/16 15:47
>119

生きているのは、もはやわたしではありません。
キリストがわたしの内に生きておられるのです。
わたしが今、肉において生きているのは、
わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。 ガラテヤ 2:20
--------------------------------------------------------------------------------------

 『そんな、嘘っぱち!』 などと言わないでくださいよ。 キリストと霊的に合体した人の味わう、これは
実体験から来ていると思うのです。  Ben(鳥取)
125  kagayakuegao ID:brK7CE1I   2008/07/17 07:16
>119 補足 

H.W.スミス 「信仰生活の秘訣」P267最後の行~P269一行目

自分を主の所有としていただくために、全我を主に献げることです。

最後に主が確かに私達を所有してくださり、私達の内に住まわれていることを信じなければなりません。

私達は自分を死んだものと思い、キリストを私達の唯一の生命であると認め始めなければなりません。

そして、そうした霊魂の状態が動揺することのないようにしなければなりません。

「わたしは、キリストと共に十字架につけられています。

生きているのは、もはやわたしではありません。

キリストがわたしの内に生きておられるのです。(ガラテヤ 2:19,20 )」と

日夜繰り返し、私達の霊魂の常となるまで、これを続けることは大いに助けとなります。

私達は常に信仰によって自我を脱いで、キリストの生命を着なければなりません。

常にこのことを行い、幾回となく繰り返して、

ただ、信仰においてばかりでなく、実際生活でもこれを行わなければなりません。

私達は日々の生活の細部にわたって常にみずからを殺し、

私達の内部にはキリストが生き、かつ働いてくださる者とならなくてはなりません。

これを絶えず繰り返すことによって私達の全存在の不断のあり方としなければなりません。

私達がこのことを確実に実行するならば、最後には

キリストと御父が一つであるように、私達がキリストと一体にせられるという意味を幾分でも理解するようになるでしょう。

キリストは私達と一体になるために全てを私達にお与え下さいました。

ですから私達もまた、キリストと一体になるために全てをキリストに委ね、

言語を超越する言い尽しがたい、

この神人合一の境地に入るべきではありませんか。

主は私達のために次のようにお祈りくださいました。

「彼らのためだけでなく、

彼らの言葉によってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。

父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように
、すべての人を一つにしてください。」と。

http://z.z-z.jp/?kagayakuegao  過去ログ 10


実に、人は心で信じて義とされ、
口で公に言い表して救われるのです。 ローマ 10:10

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
見えない事実を確認することです。 ヘブル 11:1


126  kagayakuegao ID:brK7CE1I   2008/07/17 07:18
人間にできることではないが、
神にはできる。神は何でもできるからだ。 マルコ 10:27
127  なふ ID:LjYIfqnI   2008/07/17 13:33
>Ben(鳥取)さん

新改訳ですが、投稿する際、なぜか<>が入り込んでしまったようです。
128  Ben(鳥取) ID:xBvY70EI   2008/07/17 23:43
>127

なふさん、

 そうでしたか。二段に書いてありましたので、・・・しかし二つともそっくりだし、思案をしておりました。
でもそういう間違いはあります。 つまり、何かの思い込みがあって、それが無意識に出てしまうものです。
これは、なにか心理学で扱われていることかも知れません。

 ちょっと余談になりますが、面白いことを思い出しました。 わたしは、早々にサラリーマンを止めまして、
英語教室を開いていたことがありましたが、子供たちにも教えておりまして、・・・とにかく、楽しく面白く
ワイワイとやっておりましたが、時々、四・五年生くらいの男の子などが、わたしに何かを夢中にしゃべって
いて、「お母さん」と言ったことが、三度ほどあります。 彼らとしては思わず言ってしまった間違いだった
のですが、それがおかしくて、今でも忘れません。 わたしは男性でありますので、「お母さん」は、まったく
当たらないのですが、・・・それが、特定の子供ではなくて、あの子この子と、ぜんぜん別の子供でした。
一度は、講師で行っていた塾でも、それを言われたことがありました。

要するに、彼らは無邪気ですから、もう夢中に早口でしゃべっていて、思わず・・・わたしのことを、自分の
お母さんと取り違えてくれたようでしたが、わたしとしましては、たいへん光栄な事でした。 今思い出しても
幸せな気持ちです。
                                              Ben (鳥取)
129  kagayakuegao ID:Z/5R1UkE   2008/07/18 07:37
希望の源である神が、
信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。 ローマ15:13
130  匿名さん ID:jzqieD7k   2008/07/18 21:16
婦樹を見ば食ふに善く目に美麗しく且智慧からんが爲に慕はしき樹なるによりて遂に其果實を取て食ひ亦之を己と偕なる夫に與へければ彼食へり(創世記3章6節)

我了れるところは唯是のみ 即ち神は人を正直者に造りたまひしに人衆多の計略を案出せしなり(傅道之書 章29節)

この二つ、もしかしてリンクしてる?
131  kagayakuegao ID:YZ6wegoA   2008/07/19 07:42
わたしはあなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。創世記28:15
132  kagayakuegao ID:J4fi0A.k   2008/07/20 07:24
わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。
うろたえてはならない。おののいてはならない。
あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。ヨシュア 1:9
133  Ben ID:EIoZtbDE   2008/07/20 16:02
>132

「わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。
うろたえてはならない。おののいてはならない。
あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」 ヨシュア 1:9
----------------------------------------------------------------

 そうなんですネ。 なのに、ついついうろたえて、独り不安の闇の中に閉(と)ざされてしまう。
こんな不幸せがあってよいものでしょうか。

  「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。
  わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」
                              イザヤ書 41:10 〔新改訳〕
134  匿名さん ID:O3Dk4RTc   2008/07/20 20:08
男の頭の毛が抜けても、それははげであって、彼はきよい。もし顔の生えぎわから頭の毛が抜けても、それは額のはげであって、彼はきよい。
レビ記13章40・41節(新改訳)

(*^_^*)
135  kagayakuegao ID:F3RFxnN6   2008/07/21 07:04
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、
彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。黙示録 3:20
136  Ben ID:tX31lU2.   2008/07/21 21:01
>135

 もしも主イエスが、家に入って来てくださって、いっしょに食事ができるとしたら、・・・全然おもてなしの
できるような料理が作れなくて、困るのですが、・・・私はおったまげて、転げてしまいそうです。 けれど
ほんとにそんな事が起こったら、どうしましょう!

 しかし、これを霊的な意味で理解をしますと、私たちは多くの場合に、主の”声”を聞き逃(のが)し、
戸をたたかれる”音”に気がつかないでいるのだと、そう思います。 主に対して、ほんとに純真な素直
(すなお)な心をもって自分自身を明け渡していれば、きっと気がつき、その”御声”・戸の”音”を聞くはず
だと、・・・今、自分に言い聞かせる気持で、これを書いております。
137  kagayakuegao ID:kmzy3nlE   2008/07/22 07:51
主はわたしの助け手。
わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。 ヘブライ13:6
138  kagayakuegao ID:oHpE8hZw   2008/07/23 06:52
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。
何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、
求めているものを神に打ち明けなさい。 ピリピ 4:6
139  Ben ID:4KOuvFsw   2008/07/23 15:51
>137
>138

 私たちに最も身近な、生き返らせるようなこれらの御言葉をありがとうございます
140  kagayakuegao ID:jO6MVzgU   2008/07/24 07:47

わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、

鏡のように主の栄光を映し出しながら、

栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。

これは主の霊の働きによることです。 2コリント 3:18
141  Ben ID:mnCZ4pZ2   2008/07/24 19:41
>140

「わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、
鏡のように主の栄光を映し出しながら、
栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。
これは主の霊の働きによることです。」  2コリント 3:18
----------------------------------------------------

 正にグッド・ニュース(福音)ですね。こういう御言葉に接しますと
胸がワクワクして頭に血が上(のぼ)ってくるようです。パウロさんは、
なんと素晴らしい手紙を書かれることでしょう! たとえ世がどんなに
暗い混沌の闇に包まれることがあっても、主を仰ぐ者は、輝く希望の
光を見失ってしまうことはないのですね。そして、やがてまた私たちは、
光溢(あふ)れる新しい世界へと入って行くことができる。この希望を
失わないように、「善意」と「忍耐」をもって生きてゆきたいと思って
おります。
142  匿名さん ID:Fsq.w9f.   2008/07/24 20:35
なんぢら義を生ずるために種をまき憐憫にしたがひてかりとり又新地をひらけ今はヱホバを求むべき時なり終にはヱホバきたりて義を雨のごとく汝等のうへに降せたまはん
ホセア書10章12節
143  kagayakuegao ID:i2fo255o   2008/07/25 08:05
わたしはあなたをいやす主である。出エジプト15:26
144  kagayakuegao ID:VXvqv9XQ   2008/07/26 07:50
ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。
この里にも山鳩の声が聞こえる。
いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。
恋人よ、美しいひとよ
さあ、立って出ておいで。雅歌 2:11~13
145  Ben ID:j2zcLANo   2008/07/26 14:36
>144

「ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。
花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。
この里にも山鳩の声が聞こえる。
いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。
恋人よ、美しいひとよ
さあ、立って出ておいで。」 雅歌 2:11~13
-----------------------------------------

 嬉しいですね。私たちの心は、もうそこへ飛んで行ってます。
146  匿名さん ID:HpG4Gwcg   2008/07/26 21:03
彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」
創世記11章3~4節
147  kagayakuegao ID:JiQUxPBA   2008/07/27 07:24
わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。 箴言 23:26
148  なふ ID:sxu1fJmg   2008/07/27 21:56
私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
ローマ人への手紙8章35~39節
149  kagayakuegao ID:XdwIU3yc   2008/07/28 08:33
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、
あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。ヨハネ福  17:3
150  kagayakuegao ID:YMYCyc6U   2008/07/29 07:25
愛には恐れがない。
完全な愛は恐れを締め出します。
なぜなら、恐れは罰を伴い、
恐れる者には愛が全うされていないからです。 1ヨハネ 4:18
151  匿名さん ID:JJ9NHMpc   2008/07/29 14:28
kagayakuegaoさん
1ヨハネ 4:18の中で 

恐れは罰を伴い、
恐れる者には愛が全うされていないから

とありますが、kagayakuegaoさんには 恐れはないのですか?
私はイエスキリストの救いを信じています 
けれども、恐れが ときどきあります。
152  kagayakuegao ID:YMYCyc6U   2008/07/29 16:25
恐れ、おおいにあります。
153  kagayakuegao ID:pYuWzjzk   2008/07/30 07:59
わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。 イザヤ 55:8,9
154  Ben ID:afNwSO8A   2008/07/30 15:34
>153

「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると
主は言われる。
天が地を高く超えているように
わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは
あなたたちの思いを、高く超えている。」  イザヤ 55:8,9
--------------------------------------------------------

 「天が地を高く超えているように」と書かれていますように、”聖なる” 神の世界は、この”地上”とはまったく別なのだと言ってもよいのではないでしょうか。ですから「聖別」という言葉もあります。

 ところで、私たちの「思い」は、”地上”におりながらも実は”天”にある、そういうことがあるんですね。その場合、かけ離れていますから、まったく別、その性質も進み方も別、・・・それは別な、”高くて” 聖なる、神の世界の原理で生き、動いているんですね。

 上の聖句を読んで、そんな事を思いました。

   神はその第七日を祝福して、これを聖別された。
   神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
                            創世記 2:3 〔口語訳〕
155  なふ ID:q4xabk3U   2008/07/30 20:27
天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
マタイの福音書5章45節より
156  Ben ID:afNwSO8A   2008/07/30 22:43
「彼はアブラムを祝福して言った。『祝福を受けよ。アブラム。
天と地を造られた方、いと高き神より。』」
                   創世記 14:19 〔新改訳〕

 「聖」は、信仰の奥義を的確に表しているひとつの文字・言葉ではないでしょうか。それに対するものとしては、「俗」という文字・言葉を考えることも できるのかも知れません。 神学の「し」の字も知らないと言ってよい端くれの私なのですが、私なりに理解をしております事を書かせていただきますと、・・・

 上の聖句で書かれている「天と地を造られた方」とは、全宇宙が造られていなかった、まだ存在していなかった時から、全宇宙の何倍の大きさがあるか言葉で言えないほど大きな世界をお住まいとされている、その造り主、神のことをいうものである。
 「高き神」、つまり神のいます「高き」ところとは、その大きな「聖なる神」ご自身のお住まいを言い、神ご自身が「聖」であられるように、そのお住まい(世界)も「聖」である。 そして、これらの「聖」なる神とその「聖」なるお住まい(世界)は、あとで造り出されたこの「宇宙」(私たちの住む世界)とは一度切り離して理解をすべき「次元」の異なるものである。
 この宇宙(私たちの住む世界)にあるものが取り出されて、神の世界に移され、神の世界のうちに置かれることを、「聖別」、「聖化」などと表現する。

 ・・・と、このような理解を持っております。ですから、「地上」でいうところの「善い人」・「悪い人」という観念は、この場合の「聖」か否かとは関係がなく、この話題には当てはまらないと思います。

 このような理解の仕方です。この文は、私としましては随分と思い切った書き込みなのですが、深い知識をお持ちの方から、ご指摘・ご助言などがいただけましたら幸いです。
157  kagayakuegao ID:VCtuFWSc   2008/07/31 07:53
時が来れば、ヤコブは根を下ろし
イスラエルは芽を出し、花を咲かせ
地上をその実りで満たす。イザヤ27:6
158  kagayakuegao ID:UVWrAQu.   2008/08/01 07:58
主があなたたちのために戦われる。
あなたたちは静かにしていなさい。出エジプト 14:14
159  kagayakuegao ID:USVsZFW2   2008/08/02 07:47
あなたの御言葉が見いだされたとき
わたしはそれをむさぼり食べました。
あなたの御言葉は、わたしのものとなり
わたしの心は喜び躍りました。エレミヤ 15:16
160  Ben ID:T5ZJQnWw   2008/08/02 22:24
>157

「時が来れば、ヤコブは根を下ろし
イスラエルは芽を出し、花を咲かせ
地上をその実りで満たす。」イザヤ27:6

>158

「主があなたたちのために戦われる。
あなたたちは静かにしていなさい。」出エジプト 14:14
------------------------------------------------------

 その「時」が来れば、目に見える形で御国のすべてが実現し、成就する。 それまでの間、私たちは、たとえどんな「大波」が押し寄せて来ても、主にお任せし、「静かにして」いるようにと、・・・そういう意味なのですね。
161  Ben ID:7tazwwxo   2008/08/03 04:25
>158

訂正 「大波」--> 人生の「大波」
162  kagayakuegao ID:IuQ83zM2   2008/08/03 07:40
わたしはもっと卑しめられ、自分の目にも低い者となろう。2サムエル6:22
163  kagayakuegao ID:HH0F/hXA   2008/08/04 08:03
わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、
主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。2コリント4:5
164  kagayakuegao ID:fCdz0wSg   2008/08/05 06:54
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖
それがわたしを力づける。詩篇23:4
165  Ben ID:WkWWIw86   2008/08/05 08:51
>164

死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖 
それがわたしを力づける。詩篇23:4
------------------------------------------------

 私たちの信仰生活というのは、ほんとにこのようですね。これは、最もよく知られた聖句のひとつであると思いますが、あなたも、これがひしひしとわが身に迫るようにお感じになられるでしょうか?

 この章を、やさしい文で書いてある[新改訳]で全文、ご参考に書き出してみました。

  「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
  主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
  主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
  たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
  あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
  私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。
   私の杯は、あふれています。
  まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。
   私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。」     詩篇 23:1-6 〔新改訳〕
166  kagayakuegao ID:fCdz0wSg   2008/08/05 14:10
>>165
>ひしひしとわが身に迫る・・
というより、今朝、ふと心に響きました。
167  Ben(鳥取) ID:uWMIgU6s   2008/08/06 00:20
>166

kagayakuegaoさん、たいへん失礼をしました。
これを読まれるている大勢の読者の方々のことばかりが頭にありまして、自分では、kagayakuegaoさんにお尋ねしているつもりではありませんでした。たいへん迂闊で、書き方をまるっきり間違えておりました。申し訳ありません。ご無礼をどうぞお許しくださいますように。
いつも聖書の御言葉をご紹介くださり、とても感謝しております。 Ben
168  kagayakuegao ID:SoWbXAYw   2008/08/06 07:46
>>167  
Benさん、ありがとうございます。
169  kagayakuegao ID:SoWbXAYw   2008/08/06 07:47
私たちは神の作品であって、
良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、私たちが良い行ないに歩むように、
その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。エペソ 2:10
170  Ben ID:9Z0Jg3KI   2008/08/06 22:23
私たちは神の作品であって、
良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。
神は、私たちが良い行ないに歩むように、
その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。エペソ 2:10
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ここに書かれています「良い」という言葉の意味について、最近ちょうど、書物を読みながら新しく学んだばかりでした。 私の理解しましたところでは、ここで言われている「良い」は、世にある「良い・悪い」の「良い」ではないということです。

 世で言われるところの「良い・悪い」は、世の道徳(=人の踏み行うべき道)の基準によって見る「良い・悪い」なのですが、その「道徳規準」自体が、実は、時代により所によって変わるものです。 場合によれば、道徳規準は、まったく逆になることすらあるのではないでしょうか。 しかし上の聖句にあります「良い」は、それが唯一、神ご自身のものであり、神ご自身が備えられているものであり、神のところにあるものであるという意味・理由よって「良い」のだということです。 このような、それは”神の「良い」”であるという特別な意味について、私は、新しく理解をすることができたと思っているのです。

 神は、そのような、私たち(信仰者)にとっては最も好ましい「良い」行いを私たちがするようにと、私たちを作り、その「良い」ものを「あらかじめ備えてくださった」と書いてあるわけです。 私たちの思いもしない以前から準備をしておいてくださる神の御心が、ここの御言葉に示されていると、私はそう思います。
171  Ben ID:9Z0Jg3KI   2008/08/06 22:33
>170は、 169 kagayakuegaoさんの引用された聖句に関して書かせていただいたものでした。 Ben
172  kagayakuegao ID:q.mDPj8M   2008/08/07 07:59
わたしの唇は喜びの声をあげ
あなたが贖ってくださったこの魂は
あなたにほめ歌をうたいます。
わたしの舌は絶えることなく
恵みの御業を歌います。 詩篇 71:23,24
173  kagayakuegao ID:O1JFHbxA   2008/08/08 07:04
わたしたちは皆、
この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。 ヨハネ福  1:16
174  Ben ID:O.3eH4A2   2008/08/08 10:33
>173

わたしたちは皆、
この方の満ちあふれる豊かさの中から、
恵みの上に、更に恵みを受けた。 ヨハネ福  1:16
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 今自分の人生を振り返ってみますと、ほんとにここに述べられている通りであると思わないではいられません。敗戦により、(軍国主義の)超ストレス社会から、心の拠り所を失って混乱をきわめ、退廃したこの国で多感な少青年時代を育ってきました私は、栄養不足もあり、荒地に投げ出された貧弱で、しかし青味を残している萎れた若苗のようであったと思います。

 幼稚なままに、真剣に「真実」を追い求めながらも、結局やはり時代の波に押し流されて、愚かで迷える羊のようでありました私を、主は、必要な時にいつも、目に見えない御手を伸ばして救い出していてくださったことが、今になりましてよく分かります。そして、その御手の後ろに、「満ちあふれる」主のご慈愛と恵みがあり、私をつねに見守り助けていてくださったことに気がつきます。 「恵みの上に恵みを受け」ていたことを、今は理解しております。

  1:16 Out of the fullness of his grace he has blessed us all, giving us one blessing after another.
  1:17 God gave the Law through Moses, but grace and truth came through Jesus Christ.
                        John [TEV]

 * 考えてみますと、しかし、現在の多くの日本人は、ほぼ完全に「魂の置き所」を見失い、
   真っ暗闇の中をさまよっているような、自分で自分の方向が決められない状態にあるようなふうに
   見えますから、現在は、私の青春時代よりももっと深刻であると、言えるのかも知れません。

175  kagayakuegao ID:F/ehNpaQ   2008/08/09 07:56
「誇る者は主を誇れ。」自己推薦する者ではなく、
主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。2コリント10:17
176  Ben ID:hoeUqzQc   2008/08/09 09:24
>175

「誇る者は主を誇れ。」自己推薦する者ではなく、
主から推薦される人こそ、適格者として受け入れられるのです。2コリント10:17
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「主を誇(ほこ)る」。 ここに、信仰の真髄があるとも言えるのでしょう。 なぜなら、世の神々とか、自分自身とか、だれそれとか、石ころとか、大木(たいぼく)とか、その他のものに、さも最大の価値があるかのように「誇る」としたら、それは、主・神を知らないことを意味していますから。 当然、主も「推薦(すいせん)」してはくださらないのでしょうね。 Ben(鳥取)
177  kagayakuegao ID:W0LJy1co   2008/08/10 06:31
主は世界中至るところを見渡され、
御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。歴代誌下 16:9
178  kagayakuegao ID:VjbR8Pwc   2008/08/11 06:42
大地よ、わたしの血を覆うな
わたしの叫びを閉じ込めるな。
このような時にも、見よ
天にはわたしのために証人があり
高い天には
わたしを弁護してくださる方がある。
わたしのために執り成す方、わたしの友
神を仰いでわたしの目は涙を流す。 ヨブ記16:18~20
179  kagayakuegao ID:MxQU8TOI   2008/08/12 06:55
わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、
すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、
その方がわたしについて証しをなさるはずである。 ヨハネ福15:26
180  kagayakuegao ID:NhhG7.u.   2008/08/13 07:26
どのような苦労にも利益がある。箴言 14:23
181  kagayakuegao ID:nPARbk/g   2008/08/18 08:48
あなたがたが世に属していたなら、
世はあなたがたを身内として愛したはずである。
だが、あなたがたは世に属していない。
わたしがあなたがたを世から選び出した。
だから、世はあなたがたを憎むのである。 ヨハネ福  15:19
182  kagayakuegao ID:nPARbk/g   2008/08/18 08:50
あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、
望むものを何でも願いなさい。

そうすればかなえられる。 ヨハネ福15:7
183   kagayakuegao ID:nPARbk/g   2008/08/18 08:50
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストイエスに結ばれたあなたがたは皆、
キリストを着ているからです。 ガラテヤ3:26,27
184  kagayakuegao ID:nPARbk/g   2008/08/18 08:51
目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。ダニエル12:3
185  kagayakuegao ID:nPARbk/g   2008/08/18 08:52
わたしの民は、平和な住まい、
安全な家、
安らかないこいの場に住む。 イザヤ32:18
186  Ben ID:oLmJ/DPE   2008/08/18 10:49
>185

わたしの民は、平和な住まい、
安全な家、
安らかないこいの場に住む。 イザヤ32:18
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

確かに、私たちの魂の住まいは、御国にあるのですね。 ハレルヤ!

 今年の初め頃に、私は女子パウロ会の通販ショップで「カール・ブロック、聖書の言葉と聖画で綴る、キリストの生涯(Carl Bloch\'s Works: BIBLE VERSE CALENDAR)」という聖句カレンダーを買いまして、いつも席の前に吊り下げておりますが、その中のページに次の御言葉と油絵の複製がプリントされているところがありまして、このページをもう長い間めくることができず、身近な御言葉として親しんでおります。

詩篇26:8

 「主よ、私は、あなたのおられる家と、あなたの栄光の住まう所を愛します。」
 I love the house where you live, O LORD, the place where your glory
dwells.

Ben(鳥取)
187  Ben(鳥取) ID:oLmJ/DPE   2008/08/18 22:27
>150 kagayakuegao

愛には恐れがない。
完全な愛は恐れを締め出します。
なぜなら、恐れは罰を伴い、
恐れる者には愛が全うされていないからです。 1ヨハネ 4:18
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 「愛には恐れがない」。 何故でしょう? それは、この「愛」が、主を信じる者のうちに入ってくださっている”神の愛・完全な愛”であるからなのですね。 そしてそれは、ただ一個の独立した言葉としての「愛」ではなくて、神と神を信じる者との間の、生きた密接なつながりの中での「愛」。

 最高で、唯一・完全・永遠であられる”いのち”の神。 その愛を分け与えられているのですから、当然として恐れを生じない。 このように言ってよいのではないでしょうか。 しかし、この愛は、実は理屈ではなくて、霊的に与えられ、受け取るものですから、個々人によってそれぞれに、いろいろな態様があるのでしょう。

 これは、早くから気づかされていたことですが、この「愛」のあるところ、人や物事に対して、理解力といいますか認識力といいますか、それが伴(ともな)ってくるようです。 逆に「愛」が貧(まず)しいと、理解や認識も乏(とぼ)しくなると、そのように思います。

 「恐れ」ということにつきましては、聖書に繰り返し書いてあるようですが、ここでは「愛が全うされていないから」と述べられています。

188  kagayakuegao ID:KH3avHQo   2008/08/19 00:07
御霊によって歩みなさい。 ガラテヤ 5:16
189  Ben ID:PhIHZY0s   2008/08/19 11:10
>183
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストイエスに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。 ガラテヤ3:26,27

>184
目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。ダニエル12:3
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

これは、すべて存在するもの全体を覆(おお)い、さらにその上へと限りなく大きく偉大であられる神の御栄光、それを映すようにして(分に応じて)「人に与えられる栄光」。それを褒めたたえる言葉であると言ってよいのでしょうか。 こんな素敵な御言葉が示されますと、私たちは厳粛(げんしゅく)な気持にならないではおれません。
190  Ben(鳥取) ID:H3PCnmR2   2008/08/19 18:40
>180

どのような苦労にも利益がある。箴言 14:23
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「苦労」は少ないほどよい。安楽に暮らせることこそが、人生の「しあわせ」なのだ、・・・と、そんなふうにお考えになる人が、案外に少なくないのかも知れません。

 しかし、これは違うんですねェ。 勿論、このような事を、改めてここで私から言いませんでも、多くの方々が、すでに色々な「苦労」をされていて、その深い意味をご存じであり、そして実感をされていることでしょう。

 つまり、正にその「苦労」を体験することにより、もしも「安楽」に暮らしていたら分らなかったであろう人生の深い意味、また広がりを”知る”ことができ、それに対する抵抗力や対抗力も生まれると思うのです。 ですから、その苦労が例えば人々の「誤解」とか「憎(にく)しみ」から来る社会的な原因によるものであるとしたら、その辛(つら)さを味わうことによって、信頼とか安心とか平和などの”幸せ”がどんなものであるか、その意味と価値が、逆に分かってくるのでしょう。 それだけ、深いところでの人とのお付き合いもできるようになり、ただノホホンと暮していたら知ることもことも無かったであろう人生の新しい幸せ、その技術を手に入れることになるのでしょう。

 これは見方を変えますと、実は神様の、その人に対する大きな恵みなのであり、感謝にあなたは涙されるかも知れません。
191  Ben ID:PhIHZY0s   2008/08/19 22:48
>147

「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。」  箴言 23:26
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 これはすごい御言葉ですね。この節を全部見ますと、次のように書いてあります。

    「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。 喜んでわたしの道に目を向けよ。」 
  箴言 23:26 〔新共同訳〕

 一つしかない、私がものを思い、ものを考える”中心”、この「心」を差し出して預けてしまいなさいと言われるのです。 神様は恐ろしい方です。 ・・・しかし、唯一、真の力(ちから)ある慈愛の方なんですね。
192  kagayakuegao ID:ksZjp0x6   2008/08/20 07:10
わたしたちは主キリストに結ばれており、
キリストに対する信仰により、確信をもって、
大胆に神に近づくことができます。エフェソ3:12
193  Ben ID:yE0jo.9M   2008/08/20 10:09
>192

kagayakuegaoさん、いつも御言葉をありがとうございます。

わたしたちは主キリストに結ばれており、
キリストに対する信仰により、確信をもって、
大胆に神に近づくことができます。エフェソ3:12
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

 「キリスト」とか「キリスト教」と言いますと、世間の人々は、何かとっても「特殊」な、一部の限られた者たちが入り込んでいる狭(せま)~いところかと思われているのかも知れません。ですから、第一には、宗教一般に対する無知・無理解(止むを得ずこのような表現をさせて頂きますが)がある上に、更に、キリスト教・ユダヤ教・イスラム教などが、互いに相争っていて、何か「おかしな(変な)こと」をやっているのだろうとの、漠然とした偏見が世の中にあるような気がしております。 その一方で日本の場合、仏教だけは早くか ら伝わって来ていて、その教義や用語が私たちの日常の生活や言葉の中に沁み込んでおりますので、仏教やそして神道(しんとう)もありますが、一般的には当り前の事のように受け入れらているようです。 これは考えてみますと、おかしな現象でもあると言えると思います。

 以上は前置きとさせて頂きまして、キリスト教そのものに関しまして、私は、これが決して他宗教と対立をする、また対立をしなければならないものであるとは全然考えておりませんが、キリスト教はやはり、キリストあっての宗教。 キリストを通して、神の御心と神の真理の道を学び知るものです。ですから、キリストの言葉に心を打(う)たれて、神と神の国、その真理を知り、キリストを主として崇(あが)めつつ人生を送る、これが間違いなく私たちのキリスト教信仰なわけです。 ・・・ この事が、上の聖句にはっきりと述べられているのだと思います。
194  kagayakuegao ID:LjYIfqnI   2008/08/21 07:03
人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ
「わたしがメシアだ」と言って、
多くの人を惑わすだろう。マタイ24:4,5


偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。マタイ24:11


そのとき、
「見よ、ここにメシアがいる」
「いや、ここだ」と言う者がいても、
信じてはならない。マタイ24:24
195  Ben ID:8RdE8vI2   2008/08/21 11:07
>>192

わたしたちは主キリストに結ばれており、
キリストに対する信仰により、確信をもって、
大胆に神に近づくことができます。エフェソ3:12
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^

キリスト教は「キリストの宗教」なのですが、従来から私は「主」とか「主・神」と書き表すことの中に「キリスト」を意味しておりました。キリストは私たちにとって主であり、神であられるからです。そして、そのように書くことで、他宗教の方と何らかの摩擦が生じるのを避けたい気持ちもありました。

 何年か前に、どこかの掲示板に書いたことがありますが、駅前にある短い地下道でイスラエルの人らしい女性が一人、道端に銀製の装身具を並べて売っておられました。反対側から地下道へ入って行った私の目に、彼女の姿が黒いシルエットになって見えまして、私は近づいて行き、『あなたがマリアのように見えた』と言って話しかけたら、笑っておられました。彼女はユダヤ教徒かも知れないと思いましたので、『あなたはキリスト教のことをどう思われすか?』と尋ねてみたのですが、『I don't dislike Christianity (キリスト教が
嫌いではない)』というふうに答えられて、私は『それを聞いて安心をしました』と、もつれる英語で言ったことでした。彼女は続けて、『何人もの預言者があるが、キリストはその一人と考えられている』というような意味の事を言われました。話はそこまでで終わったのですが、私もやはり、異宗教の方々に対しては、いつも気配りをしておりまして、決して対立的な意識を持つことはありません。或る宗教の、私の知らない人から、いきなりキリスト教信仰について侮辱的な批判を言われたことがありましたが、その時はただ非常に不愉快を覚えただけです。

 簡単な図式で言いますと、宗教の信者は、自分の宗教が山のてっぺんにあり、他の宗教は中腹とか麓(ふもと)にあるのだと思っておけばよいのではないでしょうか。そして、それぞれに自分の信じるところに向かって邁進(まいしん)すればいい。ただ軽視するとか、まして侮辱するとかは、間違いであると思っております。

 キリスト教は「キリストの宗教」以外ではありません。
                         
196  kagayakuegao ID:mqULI6Dw   2008/08/22 07:27
どうか御父が、その豊かな栄光に従い、
その霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強めて、
信仰によってあなたがたの内にキリストを住まわせ、
あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかり立つ者としてくださるように。エフェソ3:16,17
197  kagayakuegao ID:w/p9RJf2   2008/08/23 08:46
はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、
門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、
盗人であり、強盗である。

門から入る者が羊飼いである。
羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。
羊はその声を知っているので、ついて行く。
しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。
ほかの者たちの声を知らないからである。 ヨハネ福 10:3~5
198  Ben ID:va//zBhY   2008/08/23 10:54
>194

人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名乗る者が大勢現れ
「わたしがメシアだ」と言って、
多くの人を惑わすだろう。マタイ24:4,5
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。マタイ24:11
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そのとき、
「見よ、ここにメシアがいる」
「いや、ここだ」と言う者がいても、
信じてはならない。マタイ24:24
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 これらの事は、今もなお真理であると思いますね。しかし、今の時代は、大勢の者が、自分がそうであることが分かっていて、また、自分がそうであることに気がつかないでいて、ただ「破壊(はかい)」のために現れる、・・・そのような「悪の時代」ではないでしょうか。皆さまは、どのようにお考えですか?
199  kagayakuegao ID:w/p9RJf2   2008/08/23 11:10
>>198

>これらの事は、今もなお真理であると思いますね。しかし・・・

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。マタイ 24:35

以後、わたしの書き込む、
みことばへのコメントを
控えてくださいますようお願いいたします。
200  Ben(鳥取) ID:va//zBhY   2008/08/23 11:32
>199 kagayakuegao ID:5uU2Dtvc 2008/08/23 11:10

>>198

>これらの事は、今もなお真理であると思いますね。しかし・・・

天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。マタイ 24:35

以後、わたしの書き込む、
みことばへのコメントを
控えてくださいますようお願いいたします。
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Kagayakuegaoさん、

そうですか。残念なことです。分かりました。 
 ・・・「コメント」ではなく、「語り合い」のつもりだったのですが。
                              Ben
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