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CHRISTIANTODAY フォーラム
自殺
1 ふむふむ ID:7JoA96pc 2009/10/22 02:44
キリスト教では自殺はしちゃだめという教えがあるそうですが、本当ですか?よく信じている宗教上、自殺はありえない、何ていうのを聞きますよね。
17  れお ID:37jXlTZk  2009/11/01 20:25
とあるクリスチャン様
>自殺に陥る原因はいろいろあると思いますが、やはり根本的には「自分の名誉」を崩せないことが原因なのではないかと思います

まず、某スレッドなどでは傷つけるような言葉もあったかと思います。すみません。

私も勉強をはじめて1年くらい経ち、「なんでもかんでもキリスト教」というのが理解できなかったのですが、
ある程度は理解できるようになってきました。

クリスチャンじゃない人に限らず、上の引用部分は言えるのではないかと感じました。何だかんだ言って人に頼れないのは己のプライドを捨てられないから。それで酷いときは自殺に至ってしまうのではないでしょうか。

クリスチャンになろうとか考える前に何度か自殺を考えたこともあり、未遂も1回ありましたが、やっぱり人に頼れない、「私一人で何とかするわよ」という意固地な部分がありました。自殺はしないので肉体的には生きてはいるのですが、精神は死んでいた状態でした。※この辺の文章を読んで、気分が悪くなり始めた方は私の文章は読み飛ばしてくださいね。

「人になかなか言えないような悩みってあるじゃないの。自分で抱え込んで必死に生きるしかない」って意気込んでいたときの私は人の弱さは認めないし、弱音を吐く人間は非常に目障りでむかついていました。

しかし、なかなか言えないような悩みってものも打ち明けている人もたくさんいたりして、それでとっくにどんどん前進していたりして…。

結局、周りが理解できそうにないとかではなくって、己のプライドがとてもつもなく大事だったから、一人で悩みを抱え込んじゃっただけなんだなぁと…。

私はまだまだ主イエス・キリストを拠り所にしているとは言い切れないので、少しずつそうなりたいと思っています。

今回のあなたの書き込みは心に響きました。

ではでは。
18  えるえる ID:lm1WZEpE  2009/11/02 22:37
プライドを捨てられないから自殺するの?
全部が全部そうなの?
ひとまとめにしすぎじゃない?
何回も自殺者と宗教とを比較してものを言ってるけど、聖書の引用文使って、言葉でどうにかなる事?
誰かと比較してどうにかなる事?
で、早い話、耐えられなきゃ人生負けですか?
勝ち組負け組の原理を元にものを言ってますね
それって、希望に満ちてる人、どっちでもない普通の人には通用する事だろうけど、あなた、それを絶望のただ中にいる人に面と向かって言えますか?
どうかこのスレをそんな人たちが見ていませんように!
謙虚ぶってるけど、遠回しに人を傷つけてますよ?こういうスレ、レスは
神が言ってるから人に寄り添うの?あなたの意思はどこへやら?
まるで神の操り人形ね、信者は
それが自由や平和ならいらないかも
偽善はボロがでるよ?ほら、神の操り人形でも人々にたいする無情さがボロとして露出している
別に、誰に対して言った訳ではないけど、ひっかかるとこだけコメント
自分に言ってるんだな?と思う箇所は、そのままどうぞ召し上がれ
過激な発言ごめんなさいね、でもこれが私の真実なのよ
19  anima ID:41S035qg  2009/11/03 00:11
 ソマリー・マムさんと言う人がいらっしゃいますが、彼女の幼いときはいわゆる「性奴隷」という状況下におかれて壮絶たる悲惨さだったと思います。しかし今は、そのような少女たちを救いだすファンデーションを設立(http://www.somaly.org/)、代表として世界的に各国を飛び回って講演されていたり、とても社会的に意義ある代表的な活動をされておられます。

 私たちの世代では、ソマリー・マムさんの人生を観ると、アニメ「幽遊白書」に出てくる「躯」(http://ja.wikipedia.org/wiki/躯 )という女性の妖怪を連想してしまうのですが、躯も、性奴隷でしたが、その後頭から硫酸をかぶり、脱出に成功したあとは、ひたすら誰よりも強くなることを目指して、霊界3本の指に入る最強の妖怪にまでのし上がりましたよね。ただ、躯の場合は救いをキリストに求めたのではなく、自分の「絶大なる強さ」に求められるようにしてきたため、自分の誕生日の前後など、一時的に過去に受けた傷が激しく襲いかかり、感情の起伏が激しくならざるを得なかったんだと思います。。アニメの中のキャラクターとはいえ、躯にも最終的には飛影のヒトモドキのプレゼントではなく、キリストの救いが必要だったのですよね・・。自分が十字架に貼り付けられ、キリストが生きるようにできないと、過去に誰にも決して分かってもらえることのないような、そして分かってほしくもないような大きな傷がある人は、どうしても感情の起伏が激しくなる・・・。

 とにかく、神さまは、どんな絶望の環境に置かれているとしても、きっとそこから逃げ出す策を人間に与えていてくださるものだと思います。
20  れお ID:7Pp0RtMQ  2009/11/03 12:28
えるえるさんへ

私もサッパリキリスト教が分からないとき、こういう風に批判したことがあります。また、多数の聖句の列挙には辟易したこともありますし、それはあまり変わっていません。

未だにクリスチャンではない私が言うのもなんですが、あくまでもキリスト教(私はキリスト教しか詳しくないです。他の宗教のことはよく知りません)は個人と神の関係を作っていくに過ぎないので、それを他者と神との関係にまで言及はできないと認識しています。これを前提にこのフォーラムでは話が進められていると思っています。

読む方にそういう前提がないならば、私(だけではないと思いますけれども)の文章は随分誤解されるような面もあったと思います。あくまでも私対神という二人っきりの関係において書いてます。私と神との関係において分かってきたことを書いたのです。それで個人的なエピソードもでてきています。

だから、他者に面と向かおうが、遠まわしに言おうが、おかしいことだと思います。あくまでも「私」と「神」の関係において…のお話だからです。

一般化はしているつもりは一切ありませんでしたが、随分傷つけられたようですね。失礼しました。

それから、自殺の問題(「問題」となるのは個人のことじゃなくて多くの他人のことですよね)が言葉で何とかなることではないことは「キリスト教に救いはない」というスレッドで私も考えを述べています。言葉では何ともなりませんよ。行動しないと変わらないと思います。そして、それは宗教を持ち込んで行う気は私にはありません。

過激というわけでもなく、ごく普通の感覚で読むと、こういう感想になると思います。自然だと思います。
21  れお ID:7Pp0RtMQ  2009/11/03 12:52
animaさんへ

ソマリー・マムさんという方のお名前は初めて聞きました。お話、聞けて良かったです。

幽遊白書の世代だと思うんですが、観てないので分からないんですけれども、詳しい説明でしたので、そんな話なら観とけば良かったと…。animaさんは幽遊白書からも「己の絶大な強さ」を拠り所にする脆さを読み取ったんですね。

テーマは自殺の話ですが、性奴隷など性虐待を受けた人の多くの回復方法のひとつに「ハイヤー・パワー(ハイヤー・セルフ)に委ねる」というのがあります。ハイヤー・パワーをどこどこ宗教の神と限定はしていません。ここのフォーラムでも「牧師・司祭による性犯罪事件」が話し合われたことがあります。やっぱり、その被害者もいますから、その辺りは配慮があります。

この方法はアルコール依存症などの回復などにも使われているようですが、「過去に誰にも決して分かってもらえることのないような、そして分かってほしくもないような大きな傷がある人は、どうしても感情の起伏が激しくなる」のを避けるのに、自力で何とかしようというのは難しいのでしょうね。
22  れお ID:7Pp0RtMQ  2009/11/03 13:29
訂正17番目
「クリスチャンじゃない人に限らず、」→「クリスチャン(信者:洗礼を受けた人)にかぎらず」に訂正です。
23  匿名さん ID:hfuyOuiU  2009/11/18 10:58
自殺は、自分の名誉に固執するから。人と自分を比べたがるから。

そういう人間の習性に依存するものだと思う。

神さまは、本当は無にする中で、苦労する中で恵を与えようとしてくださっている。それを最後まで信じられず、途中であきらめてしまい、世の中と同じ基準で人と自分を比べてあまりに自分がみじめに思えて、勝手な思い込みで人生の幕を閉じてしまおうとする、実に自己中心な勝手な決断の結末。。

神は、すべての信じる者を試される。しかしその試練に本当に残る真のキリスト者が今の物質豊富な時代にどれだけいるだろうか。。


24  匿名さん ID:hfuyOuiU  2009/11/18 11:05
-神を信じるということは、自分を無にして、ただ自分を通して神の栄光が現れることを願うこと。

 そこで、自分の名誉がどれだけ汚されたとしても、神の名誉とは関係がないのなら、喜んで汚されることを受け入れること、そこからさらなる祝福が望むことを待ち受けること。

 ただ、そこまで自分の名誉が汚されることに、耐えられないクリスチャンなら、どうだろう。。自殺を考えないだろうか。。

心を広く持つことが重要。いろいろな自分よりもっと哀れな立場に立っていた人がそのあと救われた経験、そういう自分を通して神の栄光を現わされたという証しから、確信をつかんでいく事が重要。それじゃないと、信仰の道なんて、まともに生きられない。

 クリスチャントゥディは、そういう苦難や逆境の中から、哀れな自分を通して神の栄光が真に現れたという証しをたくさん報じていくべき。そうでないと、真面目に信仰やっている人は、途中で自分のあまりの哀れさに倒れてしまう。キリスト教の新聞に、真面目に生きるキリスト者の「命」がかかっている。
25  匿名さん ID:hfuyOuiU  2009/11/18 11:25
 投資信託の運用法にはトップダウン・アプローチとボトムアップ・アプローチがある。

 クリスチャンの新聞もそうであるべき。
WEAがどうしたとかそういうトップダウンアプローチだけではなく、ボトムアップアプローチが必要と思う。

 ひとりひとり、真面目に自分を無にして生きるクリスチャンがどうして神の栄光を自分の名誉を無にすることであらわすことができ、真の喜びをつかむことができたのか。

 そういう個別企業ならぬ個々人の信仰の証しをもって主の栄光を証しする、それがないと。今の自分の名誉の汚されることがどうWEAの動きの栄光につながるのか、そのつながりがさっぱりわからない。。
26  匿名さん ID:hfuyOuiU  2009/11/18 11:33
-今、私がどれだけ自分の名誉が汚されて悩んでいるかなんて、
だれにもわからないだろうし、だれにもわかってほしくなんかない。

 名誉が汚されて悩まなければ、もうそれは人間じゃないんじゃないか。ただの動物じゃないか。

 すべての努力が報われないと勝手に決めつけてしまう自分が悪いのはわかっている。イエスキリストの宣教の努力が十字架という酷刑で終わってしまったとおもったのなら、イエスキリストはさぞやゲツセマネでつらかったろう。しかしイエスはそのあとに栄光があると確信したのだ。これぞクリスチャン、さすが神の御子である。

 私の場合は、そこまで自分の名誉が汚されて、そのあとに本当に栄光が待っているという確信を得るのが難しい‐そこを手助けできる新聞こそ、本当のクリスチャンのための新聞といえよう!!
27  れお ID:QpMnTWKI  2009/11/21 18:05
11月18日の匿名さん、あなたの発言に励まされました。
ありがとうございます。
ではでは。
28  むにゅむにゅ ID:1298LjFM  2009/11/22 22:46
o


28は文章が飛んでしまいました。あとで
管理人さんに頼んで削除してもらうように
お願いしてみます。







>>2 自殺は自己中心の頂点とも言える決断だと思います。

と、人からは思える行為かもしれませんが、自殺は自己愛の欠如からくる病的な衝動によるものだと思われます。なぜただの思いつきや漫然とした空想ではいけないのか、なぜ病的な衝動でなければならないのか、わかりませんが、神の愛の優しさや易しさを信じられるようになることが最良のオクスリだと思います。


自分を愛するように・・・・人を愛しなさいと主は教えておられます。
なんて簡単そうな(そうな・・・・・)掟なのでしょう、だからちっともそれがそんなに大切でそれだけでいいなんて誰も思わないのだと思います。

何故・・・・・・キリスト教ではぁ・・・????なんていう質問を時折見かけますが、大抵「それは互いに愛し合うためだよ・・・・」ってこたえることで、納得がいく筈です。とか、「それはキリストによって互いに愛し合うためだよ・・・・・」とか。「神の愛のよって・・・・・」とか。



+
29  Yosh ID:YswVgg.E  2009/11/26 12:06
Also just we said about that "The man die like rain fall".
But because of it, We will be increase simply about that thing. and then, we think to do save from " death", because we believe in God, Jesus'name. Yes, especially we do.
the things is needed encourage to others, or devotion with ownself you know. Actually, what our Love in Union with Christ do for you then. Always, We know that we are doing something or anything ready to do for.
30  ひともどきっ! ID:hbXtsteY  2009/12/17 14:12
>>19 ヒトモドキ・・・
確かにあれは意味深いですよね。

憎むべき人物を植物化して永遠に好きなようにもてあそんで生かしておくことができるとしても、、最後に行き着くのは究極の「虚しさ」だと思います。

「憎むべきものを愛しなさい」-このような状況では、でも難しいですよね。悪は悪。本当に悪い人間は悪い。悪いのに愛さなきゃいけないのか。。悪だからこそ愛す、その悪を許して、、躯がそのあとヒトモドキをどうしたのかは、気になるところですね。。

 そんなに極端ではなくても、誰にも理解してもらえないような、深い傷がある場合、できてしまった場合、それを打ち明けられるお方が唯一いらっしゃいます。-それが、イエス・キリストです。
自殺を考えている方がいらっしゃいましたら、ぜひイエス・キリストの光に触れてください。そしてそうなることができるようにクリスチャンは祈るべきですね。

 そのイエスキリストの栄光が今の精神的な暗闇に満ちた世界に満たされますように。

ーでも「憎むべきものを愛そう」とするとき、もっと深い広い視野で、その背後にあるどうしようもない問題が見えてきて、もっと心の深い人になれるのではとは思います。結局は、ソマリーさんの戦おうとしている問題も、つきつめてみれば「貧困」という問題に行きつくんですよね。あと福音の欠如。。それが生じているのは結局・・・何にしてもすべての問題の解決は第一に神に委ねるべきですね。
31  自殺しぞい ID:WEmY/6RE  2009/12/21 12:29
重度の鬱病患者は常に自殺と隣り合わせです。生きていくエネルギーがないのです。これはなったひとにしか理解できません。この状態になると自殺は殺人だから地獄行きなんてどうでもいいのです。今に耐えられないのです。

鬱による自殺は悪魔の攻撃だとは思います。原因が不明確な病気と絡めてくるところが卑怯なところです。霊的なものと病理的なものが混じっているので見極めが困難です。

鬱以外でも自殺せざろうえないほど苦しくて、人間の力では神様に頼りきれない人はいると思います。してはいけないとさばく、命じるのは簡単ですが、そのめいれいを実行できるほど人は強くありません。

自殺は良し悪しの道徳的問題ではなく、現実的な苦しみの中で神すら見失ってしまう人の苦しみの選択なのではないでしょうか。神はその人は裁かれるでしょうか。
32  pointは ID:Xmdk1.vE  2009/12/22 08:26
>>31 私たちは、「人を裁いてはならない」と教えられています。自殺者それぞれについて、自殺したから「地獄いきだ」とか裁くようなことはしてはいけないでしょう。

 それよりも、そのような状態に陥っている人たちに、本当の福音が、聖霊の働きが知らされていないことに問題があるわけであり、私たちクリスチャンはそういう人たちの心に福音の種がまかれるように祈りそして働きかけるべきだと思います。

 >>19 貧困国での売春問題で、ソマリーさんが自分を売りとばした人間や、そのような場所で働かせた人たちをあえて憎むことをせず、愛するとすると、そこからどのような深い視野が生まれるか?

 貧困国でなぜ売春業がはやるのか?→他に仕事がない。マフィアに牛耳られている。→そのマフィアは何かというと?その他いろいろのあやしい仕事を統括している→そのあやしい仕事をひとまとめにしてある企業の利益ということにしている→それをあやしげなファンドにまとめて、投資家にハイリターンを売り文句にファンドを売りさばいている→一部の変な価値観(利益至上主義)の投資家が結局見えないところで徳をして豊かな生活をしている→この流れを変えるにはどうするべきか?というような考察が生まれてくるんではないでしょうか?

 結局は福音的価値観の欠如、それが問題。富豪の投資家には利益至上主義の罪を自覚させ、地位や名誉に固執する研究者には、自分の名誉を高めることの高慢の罪を知る必要を自覚させ、福音的価値観で投資すること、福音的価値観で研究をし、社会に奉仕すること、また自殺しそうな人や貧困に苦しむ人にも福音的価値観とその愛を与えて救うこと、、結局世の中のあらゆるすべての人に福音が求められているのです。

 「悪」の根源がどこから出ているのか、それを追求し、その「悪」という「物質」のmaterial flowingを食い止める流れを創出することが、クリスチャンの使命なのである。


33  pointは ID:Xmdk1.vE  2009/12/22 08:59
「ハイリターン」を売り文句にする金融商品には、必ず「ハイリスク」がつきまとう。それが金銭的大損失の可能性があるということ以外にも、霊的な罪という面での「ハイリスク」の危険性も伴うということ。

 金融のグローバル化、あらゆる金融商品が複雑に分割されて組み合わされて新たな商品として販売されている今の世の中において、「悪」という「物質」は非常に複雑なmaterial flowing modelを介して人々に襲いかかっている。

 こういう複雑で、あらゆる人々が「何らかの罪」の上に生きざるを得ない現代のグローバル社会においては、私たちが日々罪人として悔い改めの心で神に祈り、すべての人の救いを求めること、そして何より自分がそのような罪の中から「救われた」ことに感謝して生きることが大切なのである。
34  pointは ID:Xmdk1.vE  2009/12/22 09:10

-また私は見た。海から一匹の獣が上って来た。これには十本の角と七つの頭とがあった。その角には十の冠があり、その頭には神をけがす名があった。私の見たその獣は、ひょうに似ており、足は熊の足のようで、口はししの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。その頭のうちの一つは打ち殺されたかと思われたが、その致命的な傷も直ってしまった。
そこで、全地は驚いて、その獣に従い、そして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう。」と言った。この獣は、傲慢なことを言い、けがしごとを言う口を与えられ、四十二か月間活動する権威を与えられた。そこで、彼はその口を開いて、神に対するけがしごとを言い始めた。すなわち、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしった。
 彼はまた聖徒たちに戦いをいどんで打ち勝つことが許され、また、あらゆる部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。 地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の書きしるされていない者はみな、彼を拝むようになる。 耳のある者は聞きなさい。 とりこになるべき者は、とりこにされて行く。剣で殺す者は、自分も剣で殺されなければならない。ここに聖徒の忍耐と信仰がある。
  また、私は見た。もう一匹の獣が地から上って来た。それには小羊のような二本の角があり、竜のようにものを言った。 この獣は、最初の獣が持っているすべての権威をその獣の前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷の直った最初の獣を拝ませた。
また、人々の前で、火を天から地に降らせるような大きなしるしを行なった。 また、あの獣の前で行なうことを許されたしるしをもって地上に住む人々を惑わし、剣の傷を受けながらもなお生き返ったあの獣の像を造るように、地上に住む人々に命じた。 それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。ここに知恵がある。
-思慮ある者はその獣の数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は666である。(黙示録13章)

  悪の権威が地上から葬り去られるときのために、聖徒である私たちは忍耐と信仰をもって常に目を覚まして祈るべきである。
35  自殺しぞい ID:Fk2.BPBg  2009/12/22 10:40
>32
>>31 私たちは、「人を裁いてはならない」と教えられています。自殺者それぞれについて、自殺したから「地獄いきだ」とか裁くようなことはしてはいけないでしょう。

>>それよりも、そのような状態に陥っている人たちに、本当の福音が、聖霊>>の働きが知らされていないことに問題があるわけであり、私たちクリスチ>>ャンはそういう人たちの心に福音の種がまかれるように祈りそして働きか>>けるべきだと思います。

鬱などの苦しみのあまり自殺を考えてしまうクリスチャンもいます。福音を知り、聖霊様を信じているこれらの人にはどうすればいいのでしょう。10年以上苦しみ続けており、背後で祈りつつ続けているのでが。

もっとも真の福音を知らないのだ、真の聖霊様の働きを知らないのだといわれるとおしまいですが。

36  pointは ID:Xmdk1.vE  2009/12/22 11:02
>>35 クリスチャンの霊的戦いは、はっきり言って「過酷」です。
聖書のみことばは口には甘いが、腹には苦い。最初はいやされるが、本当に聖化しようとしたら、その道には大いなる試練や忍耐することが待ち構えています。それは私たちの主イエスキリストの人生を見れば一目瞭然です。

 聖霊を知る、福音を知ったクリスチャンでさえも、サタンは襲いかかってきます。いや、そういうクリスチャンだからこそ、サタンはいよいよ本気で襲いかかってきます。なぜならサタンはサタンで結構必死なのです。本当に悪の権威が滅びるときがくれば、サタンに属するものたちは永遠に地の底に葬り去られるしかありませんから。。

 ですから、常にサタンの攻撃に備えている必要があります。かくいう私もです。。ともに祈りましょう。自分のため、誰かのためというよりもまず先に、主のために、その御国のために祈り、主の御業を通して回復されるように祈りましょう。その方も激しい霊的戦いの後にもっと霊的に覚醒したクリスチャンとなられることを祈ります。
37  pointは ID:Xmdk1.vE  2009/12/22 15:16
クリスチャンの霊的戦いが過酷であることだけ書いたら、誤解されそうなので、ではなぜそうまでして聖化するべきか付け加えますと、パウロ使徒がローマ書で話されたように、

 -ですから、兄弟たち。私たちは、肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。(ローマ8章)


 今の苦しみは、クリスチャンにとって将来啓示されようとしている栄光に比べれば「取るに全く足りないもの」です。霊的に大変な状態になっているクリスチャンは、ローマ書八章を読みに読み、黙想し、救いと栄光の確信を今一度確かにすることで、サタンの攻撃をはねのけることを願います。


 -すべての肉が同じではなく、人間の肉もあり、獣の肉もあり、鳥の肉もあり、魚の肉もあります。また、天上のからだもあり、地上のからだもあり、天上のからだの栄光と地上のからだの栄光とは異なっており、 太陽の栄光もあり、月の栄光もあり、星の栄光もあります。個々の星によって栄光が違います。
死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、 血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。 最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。 第一の人は地から出て、土で造られた者ですが、第二の人は天から出た者です。 土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており、天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。 私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。
兄弟たちよ。私はこのことを言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません。 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。 終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。 朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なければならないからです。
しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」 死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないことを知っているのですから。(第一コリント15章)

 「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」-死の誘惑が襲ってきたら、私たちが朽ちるもののためではなく朽ちないものを相続しようとしていること、地上のからだの栄光ではなく、天上のからだの栄光をまず第一に求めようとしていること、そしてその栄光が実に偉大であり、神がいつでも私たちを話さず見守ってくださっていることを御言葉により再度確信し、深く神に祈ることです。そうすれば、主が哀れんでくださり、大いなる恵みを与えてくださいます。
38  無頼庵 ID:ZEJ.Se7Q  2009/12/25 22:04
ニュースで言っていたが12年連続自殺者が3万人を超えたそうだ。

12年で36万人死ぬ病気があるとすれば、政府はもっと真剣に対策してきたのではないだろうか。

もし、信仰さえあれば自殺がなくなるとするなら、キリスト教徒はもっと真剣に伝道していただろう。

どう思う?
39  メリー ID:mIoqTHSA  2009/12/26 13:31
そこまでのクリスチャンの信仰がなかったんじゃないだろうか。

日本のキリスト教が儀礼的なもので終わってしまうようになってしまったからじゃないだろうか。

そこに自分の力ではなく聖霊の働きを信じなかったからではないだろうか。

///日本はクリスチャンの働きが弱い上に変な悪霊の働きが強いという二重の禍が自殺を促しているんだと思う。
40  むにゅむにゅ ID:kjGSbcqU  2009/12/28 23:00
o



信仰さえあればというのは・・・・。

でもでも、しかし、たとえば、それでも、あなたが信じているように信じられれば、とか、はあるんでしょうね。とはいえ、信じると言うのは自分でするものですから。教義を受け入れた上で個性的であるのがすばらしいのだと思います。

何かお困りのことや心の苦しみを抱えている日本人の場合、教義や信じることや規範を習うことは二の次・三の次でいいのではないのかと思う事がよくあります。

教義を信じること規範を習うこと・・・と、神の愛を信じられるようになること・・・は、ある程度・・・区別したほうがわかりやすいのではないかと思います。


一緒に理解することで信仰が固められるのも本当だとは思いますがたくさんの人や歴史を見ていると神の愛や易しさを理解し信じられるようになるだけで結構充分なんだなと思わずにいられません。

日本人は常識化過ぎて(とても佳い所なのですが)本当に困っている人でないと(あるいはその変化が必要であることがわかっているカリスマのある人)なかなか、なかなか、ウンと言わんのじゃ。

しかもカリスマのある人がなかなか自分のことが認められなくて『自分はこれでいいんだな、なんか神様のお召しがあるんだな、信じるぞ』と思えないでいる・・・慈愛系の分析。祈りがタリンから彼をはげます言葉掛けが出てこんのじゃ。自分の苦しみや憐れみがタリンから祈りにならんのじゃ。もっと自分達のそういうことを思い出そう。つながりましょう。

christmas season にて

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41  むにゅむにゅ ID:kjGSbcqU  2009/12/28 23:13
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何かそうしたことに引き下がったように謙虚に謙虚に・・・慣れればみんなが、わたしも。楽になれるんじゃ、みんなが。

甘いんじゃね~よ。ないよ。よく考えて見なさい、自殺を考える方達がどんなに苦しんでいることか、この数に民族の危機感を持たなかったらヘンです。

教会はよその国の貧困の心配もいいですけど。あなた達の価値観をそまま信じたら僕達の国でも自殺したくなる人が増えるからいいよ、なんて、思ってると思うよ。


謙虚なのがいいです。両方とも。



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42  むにゅむにゅ ID:bulyGkjU  2010/01/01 07:38
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今日電車の中でマルタ島から英国に移住してこられたご夫妻とちょっと友達になった。人口40万人の国だ。いかに12年間で36万人の自殺がすごい数か身にしみる。ひどすぎる。

何で自分の国はこうなんだろうと暗くなった。

精神の器質的な疾患ではこんな数になるわけがない。社会的な要因だろうと思う。正常な方々が思いつめて思いつめて苦しんで自殺という行動をとってしまったのだ。



どうして? 



なんでこういうことになっているの?




どうなっているのいったい。





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43  無頼庵 ID:gHQXxh.o  2010/01/01 23:06
日本の自殺者の多さは、偶像礼拝が関係しているのではないかと思う。
いやいや、勘違いしないでくれ、そこのお固いクリスチャンの人。
何も仏像とか狐のことを言っているのではない。
お金があれば救われるとか、
恋が叶えば救われるとか、
会社に勤めていれば安泰だとか、
高学歴で無いと生きてはいけないとか、
そういった、神ならぬものを崇めること。これが偶像礼拝。
44  むにゅむにゅ ID:Uw5v61sk  2010/01/02 00:47
o

うんうん、そうそう。そう思う。

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45  れお ID:mc0uiSHc  2010/01/02 15:58
あけましておめでとうございます。
43の無頼庵さんとむにゅむにゅさん、こんにちは。
お二人の書き込み、フムフムと読ませていただきました。
また、今年も時々お話できるかも。
よろしくね。

今身近に鬱で苦しんでいる人がいます。
自殺するかどうかなんて分からないけれども、とりあえずその人のそばに…。
じゃあ、またね。
46  ココロ ID:Ohn8f5Uo  2010/01/03 03:25
「自殺があった」、
という言葉を昨年は身の回りで何回か耳にしました。
中には身近な方のご家族の方の自殺の話もありました。

仕事がなく、生活ができなく、自殺された。
悩みが大きく、・・・、自殺された。
その方のことを考えると胸が張り裂けそうでした。
涙が止まりませんでした。

命を断とうとされている人が、
心が張り裂けた時、周りの言葉が耳に入らない。
そんな時に、周りの私たちが何をすべきか・・
気づくこと、感じること、共感できるかどうか。

人にかけた迷惑が多かった分、人に助けられたことが多く、
助けられたことの記憶が、また他の人を助ける。
というような方が中にはいらっしゃいます。

救われた記憶が大きいほど、
義務的ではなく自然に困った人を見ると、
その痛みを感じ、助けないではいられない。

泣く者とともに泣き・・というみ言葉は、
義務的にせよと解釈するか、
そのような心をまず自分自身が与えられているか、
与えられているならあなた自身ができることをなし、
ともに泣き、その人を思い続けること、
が大切なのではないでしょうか。

精神的に窮地に入ってしまった人がいる場合は、
言葉の前に、温かく手を握ってあげてほしいです。

人は一人だけでも理解者がいるときの喜びは、
かけがえのないものだと思います。
47  弟が落ちぶれて帰ってきまして。。。 ID:f5k2nprw  2010/01/04 01:18
このフォーラムが盛り上がっているさなか、クリスマスを前に、教会の古い友人が、3万人の一人となって、逝った。明るくこの上なくいいヤツだったが、仕事で追い込まれ過労による・・・で。

つらくやりきれない、重たくて救いのない葬儀に出た。「・・・は罪」と素朴に信じる信者達が、彼の死をどう理解してよいのかうろたえているのが感じられた。師は、「彼の罪を赦そう。最後の汚点を見ないで、、。」と心のこもったフォロウを繰り返す。言葉を重ねられるほどに、いたたまれなくなり、自分が叫んでしまいそうになった。

悲しい旅立ちをせめて、いたわりと慰めで見送ってやれないのか。
死者は教会の赦しを得ないと召天できないのか。

あの彼が入れない「天国」なら、私も行きたくはない、と思った。
48  むにゅむにゅ ID:i1ANn/s6  2010/01/04 01:44
o


言葉もありません。まことにご愁傷様でございました。


本当につまずかされます。宗教の方が対応しきれていないことがよくわかります。宗教者教育を見直すことはできないのでしょうか。



死ななくていいのだ・・・・・という安心感を何に求めたらいいのでしょうか。




+
49  長男の仮面 ID:cSg/IBJo  2010/01/05 01:41
最近、牧師免許を取った人がいる。
その人の父親が一大事に会った。

いかにも人柄が良さそうに振る舞い、あたりも良さそうな、
いつも人の為に尽くしている、といった感じの、
教会では尊敬されている?ようなその牧師免許を取った人は、
その父親を全く助けもしなかった。

十年以上もの間、父親の会社に所属だけしながら
ほとんど働きもせずに膨大な給料をもらい続け、
日ごろも何かと資金援助をしてもらい、助けられ続けてきたのに。

その反面、日ごろ厳しいことを言ったり、
その父親を影でいつも見てきた身内でもないクリスチャンの人は
その父親が自殺でもしないかと涙ながら心を支えてくれた。

結果、その父親は自殺はしなかった。

今回の件は、長男であるのに見せかけだけの思いやりのクリスチャンと、
自分の体裁・手柄など無関心なクリスチャンとの対比があまりにも際立った。

その父親はどれだけ心を傷めただろう

人を利用し続け、表面上は善人であっても、
本当に人のことなど思いやれない。

このような人がどれだけ世の中に存在するかわからないが、
牧師免許を取ったようなこの人間がいつも優しい仮面をかぶっている。

人の命の大切さを知り、自殺をできるだけ止めるために
牧師免許というシステムに心の成長がもっと求められるべきだと思う。
そのためには人の心を見抜く洞察力をもっている人が
免許を与えるのがよいと思う。

少なくとも今回の牧師免許を取った人間は、
心の成長が見受けられなく、
表面で人にいくら取り繕ってみても
責任感のなさ、罪悪感のなさ、心の中の高慢さが目立つ。
どんな時でも腹の底では、
自分の家族の為になんでも利用する考えの人間だ。

自殺を防止するための牧師の存在とともに、
こういった偽なる心の牧師が世の中に蔓延しないように望む
50  弟が落ちぶれて帰ってきまして。。。 ID:Dg47y6Sc  2010/01/05 10:42
最初の問いへの答え

自殺は、絶対しちゃだめです。絶対です。なぜなら、家族や友人にあんなに悲しい、やりきれない思いをさせることがいいわけないからです。

でも、もっとやっちゃいけないのは、自殺者について罪だのなんだのとあれこれ言うこと思うことです。悲しむ家族に石を投げるのと同じ行為です。

クリスチャンは、悲しむ人とともに泣けばいいんです。そう思います。

死を望んだことのない人は幸運だっただけ。またはうまいこと困難を回避してきただけです。

51  長男の仮面 ID:GbYaLOPI  2010/01/07 08:07
「まだ生活が苦しいから生活が安定してから子供をつくろう」
いろんな場所で、昔よくきいた言葉です。

養えそうにないのに無責任に子供をつくって、
子供に迷惑をかけることも申し訳ない、
とある意味で夫婦自身の力量を見ながら、
生まれてくる子供にも気遣いしたような言葉と思った。

それに対して、
生活が苦しいと周りの人間にさんざん言いながら、
取ってはいけない人の資産や会社のの資産を奪い続ける夫婦。
そのくせ、罪悪感も全くない、冷酷な人間。
この夫婦に五人目の子供が生まれたとのことです。

後者の夫婦は、
これからも自分たちの働きだけでは生活ができなく、
非常識な理不尽なことでも大義名分をうまく付けて、
第三者の資産を奪い続けてうまく生きていくだろう。

前者の夫婦は、
生活的につらい時があっても人の資産を奪うようなことはしないで、
自分たちの働きにより頑張っていくだろう。

ここで大切なのは、後者の夫婦よりも前者の夫婦のほうが、
自殺を考える可能性は高いのかもしれない。

ところが周りの人の為にもなり、世の為にもなるのは、
前者の夫婦なのだ。

前者の夫婦の良いところは周りの人にも希望を与えることが多く、
自分たちの苦労があっても、何か周りの人に希望を与えることも多い。
世の中で本当に困っている人たちは、
前者の夫婦の存在を切に希望しているだろう。

後者の夫婦は羊の皮をかぶったハイエナである。

前者の夫婦は、心の乏しい見せかけだけの人たちにとっては、
蟻のように思われがちだが、実は心のある人たちにとっては、
光となる存在であり、この世の宝物のような存在である。

52  むにゅむにゅ ID:GRxulQi6  2010/01/08 07:46
o


☆長男の仮面さん☆・・そこまでややこしくなっている場合は必要なのは弁護士さんなのではないでしょうか。仮面さんがいったいどちらの側で苦労されたのか、それとも身近な友人のご苦労を痛んでおられるのか推測しかねましたが。何か身近にそういうことがあったのかな、と事態を憂慮いたしました。

個人的な経験では、どんなに立派な・・・・周りから何か聖なるものか何かのように見られているどんなに立派な宗教者でもこういう風に話がこじれている話には利用されてしまうことが多いようです。ただのぐちのききやくになってしまったり。

実におこがましく恐ろしいことですが、人を犠牲にして平気な人達は「信仰の人」の清らかさや純粋さまで利用するものに見えてしまうらしいのです。

ありがたいことにわたし達の生活には世間常識的な解釈のレベルにとどまる宗教の価値ばかりでなく法律が存在します。社会における客観性が問われるのだと思います。宗教の決まりだけで生活をしているわけではありません。

なにはともあれ『法の介入』無しには真実は明るみにでないかもしれませんね。個人の経験ですが、あべこべのこともありますよ。想像力を働かせて見るとなるほどなんて。あべこべのあべこべもあるし、ただのあべこべもあるので、冤罪というのは思ったよりも頻繁に起きる可能性があるということでしょうか。

わたしは悪いうわさを聞いてもどのような方法で聞いたとしても、うわさはうわさでそれで人を裁いたりしないように教会から教わって育ったように思います。愚痴として気持ちや苦労を察するのもほどほどにということも時と場合によっては充分あります。

聞き手の無知から中傷を増長させてしまったり、話を聞いてあげすぎて思い込みを助長させてしまったり。

『法の介入』が一番です。教会だけではお金の揉め事は解決しにくいのではないでしょうか。

イエス様はどうでもいいと言っておられるわけではなく、徴税人が回心をして「ちゃんとお金返す、貧しい人に施す」と言ったら「今日この家に神の救いが訪れた」といって喜んでくださっています。回心を喜んでおられるのです。

現代人のわたし達にそのような人間性の天然の純粋さが少しでも残っているでしょうか。


主は嘆いておられます、「わたしが帰ってくるときにこの世に果たして「信仰」をみいだせるだろうか、と。





双方とも清らかな祈りを必要としていると思います。





+
53  むにゅむにゅ ID:GRxulQi6  2010/01/08 08:43
o

いつも脱字誤字が多いですねぇ~。すみません。

+
54  むにゅむにゅ ID:GRxulQi6  2010/01/08 11:42
o

愚痴として気持ちや苦労を察するのもほどほどにということも時と場合によっては充分あります。


なんと法律の上での加害者がそうしたもっともらしい苦労話を人に言いふらして、平気な顔をして、被害者である誰かを世間からも教会からも追い出そうと追い詰めてていることも世の中にはあるのです。

うわさはやはりうわさなのです。それとどうかかわるかは、個人の信仰と人格の問題、良識と常識の問題だと思います。

君子あやうきに近寄らずというのも言いえています。


さて、クリスチャンとしてはうわさとはどのようにかかわることが望まれているのでしょうか。





(((( ( 何が・・・、主の祈りを信じる者にふさわしいのでしょうか ) ))))




ほんとにみながキリスト教の信仰によって悔い改めを祈ったらいいのになあと時々胸を熱くしています。



+
55  長男の仮面 ID:q23huhXQ  2010/01/10 11:09
私が書いた1月5日と1月7日の人物は同一人物です

「どんなに立派な・・・・周りから何か聖なるものか
何かのように見られているどんなに立派な宗教者でも
こういう風に話がこじれている話には利用されてしま
うことが多いようです。」

とどなたかに書いていただきましたが、
今回の場合は、聖なるものに見られているような立派な宗教者が、
実は、むさぼる者、略奪者というケースです。

5人の子供にも良い親として見られ、
教会内でもすばらしい牧師資格者に見られ、
いまでも助けもしなかった親を利用し続け、
人脈を利用し、拡大させています。
(一部の人には本心は見ぬかれたようですが)

お金にせよ資産にせよ、
誰かがむさぼるということは、
誰かが何かを失い普通を与えられることが多いです。

クリスチャンでありながらそれに反する心の強奪者、
まだクリスチャンではなくても聖書の教えを無意識に
実践し、人の為に自己犠牲になってもつくすノンクリスチャン。

このことを、
心ない一部のクリスチャンは受け止めることが必要です。

クリスチャンが信仰している方が
自身のことを犠牲にして人を救われた・・
それに対して
人を救う行動(フリ?)を行いながら、
いつも人を利用しているようなクリスチャンがいるなら、
与えられた信仰とは何でしょうか?

体験したことが本当であるなら、
無意識のうちに受けた体験をほかの人の為に
使わされるのでは・・

以上のように要領良く生きているこういった人はいますが、

こういった事をしてこなかったのに、
自分自身の命を損なおうとしている人がいるのであれば、
その人こそ自身の命を大切にしてください。

聖書では正義と公正のことも書かれていますが、
人のものをむさぼらないで
苦心・苦労しても頑張っている
あなた自身の存在がとても価値があり、
自分では気付かなくても、
多くの人の心の励み・希望にもなっていると思います。
56  水木尚人 ID:tslAiffI  2010/01/10 22:56
実は、私も自殺未遂から救われたクリスチヤンです。

まず第一に自殺を止めようと思ったのは、
自分が愛されることをしったからです。
自殺を考えてい来るときは、いつも自分には
価値がない、と思っていました。そして希望もありませんでした。

自殺を考えるときに大切にしたのは、神様の関係です。
そして、教会の関係です。
しかし、やはり一番大事にしたのは、イエス・キリストとの祈りですね。

生活の中で、神様が共にいるんだ、ということを何回も口にだして確認し、そして祈りました。

自殺を考えるときは、未来がみえないときです。
自殺を考えないときは、未来がみえるときです。
そして、その未来はイエス・キリストの中にあります。
なぜなら、彼は私たちの希望であり、命を捨ててまであなたを
大切にしている方だからです。私はそのように考えています。


57  ペットレス ID:mGUfUMvg  2010/01/14 09:40
 自分に与えられている責務が重すぎるときって、急に自殺したくなるときありますよね。

 その気持ちは、わからないでもない。
虹の橋
http://www5.ocn.ne.jp/~select/Rainbow.html

 たとえば、北海道とか東北の誰もいない山中で、アルコールを飲んで凍死したら、すべてを投げ捨てて楽に死ねると思うことは、ある。

 そして虹の橋のたもとに待っている愛犬に会えれば、それであとのことはもうどうでもいいと思うことが、たまに、ある。

 結局、愛が偽りだと思ってしまうと、すべてがむなしくなるよね。人間の愛も、結局相手を自分のために利用するための愛であって、偽りの愛だったんだ、、ってことがわかると、もうその人を愛せなくなるよね。人生なんてそんなもんだと思う。。

 本当にイエスキリストは私を愛してくれているの?本当にイエスキリストはクリスチャンになったとしても、世の中の権力者と違って私を利用するのではなく、本当の意味で愛してくれるの?そもそも愛って何?私は生きてる価値って本当にある?存在していること自体が「害」になっていない?それならいなくなるのに、だれも「いなくなれ」って言わない。。だから生きている。でも・・・
58  羊と狼 ID:FkMxX3FI  2010/01/14 21:44
世の中の存在が自分にとって、
重圧に感じたことはないですか。

もしかしたら、
その心があなたの心の中の光なのかもしれません。

時代の中で尊敬されるべき有名だった人たちの陰で、
その有名な人を永く思い、助け、支えてきた人が、
その有名になった人の土台であり支えとなっていた。
というようなことが数多くあったと思います。

私自身は有名・無名というのはあまり気にはしないですが、
人の心を気付き、思いやり、大きな恵みを分け与える、
光をもたらしたひとつが、
世の中の存在を重圧に感じたような人の心の中の
小さな光だったのかもとも思っています。

小さいものほど大きく、
大きいものほど小さい、
でも、
大きいものも小さいものも共に大切なものだと思います。

夏に太陽しかなく、
木陰がなかったら、
熱帯地方では人は生きれないかもしれません。

自分が小さいと思う人は木陰。
人の疲れを癒し、人を慰め、人に大きい光を与えています。

今の時代にとても大切なのが、
特にこのような方々の中の、
自分には小さく思えても大きな光の心だとも思います。
59  矢島 ID:rnGT9rpU  2010/01/20 15:08
19日午後3時5分頃、静岡県西伊豆町安良里の黄金崎公園展望台近くで、海に面した斜面の手すりの外側に60~70歳くらいとみられる男性がしゃがみ込んでいるのを観光客が見つけた。
通報で駆けつけた松崎署員や町役場職員らに対し、男性は「がんの痛みが続いて耐えられない。死にたい」などと自殺をほのめかしたため、同署員ら約30人がかりで説得。
「生きていればいいことがある」などと言葉をかけ続けたが、男性は午後8時10分頃、「ごめんなさい」と言い残して約30メートル下のがけ下に身を投げた。
漁船が出て、約1時間半後に岩場で倒れていた男性を収容したが、全身を強く打ってすでに死亡していた。
男性は、身長約1メートル70。中肉で、黒色のナップサックを持っていた。同署で身元を調べている。
(YOMIURI)

福音主義とやらを伝えてもらっていれば、死なずにすんだのにねぇ。
いや、死にたくなるほどの耐え難い痛みも感じなかったかも。
いやいや、そもそも癌になぞ罹らなかったに違いないのに。

説得者の中に、ひとりのクリスチャンがいれば、死の淵から救い出してもらえたのに・・・ねぇ。

でも、結局、死んじゃったからこの人は罪人なんだね。
これから地獄でたくさんのキリスト教徒から罵倒されて暮らすんだろかね。

もいっかい死にたくなるよね・・・きっと。

60  匿名さん ID:TTbaC65w  2010/01/20 15:27
>>59 ローマ2章読んでください。
2:12 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。

1節、すべて他人をさばく人は弁解の余地がない。

 つまり、福音を知らずに死んでしまった方のことは、神のみぞ知るということであり、ただの人間にすぎないクリスチャンが誰が地獄行きだのと定めるのは間違いです。そのようにさばくことはクリスチャンには許されておりません。

 クリスチャンは、こういうニュースを聞いたら、よりその魂まで福音が伝わっていないことを悔い改め、祈るべきです。

 ルカ23章34節には、十字架に磔になったイエス様の着物をくじを引いて分けている人たちのことに対してイエス様は「父よ。彼らをお許しください。彼らは、何をしているのか自分ではわからないのです」と神に祈っています。

 私たちクリスチャンのイエス様と同様、福音を知らずに死んでしまわれた方については、「父よ。彼に福音を伝えられなかったのは私たちクリスチャンの至らなさのせいです。どうかお許しください。そしてこれから二度とこのようなことが起こりませんように」と祈るのが真の神に仕える「司祭」としての私たちの在り方でしょう。

 このような事件が生じることで、神様が日本のクリスチャンたちに、いつまでも「眠って」いないで早くリバイバルを起こしなさいと伝えようとしておられるのかもしれません。。
 
61  匿名さん ID:TTbaC65w  2010/01/20 15:35
 その自殺された方については本当に憐れみを覚えます。主が憐れんでくださるように、祈りたいです。しかし、最近感じるのは、「自我」の強い人は、結局、いきつくところまで年をとってみないと、福音をつたえてもその本意がわからないのかもしれません。

 それでも、私たちにできることは、ただひたすら福音を伝えること。それも自分の力ではなく、神の御業を自分を通して伝えること。

 自分の力を高めて何かをしようとするとき、自分に無理が生じて、最終的に体の細胞に異常が生じて癌になってしまうのかもしれません。。自分自身にも、これは戒めだと思っています。。
62  れお ID:0KjMt9Sc  2010/01/21 19:13
最近は気が乗らないという理由で読むだけに専念していたのですが、正月か昨年末だったか…NHKで癌患者が数人顔出しで出演していて、それぞれの癌との戦いを語っていらっしゃいました。私は「福音で何とかなるんです」ということは、とてもじゃないけれども全く言えません。

癌に限らず、いろんな苦しみ・悲しみを抱えている人が自殺など自暴自棄に陥らないようにする1つの方法として、似たような境遇の人間と出会い、苦しみ・悲しみを分かち合うことを挙げたいと思います。現在そういう場は今はたくさんあって、例えば、アルコールや薬物依存症回復に向けての集いなどなど…。

自分達の信じている宗教を伝えることよりも、一人苦しんでいる人と誰かをつなげるパイプ役になるとか、自分がその人と繋がるとか、自分が福音を具体化した行動をとることが、クリスチャンにとって大切なことだと思います。

昨年どの話題だったか忘れましたがお話しているスレッドにて「社会問題とキリスト教を熟慮せずに安易に結びつけるのはいかがなものか」という意見を出されていたクリスチャンがおられましたが、私もその通りだと思います。

そして、病気や経済問題でもいいし、まあ事件でも何でも良いのですが、正しい知識をもつことはとても大切だと思います。大変失礼ですが、がんには「小児がん」のように「自分の力を高めるも何もないよ」という時期に発ガンするケースもあります(60・61さんが小児ではないと言うことは分かっていて発言しています)。

福音、福音、宣教、宣教と熱くならずに、普段の生活の中で隣人愛を具体化する生き方をしていくことが何よりも神様に喜ばれる行為なのではないでしょうか。
63  れお ID:0KjMt9Sc  2010/01/21 19:29
追記「癌に限らず、いろんな苦しみ・悲しみを抱えている人が自殺など自暴自棄に陥らないようにする1つの方法として」
は絶対陥らないって言っているわけではありません。可能性を低くする方法のひとつです。
64  あ ID:45ipMUSU  2010/01/27 16:28
65  矢島 ID:Ff/mBR.E  2010/01/27 18:27
60:匿名さん

59は、福音主義いのちなクリスチャンへの「皮肉」です。

ロマ書2章は関係ないです・・・というか的外れ。

福音宣教に限らず、何らかの信仰的な希望が抑止力として有効となる自殺の原因は、己の生命力、生活力、達成力などなどの自信喪失からくる将来(明日)への不安や絶望のみ。

(精査していないので、テキトーな文章で申し訳ない)
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