| 1 む ID:x1yy5id. |
2009/09/06 07:59 |
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意訳
わたし達の道徳 「たがいに愛し合いなさい」
これ以上立派な道徳が・・東京の空広し・・といえど、あるでしょうか。
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| 72 むにゅむにゅ ID:mhOanY4o |
2010/01/10 23:38 |
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あっ、☆エディーくん☆だっ。根本問題かぁ。『美しき天然』いいよね。キリスト教より紅葉狩り、雪景色、春の梅の香、桜ばな。春もやに煙る連翹のひかり雪柳のそわそわ。ああ~考えただけでも顔がきれいになっていくような気がするなぁ。
キリスト教はそうした天然の美と言い争うものではないと思います。
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| 73 むにゅむにゅ ID:mhOanY4o |
2010/01/10 23:45 |
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((((( ( 天地は滅びさるがわたしの言葉は決して滅びない ) )))))
ってそれでもイエス様は言ってくだすっているのだとおもうわ。あまり天地が滅びないほうがいいです。日本人として。
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| 74 むにゅむにゅ ID:2uVU.srg |
2010/01/11 03:40 |
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う~ん、☆エディーくん☆は、たぶん男の子だから・・・底辺の農民さん達のことをそんなに理想化していられるのよ。確かに万葉の頃までさかのぼるとどうだったのかなぁなんて思っちゃいますが。女の子のあたし・・・なんて下手をすると吉原なんかに売られちゃったりしていたわけでしょう?やだなぁそういうのやっぱり。げぽ~。平均死亡年齢が22歳だったってホントですか。カワイソ~でショ~ガネ~よ。で、でも、男の子も売られていたなんていう話も読んだことあるから☆エディくん☆も売られちゃっていたかもよ。
しくしく悲しくなってきてしまったじゃないの。痛かったのよキット。
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| 75 エディー ID:cEWb1TE. |
2010/01/11 08:01 |
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おはようございます☆☆
う~ん、
万葉の頃あたりまでは、日本人も素直に日本人でいられたような。
利得、すなわち聖書で言う貪りが人間に入り込んで、
たちまち人間の価値観は
『利得>感性』『優越>感動』になっちゃった。
たとえば今現在あらゆる歌や芸術を修める人の大多数は、
人気取りやほめられるためにであって、
ほんとうに心から美しさを感じているのかどうか…むむむ。
極端な話、話芸も芸術で漫才も芸術ならば
今の前衛漫才はひっどいなぁ…なんて。
ともかく、世界が損得で動くようになっちゃったから
なんだかおかしくなっちゃった。
イエス様は損得で動くお方ではなかったし、
だからこそサタンの誘惑を突っぱねることが出来たんですかね。
だって、凡庸人間の発想だったら
自分が救いを持って来たと証しするなら
みんなに向かって尽きることのない『盲目のパン』を延々配って
統治者の座に着き、最強の頭脳と知恵で
永遠の繁栄をもたらせば良さそうな気がするじゃない。
…ああおそろしい。
イエス様は神の権能を持ってやってきて、
それで全人類の罪を同胞にリンチされて殺されることで
かえってあらゆる民に救いと希望をもたらしたっていうのは
あまりに考えが“高すぎて”
私のようなケチケチリアリストは
『ええっ~!なんで~!?』と
ほんとうに驚いてしまいます。
損得で動くこと自体が、もうなんかちがうなって…
損得で動かなんだら、吉原も身売りもなかった…!? |
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| 76 羊と狼 ID:201aMCi6 |
2010/01/11 17:29 |
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道徳は境目の問題も大切なのでは。
例えば、日常の仕事で、
8時間勤務で日給7000円の仕事があります。
もし、経営者の家族の一人が、十年間、同じ仕事をし、
1時間しか働かずに日給20000円を貰っていたとします。
これが現実にあったら皆様ならどう思われるでしょうか。
法律にも反し、道徳的にも反するということがある一方。
法律には違反しないが、反道徳的この上ないという事も、
世の中には少なくはないですね。
「私たちの道徳」のテーマをはじめにこのページで
あげられた方が記載されていたように、
隣人を愛するという事は、
道徳的にこの上ない大切な事だと思います。
「愛する」という意味が人により解釈が幅広いので、
日本国であれば、
「隣人を自分のように大切にする」
という意味合いで道徳を考えるのもよいと思います。
この中には
「自分も大切にする」という思いは忘れてはいけません。
また、
道徳的であっても愛情が豊かとは限りません。
道徳的であることは、
その発端が心からのものであることが本当に大切ですね。
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| 77 むにゅむにゅ ID:2dC.AVAk |
2010/01/12 07:17 |
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>>76 例えば、日常の仕事で、
8時間勤務で日給7000円の仕事があります。
もし、経営者の家族の一人が、十年間、同じ仕事をし、
1時間しか働かずに日給20000円を貰っていたとします。
これが現実にあったら皆様ならどう思われるでしょうか。
法律にも反し、道徳的にも反するということがある一方。
法律には違反しないが、反道徳的この上ないという事も、
世の中には少なくはないですね。
さあ・・・ど~ですかね。お金の話題苦手~。
法律相談でしか答えは見出せないと思います。
わたしもとあることに非常に苦しんで法律相談
をするまでどうにもなりませんでした。
わたしはそういうことは宗教で結論はでないと思っています。
常識も無力です。しかしいつでも宗教は魂の救いなのです。
しかし。
「その金があったら何故貧乏な人たちに施してやらないのですか」と正義感から主にヒトコト申し上げずにおられなかったイスカリオテのユダは自身の吝嗇を客観視せずその挙句に主をお金のために売ってしまいました。
皮肉なことに「わたし達の道徳」ここではわたし達=クリスチャン達というつもりです。キリスト教では社会正義さえもその動機の真実となるものにメスをいれ・・・この場合はその吝嗇を暴いているのです。恐ろしいほどの現代感覚だと思いませんか?
日本の社会もはやく・・・いつか・・・社会正義にこういうキリスト教的メスを入れていろいろわかって発言できるようになるといいですね。そうした文学でも発表されたらいいなぁ。読むかな?わたしが。
☆羊と狼さん☆がクリスチャンかどうかわかりませんがもしよろしかったらそこの箇所をいつか熟読してみてください。結構面白い心理ドラマが暴かれていると思います。
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| 78 むにゅむにゅ ID:2dC.AVAk |
2010/01/12 22:10 |
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>>76 道徳的であっても愛情が豊かとは限りません。
道徳的であることは、その発端が心からのものである
ことが本当に大切ですね。
その発端が心からのものであることが・・・
そのとおりです、イエス様の十字架の購いと復活を
信じるようになった日本人の心のからのもであることが
大切なのだと思います。
日本語で心というとわたしなどはむしろもやもやした何かごちゃごちゃした何かを感じてしまうのですがそれは近年わたし達日本人が仏教からも遠ざかり神道にも心を向けなくなったからでしょう。
現代人にも魂の救いを・・・。
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| 79 羊と狼 ID:FkMxX3FI |
2010/01/14 00:10 |
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宗教・建て前・日本の3つの言葉がそれぞれに
道徳という言葉が関連していると思いませんか。
道徳とは広辞苑やネット上のウィッキー~などで、
説明されていますが、
か、かたい~かな(^^)
道徳は教えとして教えられる様な気もしますが、
もとは何からできたのでしょうか。
道徳的であり、知的であり、もっともだ、
と思えるようなことを言われても、
何か感じるものが少ない・・
愛情を感じない・・・・・・
というようなことがありませんか。
ブログにせよ、
人により知識量・年齢・宗教に携わっているかどうか、
など投稿する人によりいろんなその人の状態が違いますが、
(不詳者の私も含めて(^^))
投稿内容を読んでいて、
知的で清い事を書かれているがぬくもりが少ない、
と感じられたことはないですか。
過激であったり、すごい内容だが、ぬくもりを感じる、
と感じられたことはないですか。
私はいろんな宗教を信仰されているいろんな人と
関係がありましたが、
こちらのブログのキリスト教でいえば、
人の姿でこの世にあらわれたかたが、
隣人を愛せよといったのは、
どういった状態をクリスチャンに、また人に望まれたのでしょうか。
私が知っているクリスチャンの中には、
優しい言葉を使うが、心が乏しく、
心から人に対して思いやることができない、
という方もいらっしゃいましたが、
(見抜ける人も少ないかもしれませんが)
聖書的な行動を行っても、
心が付いていっていないのでは?
聖書に書かれていたのは
人の為に仕える者であれ、という事もあったのでは?
高慢で上から人を見下すような本心で、
人を助けてあげる、というような本心は、
どうでしょうか?
道徳的であることとともに
心の成長が大切だと思います。
本音と建前を自分の中に感じる事が出来たときにも、
心の成長、道徳の成長もあるのではないでしょうか。
赤子で生まれたときに赤子は道徳的でしょうか?
赤子を見たときに
かわいさと生まれたばかりの尊い命を喜ぶ事が多いですね。
たとえ自分自身が、
知的であっても知的でなくても、
道徳的であっても不道徳であっても、
その段階で自分を責める必要はないと思います。
人の心がわからない・・
少しばかり頭が良くても自分が少し冷たいかな?
とか自分にまず気付くことがあれば、
自分の周りに心のある人だな~
と思えるような人がいれば、その人とよく交流してほしいです。
一人の良い心は他の人の心を育んでくれて、
道徳以上のものさえも与えてくれると思います。
クリスチャンはみんな、
本心から(人は欺けても神は欺けない・・の心)、
自分を高ぶらせずに普通に低めることもできる心で
人に心と道徳を共感し(←大切)、成長しあえるような
存在になれればいいですね・・
PS
「羊と狼」という著名は、
私自身も含めて、みんなが自分の中の心を見て、
羊と狼の両方あったとしても、狼だと思えても、羊だと思えても、
どう感じても、正直にそれに気づき、受け止めて、
道徳観念よりも、良い心を共感できればと思い使った著名です。
旧約聖書に書かれていたのは、
私の行いと心が神に喜ばれますように・・
でしたかね?、むにゅむにゅさん。
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| 80 むにゅむにゅ ID:pIwo.BV. |
2010/01/14 00:47 |
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>>75 ☆エディくん☆
だって、凡庸人間の発想だったら
自分が救いを持って来たと証しするなら
みんなに向かって尽きることのない『盲目のパン』を延々配って
統治者の座に着き、最強の頭脳と知恵で
永遠の繁栄をもたらせば良さそうな気がするじゃない。
…ああおそろしい。
>>
((( わたし達の魂と肉体に眠る神への愛 )))をこの世で・・呼び覚ます事はないのでしょうね。
苦労は佳いものという考えは今まで日本人が言い習わしてきたことのなかにもありますが、キリスト教ではなにか・・・その・・・・魂や肉体における奉献の完全さがまるで違うと思います。このような完全な奉献は今までの日本庶民の伝統的な精神にはなかったものだと個人的には思います、個人的にはですけど。
>>75 イエス様は神の権能を持ってやってきて、
それで全人類の罪を同胞にリンチされて殺されることで
かえってあらゆる民に救いと希望をもたらしたっていうのは
あまりに考えが“高すぎて”
私のようなケチケチリアリストは
『ええっ~!なんで~!?』と
ほんとうに驚いてしまいます。
>>
ん~だね。
なんかわたしも・・・昔似たようなことを似たような言葉で驚いたことがあるような・・・・・。that reminds me "me"... eddy......
にしても・・・・、「になっちゃった・・・のか」って、なんかすごくひょうきんで思わず何度も何度も笑っちゃいました。で、なっちゃったのね・・・・、と。ふむ。
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| 81 むにゅむにゅ ID:SY.wN5H2 |
2010/01/22 07:11 |
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七夕さまは受胎告知で精霊流しは万世節かぁ、桃に菖蒲に笹、菊の節句、ですか?。キリスト教にそのような地域性・・・・・を取り入れることには本来問題がないと思いますが何分日本的であるものはすべて大陸伝来・三国伝来であることが多いので、日本人が経済力にものを言わせて日本的であると信じて全てアレンジするわけにはいかないと思います。
でも、よく英国北部を旅行すると独特のケルト十字を見かけます。大陸のキリスト教が伝わる前のものと一般的に言われ、何やら「念」を感じるようなデザインでキリスト教というよりは自分達の精神性の何らかのシンボルの様にも見えます。
九州でよく出土される朱泥色の渦巻模様を十字架などにあしらってみたりしてみるのもいいですね。しかし信じたりせずに、あくまでも試みとして表現をしてみることに非常に意味があると思います。そこからローマキリスト教(ローマンカトリックという意味ではなく)を考えてみるのも勤勉な思想の試行錯誤にツナガルことでしょうね。しかし信仰にあふれた方たちが自然に思うことだけが大切なんだと思います。遊びや単なる試みでは信仰に悪魔が入り込むのではないでしょうか。
わたしなんかはまあ今まで道りでいいか、と。過去のクリスチャンたちの信仰を否定する必要はないかと思っています。それどころかそのままでいいとすら思っています。
わたしは宣教されたのではなく感謝のうちに相続を受けているだけなのだと思います。
道徳的かしら。
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| 87 むにゅむにゅ ID:SY.wN5H2 |
2010/01/22 08:00 |
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o
そこからローマキリスト教(ローマンカトリックという意味ではなく)
ローマ社会の公共性や社会の公正さや人権感覚の影響を受けていないヘブライキリスト教と区別して言っただけです。日本に伝わっているキリスト教はほぼ全てローマキリスト教のほうだと思います。
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| 83 むにゅむにゅ ID:X1uJPQcg |
2010/01/22 19:53 |
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o
宗教的な喜びも非常に時事的なもの。こともある・・・・。今日はどうしてもこの喜びを日本の皆さんにもわかってもらいたくてごそごそもぞもぞ書き綴っています。
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-1243096/Fizzy-mobile-Nokia-phone-runs-coke.html
http://www.daizizheng.com/
弱冠23歳の英国はアートの名門のStMartin-セイント・マーチン卒の中国の女性デザイナーです。わたしのような歳寄りにとってはYoko Ono-ヨーコ・オノさんを彷彿とさせ、その明るい魅力にすっかり心を奪われてしまいました。独特のModern British Artのスタイルをすっかりわがものとしていて英国人がニヤッと笑いながらguuud とかなんとかいいながらデヘヘと笑っている姿が目に浮かぶようです。globalな美しさにきらきらと輝いていると思います。(清潔快適安全良質尊厳愉快にゆとりですか、なんかISOみたい)
わたしなんかはしばらく感極まって泣いてしまいました。日本人としてこんなにこんなに嬉しい事はなかったです。嬉しくて嬉しくて・・・だ・なぁ。
わたしは明治このかたの日本のアジアにおける外交を常に心痛の思いで見ていました。芥川龍之介が残した言葉の小片の数々やその他・・・其の他の文人たち。どれほど当時のそれ・・・が日本人の魂への破壊であり大きな苦悩であったかよくわかります。大げさだとは自分でもちょっとはおもいますが、芥川氏の苦悩と恐怖はまさに自分の苦悩のようでもあります。
わたしは中国社会が白人社会で認められるように尽くすことがひいては自分達日本人の霊的文化的な価値が復興されることにつながっていくことと信じています。そこから自分達の「ゲンキ」を図ろうとする試みに非常な興味を感じています。地平らに天成る。
とはいえ、とある政治家のアメリカを無視したような600人の行動には心底恐怖させられます。アメリカでそして英語圏で中韓日文化が一緒に理解される・・・・こと無しにしていいことではありません。時間も掛かるし頭も使う大仕事のはずです。アメリカでの必要を起こさせるのがいいのだとおもいます。その作業は政治的であり歴史の一部となる大事業になるはずですから。しかし、その文化的作業無しにはまた懲りないヤツめなんてことになるかもしれないのです。わぁ~こわ~い。
過去100年くらいの外交政治を踏襲し明治政府の啓蒙をひたすら鵜呑みにしまた近年の3~40年くらいですかのバブルの時の日本人人気と自信過剰をとりもどそうとする努力は実はとても痛々しく映ります。
みなさん、過去30年くらいの日本人としてのアイデンティティでは国際社会に乗り遅れる、心配はありませんか。そんな事にこだわってずれてるだけの時代遅れになりたくない、と思いませんか。もしこの下克上に気がつかなければ、あるいは目を背けてしまったら、国益にも大いに反しているとは思いませんか。日本のことしかわからない人が中国と仲良くなろうとしている。中国とは英語圏で理解され歓迎される自然で無理のない関係を見出していたい、わたし達のほうでもやる気満々でいたいと思っています。英語圏の中でのみんな・・・が大切でなかったら日本は乗り遅れてしまう。中国のこれからの優れている点が認めらないばっかりに自分を見失いたくない。
へりくだらされる面もあります、が、喜びと強さはわたしのもののままです。満たされたものではなく乏しいもの心貧しき者のようにもなりますが、喜びと強さはわたしのもののままです。
あなたもわたしのように貧しい者になれるように祈っています。信じる者の豊かさと自信を戴くためです。あの喜びと強さのために、日本の社会の将来の豊かさのために。社会のために。
そしてこの喜びと強さはローマキリスト教の優越性そのものなんじゃないかと思います、それを証するもので、霊のダイナミズムを継承しています。血と水を分離させるほどのわが主の苦しみに羊のように従った者たちの殉教と、宣教の情熱を介して帝国an empire に座し帝国の栄光と一体になられた((( ( わが主の ) )))・・・・栄光のことだと思います。
帝国の地理的な位置は日本人にとってはそれほどには変わっていないようなのでこれでいいのだと思います。
誤解を招く表現だと思います。ヘブライキリスト教との違いはそれなりによくわかっています。そこを起点に変遷し何か変容していったローマキリスト教を否定する向きが多いのも知っていますが、ばかばかしいです。ローマ人が当時の・・・・ヘブライ社会の価値観までは踏襲する必要がなかったのは容易に想像できることです。もしヘブライキリスト教にこだわるならばイエス様が予言的に言われた神の経綸を暗くしてしまうものだと思います。
その当時キリスト教はひとつだったのでローマキリスト教とは現代でもおおよそキリスト教全体を指すものだと思います。
人間、神からの貧しさを体験すると、逆に生きていることはすばらしい、そして日本という国が死ぬほど好きだ、好きで好きでしょうがないという気になるものなのではないでしょうか。ウン、またがんばれるぞと。日本のだめなところ社会の嫌なところも苦労はしてもいとおしく思えるようになれれば、クリスチャンとしての召命も見えてくるというもの。
自分が社会から必要とされているかのようにさえ思えるようになるのではないかと思います。
愛することで可能性が見えてくるということです。
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| 84 むにゅむにゅ ID:qi23S1tc |
2010/02/01 13:01 |
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宗教的な喜びも非常に時事的なもの。と言いましたが・・・・たしかに、大方のクリスチャンにとっては社会問題はキリスト教とも信仰とも何の関係もないという見識のままでいいと思います。
しかし・・・・・・いろいろと深いものの感じ方から、どうしてもそうした悲しみや喜びが宗教の情熱と切り離せない人達もいるのだ・・・・ということを、なんていうか・・・・・「空想」してもらえたらなと思います。
そういう人達にとっては(わたしみたいなのもちょっとは含めて)社会問題としてククラレ囲われていることが社会問題として冷たくククッテしまえることではないのです。
何も暇こいているわけではありませんし他にすることがないからなわけでもないと思います。
ベルリンの壁が1989年に崩壊した時・・・・・、そのようなわたしに成ったのだと思います。
それにしても・・・・・・・・・・・・・、なぜ、わたし達日本人は「社会問題」という言葉にこれ程なにも気持ちが沸かなないのでしょうか。
ジャーナリズムに携わる人達やテレビの関係者、芸能人も、議員達、行政官達、学校の先生や大学の先生達が心を一つにして、魂を一つにして・・・・できることは本当に多そうです。
真面目より情熱のほうが面白いのです。一生懸命しゃべろうとしすぎてるのではないでしょうか。プロ意識が真面目にこだわらず「情熱に」傾けられていくことを・・・・・クリスチャンとして・・・・・・・・・・・・時々涙しながら祈っています。あ、社会問題としてくくられていることのお話です。
真面目は非難を生みます、情熱は非難を乗り越えます。
道徳より信仰ね。(ドートクがドーデもいいとまでは言ってはいませんけど)
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| 85 むにゅむにゅ ID:qi23S1tc |
2010/02/01 13:02 |
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そして・・・・他の先進国や民族が特に白人といわれている人達が・・・・・肉体的にというか、魂・・・・というレベルでよく理解できるのは真面目よりは情熱のほうだと思います。知的で静かな情熱は喜ばれます。
温かみのない真面目はもうだめなように思います。多少稚拙であろうと(稚拙でないほうがいいです)。
ですので非難することにばかり頭と心と力を使って疲れあってしまわないように頭と心と労力を使いたいものです。
そして、これからの日本の社会が積極的にサポートするのはそうした人達。その感性やや才能・・・・だと思います。
ホントのキリスト教のほうだと思います。
古来からの日本人のものの感じ方をむしろ支えることになる。
地の果てにまで福音が述べられそして世の終わりが来るそうですから、急ぎましょう。
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| 86 むにゅむにゅ ID:v6miJmNc |
2010/03/15 06:38 |
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最近の西洋社会には英国も含めて他の世界と自国との差をあまり省みなくなってきているようである。かつてヨシワラに抗議した英国はもう存在しない。何も単に異文化を壊滅させようとしていたのではない・・・・のではないかと思う、現実に人間の頭蓋でサッカーなどをして競いあうことを霊的とする文化とどのようにお隣同士になればいいのか疑問である。ヨシワラも同じことである。
しかし非常に狡猾な社会運動家たちが「異文化破壊をした、差別をしたのはキリスト教徒たちである」という誤謬を広めたようだ。
しかしラスカサスのこともよくよく読んでいるし恐怖の天然痘毛布事も読んではいるのでので事実は充分に理解している。
しかしあんなに恐ろしい人身御供のある文化が保存されたまま、彼らの経済が今の日本の経済に匹敵するほど発展していたなら彼らがどんな人たちに見えていたことだろう。
しかし、明治以来日本の政治はひたすら韓国中国へ挑戦状をたたきつけスキを狙っていたようだ、むしろ同じような文化レベルの国同士がいがみ合い・・・というよりほぼ一方的に卑劣なことをしたようだ。「政治とはそうしたもの」と何かから学んでしまった悲しいジャパニーズモンキーのわたし達。誰がそんなこと教えたんでしょうかね。
こういう一文を読んだだけでかぁっーとくるクリスチャン達が日本の教会には実に多いのには驚かされる。これだけは今のどこの西洋の教会に行っても日本の教会ははなはだ非常識としか言いようがないほど、違いがある。そんなひどい意見が飛び交うのは日本の教会だけだと思って言いぞ。
まったく社会正義もツェダカもなにもヘッタクリもない。キリストの教えを通らないでわたし達と一緒にいる人たちははみなブッタクリのほうだ。ぶったくりバーでだけで働けばよいのにわたし達と一緒にいるわけだ。
その当時の日本であれば、チャンスさえあれば「未開・・・・」に出かけていって同じ占拠・・・を居住というなのもとに試みたのではないかと思う。
わたしは最近海外で非常に日本人であることを恥じている。英国人は好奇心が強く口やかましいので実は自分が日本人であることを恥じていることに気付かれたらどうしようなどと空想にふけることがある。
「そうです、そうです、豊かな文化的な情緒的な価値観の人たちです」「ものすごい数の自殺者ね」何か自分達のこういうところが、なんて四六時中悩むこともある。自分達の抒情性や感受性、親子や夫婦の何気ないネバナラナイいろいろなことが実は国際的に見れば、こんな人たちがお金持ちになって先進国気取りになってほしくない、と思うほど、自分達の人間性が欠けているような気がしてならないのだ。
ほかのアジアも日本と同じだと思う。社会から来るプレッシャーやマテリアリスティックな人間関係が経済の発展に伴って日本と同じような体たらくになるのではないか。
文化なんてどうでもいいと思うほど(もちろんそれが落とし穴なのだが)ローマキリスト教のあの、いにしえの・・・・社会感覚の響きがスキだ。2000年以上前から元老院のあった地と日本の社会感覚の差が無いですかね、ホントニ。文化や工芸はそうしたことに比べるとマテリアルなことに過ぎないのではないでしょうか。自分達ではこれぞスピリチュアルと思い込んでいても、言ってる意味が違うのではないでしょうか。
以前聖書フォーラムなるものが四谷のニューオータニで開催されたまたま日本にいたので「英語わかるかな」なんてちょっとどきどきしながらちょこっと参加させてもらったことがあるのですがアイルランド出身のアメリカ人、カトリック系?のクロワッサン・・・・元神父といえばよいのか単に教授とお呼びすればよいのか戸惑うが「(神の)義が地を揺るがしている」という聖書の一説をレクチャーの締めくくりに引用されておられたのが、とても印象に残っている。彼からすると様々なことが「明らかなobviousなほど」のことにちがいない。キリスト教とその国の社会意識を結びつけて・・・・・いるところが、最新の考古学的な知識を取り入れてよく勉強をなさっているのだという印象を与えた。アメリカ人のああした人たちには結構よく日本が見ているのだ。
「あぁー、あ、とと。あんまり、おっしゃられると、ほ・ほんとに、ゆ、ゆれてくるので・・・・・」なんて、ついまじめに心配した。けっして冗談をおっしゃられているわけでわないのだ。
とはいえクロワッサン先生はかなりリベラルな思想に魅せられておられるようだ。わたしがとやかくコメントをつけることはないが普通の真面目な?カトリック信者からはカトリックでもなんでもないと思われていると思う。
神の義が・・・神の怒りに等しいほどの激しさでこの地を揺さぶりかけているのだ。
わたし達日本人はみな悔い改めるべきである。神の愛に近づくために。
わたしの心は悲しみでいっぱいである。
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| 87 むにゅむにゅ ID:v6miJmNc |
2010/03/15 06:48 |
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| 88 むにゅむにゅ ID:v6miJmNc |
2010/03/15 17:19 |
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しかししかししかしとたくさんいったらすこしすっきりしたようなきがするわ。うん。
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| 89 むにゅむにゅ ID:0nccQ1xE |
2010/03/18 07:36 |
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o
「やすらかさ」
を、伝統的なキリスト教以外のものに求めて、そのまま正当な信仰から離れていく方々しかもいつの間にか西洋社会にひいては他の先進国社会に憎しみや恨みを持つようになって・・・・教会自体から離れていってしまう方は多いのです。
エッセネ派はキリスト教ではありません。言葉の響きに引かれていつの間にかユダヤ教に深入りしてキリスト教から完全に離れていってしまうことが多いのです。
「そういう方は自分の腹を神とするようになってしまわれます。」聖書にあるように。なぜならわたし達異邦人はユダヤ教を知識のレベルでのみ知ることを許されており、安息日や食事、その他もろもろ肉体と霊の神秘をわきまえ知るための律法を全て守ることを許されていないからです。エッセネ派であろうと何であろうとユダヤ教では生活の規則や食事の規則を含めた・・・律法を全て守る・・・ことによってのみ信仰と独特の人格が形成されるのです。
そんな訳でわたし達異邦人ががユダヤ教から清らかさを学ぶことは無いのです。
また、律法はユダヤ教徒以外の者が守ることは、なんと・・・許されていません。
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| 90 エディー ID:9e1/vSLA |
2010/04/18 15:41 |
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ガラテヤ書は、新約聖書の中でも
多くのクリスチャンの心がけとして
大変重要なことが書かれていますね。
その最たるものが
『信仰による義』です。
律法を絶えず守らないものは呪われる、と
書いてある通り、律法においては
誰一人義とされない。
キリストはこの律法の罪の呪いを
十字架に架けられて贖われました。
キリスト自身が律法に対する呪いとなって
律法の罪をご自身の私によって滅ぼし、
御霊様によって復活されることで
わたし達に希望の礎(いしずえ)を示されたといえるでしょう。
同じように、わたしも聖書が咎めている
不品行や偶像礼拝、怒りうらみ、党派心等を
毎日繰り広げてしまう罪人です。
この罪による自分の弱さをただ神のみ前に告白するとき、
律法に対して死に、御霊様によって生きるという
新しいクリスチャンの自由が与えられます。
どんなに正しくあろうとしても
所詮は人間の肉のそれでしかないのです。
その根深さは、キリストが死なれるほどでした。
キリスト教の真髄は『復活』これに尽きます。 |
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| 91 むにゅむにゅ ID:mBS1EPQA |
2010/06/18 14:44 |
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o
あたし、バチカンに言いたいことがある。あのような事件があのように起きた場合、ゆるしという理念を「先に先回りして」提案することはできないのだということを。
まず、現在進行形の社会問題で全ての被害者が何らかの納得のいく報償を受けているわけではありません。全ての被害者が「納得のいく」となると、たぶんそういう事はないのだと思います。
次に、人間関係の問題としてそれは理解されないという事です。
三に、キリストの教えになんと・・・・・反しているという点です。わたしはローマ化されたキリスト教でよかった自分には合っている、と心から思っているキリスト信者ですが、キリストの教えに反してよいわけではありません。
聖書はなんと教えているでしょうか。もちろん聖書のどこを探しても司祭が青少年児童を性的に虐待した場合どうすればよいかなどという箇所はありません。
しかし、この件について考えさせる箇所はたくさんあると思います。そうした寄せ書きをパパに贈って差し上げられたらとさえ思います。イヤミのつもりはもちろんありません。キリストにまじめに従ってきた宗教者たちの個々人における苦悩が想像されるからです。
わたくしは個人的に「恨んでいる人がいたら仲直りするようにしなさい。神にささげる捧げ物を置いて、まず仲直りしなさい」という言葉を真摯に受け止めることだと思っています。これはユダヤ教徒たちを教えているのだと思いますがユダヤ教徒だけを教えるつもりだったのでしょうか。
信仰の人それ以外わからないようなご生活をしている方に何を期待すればよいのかわかりませんし、彼自身そうしたことをしてしまったわけではありませんしほとんどの事件がご自分が教皇だったときに起きているわけではありません。
そうした方に何を期待すればよいのかわかりませんが、「世間からは、まるで信仰ぬきの人間関係による謝罪」を突き付けられているようです。人格を持ってしか関わりようがないのも本当です。
伝統的な信心業によっては対応しきれないことでしょう。伝統的な信心を怠ることを勧めているわけではもちろんありませんが。この事は実は、それでは、キリストの人格的な深さもキリストとしての神性も、実はおざなりにしていると思います。それって、社会的にみても宗教的にみても、ものすごく傲慢だと思います。
キリストの人性、一人の大人として成長されたイエズス・キリストの人格に思いを馳せ、深くへりくだって祈ることが求められているのだと思います。
人間関係だけでもちゃんと謝れるほどの、信仰、信仰というより宗教理解、イエズス理解、実はそうした信仰、神から強められていない信仰をとことん味わうことを求められているのだと思います。
そしてみなわたしたちはある日、清められたかのようになるのかもしれません、もしあ恵みがあれば。
被害にあわれた方、first、だと思います。
そうした方の信仰が助けられ神との出会いが回復するとか、そのためにこれからは何でもするとか言ってよ。わたしたちの(被害者の)失われた信仰はどうなるのパパ?
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| 92 むにゅむにゅ ID:3f8ZQA92 |
2010/06/19 23:36 |
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問題の核心ばかりでなくその周辺でわたし達信者の見せた機械的に良識家たろうとする俗人としての顔も被害にあわれた方々の信仰を大いにつまずかせたと思います。宗教者達がやみくもに隠しあおうとしたことも人間性の稚拙さを露見する結果となってしまいました、悲しいことに。犯罪であると分かっていて常識の名のもとにコショコショコショし~っと隠そうとするのならば大変な非常識どころか、場合によってはそれ自体犯罪の可能性があると思います。この事ははっきりと認識しておられるのでしょうか。一般のキリスト信者も常識によって誰かの信仰をつまずかせるのは同じことです。
若者には質問をさせてあげてください。日本の若者をこれ以上萎縮させないで。
こういうところは変だった、人間として至らないところ、実は非常に問題のあるところが露見している、宗教というものを考えさせられる、ではいけま
せんか?下手なことを言うと内心怒り出す人もいますよ。
恐れないで悔いているという温かいへりくだった気持ちを持ってお相手をしてあげてはいただけないでしょうか。
「事件の深刻さもさることながら」「常識によって被害にあわれた方々や繊細な感覚の方々を信仰をつまずかせてしまった」「おそろしい罪」は「本当に」「深い悔い改めを持った方々が・・・『何らかの人格的な表現を持って』「言い表して」『仲直りできるように祈りつつその機会を祈りつつ』「生涯をかけて対応をされるべきものだと思います」
わたし達もうそのように悔い改めを生きるしかキリスト信者としての正直さや温かい神への愛にどのようにも近ずくことはないのだと思いました。世の中が認めなくなるでしょう。
聖ベルナデッタや聖マグダレーンは良い思い出です。
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| 93 むにゅむにゅ ID:yOX0XHX. |
2010/06/20 16:40 |
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キリスト教はみんなで信じる宗教なのだと思います。本来。一人ぼっちもいいけど。
( かといって、みんなで信じていることがキリスト教的だとは限らないのだと思いますが )
兄弟エリックがいて、姉妹桃子タオツィがいたりするのだと思います。一緒に信じているのだと思います。「すばらしい」気分です。ですので自分が悪かった時は、神様とのことを右か左において、先に謝りに行くわけです。大丈夫だったかね、悪かった、申し訳ないことをしたと、という具合に。
みんなで一緒に信じる宗教であることはニケア信条を西洋の言葉で読めばわかることなのですが。われ信ずとか単に信じますとか訳出していたこともありますよね。
WE believe in.....と。
そのどうもWe が。悔い改めという雰囲気がないとあぁ~っという間にニセモノになっていくのだと思います。一人ぽっちでWe...なんてこともある訳です。このことが人間性の中で文化としても、「も・・・」、理解されていたらどんなに佳いことでしょう。
信じる者からより頼むものへと変えられまたお導きによってまた神の潔めへと連れ出されて行く信者たちもいます。清めによって深く深く傷ついて何か透明な感じになったりすることがあるのをわたしは見たことがあります。
そういう方の神の愛への気付きやら帰依やら純粋な信仰やらから出た透明感のある「ごめんな」は本当にどんな怒りをも解く力(易しさや優しさ)を持っていると思います。傲慢を取り除き誰かに考えるゆとりのようなものを与えます。ちょっとずつですが何かが氷解するのではないでしょうかたぶん。あんなに怒って呪っていた自分が恥ずかしくなったり。なぜか自分も悪いと思う事が出来るようになったり。
しかし。そうした易しさや悔い改めが意図的に起こるわけがありません。それも思いもかけぬ恵みのようなこととしてごく自然に、しかも超自然的なことのように・・・、起こるのだと思います。
被害にあわれた方々が神の愛にとどまれるように神の愛の間近で人生を送れるように普通の信者たちも祈りに目覚めていたいものです。(不眠症は御免ですけど)
明日晴れだとはだれも知らなかったように、雨になることもあるのだと思います。晴れになることもあるかもしれませんが、それよりも、わたし達は好いシモベのようにあまり先を先を考えずに一つ一つの教えに忠実でいたいと思います。
ニセモノだったらとくに宗教だったら本当は誰もいらないわけです。とくに今時。
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| 94 矢島 ID:O6MxaDQ. |
2010/06/20 16:54 |
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≪キリスト教はみんなで信じる宗教なのだと思います≫
みんなで救われなきゃ・・・ねッ
ってなものでもありますよ。
日本の場合、少なくとも、カトリック的にはね。
公的な文書は典礼からお知らせまで、ぜんぶ、そのような文言になっているはずです。
主は皆さんと共に・・・また司祭と共に。
我等、我々、私たちは・・・みな、そのようになっているはずです。
自分ひとりで救われても仕方ない、みんなで救いの技に与ることに意味があり、われわれがみな一致してあるところにまた主は共におられるからです・・・ね。 |
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| 95 むにゅむにゅ ID:yOX0XHX. |
2010/06/20 22:20 |
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ひぇ~矢島さん。なんかちょっとドキドキします。や、どうも。
ときどき使徒信条の中には「われ信ず」で始まるものやどっちにでも取れそうなものまであって気になることがありました。ナンカ一人ぼっちで匿名で信じることを認めているようなAAのような気分になります。ん~、でもあれはあれで大切な精神性です。AAもいいなぁ~。
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| 96 むにゅむにゅ ID:yOX0XHX. |
2010/06/20 22:37 |
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学識のある方にお見苦しい文章を読んでいただいているようで(ななめ読みでもなんでも)申し訳なく思っております。どうもワードに一回書き上げてからよく文章を確認してから投稿する芸当が出来ないみたいです。わたしだったらそれだけで半日かかってしまうのでいつもスレに直接書き込んでしまいます。後で読み直して「げっ」とか『忸怩たる思いに』わたしも一人前にひたってみたりするのですが「うぅ~、やはりわたしってこの程度なのよ」という開き直りのほうにズブズブとはまっていってしまうことのほうが多いようです。あまり気になるときには管理人に削除をお願いして再投稿をしたりすることもあるのですが。なにぶん。
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| 97 矢島 ID:O6MxaDQ. |
2010/06/20 22:55 |
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<【我は】天地の造成者、全能の父なる神を信ず>
というのは、日本基督教会(教団)の訳文です。
カトリックは、とっくの昔から口語で・・・
<天地の創造主、全能の父である神を信じます。
父のひとり子、【わたしたち】の主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って全能の父である神の右の座に着き、生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン。>
と、訳出しています。
ボクも、当然、投稿フォームに直接書いてます。
(投稿主であっても、削除も編集も出来ないので、一応、文言には気をつけてますが・・・ね) |
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| 98 れお ID:/E3NSkDU |
2010/06/22 17:19 |
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むにゅむにゅさん、お久しぶりです。
お元気でしたか?
性的虐待の件ねぇ…。
数年前も発覚したけど、まさかこんなことになるとは…。
とても残念でした。
ベネディクト16世が枢機卿のとき、
性虐待事件の隠蔽へ関与したのでは…とか、
教理省への性虐待の報告に対して枢機卿は無回答だったとか…。
報道内容をそのまま信じていいのかどうかは
もちろんわからないけれど、仮にそうだとしたら、
彼自身が性犯罪者ではないから…と彼を庇っていいものだろうか…
と私は思います。
とりあえず、ウチの教会では特にこの話は出てきません。
カトリック新聞とか雑誌でちらほら扱っていたようですが、
特に大きく取り上げている感じませんでした。
しばらくして、信者とはやっと話ができましたが、
互いにバチカンの対応については納得がいかないようでした。
>自分が悪かった時は、神様とのことを右か左において、先に謝りに行くわけです。大丈夫だったかね、悪かった、申し訳ないことをしたと、という具合に。
これは同感です。
カトリックの性虐待事件、
少し前のビュン牧師による性虐待事件、
京都の正公会の性虐待事件などなど…他多数
(国内でも結構あったのでびっくりです)を通して考えさせられるのは、
主の祈りの主語が「私達」となっているんだけど、
こういうのはどうするの?ってことです。
ゆるして良いのか、どうだか。もちろん、お祈りは大切だけど…。
被害者を第一に、最優先というのは分かるけど、
そうなると加害者には具体的にはどう対処するって事になるのだろうか…。
加害者寄りすぎても、教会に来てくれる人が減るのでは…とも思うし…
(現にあちらでは減っているのですよねぇ、事件をきっかけに)。
なんだかまとまらないまま終了。 |
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| 99 矢島 ID:mQqsa/Hc |
2010/06/23 00:50 |
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ふつうに、世俗の法廷で裁かれるべきでしょう・・・ふつうに。
その場合、ラッツィンガーまでは責任追求するのは難しいかも知れんが。 |
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| 100 むにゅむにゅ ID:HOkVs2pk |
2010/06/23 23:21 |
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今のパパ様のことですか。う~ん。
わたしの意見や気持ちは投稿したとおりです。
ところで庇うというのはわたしが庇っているという意味ですか?自問自答さえしましたが庇っているってどういう意味だろうとう~んう~んと判らなくなってしまいました。庇っているって???たしかにわたしの気持は丁寧でできれば注意深いものであるように気をつけていますが。
今ぎゃ~ぎゃ~言ってる人たちは被害者達ではなくてあの時死ぬほど冷たかった人たち、被害にあった人たちが助けてもらいたかったときに話をしても信じようともしなかった人たち・・が騒いでいるだけなんじゃとさえ思います。部分的にはそれも本当です。
そのころは・・・【医学の権威者たち】の間でもそうしたことに非常に認識が薄くてどこの先進国でも「ま、そんなことは過去のこととして、あなたの自立とかあなたの人生が独立することがど~のこ~の」と言っていただけですから当然【宗教者たち】の間でも「それはたいへんひどいこと」であっても「刑事事件であるとか犯罪である」という認識はほとんどなかったでしょう。だからわたしの心って少し冷たいの。法的に解決されることがこうした被害者がいやされる主な方法だとはあの当時『だれも』思っていなかったと思います。
れおちゃんならどんな態度をとってあげられると思いますか?そんな変なことを言っている人がいたら。そういう方の妄想だとは思わないでしょうか。そういう人たちってたいてい半分切れかかっているだけのよう見えるはずですよ、その人の話にわからないって言うのが精一杯ということはないですか。
教理省なんて呼び方やめて検邪聖省に呼び名をもどしたらきっと起きてしまったことがいかに悪魔的なことだったかどうかもっとはっきりするのだと思います。
教理ではどうかなんてゆっくりと考え込むことではない訳です。
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| 101 むにゅむにゅ ID:D6FObUqA |
2010/06/24 00:27 |
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>>97 の矢島さん。あれは、いつだったか、エ~ゴやラテンゴと比べてずいぶんと口語上の印象が違うのであまりなじめなかったという話です。しかしふつう言語に堪能な方が訳しているのでしょうから。直訳をすることになんか違和感があったからこういうのにすることにしたのかなぁ~なんて。いちいちなんでかな、なんて。
みんなで信じるものとは言いましたがそうした喜びは今は昔の物語となりつつあるようですね。ですのでみんな「が」信じるものとは今の時代ではならないでしょうね。
みんなで信じる喜びはおそらくはローマ化されたあとの変化の中で現れたことなのではないかと思っています。ま、でも過去のものになりつつあるのかもしれません。ともに信じる位なら少しなら今の時代でもあるかもしれませんけど。なんかだるいな。
世の中がみんなで信じていることがキリスト教的だなんてことはこれからどこの国でもなくなっていくのかもしれません。
死刑廃止と一夫一婦制が果たして残るかどうか。
わたしが言いたかったことはみんなで信じるには社会的価値を(良心や受容という道徳、美意識その他さまざまな建設的な精神性を)教会が柔らかく当たり前のこととしてリードしていなければ無理です、というようなことです。で個々人が人の愛情にそして神の愛にふさわしい悔い改めを正直にしていなければどの道そんなことは無理だと思うというようなことをブツブツ言っていただけです。
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| 102 矢島 ID:7reZaH/Y |
2010/06/24 07:22 |
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むにゅむにゅさん☆
皆が心を合わせて信じるとか、共に分かち合うとかってことは、価値観が多様化した現代では難しいのかも知れません。
共闘感だとか、共生感だとか・・・日本で云えば<隠れキリシタン>の時代であるとか、そういう深く強い結び付き・・・誰かが欠けてしまうことが心の深い痛手となるような強い関係性の中でこそ得られるものなのかも知れません。
今、やたらと<みんなで>って強調するとナンダカ胡散臭い気もしてしまうけれど、プロテスタントのように<個人と神>という関係性をベースに考えすぎるのも、これまた弊害がありすぎるようにも思うし。
ちょっと意見が違うとすぐに分派を起こすとか、過去の過ちに対しても責任を感じにくいとか・・・
(JPⅡは、過去の教会の過ちに対して謝罪したけど、プロテスタント側は知らんぷり・・・だとかね)
カトリックも、口語訳の前は・・・ボクが洗礼を受けた頃は、<我らの主>と云っていた様にも思います。
あるいは併用していたか・・・
ついでに云うと、ボクにとって、教皇はヨハネパウロⅡで、他のどなたでもない。
ラッツィンガーは好きではないです。
棄教したボクが云うのもおかしいけれど、聖座に対する忠誠ではなく、そこに座る人間に対する尊敬なんですね・・・やっぱり。 |
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| 103 れお ID:nNytOfhE |
2010/06/24 13:21 |
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むにゅむにゅさん、こんにちは。
まず、庇うって、「むにゅむにゅさん」が庇っているとは
、思ってもいません。誤解を招いてしまい、すみません。
>教理ではどうかなんてゆっくりと考え込むことではない訳です。
こういう考えの方もいらっしゃるのですね。
私自身が性犯罪被害者なので、少し安心しました。
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| 104 むにゅむにゅ ID:EWZmlvqQ |
2010/06/24 17:26 |
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>>103 のれおちゃんれおちゃん。いろいろ苦労してきたのね。それならばわたしの質問の仕方ではさぞかし困った気持ちになったことでしょう。ごめんなさい。大丈夫? インターネットって変な人も見ていることがあるからなんか気をつけてねと言いたくなるような。
わたしはあまり自分のことは言わないようにしていますけど。それで、もし103 をれおちゃんれおちゃんが削除したくなったらこの投稿も削除してあげてくださいね、一緒に。
いったい誰からそんなひどい目に会ったかこんなところで質問したくありませんけどわたしは時々教会関係者からひどい目にあった人たちが「しかしそれってさいあくのことか?」なんて考えてしまいます。アメリカ人や日本人はたまたイギリス人に子供の時買われたりあるいは親からなんかされてしまった人たちは一体どうなるのでしょう。(バイシュンは親からなんかされてしまう事とは違いますから精神的にひいては肉体的にまるで違います)この方たちは親と一緒に暮らしているんですよ。そういう事をやってしまった人達がなんか一緒に教会批判をしているようなっと、いうことなんですよね。でやってしまった人たちというのはごくふつ~の日常を送っているわけですから知らず知らず善良を装って罪悪感とはまるで向き合わないで生活しています。人間というものはわからないものです。なんか悔しい気がします。
なんか時折羨ましいなと思うことがあります、君達には家に帰れば立派なお父さんお母さんがいるじゃない、って。腹が立つこともあります。アメリカの社会や先進国社会はもっとそうした方たちへの理解やケア、法的な報償や社会的な制裁を取り組むべきです。個人情報も尊重されつつ。また生活保護(安全な住居が最優先で影響されなくていいのでしょうか)と、自立支援も国民の善意が現れるように配慮するべきです。現実には子供手当よりそっちのほうが日の目を見てもおかしくないはずなんですが。社会人の心に太陽を。
れおちゃんれおちゃんおんみたいせつに。
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| 105 むにゅむにゅ ID:7d0WdYHk |
2010/06/25 23:24 |
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矢島さん。前のパパ様はなぜか人望が高いですね。
ラッツィンガ~は好きではないですかぁ。ふ~ん。
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| 106 むにゅむにゅ ID:sFbBLajI |
2010/07/16 14:30 |
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なんかいろいろ思う事がありまして。いつのまにか無知が許されない時代になっていたみたいです。それほど人間の悪がきわみに達しているという事なのでしょうか。そら恐ろしいと思います、なにもかも。
おたがいさま・・・・・・・・・・、というのもあるとは思いますが。
恐ろしい限りです。
。
しかし無知を、本人たちにとっては・・多大な・・・努力、によってほんの少しでも乗り越えるとその向こうには神様がいらっしゃるかのようにも思えます。つかの間の休息を与えられるということでしょうか。
世に有名な第三の秘密には「多くの枢機卿、司教そして司祭が地獄に行き、そして多くの霊魂を引き連れて行く」と言われていますが何だか言っていることわかるような気がします。今のパパ様がラッツィンガー枢機卿だった時彼はなんのことを第三の秘密が言及しているかすでに分かっていたようですね。
カトリック教会ではとくに信者たちは金儲けと政治を『別腹』のように勝手に考えていたフシが歴史的にはおおいにあり「まちがっていたとおもいます」
わたし達が恐れなければならないのはこうしたことから学ぶ「神」でなくてなんでしょう。(しかしこれほど多用されるひょうげんもないですよね)
そこから始まる人間性の破壊はまさにオカルトから何やらもあるでしょうし地獄にまっさかさまに続いているとおもいます。
隠者のように生きることを余儀なくされた全ての方たちと心を合わせて祈りたいと思っています。お互いにわかりあいちっぽけなものになりきって肩を並べて祈ることができたらどんなにすばらしいことでしょう。
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| 107 むにゅむにゅ ID:RyXU38dw |
2010/07/23 16:43 |
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政治家の "Kevin Rudd" =ケビン・マイケル・ラッド、さん のことをぼつぼつ読んでいます。何か「キリスト信者の社会人」として見失っているなという時だったのでぴったんこでした。
彼の行動からは何か心だけが伝わってくるようなところがあり何かすがすがしい。やはりわたし達日本の社会に足りないものは強いてい言えばこうした・・・・・・・心なのではないかと思いました。
常に本当に新しいこと・・・これがキリスト教の心。いつも洗い立ての心。
戦争にあおられのせられしんじこまされ敗戦・・、多くの人にとっては日本の縄文時代から脈々から続いていた純粋主義の終焉にも思えたことでしょう。心にさえ自信を失ってしまうのも無理からぬこと。
ま、ケビンさんも只の人。非難も充分に受けていますね。しかし心に自信を持つというのはいい事なんだなって・・・・、『社会にとって素晴らしいんだ』、・・・・・と何か素直に思う事が出来ました。
わたしの知り合い・・・・の ラスタマンの "Black Liberation activist" も彼はいいんだけどね・・・・と。・・・・なんかわかるような気がしました。
ラスタマンに認めてもらっているキリスト信者の政治家か、大したものねと
心の中で呟いてしまいました。
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| 108 むにゅむにゅ ID:2v144KZ. |
2010/07/25 10:21 |
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うちは残念ながら代々関東の出身で残念ながらほかの地域とは現代にいたるまであまりご縁がなかったのですが、ま、中世においては東えびすなどと言われたほうのヤカラに違いないと思っています。(あまり詳しくありません違っていたら近隣の方々ごめんなさいわ~ん・・)源氏だの平家だの引っ張りだすと河内源氏・・はっはっは?しかしそうしたことに血筋に由来がると思うのは個人的には空想の世界だと思っています。やった大阪に親戚がいる?ということにはならないですね。ははは。
となるとこれは空想の世界のお話になってしまいますが。なんか面白可笑しかったのでここに書き留めておこうと思いました。
うちも中世においてはアイヌ蝦夷エミシエビス等々だったのだなとなんか心楽しくなってしまいました。運よく?征夷大将軍の名のもとに大和朝廷の傘下に入り大和民族の列に加えられてしまったにすぎません。bloody kansai no hitotachi. ま。なんていうか。
(((それまでは縄文時代からの東えびす・アイヌ文明における宗教の原型のようなものがあって村よりも古い概念「みんなのあつまり」みたいなものがあって宗教的な長老や王様みたいのもいてあるいはそれらがイッショクタになった人や人たちがいて子どもはナマズの塩焼きなどを食べたりしていたのでしょう。高級料理の原型です。)))
ローマキリスト教の政治経済的に言うとそこで christianize されてしま
った訳です。その後大和朝廷の目に見えない神を拝むようになったのでしょうね。(2010年に生きてるだけでほんとによかった。)かなり後になってからですがそのあとあちこちに国分寺を立てたのは英国でも同じでした。フラン酢人のたてたお寺が国中に残っています。
とにかくそれでその後本人達はそんなことにはこだわらず手柄を立てただの武勲があっただので西洋風に言うとfame 名声 honor 名誉 頂いてすっかりその気になったのです。家族によっては家柄を誇るようになったりもしたのでしょう。
現代キリスト教からは程遠い価値観ですが、現実にはどこの社会も国家や政治や学問に貢献したウンヌンで名家というのは存在します。
社会によっては自然と一体となった共同体における・・長老のお家柄、というのもありますしアングロ社会にも祭司のお家柄(自然な世襲制)がありました。(そうした祭司のお家柄の人達のおそらくは坊ちゃん育ちの純粋さや詩心、古代の共同体において世襲された祭司としての器量を見込まれ召命を受ける話が残っていたりして興味が尽きません。キリスト教の教化はこのような愛の呼び掛けによって始まったのだなと美しいお話にため息をついたりしてます。
北海道にも先住民族などと言われてしまっている人たちが住んでいますがだいたいそんな風に思われること自体が全く荒唐無稽な根も葉もない表面的な差別をすることに夢中になる何かからだけ起こる・・差別につながってしまう事もあります。わたし達関東に住んでいる正真正銘の日本人も古代のそして中世の大和朝廷からみれば日本人になった人たちにすぎません。
でも今までの歴史もあるので人によっては先住民族としてその権利のために戦うはめになることもあるのかと思うとわたくしも不条理極まりない気持ちになります。彼らのフレキシブルな選択が好いものであるようにイスラエルの神アメリカの神ドイツの神イギリスの神フランスの神スペインの神ポルトガルの神イタリアの神日本の神中国の神韓国の神に祈っています。
詩編は面白い事を教えています。「王の主権は主にある」と。天皇の主権首相の主権国会の主権ははわれらの主にあるそうです。
聖俗の譲り合いと協力は健全さや壮健さひいてはstrength 強靭さを確実に育てます。円熟して寛容さやユーモアも頂くもののようです。
お金のためだけに・・がどれほど馬鹿らしいことか当座的なことか。そこに親を思う切実さやそれを乗り越える公共心がなかったらイエス様の教えが信じられなかったらどれほど馬鹿馬鹿しいことか。ridiculous..
" 'd rather take initiative... "
お祈りさせてもらっています。
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| 109 むにゅむにゅ ID:2v144KZ. |
2010/07/25 10:32 |
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don't pray something specific と指導を頂いたことがあります。何か一定の「~をなにとぞ」という風に祈らないでという事なのだと思います。神様の清らかさに向かってお祈りするようにしています。
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| 110 むにゅむにゅ ID:2v144KZ. |
2010/07/25 11:29 |
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+++ 108 9 段目
北海道にも先住民族などと言われてしまっている人たちが住んでいますがだいたいそんな風に思われること自体が全く荒唐無稽な根も葉もない表面的な差別をすることに夢中になる何かからだけ起こる・・差別につながってしまう事もあります。わたし達関東に住んでいる正真正銘の日本人も古代のそして中世の大和朝廷からみれば日本人になった人たちにすぎません。
というくだりが文章の脈絡からどうもデリカシィーに欠けているような気がして苦になってきました。
何が正真正銘の日本人かという事はその当時は大和朝廷の傘下に入った「日本人になった」という事にしかありません、という事を主張したかったのです。正真正銘のと言ったのは関西の差別をする人たちからもしや差別をされるのではとの恐れからあえて言いました。つい空想にはまってしまいました。
文化とか社会とか言われている文明も一つの霊を追っているのだと思います。幸せな感じ happy な感じ祝福されている感じがする霊を追うようにその知恵を教えているいるのが聖書でイエスさまは誠に救い主だと思います。
そうした感じから誰かがそれて行かないように、また、そうした感じから誤って疎外されたりする人たちが一人もいないように心を砕いて「譲り合い高め合いたい」ものです。
わたし達信者の心が砕かれて痛みますように。主よあなたの愛のために信者が用いられますように。
士気が高められますように。
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| 115 むにゅむにゅ ID:a.yZxnSY |
2010/07/26 15:17 |
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o
わたし達日本人が車に乗らないだけで世界の異常気象を止められるというのは本当ですか?本当なんでしょうか?本当に?
なんでこんなに暑いんですか。
みんな電気自動車かガス?自動車になるまで車を乗るのを辞めるのがいいのでしょうか。あとはアスファルトやコンクリに代わる代わる舗装道路用素材が開発されれば結構いい線いくのかもしれません。
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| 117 匿名さん ID:zR6Pb8fk |
2010/07/26 17:14 |
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地球温暖化に対して、認識を共有しようと言う動きが少ない。
特に日本では。
科学者が自分たちの殻のなかで前進したと自己満足していても仕方がない。
もっと大衆にわかるように地球温暖化の危機を宣伝していかなければならないのに。
関わっている人によって、この問題に対する認識の差はあまりにもひどいとおもう。 |
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| 118 エディー ID:1cJlHbJM |
2010/08/02 20:45 |
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お久しぶりです☆
もう夏真っ盛りですね。
主が御子をして創られた万象の妙は
今日もわたしを主の御前に黙させて
御聖霊様との語らいを許して下さいます。
あれからもうだいぶ経ちますが、
教会の内に外にといろいろなことがあり、
試みに遭って主から離れても、
結局は放蕩息子やサマリヤの女のように戻ってきて、
涙のうちに『主は愛なり』と告白する兄弟の証を聞いたり、
また私自身の知恵や分別のない肉の身体をも
主は用いてくださり、異邦人の中で生き様そのもので
主を力強く証しさせてくださる幸いに感謝します。
真に、わたしたちが選んだのではなく、
神がわたしたちを選び、捕らえ、ご自分の民となさいました。
最近わたしのなかで
キリストに対する思いは単純で明快なものに
なっていくような気がします。
来る日も来る日も、
『よく食べよく寝てよく働き、
主にあって感謝』の
毎日です。
引きこもって悪態ばかりついていた
去年の初夏までがまるで遠い昔のように
感じられます。
主の憐れみによって
理解のある医師に引き遭わせて下さったこと、
身体が健康に整えられ、
心も霊も主にあって守られ、
幸せであること・・・
何もかも感謝です。
愛しています。
わたしはこの通り恵まれて幸せです。
願わくば信じるすべての人に
主の平和と幸いが豊かに臨みますように。
主に栄光あれ。アーメン。
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| 114 むにゅむにゅ ID:bEploe5I |
2010/08/06 13:39 |
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o
どうか、イスラエルの救いが
シオンから起こるように。
主が御自分の民、捕われ人を連れ帰られとき
ヤコブは喜び躍り
イスラエルは喜び祝うであろう。
詩編14章7節
とてもとても美しい詩編の一説です。
エディ君へ。
げんきそぉ~。毎日インターネット確認できないことも
あってちょっと遅くなってほんとにごめんなさい。
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| 115 むにゅむにゅ ID:YMYCyc6U |
2010/08/13 17:57 |
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117>> 4行目 の匿名さん☆
「 もっと大衆にわかるように地球温暖化の危機を宣伝していかなければならないのに。」
信仰熱心な方の中にはそうしたことに人一倍関心が深く熱心に勉強をしておられできる限りの実行をしておられる方が多勢おられるかと思います。しかし社会的にとなると。
5行目「関わっている人によって、この問題に対する認識の差はあまりにもひどいとおもう。」
そうですね。わたし達が神様の愛の優しさや暖かさ柔らかさ強靭さにしっかりと繋がっていることを、事あるごとに何かにつけて何をするにも科学者のようにシツコク、プロのスポーツ選手のようにのように熱心に・・聖人のように謙虚に貧しく静かに・・、普段からお互いに確かめ合っていないと、何もどうにもならないのではないかと思います。
今の教会はホントニ苦しんでいる人を前にキリストの教えを思い出すのがやっとで(ほんとにやっとのとこやっとチラッと思い出したりする・・それでもそれは、なけなしのカネをはたくようにやっとのことだったのだと思います、何か哀れなわたし達、どちらも哀れでみじめ、目をふさぎたくなるような人間同士の姿です)わたし達日本人はついつい日本人としての厳しい目を先に持ってしまうことが多いようです。自殺者が多いのもうなづけます。(どんなにひどいことか・・)
世相や社会の価値から開放されていないのでついそちらが人間関係の中でも優先してしまうのだと思います。開放されていないし区別をしていないのだと思います。
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| 116 むにゅむにゅ ID:YMYCyc6U |
2010/08/13 18:32 |
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なんっかここにきて一信者に過ぎない者の卑小さ宗教のアジアにおけるキリスト教の根の浅さを痛感します。
やはりなんだね、アメリカは、うん。もう一度十字架を各公立校私立校にもういっぺん戻すべきですね。
「60年代に運動が起こって取り払われたアメリカ人の心が変わった自分達の間からも何かが消えた・・・・」
アメリカの歴史を無視したようなこうした変化がどれほど象徴的な意味の影を落としたことか、熱心な人たちの心を寂しくしたことか、わたしもなんだか涙が出てきます。
日本も無宗教でなくていいんじゃないでしょうか?
宗教の敵は官僚主義権威主義だと思います。血の通わないもの冷血は全部ダメくらいに気をつけていないと。暖かさ優しさ易しさセルコントロール充足感人格形成神にへりくだる喜びゲンキstrength幸福感・・・が実るような自然な雰囲気が大切にされることを願ってやみません。開眼されますように。
政治家がなんか言っても・・つまりどれほど国民の心が「すさんでいる」か誰も気がついていないのだと思います。すさんでいると思います。日本人の心ってのはもっと自然なだけで自然発生的な言葉や動きが活き活きハキハキと満ち満ちているもんなんだと思いますが、何か社会的な運動を警戒するための抑圧が強すぎたのではないかと思っています。「サポートする」「動く」できれば一緒に行動するというキリスト教の伝統を何度でも思い出したいものです。
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| 117 むにゅむにゅ ID:YMYCyc6U |
2010/08/13 19:41 |
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自分なかにそんな渇望感が見つけるなんて以外です。これはきっとダヴィデの詩に思いを乗せられなければならないと思います。
若いときにan organised『宗教』が大嫌いだったこともありましたがそれがウソのようです。頭でっかちみたいなだけでつくづく嫌な宗教だと思っていたこともあります。信じられなかった。様々なことが反省されて見直されて充分な謙遜のうちに社会が宗教をサポートするようになることを佳いこととして望むようになるなんて。
わたしは教義に謙遜にされたのでもなく誰かを気にして謙遜の振りをするようになったのではなく誰かの謙遜に謙遜にされたのだと思います。誰かの謙遜さを目の当たりにしてそれがいつまでも目に焼きついて申し訳なく思い悔い改める涙とともに謙遜にされたのだと思います。
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| 118 むにゅむにゅ ID:USVsZFW2 |
2010/08/17 03:30 |
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教会や十字架あるいは主の御苦難を表わすもの、あるいは何らかのキリスト教の信仰の表現するものが、公共の場・・街角の・・・どこか大切な場所、そこの地の利やら地域の個性を表わすところに置かれるのがわたしの夢です。おお・・・、なんだか I have a dream... の様にになってきてしまいました。そして日本人同士が殺しあわないことがわたしの夢です。<<自殺の事ね。何らかの差別がすさまじい国なのだと推察しています。
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| 119 むにゅむにゅ ID:USVsZFW2 |
2010/08/17 03:52 |
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Let freedom ring.. ですかぁ。いいですよね。
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| 120 フォーラム管理人 ID:ucGuXjmI |
2010/09/08 23:58 |
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クリスチャントゥデイ・フォーラムご利用者の皆さま
いつも当フォーラムをご利用いただき、誠にありがとうございます。
当スレッドに掲載されておりました投稿の内、一部投稿につきまして嫌がらせと判断した投稿を過去に削除させていただきましたが、削除した投稿の投稿者より要望があり、またその要望が妥当なものであると判断したため、削除した内容を再掲載させていただきます。
なお、システム的な問題により、削除した投稿を削除時の位置に復元することができないため、削除した投稿を以下にまとめて掲載させていただきます。
再掲載した投稿に対応する他の投稿が表示されていないため、文脈的に読みにくい点があるほか、すでに話題が進んでいる当スレッドに割り込むかたちでの再掲載となるなど、ご不便お掛けいたしますが、何卒ご了承下さい。
-----------------------<以下、削除した投稿内容>-----------------------
<【むにゅむにゅ】さんの投稿がここにありました>
<以下、【112 矢島 ID:ApTHuYeM 2010/07/25 12:10】さんの投稿>
むにゅむにゅさんが、どのようにお考えになろうとも、それは自由ですが・・・
詩篇を編んだパレスチナ人たちは、日本という国の存在も、天皇陛下の存在も知らなかったでしょう?
詩篇の「王」は、周辺のセム系民族の王たちを指しているだけです。
それをキリスト教徒的傲慢で、他国の王権や国家主権にまで拡大解釈するのは、いただけませんね。
無礼です。
まして、天皇陛下と天皇家に対し奉り、雑言たまわるとなれば、卑臣の五分の魂、一分の命といえど、雪辱に充当せざるを得ません。
君、辱めらるれば、臣、死す・・・と云いますから。(ちょっと、意味が違うけど)
≪関西の差別をする人たちから≫
というのも、かなりデリカシーに欠けますね。
ボクは九州で生まれて、東京で育ち、今は関西に住んでいますが、地域差別は地域が生み出すものではないです。
<【むにゅむにゅ】さんの投稿がここにありました>
<以下、【114 矢島 ID:ApTHuYeM 2010/07/25 17:38】さんの投稿>
いえいえ・・・いちいち気になるということも、癪に障るということも、殆どありません。
時に、文脈が捉えにくいということはありますが。
書き込みをするな、ということであれば、それも吝かではありませんが、キリスト教世界の中でのお話しで、それもご自分の信仰ステージの上でのことであれば、(公の掲示板上でありながら)反論されずに、書きたいように書きたいという無理難題も聞き入れます。
しかし、祖国の成り立ちや文化に対する揶揄、愚弄は聞き捨てなりません。
といって、もちろん大和民族が純潔単一民族などとは思っていませんが、そのことと、成り立ってしまって幾星霜という歴史を重ねてきた国体について、真摯な批判なら当然、可、ですが、そうでないものは見過ごせません。
下賎な「荒らし」の類なら、スルーしますが、むにゅむにゅさんのような穏やかに書き込まれる方の言動であれば、却ってよろしくない。
特に≪関西の差別をする人たち≫・・という部分は、特定の地域の住民が他の地域に対して【差別】していた、もしくはしている、と読め、これに典拠も示され ず論拠も明確ではないまま、云いっぱなしになっており、ご自分の机の引き出しの中の日記ではないのですから、こういう場所での文章作法としては適切ではな いと思います。
もちろん、日本中に様々な差別の歴史は・・・あります。
しかし、【差別】というような過激な文言を用いて、特定の地域に責を置くような物言いは、やはりそれなりの姿勢と用意を以って書かれるべきだと思います。
<【むにゅむにゅ】さんの投稿がここにありました>
<以下、【118 矢島 ID:8X2NECJw 2010/07/26 18:40】さんの投稿>
≪これが面と面を合わせた十数人での集まりならば非常識なのは矢島様のほうかと思います≫
≪ご遠慮くださいという言葉を無視するならば現実の対面では強要になります≫
ずいぶん身勝手な言い分ですね。
あなたが、人の棲家に向かって(理由の判らない)石を投げつけたのです。
ボクはそれに対して苦情を云ったわけです。
背教者(これは棄教者より随分イイ感じ!)にモノを云われたくなければ、不用意に発言されなければいいのです。
ここは、あなたの占有スペースじゃありません。 |
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